六日目 お家デート
「ふぁあ……今何時だ……」
時計を見ると、まだ6時だった。ここ最近は睡眠のサイクルがしっかり取れているからか、目覚ましをかけずとも早く起きられるようになってきた。
「今から準備しても早すぎるからな……」
そう思い、俺はしばらくやっていなかったゲームを取り出し、起動。あれ、ずっとやっていなかったからか、充電がないようだ。コンセントを挿し、再度起動。よし、今度はちゃんとついた。
いつもやっているゲームを立ち上げ、プレイ。なんだか懐かしい感覚だ。
しかし、つい一週間前はずっとやっていたというのに、前ほどの楽しさは感じられなくなっていた。なぜだろう。わざとらしくそう思ってみるが、答えは自明だ。凛さんと遊びに行く方が、一人でゲームをするよりずっと楽しいのだ。
ここまでの自分の変貌ぶりに、我ながら驚嘆する。でも、新しい世界を知ることができたという点では、変わって良かったと俺自身は思った。
ゲームはすぐに飽きてしまい、すと外を見ると、今日は雨が降っている。思えば、凛さんと会ってから雨が降ったのはこれが初めてだ。今日は何をするのだろう、と無意識のうちに考えてしまう。
準備も慣れてきて早々に終わらせてしまい、そうこう時間を潰しているうちにいつの間にか9時になっている。いつもならとっくに凛さんは来る時間なのだが、今日は遅いのだろうか。
そう思っていたら、突然病室のドアが勢いよく開く。来訪者は凛さんだった。走ってきたのか、かなり息が切れている。
「お、おはようございます。大丈夫ですか?」
「ぜぇ……ぜぇ……遅くなって、ごめんね……ちょっと準備してたんだ……」
喋るのも辛そうなほど疲れていたので、とりあえず凛さんを椅子に座らせ水をあげる。凛さんは、勢いよく水を飲み干し、数分ほど休憩したら、すぐにいつもの調子に戻った。
「ふーごめんね!お水と椅子、ありがとう。今日は雨だから私のお家にでも呼ぼうとしたんだけど、準備に思ったより時間が掛かっちゃって……」
「そんな急がなくても大丈夫ですよ、俺は逃げませんので。それより、凛さんの家にお邪魔してもいいんですか?」
「うん!お父さんは会社行ってるし、家には誰もいないから心配ご無用!」
その状況が心配ご無用かは不明だったが、今日の行き先は凛さんの家のようだ。女の子の家に入るのは当然ながら初めてなので、早速緊張してきてしまう。
「じゃ、とりあえず行こっか。ここからだと割と近いけど、外は雨降ってるから一応傘とか上着とか持ったほうがいいかも!」
「了解です」
俺は言われた通りに準備をして、凛さんと病院を出る。俺と凛さんは二人とも傘を差しながら隣同士を歩く。ものの五分程度で凛さんの家に到着した。神社によく散歩に行くと言っていたが、凛さんの家は神社のすぐそばにあった。
「おじゃましまーす」
「はーい、おじゃまされまーす!」
凛さんの家は少し大きめの一軒家だ。早速、凛さんが家を案内してくれた。
「ここを直進したとこがリビング、私の部屋はここ右に曲がったとこね。トイレはここだよ」
「ありがとうございます」
「じゃ、とりあえずゲームでもしよっか!」
初日のゲーセンといい、凛さんは意外とゲーム好きなのだろうか。俺と凛さんはリビングに行き、早速ゲームを始める。
「色んなゲームがあるよ、何やる?」
「とりあえず全部やりましょう」
「ふふっ、言うと思った!よし、じゃあ全部やろう!」
凛さんはまずレースゲームのカセットを手に取り、ゲーム機に入れる。俺と凛さんがゲームをするとなったら、それは言わずもがな対戦するということだ。
罰ゲームがなくとも、勝負は真剣にやらないと凛さんに怒られてしまう気がする。それに、凛さんとの真剣勝負は俺もやっていて楽しい。
「じゃ、まずはレースゲームだー!キャラクターとかカートは自由に選んでいいことにしよっか。コンピューターも入れて、先に一位を五回取った方が勝ち!」
「負けませんよ!この間は同点だったので、ここで決着をつけましょう」
「望むところだ!」
俺たちは真剣な表情でキャラクターを操作する。凛さんと一度ゲームをしたら、しばらく集中力は途切れない。
一人でゲームをしてるときはすぐに飽きてしまったのに、この違いは何なのだろうか。一緒に遊ぶ相手がいるなどといった、単純な理由ではない気がする。おそらく、凛さんだからこそ一緒にいて楽しいのだろう。
それだけでなく、最近の俺は四六時中ずっと凛さんのことを考えている気がする。こんな感覚は今までに感じたことがなかった。しばらくこの感情について考えていたが、やっとその答えが出た。というより、その答えから俺は逃げていただけなのかもしれない。
俺は、小野寺凛のことが、好きだ。
凛さんといるときの時間というものはあっという間に過ぎてしまう。色んなゲームをしていたら、いつの間にか昼ご飯を食べる時間になっていた。今日の昼はどうするのだろう、どっかに買いに行くか外食をするのか、と俺が考えていると、
「さて、お昼にしよっか!せっかくだし、今日は一緒に家で料理をしよう!」
と凛さんが唐突に言った。ちょっと待て。今、"一緒に"って言わなかったか?
「ちょ、俺料理できないですよ!?」
「そんな高橋君でもできる料理にしたから大丈夫!何かあったら助けてあげるよっ」
凛さんは可愛らしい仕草でそう言う。昨日のバーベキューのときの手際の良さを見るに、凛さんは料理も得意なのだろう。が、一方の俺は全くの未経験だ。少々不安はあるが、凛さんが助けてくれるのならば大抵のことはどうにかなるので、そこは心強い。
「それじゃあ凛ちゃんのお料理教室のはじまりはじまり~!今日はオムライスを作りたいと思いまーす!食材は玉ねぎにピーマン、鶏肉ってところでいいかな。とりあえずこの子たちを切ってみよう!」
凛さんは慣れた手つきで食材と包丁にまな板を用意する。俺は包丁に指一本すら触れたことがないが、大丈夫だろうか。
「まずはピーマンね、とりあえずこのヘタのとこを落として、中の種も手で全部取っちゃおう!包丁を使うときは、指を切らないようにネコの手をすること!」
凛さんはにゃーと言ってネコの手のポーズをする。動きがあざと可愛い猫だ。いかんいかん、料理に集中しなければ。
俺は言われた通りにヘタを落とそうとする。しかし、滑ってなかなか上手く切れない。見かねた凛さんはお手本を見せてくれる。
「包丁はこう使うの。右手はこうで、左はネコちゃん。滑らないようにしっかり押さえて、こう!」
凛さんはピーマンのヘタを無駄なく切る。見るだけなら簡単で俺にもできそうだが、実際にやるとなると難しいのだ。俺も真似しようとするが、なかなか上手くできない。
すると凛さんはなにやらビンのふたを持ってくる。何に使うのだろうと説明を待っていると、凛さんはふたをピーマンのヘタに持っていく。
「高橋君には包丁は少し早かったかもしれないから、今日は特別にふたでやっても良いことにします。こうやって、力を入れたらできるよ!やってみて!」
今度は上手くヘタと種を取ることができた。なんだ、これでできるなら最初からこうすれば良いじゃないか。
「でも包丁でできるに越したことはないから、これで満足しないようにね」
俺の心は凛さんに完全に見透かされていた。調子乗った俺が悪かったです。
包丁禁止令を喰らった俺の代わりに、凛さんはリズミカルに玉ねぎと鶏肉を切っていく。俺もずっと料理をやっていたら、あそこまでのレベルに到達できたのだろうか。俺がそんなことを思っていると、凛さんから第二の試練が言い渡された。
「次は炒めます!まず玉ねぎと鶏肉を入れて、次にケチャップ、最後にピーマンとご飯を入れて、良い感じに混ざったら完成!」
「とりあえずやってみますね」
さっきよりはまだ俺にもできそうな気がする。まずはフライパンを用意し、油をひいて温まるのを待つ。温まったら言われた通りの順番で食材を混ぜ、チキンライスの完成だ。
凛さんが味見をする。凛さんに手伝ってもらったとはいえ、自分で作ったものを他人が食べるというのはすごく緊張するものなのか、と強く実感する。
「うん!美味しい!合格!」
凛さんはそう言うと俺に親指を突き立てる。緊張が解け、安堵したのも束の間、またしても凛さんの指示が飛んでくる。
「ここからが本番だよ!次は卵!まずは卵を割って溶いて、フライパンに流し込む。しばらく経ったら真ん中にチキンライスを置いて、形を整えたらひっくり返して完成!さあ頑張ろう!」
何やら複雑そうだが、とりあえず卵を溶くところまではいこう。そう思っていたが、割るところからいきなり躓いた。ヒビを無理やり指で開けようとしたら、殻がたくさん入ってしまったのだ。
「やべっ」
「あらら、私が殻取るからちょっと待っててね」
凛さんがすぐに殻を取り除いてくれる。なんとも頼れる先生だ。それにしても、卵を割るのって意外と難しいものなんだな……
やっとの思いで卵を全部割り、溶いてフライパンに入れる。
「卵をかぶせるのは色々やり方があるけど、今日は簡単なやつをやってみようか。まず、この真ん中あたりにチキンライスを置いてね」
「こうですか?」
「そうそう!じゃあ次に、奥側、手前側の順番に卵をライスにかぶせてみて」
「結構難しいな、これ。こんな感じで良いですか?」
「よし!あとは全体をフライパンの奥によせて、せーのでお皿にひっくり返す!」
「分かりました。せーのっ」
なんとかお皿にオムライスをのせることに成功した。少々いびつではあるが、初めての料理にしては我ながら上出来なオムライスの完成だ。凛さんが一口食べて、ゆっくりと味わっている。
「うん!95点!」
「採点甘すぎません!?」
優しい凛先生から95点というまさかの高得点を貰ってしまった。いや、いくらなんでも甘すぎるだろ。とはいえ、味はちゃんとオムライスだったし、初めて自分で作った料理ともあって美味しく食べることができた。
ちなみに凛先生はというと、綺麗なオム肌のオムレツをチキンライスに載せて真ん中で切るという、素人の俺目線だと完全にプロの技を決め、見事にふわとろオムライスを作り上げた。さすが先生だ。味見をさせてもらったが、本当に同じ食材を使ったのか疑うほど美味しかった。
ご飯も食べ終わり、さて何をしようかと考えていると、凛さんがなにやら小声で囁く。
「私の部屋で映画でも見ない?」
リビングでも映画は見られるはずなのになぜ凛さんの部屋なのか、という疑問はあったが、単純に凛さんの部屋というものに興味があったから、俺は素直に了承する。
凛さんの部屋はとても女の子らしい部屋……というわけでもなく、白を基調とした綺麗好きの人が好きそうな部屋だった。床にはゴミ一つなく、とても整頓されている。それに、当たり前だが凛さんの匂いがして、妙に緊張してしまう。
物置きと思われる場所から、凛さんが何やらDVDを持ってきた。よく見てみると、映画のようだ。
「ねね、映画でも見ない?恋愛ものなんだけどさ」
「良いですよ。凛さんって意外と恋愛ものの作品とか好きですよね」
「私だって女の子だし……」
凛さんは少し照れながらそう言う。あんまりそういう表情をされると俺の方も恥ずかしくなってしまうから、流れを変えるように俺は話をつなげた。
「そ、そうですよね!じゃあとりあえず見ましょうか」
「う、うん!」
そう言って、部屋のテレビで俺たちは映画を見始める。映画は大人の男女関係を描いた作品のようで、大人ならではの事情なども細かく描かれている。やはりこういった作品に俺たちは弱いようで、途中の時点で泣きそうになってしまった。
しかし、クライマックスのところで事件は起きた。再び結ばれた主人公とヒロインは、愛を確かめ合い、そのままベッドインする。もちろん全年齢作品なので直接的なことは描かれていないものの、俺には少し刺激が強すぎた。横をチラッと見ると、凛さんも俺と同じだったようで、顔を赤らめている。
ふと、凛さんと目が合ってしまう。二人ともすぐに目を逸らしてしまい、気まずい時間が流れる。すると、凛さんは突然俺の手を握り、俺の目の前に来ると泣き出してしまった。
「ちょ、凛さん!?大丈夫ですか!?」
「……っ……ひくっ……ごめんね、急に泣いちゃって……」
凛さんはしばらく俺の目の前で泣いていたが、しばらくするとぽつりぽつりと話始めた。
「私、実はお母さんがいなくなっちゃったあと、あんまり良くない方法でお金を稼いでたんだよね。街のおじさんたちとデートして、それでお金を貰ってたの」
いわゆるパパ活と言われるものだろう。凛さんがそういうことをしていたのはかなりショックだった。
「もちろんデートだけだから最後まで、みたいなことはしてないんだけどね。たぶんその時の私は、お母さんが稼いでた分は私が稼ぐって自分に言い訳して、寂しさを埋めようとしていたんだと思うの……」
確かに、自分を愛してくれる存在がいなくなってしまったら、心にぽっかりと穴が開いてしまうような感覚に陥ってしまうだろう。凛さんはそれを埋めるのに必死だったのだと思った。
「でも、そんなことを続けるのは良くないって思って、しばらくやめてたの。そんなとき、高橋君に会えたんだよ。高橋君と一緒にいると本当に楽しくて、私の歪んだ心が段々と元に戻っていく感じがしたの」
俺は凛さんに生きる気力というものを貰えたが、俺はそんなに凛さんに何かできていたのだろうか。
「最初の方、私がお金出すよって言ったのは、そのときのお金だったの。もう私にはそんなことをする必要はないって思って。そこで貰ったお金も全て使い果たしてしまおうって、そう思ったの」
ようやくあの時の合点がいった。だからあんなにも奢ってあげると言っていたのか。確かに、お金を持っていてもあんまり良くない思い出が思い出されてしまうだけなのかもしれない。
「それでも、終わりは来ちゃうんだなぁって……最初に遊んだ日の別れ際、そんなことを強く思っちゃって、泣きそうになっちゃったの」
あの走って帰ってしまった日のことだ。裏でそんなことを抱えていたなんて、俺はどうして何も気にしなかったんだろうか。
「でも今は大丈夫。高橋君が、もう私に寂しい想いをさせなくしてくれれば、私はそれで大丈夫なの。だからね、高橋君」
凛さんはそう言うと、上着のファスナーを下ろす。そのまま上着を脱いで、凛さんの白い肌着があらわになる。って、そんな冷静な考察をしている暇ではない。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ凛さん」
「高橋君は私のこと、好き?そういうことするの、嫌だ?」
「それは……」
俺は凛さんのことが好きだ。大好きだ。もちろんそういうことも……興味がないわけではない。
それでも、今の凛さんはどこか暴走してしまっていて、冷静な判断ができていない。それに、寂しい想いをさせなくする手段が俺になってしまうと、俺がいなくなってからの凛さんはどうなってしまうのだろうか。また同じことの二の舞、いや、もしかすると前より最悪なことになってしまいかねないだろう。俺はそんな無責任なことはできない。
「高橋君、一回だけでもいいの。だから私にもう寂しい想いをさせないでほしいな……」
「凛さん!」
俺は思わず強く言ってしまった。凛さんもこれには驚いたようで、小さく縮こまってしまった。
「大きい声出してすみません……凛さんの気持ちはすごくよく分かります。でも、今これで寂しさが埋まっても、またいつか絶対に寂しくなるときが来ます。そのときにはもう俺はいないんですよ。そうしたら、またあの時と同じような状況になっちゃいませんか?俺はそんな凛さんはもう見たくないんです。俺は凛さんのことが大好きです。でも、大好きだからこそ、凛さんのことを思うとそういうことはしないでおきたいんですよ」
俺は息を切らしながらもなんとか言葉を振り絞った。凛さんは俺の話を黙って聞いていたが、やがて目に涙を浮かべながら俺に何度も謝ってしまった。
「ごめん、ごめんね高橋君……ちゃんと考えてくれてたのに、私が無責任で……」
「謝らないで下さい、凛さん。むしろ強く言っちゃったのは俺の方ですし、俺の方こそごめんなさい」
凛さんは俯いてまた泣き出してしまった。
「私、今ちょっとおかしくなっちゃってるみたい。ごめんね、今日はちょっともう遊べそうにないや……」
「分かりました、じゃあ今日は帰ります。ゆっくり休んで下さい……」
「うん……ありがと」
最後まで凛さんになんて声を掛けるべきだったか分からないまま、俺は凛さんの家を後にした。ありがと、と言った時の凛さんの悲しそうな顔が頭にこびりついていた。
なんとなくそのまま帰る気分ではなかったので、凛さんと出会った神社に寄ることにした。石段を上り切って後ろを振り返る。まだまだ太陽は空高くにいて、沈む気配を全く見せない。凛さんと会ったときはなんだかんだ参拝ができていなかったから、今日はしていってみようか。
お賽銭にお金を入れ、手を合わせる。俺の願い、それは、明日元気になった凛さんと会えること。ただそれだけだった。
近くにある社務所にはお守りが売られている。そういえばショッピングモールのときから、ずっと凛さんへのプレゼントを探していたが、それらしいものが見つからないまま日が経ってしまった。プレゼントとしては少々渋い気もするが、俺はこれがプレゼントにピッタリだとも感じた。
小さい神社なのであっという間に一周してしまった。俺は今からどこかに行く気も起きず、そのまま病院に帰ることにした。
しかし、改めて暇な時間が生まれて思ったことだが、俺は今までどうやって時間を潰していたのだろうか。どうも何にもやる気が起きなくなってしまった。ゲームも凛さんと一緒でなければ面白いと感じられない。凛さんと一緒にいたいと思ってしまう。
もしかして、凛さんも俺と同じような気持ちだったのだろうか。
お互いに依存しかけているような状態だったのだろうか。
俺は今日、凛さんの元に居るべきだったのだろうか。
様々な思いが交錯して、俺の心を突き刺してくる。
何が正解かなんて分からない、それが恋愛。今日見た映画の主人公が言っていたセリフだ。
答えがキッチリと決まっていない、読書感想文のようなもの。人によって感じ方もやり方もバラバラなもの。それが恋愛。
凛さんとの一週間が、俺の心の中で崩れ落ちていく音が聞こえた気がした。
凛さんが恐れていた事態とは、まさにこのことだったのだろうか。
これ以上何も考えたくない。俺は外の明るさから逃げるように毛布を頭から被って、無理やり現実世界からシャットアウトしてしまった。