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四日目 水族館・海デート

「ん……もう朝か……って、今何時だ!?」


急いで時計に目をやる。良かった、まだ7時だ。それじゃあ優雅に二度寝を……


「そんなことをしている暇じゃない」


俺は急いでベッドから体を起こし、今日の支度をする。昨日はいつの間にか眠りについてしまったみたいだった。枕元に本が置いてあったが、なにか考え事でもしていたのだろうか。思い出そうとしたが、肝心の考え事の内容までは思い出せなかった。


今日も外は快晴で、絶好の海水浴日和だ。天気予報によると、今日は30℃まで上がるとのこと。本来、9月というものはもう少し涼しいはずなのだが、これで普通と思えてしまうようになった。暑すぎて、地球だけでなく俺の頭までおかしくなってるな。とはいえ、今日は海に入るのだから、このくらい暑くても問題はないだろう。


俺が昨日選んでもらった洋服を着てみたところで、凛さんがやってきた。このまま日焼け止めのCMに出られるのではないか、と思えてしまうほど、凛さんはいつにも増して夏っぽい服装だ。


「おっはよー高橋君!洋服バッチリ決まってるね!」


「ありがとうございます。この服、俺も気に入りました」


凛さんに選んでもらった服とはいえ、初めて凛さんに褒めてもらえてちょっぴり嬉しかった。それにしても、凛さんは今日も元気だ。一晩寝たら疲れが全て吹き飛ぶ魔法でも持ち合わせているのだろうか。その無尽蔵なまでの体力がとても羨ましい。


「さて、今日は海に行こー!ってことなんだけど、一日中海に入るのも疲れちゃうでしょ?だからまずは水族館に行こうと思います!異論は認める!」


「そうですね、良いと思います」


凛さんは予定を立てるのが上手だ。ちょうど海の近くに水族館があるから、そこで午前中は過ごすのも良いかもしれない。それに、イルカ好きなのに生のイルカを見たことがないから、せっかくなら見てみたい。


「もうすぐ開館だから急いで行こー!」


そんなわけで俺と凛さんは水族館にやってきた。昨日とは打って変わって、今日は親子連れが多い印象だ。この中に凛さんと二人で入るのは少々気恥ずかしい。


チケットを買い、館内に入ると、まずは大水槽がお出迎えしてくれる。周りの子供たちは目を輝かせて水槽の近くに集まっている。確かにすごい景色だよな、と心の中で共感していたら、いつの間にか子供たちの中に少し大きいお姉さんが紛れ込んでいた。


「何やってるんですか、凛さん……」


「だってすごいじゃないこれ!久しぶりに水族館来たらテンション上がってきちゃった!」


凛さんは近くの子供たちと、「お魚さんたくさんだねー!」と話してはしゃいでいる。凛さんは保育士には向いているだろうが、もう少し大きくなって同じことをやると、完全に不審者扱いされてしまうから、少々心配だ。


そんなこんなで館内をだいたい回り終わった頃、館内アナウンスがかかった。


「このあと10時頃から、スタジアムにてイルカショーを開催します!小さなお子様はお母さんお父さんと一緒にお越しくださいね!」


「高橋君!イルカショーだって、行ってみようよ!」


「良いですね、行きましょう!」


本日の(俺の中での)メインイベントだ。俺は小さいころから、泳ぎがカッコよくて人懐っこいイルカが大好きだったが、水族館に行く機会に恵まれず、実際に泳いでいるところを見たことがなかった。生のイルカはどんな風なのか、俺は密かに楽しみにしていた。


スタジアムに着くと、既に席は半分くらい埋まっていた。やはりイルカは水族館のシンボル的存在なのだろうか。小さな子供は前の方に座って水が飛んでくるのを待ってる様子で、その親御さんは後ろの席で見守っていた。俺たちはというと、あの凛さんがいるから当然前者だ。このあとも遊ぶのに濡れて大丈夫なのだろうか。


「ほら高橋君!そろそろ始まるよ!」


飼育員さんが前に立つ。軽い挨拶が終わった途端、三匹のイルカが空高く飛び跳ね、水面に落ちる。直後、すごい量の水しぶきに襲われ、早速びしょびしょになってしまった。


「わぁ!イルカショーって結構濡れるんだね……!イルカさんたちの威力ってすごいなぁ」


しかし、俺は濡れたことよりも、初めて見るイルカのカッコよさに見惚れていた。


「イルカって泳ぎすごくカッコいいですよね!」


「確かに!へぇ、高橋君ってイルカ好きなんだね!今すごい目がキラキラしてるよ」


凛さんに言われてハッとする。俺、そんな目をしてたのか。少し恥ずかしくなったが、赤くなった顔はイルカからの二投目の水ですぐに冷やされた。


「せっかく来たんですから、目いっぱい楽しみましょうよ!」


「おっ、今日はやる気だね!いいぞその意気だ!」


結局、俺と凛さんは周りの子供たちに負けないくらい歓声を上げていた。たまには童心に帰るのも悪くない。時間はすぐに過ぎていき、びしょ濡れになった服と共に30分ほどのイルカショーは幕を閉じた。


「すんごい濡れちゃったね~」


俺と凛さんはビーチにあったベンチに座って、洋服を乾かすついでに日向ぼっこをしていた。いくら暑くても、これはすぐには乾かないと思ってしまうほど、俺たちは全身びしょ濡れだった。


「でも楽しかったです」


「そうだね!たまにはびしょ濡れになるのも子供っぽくて良いかも!」


凛さんの言動は常時子供っぽくないか、というツッコミは心の中でしておいた。


「さて、泳ぐ前に着替えないとなんですけど、もう九月なんでさすがに海の家は閉まってますね……」


「この辺でぱぱっと着替えちゃったら良いんじゃない?」


「いやそれ色々問題ありますよ!!」


服を脱ごうとする凛さんに慌ててストップをかける。誰も見てないじゃん、と言いたげな凛さんであるが、いつどこで誰が見ているかなんて分からないし、何よりそばにいる俺の立場にもなってほしい。


「昼ご飯買うついでにコンビニのトイレでも借りましょう……」


俺は先に水着に着替え、凛さんを待つ間におにぎりやらサンドイッチやらを調達し終えた。コンビニを出て、改めて辺りを見渡して感じるが、あんまり人がいない海岸で水着の格好で立つのは結構恥ずかしい。


しばらくして凛さんも帰ってくる。さすがに水着だけの格好は恥ずかしかったのか、軽く上着を羽織っている。しかし、スタイルの良さは隠しきれておらず、若干恥じている表情も相まって、その破壊力は凄まじかった。


「おまたせ……しました」


「じゃ、じゃあとりあえず行きますか」


「んんーなんか恥ずかしい!あんまりこっち見ないで!」


「水着、楽しみにしててって言ったの凛さんですよ。すごい似合ってるじゃないですか」


「ぎゃー恥ずかしいからやめてー!!」


よほど恥ずかしかったのか、凛さんは一人で海の方に走って行ってしまった。俺は本心をそのまま言ったつもりだったが、凛さんはあいにくこういった状況には慣れていないらしい。とはいえ、凛さんのことだ。遊んでいるうちに恥ずかしさなど無くなるだろう。俺はそう読んで、海へと向かった。


「行くよ~高橋君!それっ!」


「わっ!ちょ、急にやるのは卑怯ですよ!それに意外と水冷たいし!」


案の定、凛さんは海に入るや否や、子供モードが起動した。凛さんが元気になったのは良いものの、元気すぎて海岸に着いた途端に凛さんに投げられた水を盛大に喰らってしまった。凛さんはワルそうな笑みを浮かべると、沖の方に泳いで行ってしまう。


「高橋君も早く来なよ!」


「クラゲにだけは気を付けて下さいね!!」


そうは言ったものの、俺が海に入るとすぐに水掛け対決が始まってしまい、それどころではなくなった。しかし、初めての海水浴で泳げない俺は、足がつくうちはなんとかなったものの、水が深くなるにつれて呼吸をするので精一杯になってしまった。そんな俺を見かねた凛さんは、スーっと滑らかな泳ぎで浅瀬まで戻ってきてくれる。こういう配慮をしてくれるところは、凛さんの大人なところだ。


「ふふっ、高橋君って泳げないんだねっ」


こうやってからかってくるところを除けば、だが。


ひとしきり遊び終え、俺と凛さんは昼ご飯を食べていた。海辺で食べるご飯は、いつもの何倍も美味しく感じる。隣にいる凛さんも美味しそうにおにぎりをぱくり。いや、凛さんはいつも美味しそうに食べてるか。


「じゃ、ゴミ捨ててくるんで、それ下さい」


「気が利くね~高橋君!ありがとう!これ、お願いしまーす」


二人ともご飯を食べ終え、俺はゴミを捨てるために先程のコンビニに向かう。

そういえば、午後はどうするのだろうか。このままずっと遊んでもいいが、近くにある島の灯台などに行ってみても良いかもしれない。俺は何もない海にポツンと立つ展望灯台を眺めながら、そう思っていた。


俺が海に戻ると、凛さんは誰かと話していた。その相手は外見的に男二人組に見える。学校の友達などだろうか。

俺はそう思いながら戻るタイミングを伺っていたが、凛さんの反応が少しおかしい。

ここで気づいた。あれは友達ではない。ナンパだ。

こんな時期にまで海でナンパしようとする奴がいるのか、と少々呆れたが、そんなことを言っている暇ではない。これはマンガでもよくある、男側が颯爽と登場して「俺の女に手出すなよ」と言う場面だ。

って、俺の女とかいう恥ずかしいセリフなんか言えないぞ、俺は!?

それでもなんて言おうか迷っている時間はない。とりあえず凛さんの元に行こう。


「お姉ちゃん、せっかく水着なら俺たちと海で遊ばね?」


やっぱりナンパだ。ここまで来たら引き返せないぞ、俺。


「おい、俺の女に……」


「あっ、彼氏来ちゃったからごめんね~お二人さん♪」


俺の言葉を遮って凛さんはそう言うと、俺の腕に絡まりつく。って、水着でそれはすごく柔らかい感触が伝わって色々まずいのですが。


「そんな子供っぽい奴より俺たちの方が楽しいぜ?」


「そーだよ、ちょっとぐらい良いじゃん?」


男らはそう言うと、凛さんの手を引っ張ろうとする。このとき、凛さんの頭の中で何かが切れた音がしたような気がした。凛さんは男の手をはたくと、いきなり大声で怒鳴りつける。


「何も分かってない癖に彼氏のこと悪く言うなよ!!性欲だらけのお前らより、うちの彼氏の方が何百倍も最高だわ!!!」


凛さんらしからぬ声と口調で、こう男らに言い放つ。俺は凛さんのあまりの迫力にビビッてしまった。それは男らも同じようで、すみません!!と言いながら逃げて行った。


「なんかごめんね、大声出しちゃって……」


凛さんは俺から離れると、しょんぼりとした顔でこう言う。あんなことがあったのだから、気分が落ち込むのも当然だ。


「凛さんは何も悪くないです。むしろ、ああいう輩にはあれぐらい言ってやったほうが良いと思いますよ」


「高橋君は優しいね。ありがとっ」


凛さんは元気を取り戻したようで、俺に笑顔を見せる。俺が安堵したのも束の間、凛さんはまたいつものニヤニヤした顔で俺にこう言う。


「ちなみに、『おい、俺の女に』なんだって?」


「あーもう忘れて下さい!声まで真似しなくていいですってば!」


すっかりいつもの一言多い凛さんに戻っていた。ちなみに、あなたも俺のこと彼氏って言ってましたけど。


少し休んだのち、俺の提案で島の方面に行くことになった。まだ乾ききっていない普段着に着替え、俺たちは島とつながる橋を渡る。


「まだ洋服あんまり乾いていませんね……」


「歩きながら乾かせばいいのさ~」


そう言うと、凛さんはバレエ選手のようにくるりと一回転する。俺は凛さんの方をしばらく見ていたが、さっき凛さんがくっついてきてから妙に視線が変な方向に行きがちになってしまい、その都度目を逸らしてしまう。


「それにしても、高橋君の方から提案だなんて、珍しいね」


「さっきゴミ捨てに行ったときにあの灯台が見えたんです。それでちょっと行ってみたいなーって」


島に到着したが、展望灯台まではかなりの坂だ。一応エスカレーターなるものもあるみたいだが、凛さんのことだからどうせ階段で行くだろう。


「ちょっと疲れたからエスカレーター使って行こっか」


「え!?」


凛さんの口から予想外の言葉が発せられ、俺は動揺して変な声を出してしまう。俺としては、既に足がかなりキツいのでありがたいが、凛さんに「頂上まで勝負だよ!」とか言われる覚悟でいたから、少し拍子抜けだ。


「高橋君、疲れてそうだし。私そんなに鬼畜じゃないよ。それともなに?それでも階段で行きたい?」


「あ、いや、大丈夫です……」


俺が失礼な返事をしたせいか、凛さんは少し怒った様子でそう言う。でも、やっぱり俺のことを思ってエスカレーターにしてくれたようだ。俺もそんな中でわざわざ階段を選ぶほどドMではないから、凛さんに素直に従う。


「ま、私もちょっと疲れてきたからね」


凛さんはてへっと舌を出してそう言うと、チケット売り場へ行ってしまった。相変わらず凛さんのペースにはついていけそうにもない。


それにしても、凛さんでも疲れるときがある方が驚きだ。そりゃ人間だから疲れるときぐらいは誰にでもあるが、ビックリするほど凛さんが疲れているところを見たことがなかったから、なんだか少し安心した。


「やっほーー!!」


「それ山でやるやつですよ、しかもここ室内だし」


俺たちは展望台にやってきた。凛さんがなぜかやまびこをやろうとしているのを横目に、俺は景色を眺める。眼下に広がる真っ青な海に、遠くの方には山も聳え立っていて、まさに絶景だ。

俺たちの近くにはドアがあり、そこから外にも出られるようだ。デッキに出ると、涼しい風も感じられて非常に良い心地である。


「夏らしい天気だけど、やっぱり風が涼しいと秋の予感がするなぁ」


「そうだね~空気も美味しいや」


いつの間にか外に来ていた凛さんもそう言って深呼吸をしている。確かに、病院から1kmも離れていないはずなのに、空気が澄んでいる気がした。


「そういえば、島の入り口から逆の側には岩場があるらしいよ。暗くならないうちに行ってみようよ」


「良いですね、なんか探検みたいで面白そうです」


時刻は既に午後の3時を回ろうとしていて、太陽もそろそろ退勤したがっている時間だ。空がまだ明るいうちに行っておくべきだろう。


展望台を出て、今度は下り坂をひたすら下り続ける。道中に食べ物屋がたくさんあるせいで、岩場に着くころには、凛さんの手は団子の串やらせんべいのゴミやらで一杯になっていた。ほんと、食べ物に関しては目がない人だ。


海に向かう急な階段を下りると、広い岩場が見えてくる。三方向が海に囲まれていて、見晴らしが良い。遠くにはさっきの山もハッキリと見えている。観光客と思われる人も多くいて、海と山を写真に収める人、岩場から海に触れようとしている人、釣りをしている人など、各々好きなように時間を過ごしていた。


「うお!すごい自然を感じるね!」


凛さんは大はしゃぎで岩場まで行き、海水に触れようとしている。凛さんの言う通り、橋がかけられるなど人の手が込んだ島の入り口は打って変わって、こちらはほとんど自然の状態のままのような気がした。ずっと居ると心が浄化される、そんな場所だ。


俺と凛さんは岩場に隣り合わせで座り、波の音を聞きながらのんびりしている。なんでもない時間だが、なぜかこの時間がいつまでも続いてほしいと思った。


やがて日が傾き始め、岩場にいる人もまばらになってきたところで、俺たちもお暇することになった。しかし、来た道を戻ろうとしたとき、事件が起きた。


「あ、雨だ」


「タイミング悪いですね……早いとこ帰りましょう」


しかし、雨はあっという間に強くなり、凛さんが行きにお菓子を買ったお店で、雨宿りをする羽目になってしまった。


「すごい降ってきちゃったね」


「この島って意外と中の方は山みたいになってるので、もしかしたらすぐ天気が回復するかもです。とりあえず弱まるまでここで待機しますか」


とは言ったものの、雨は一向に弱まる気配を見せず、さらには雷まで鳴り始めた。雨雲レーダーを見ても、しばらく雨は止まないらしい。さて、困ったことになった。ここで待ち続けるか、それとも雨の中突っ切っるか。かなり悩ましい二択だ。


ふと隣を見ると、凛さんはどうやら突っ切るを選ぶようだ。いつ飛び出せるかのタイミングを見計らっている。


「雷も鳴ってますし、今出るのは危険ですよ。少し待ちましょう」


「いいや、これはしばらく止まないと見た。だから今行こう!それに大雨に雷、なんか映画の撮影っぽくてカッコいい!」


凛さんはそう悠長なことを言っていたが、突如近くに落雷があり、轟音が鳴り響くと、凛さんは驚いて腰を抜かしてしまった。


「やっぱり危ないです。もう少しだけ待ちましょうよ」


凛さんはしばし悩んでいたが、意見は変わらないようだ。


「この様子だと、先一時間くらいは雷雨が続きそうだよ。さすがに一時間も待つのは大変だし、今より状況が悪くなる可能性もある。入り口までは走って5分くらいで着くから、私は今行った方が良いと思うな」


凛さんは真剣な表情でそう言う。凛さんなりに考えた結論がこうなのだろう。ならば俺が取るべき判断は――。


「分かりました。ここは凛さんの判断に任せます」


「決まりだね」


俺と凛さんはアイコンタクトでお互いの同意を確認する。凛さんは空を見上げ、出発するタイミングを探っていたが、程なくして俺にこう話しかける。


「そろそろ行くよ。覚悟はできた?」


「任せて下さい」


岩場で休んだから体力は満タンだ。凛さんは俺の返事に満足そうに頷くと、「せーのっ!」という合図で飛び出す。俺も凛さんに後れを取らないよう、走り始めた。


俺たちは森の中の道をひたすら走り続ける。雨粒は容赦なく俺たちの体に打ち付け、五秒に一回は雷鳴が耳をつんざく。周りの木々は強風にあおられ、不気味な音を鳴らしている。走るのをやめたら死ぬ。俺は直感的にそう感じた。


走り始めた直後、凛さんは何かに気づいたようだ。


「待って、これ雹じゃない!?」


凛さんがそう叫んだ直後、ものすごい音を出しながら氷の塊が降ってきて、地面はあっという間に氷だらけになってしまう。強風に、雷鳴に、雹。まさに死の瀬戸際というものを体験している感じがするが、恐怖に怯えている猶予などはない。凛さんの言う通り、これはまさに映画のワンシーンだ。それも、セットではなく本物の。


「死ぬときは一緒だよー高橋君ー!」


凛さんは完全にハイになって、縁起でもないことを俺に言う。この状況でよく心に余裕があるな。でも、ここで死ぬわけにはいかない。俺はまだ凛さんと遊んでいたいのだから。


「いやまだ四日も遊べるんですから、今死ぬわけにはいきませんよ!」


俺がそう言うと、凛さんは振り返って前方を指差し、「じゃあ急ぐよー!」と言い残してスピードを上げる。前までの俺なら、いつ死んでもいいとかいう馬鹿げたことを言っていただろう。しかし、今は違う。死にたくない、というよりまだ凛さんと遊んでいたい。それがどういう感情なのかは自分でも分からないが、ただひたすらそういう思いがこみ上げてきてきて、それが走る原動力になる。


必死に走ること数分、俺たちはやっとの思いで島の入り口まで戻ってきた。後ろを振り返ると、ちょうど島のてっぺんは黒い雲で覆われていた。


「うわぁ……こりゃまだあの辺は荒れてそうだねぇ……」


「そうですね……凛さんの判断が正しかったと思います」


俺がそう言うと、凛さんは胸を張って自慢げにこう言う。


「私は隊長なのだから、隊員の命を守るのが使命ですぞ!」


「いつから俺たちは探検隊になったんですか!」


俺はそう突っ込むが、それでもこんな慌ただしい時間が俺には楽しく感じられた。やっぱり凛さんと一緒にいるときは、今まで感じてこなかった感情が湧いてくる。この気持ちは何なのだろうか。


俺たちはびしょ濡れのまま病院まで戻ってきた。まだ日は沈みきっていないが、さすがにこの状態からどこか行くのは二人ともキツいし、凛さんが明日はハードスケジュールだと言うので、今日はこれで解散となった。


「これ、今日で読み終わるかな」


お風呂に入ってスッキリした俺は、ベッドの上で凛さんにもらった本を眺めていた。残りのページ数は僅かだ。恵との関係はどうなっていくのだろう。俺はわくわくしながら本を開いた。



恵に言われた言葉についてじっくり考える新太。しかし、まだ一度しか恋愛を経験していない新太にとって、恵のセリフは難解なものだった。見かねた恵は、そんな新太をデートに誘うことにする。一日中、カップルらしいことを二人でやり、新太の心は塗り替えられていく。別れ際、新太は想いを伝えようと恵を引き留めるが、そんな新太に恵はこう言う。


「依存だけじゃない、本来の特別な感情ってもの、思い出せた?」


そうだ、前の彼女の時も、付き合い始めた時は好きという感情しか持っていなかったはずだ。それなのに、いつの間にか依存というものが新太の心を侵食して、やがて関係も壊していってしまった。特別な感情、ってものを忘れてしまっていたのだ。

それを恵は思い出させてくれた。今の新太にはもう分かっている。新太は自信を持ってこう答える。


「はい、よく思い出せました」


恵は満足そうに頷くと、新太の次の言葉を待つ。新太は勇気を振り絞って、恵に向かってこう言った。


「恵さん。俺の、"本当の"彼女になって下さい」


「はい」



「なるほど……」


俺は本をそっと閉じ、ベッドに仰向けになる。家出恋愛という名前だけ知っていたときは、少し不純な要素も入っているのかと身構えいたが、蓋を開けてみれば恋愛関係の難しさを説く小説であった。それにしても、凛さんもこう言った本を読むのか。俺には少し意外だった。


俺はふと、昔の友達を思い出していた。涼介、俺と同い年の病院友達だった奴だ。俺が今まで生きてきたなかで唯一の友達だろう。よく一緒にゲームをして遊んでいたが、二年ほど前に小児がんで死んでしまった。あいつと最後に会ったときに言われた言葉は、今でも覚えている。

しかし、不意に俺は思う。涼介に対する感情と、凛さんに対する感情。これらは同じなのだろうか。いや、絶対に違う。涼介とは、一緒に遊んでいるときは楽しいものの、それでも顔を合わせていない時はあいつのことを考えたりはしなかった。凛さんは違った。なぜかずっと頭の中で考えてしまう。涼介は友達だが、凛さんは友達ではないのか。


友達ではないとしたら……


これは"特別な感情"ってやつなのだろうか――。

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