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二日目 放課後デート

……変な話だ。


俺は死んでしまったのだろうか。どうやら今の俺は意識だけ持っていて、肉体を持っていないらしい。俺の意識は、俺の身体と完全に乖離して、空中にフワフワと浮いている。周りの景色を見ることしかできない。目だけしかついていないようなものだ。


ふと目の前を見ると、その俺の身体が動いているではないか。なぜだ。俺の意識は俺の元にあるはずなのに。もう俺の体は動かなくなったはずなのに。赤の他人の意識が俺の身体に入り込んだのか。追い出さなくては。そう思っても、手足すらない今の俺にはどうすることもできない。あれは俺ではない、俺の面をした全くの別人の『俺』なのに。


『俺』は街中を歩いている。なにやら疲れている様子だ。無理もない、俺はしばらく外出をしていなかったのだから。きっと俺の身体は、久しぶりに外を歩いているのだろう。


周りの景色はぼんやりとしてよく分からない。ここはどこだろう。もしかしたら病院の近所かもしれないし、近くの駅の周辺かもしれない。はたまた、未知の場所なのかもしれない。もう少しハッキリ見えないと分からないようだ。


視線を『俺』の隣に移すと、『俺』よりずっと大人びた美しい女性がいる。『俺』と二人きりで楽しそうに話している。しかし、俺には彼女の正体が分からない。


(この女性は、誰……?)


『俺』はこの女性と話しているときはなにやら楽しそうだ。どうしてだろう。俺がこんな楽しそうな表情をしたときなんて、あっただろうか。少なくとも俺の覚えてる範囲の中ではなかったはずだ。空っぽになった『俺』の意識に入り込んだ赤の他人という奴は、女性と話すことに慣れているのだろうか。それとも……


そうこう考えているうちに、『俺』とその隣の彼女は建物の中へ入っていってしまう。ついていこうとするも、なぜか俺の意識は、その建物の中に入ることができない。中を覗こうとしても、ぼんやりとしているせいで何も見えない。


まだまだ気になることは山ほどあるのに。ここはどこだ。隣にいた女性は誰なのか。俺はなぜ意識だけ離れて浮いているのか。


『俺』はどうしてあんなにも楽しそうなんだ。



あいつは……誰だ……



「……高橋君?」


「わっ!?」


唐突に名前を呼ばれ、ベッドから飛び起きる。目の前に見えるのはいつもの病室。どうやら夢を見ていたようだ。しかし、驚いた衝撃で肝心の夢の内容を忘れてしまった。なんだか奇妙な夢を見ていたような……


「おはよっ、高橋君。なんだか思い悩んだ顔してたけど、大丈夫?怖い夢でも見た?お姉さんが慰めてあげますよ」


「あ、あぁ、おはようございます凛さん。お気遣いいただけるのはありがたいですが、別にそういうのではないので、大丈夫です」


声の主の方へと顔を向けると、心配そうな顔をした凛さんが俺の顔を覗き込んでいる。寝起きかつこのアングルで顔を覗き見られると、緊張して心臓に悪いので控えていただきたいものだが。


「って、なんか当たり前のようにいますが、どうして凛さんがここに!?」


「昨日の別れ際に言ったでしょ~明日の朝、病室まで迎えに行くからって」


「確かにそんなようなこと言ってたような気もしなくはないけど……でもどうやって俺の病室が分かったんですか!それにこんな寝てるときに来なくてもいいじゃないですか」


「あーもう質問は一個ずつ!高橋君の病室は、受付の方に高橋君のお友達ですって伝えたらすぐ教えてくれたよ!あと、私はそんなに早く来てないよ。今何時だと思ってるの?もう午後になってるんだよ」


そう言われ、慌てて時計を見ると既に12時を回っているではないか。日頃から不規則な生活をしてるせいで、何時に起きたというものをしばらく気にしていなかった。俺としては、まず病院のセキュリティがとてもガバガバであることをツッコミたいところではあったが、起きる時間が遅かったのは昼夜逆転の生活をずっと続けていた俺に負い目があるので、これ以上は言い返さないことにしよう。


「とりあえず、今日はそんなに遠くまで行かないから平気だけど、明日からはちゃんと早く起きなさいね。せめて8時くらいまでには起きること!」


「はい……すみません……」


凛さんはぷくっと頬を膨らませて、そう優しくたしなめる。凛さんの叱り方はどこか面倒見の良いお姉さんのようで、全く怒られている感覚はなかった。とはいっても、一週間だけ遊びに付き合ってもらうという予定は、提案こそ凛さんの方からしてくれたものの、最終的にお願いしたのは俺の方だ。頼んだ責任というものもあるから、明日から気をつけよう。


「じゃああんまり時間もないし、すぐに行くから早く着替えてきてね。私は病院の入り口で待ってるからそこで待ち合わせ。急いできてね、十分以内に!」


「了解です!急ぎます!」


そういうと、凛さんはすぐに部屋を出てしまった。相変わらずどこへ行くなどといった情報は何も教えてくれないみたいだが、凛さんの様子を見るに、これは待たせるわけにはいかなさそうだ。急いで着替えて身支度を済ませることにしよう。着替えやら持っていく物やらといった準備に関しては、昨夜のうちにバッチリしておいたからな。



「高橋君って、格好とか雰囲気とか、良くも悪くも普通って感じだよね」


俺の隣でご機嫌そうにルンルンで歩く凛さんが、病院を出発した直後に最初に放った言葉はこうであった。褒められているんだか貶されているんだか分からないが、凛さんの少しチクチクとした言い方から察するに、どちらかというと後者よりな気がする。女性と遊びに行くという経験が当然ながら無かった俺は、これでも昨日の夜は色んなサイトを駆け回ってずっと服装なり持ち物なりを調べていた。しかし、凛さん的にはあまり刺さらなかったらしく、少しショックだった。というより、見る相手の問題ではなく俺の問題であろう。ちゃんとハンカチやスキンケアのグッズまで用意したし、それなりに恥ずかしくない格好をしてきたつもりだったが。


「外に遊びに行くことなんて珍しいので……あんまり慣れてないんですよ……」


いくら見栄えだけ付け焼き刃程度に頑張ったとしても、やはり根っからの雰囲気というものは拭いきれないらしい。ましてや今までこういった外出なんぞ、あまりしたことがなかったからなおさらだ。一週間で出来る限り学んでみることにしよう。


「それはともかく、今日はどこへ行くんですか?」


「あっ、そういえば言ってなかったね。ごめんごめん。いきなり遠出とかだと高橋君も疲れちゃうだろうから、今日は近場で遊ぶことにしよう!」


「わざわざ配慮してくれて、ありがとうございます。助かります」


正直、凛さんはマイペースな人だから行き当たりばったりで遊ぶのかもしれない、と失礼なことを考えていたが、思ったよりもちゃんと考えてきてくれているらしい。それに昨日、神社に行った時の体力を鑑みるに、いきなりハードだと俺が疲れるという凛さんの推測は正しいだろう。ありがたい心遣いだ。


「お腹とか空いたでしょ。私もまだ食べてないから、とりあえず何か食べに行こっか。食べたいものとかある?」


「俺は特にこれといったものはないです。というより、普段外では食べなくてこの辺にどんなお店があるのかもそこまで分からないので、お任せしてもいいですか」


「おっけー!じゃあ今日は私が気になってるお店に行ってみようかな」


「了解です、道案内よろしくお願いします」


まずはご飯を食べに行くらしい。ここ半年はずっと病院食しか食べておらず、それ以前の入院していなかった時期も、健康的な問題から家でしかご飯を食べたことがなかった俺にとって、外食というものは初めての体験である。病院食は味付けが薄めであり、ジャンキーな食べ物に少しばかり憧れがあったから楽しみだ。


「高橋君は普段どんな食事をしてるの?」


「俺はずっと病院食です。体に負担がかかるから、あんまりカロリーがあるものとかは食べられないんですよ」


「なるほど~病院食ってあんまり美味しくないイメージあるけど、実際どんな感じなの?」


「健康面に関係がない、例えばケガとかで入院してる人だったら、普通の食事が出されるので美味しいと思いますよ。俺はそうではないんで味付けが薄くなってますが、それでもずっと食べてるのでもう慣れました」


「そっかぁ、じゃあ今日はチートデイってことだね!」


「どうなんですかね……」


なぜか凛さんの頭の中では、今日の俺はチートデイという変換になったみたいだが、よくよく考えてみればあながち間違いでもない気がしてくる。この1週間のあいだ、カロリーなど気にせず食べてみたいものを自由に食べられるというのは確かにチートデイならぬチートウィークだ。今更、健康のことを気にしても仕方あるまい。


「着いた!ここだよ~」


十分ほど歩いていると、どうやら凛さんのお目当てのお店に着いたようだ。俺は凛さんが指差す先にある店を見る。


「……って、朝からスイーツですか!?」


「もう朝っていうより昼だけどね、甘いものは苦手だった?」


俺としては、チェーン店かどこかのモーニング……は時間的に遅すぎるとしても、ランチでも食べに行くのかと思っていた。しかし、凛さんに連れてこられた場所は、映えを狙った女性が多く来店するような、そんなオシャレなスイーツ屋さんだった。仮に俺が一人で外食しようとしてもここだけは絶対に入れない、そんなお店だ。凛さんと一緒というのは心強くはあるが、周りの視線を気にしてしまい妙に緊張しそうである。


ただ、言われてみれば俺はスイーツどころかお菓子なども久しく食べていない。健康を気にしていたというよりかは、小さい頃からそういったものを制限されていたせいで特段食べたいと思わない、という方が正しいだろう。俺はご飯をたくさん食べるタイプでも物にこだわるタイプでもないので、たまにはこういうのも良いかもしれない。ご飯と言っていいかは不明ではあるが。


「いえ、特に苦手なものはないので大丈夫ですよ。それにしても朝からスイーツって、凛さん、時々ちょっぴり変なところありますよね」


「ふふ、よく言われる。それじゃあ行こっか」


凛さんは満足そうな顔をしてそう言うと、店の中へ入っていった。今の会話のどこに嬉しくなる要素があったのかは全く謎だが、それよりお店の中のショーケースにあるたくさんのケーキが気になって仕方がなかった俺は素直についていった。


「わー!どれも美味しそうで迷っちゃう!私も今日はチートデイにしよっと♪」


「チートデイって、たぶんその場で決めるんじゃなくて予め決めておくものじゃないんですかね……」


凛さんは隣で目を輝かせながら、ショーケースに入った色んな種類のケーキをじっくり見つめては何を食べようか迷うのを繰り返している。たかがケーキでそんな悩むほどかと思っていたが、陳列されたケーキはどれも見映えが素晴らしく美味しそうだったので、結局俺も考え込む羽目になってしまった。さすが、凛さんが目星をつけていたお店だけあって、完成度がとても高い。


「私もうちょっと悩んでるから、何食べるか決まったら先に座っててもらえるかな?ついでに席の確保もよろしく!」


凛さんは真剣な表情のままそう呟く。普段は大人びてる凛さんだが、意外と子供っぽいところもあるのか。俺は凛さんに「了解でーす」と返事をしながら、ふと思った。


平日の昼過ぎだというのに、店内は少しばかり混みあっていた。俺たちのように軽いランチ気分なのか、少し早い3時のおやつ感覚なのか、はたまた昼食後のデザート代わりなのかは分からないが、お客さんは各々美味しそうにケーキを食べている。ざっと見渡してみた感じ、特に数人のグループで来ている若い女性が目立つ。ネットで見た、といった文言が耳に入ってきたので、どうやらネット上で評判が良かったのか話題になっているだとか、そんなところだろうか。凛さんもおそらくそういったところからこの店を嗅ぎつけてきたのだろう。


運よく取れた窓際の二人用テーブルに腰を下ろし、凛さんを待つ。こういったカフェっぽい店に来るのは初めてだが、なかなか落ち着く場所ではないか。カフェで仕事やら勉強やらといった作業をする中高生、社会人の気持ちが少し分かる気がする。


「お待たせ~」


俺が初めてのカフェの雰囲気を堪能していると、すぐに凛さんがやってきた。やけにご満悦な表情をしていると思ったが、視線を下に落とすとすぐにその理由が判明した。


「……もしかしてこれ、全部食べるつもりですか……?」


「あ……やっぱそう思う……」


凛さんの幸せそうだった顔が途端に引き攣る。凛さんの持つお盆には、一つでも十分に満足できるであろう大きさのケーキがドンと三つ置かれていた。どうやら一人でこれを全て食べる気らしい。さっきショーケースの前で悩みに悩んで一つに決めたかと思っていたが、あの時間はなんだったのだろうか。


「これでも頑張って絞った方なんだよ……」


「凛さんってかなり甘党の人なんですね……いくら甘いものが好きでも、この量のケーキを食べられる人はなかなかいませんよ……」


凛さんは見た目からはあまり想像できないが、かなりの甘いもの好きらしい。俺も甘いものは嫌いではないが、さすがに凛さんの量を食べると甘ったるくなってしまう気がする。凛さんは苦い顔をしていたが、席に座るや否や早く食べたいとばかりに獲物を狙う目になったので、後悔は全くしていないだろう。


「とりあえず食べましょうか」


凛さんが待ちきれなさそうなので、ひとまず食べることにする。二人でいただきますと言い、ケーキの先端をフォークですくってぱくり。優しい甘さの生クリームが口いっぱいに広がる。それでいて決して甘すぎることはなく、ふわふわの生地も相まって非常に食べやすくて美味しい。なるほど、これはお客さんが多く集まるのにも納得だ。前を見ると、凛さんは心の底から幸せそうな表情を浮かべていた。


「おいし~!!」


「美味しいですね、このショートケーキ」


ほっぺたに手を当てて、とても美味しそうにケーキを食べる凛さんを横目に、俺も久しぶりに食べるケーキをゆっくりと味わう。俺はそもそもケーキというものを誕生日のとき以外で食べることはない上、今年の誕生日は身体の為を思って食べていないので、ケーキを食べるのは一年以上ぶりだ。ちなみに、誕生日のときはもっぱらショートケーキのみを食べていたため、王道だが今回もそれにすることにした。どこか懐かしい味がしてとても美味しい。やはり王道こそ一番。


凛さんの方はというと、俺と同じショートケーキにチーズケーキ、モンブランを注文していた。席に座る前のあの葛藤はどこかへ消え去ったのか、手の速さを緩めることなくケーキを堪能しては、あまりの美味しさに唸り声をあげている。このスピードだと俺より早く食べ終わってしまうのではないか。


「前々から気になってたお店だったの!行けてよかった~!」


凛さんは嬉しそうな声でそう言っては、またケーキに目線を戻す。凛さんは、もはやフォークを使うことさえ煩わしいと言わんばかりに、今にもかぶりついてしまう勢いで食べ進めている。凛さんは味わって食べるより一気に食べてしまいたい派の人のようだ。


そういえばお客さんの多くは食べる前にパシャリパシャリとたくさん写真を撮っていたが、凛さんは一枚ササっと撮ったらすぐに食べ始めていた。女性はこういうお店に来たらSNSに載せるための写真を丁寧に撮っている方が多いという勝手な偏見を持っていたが、どうやら凛さんにそのような写真のこだわりというものはないらしい。SNSに写真などを投稿することには興味がないのか、はたまた早く食べたかっただけなのか。まるであたかも後者のような様子だが、凛さんに関しては前者の可能性もない話ではない。


ケーキをゆっくりと味わいつつ、そんなことを考えていたら、期待に満ち溢れた眼差しをしている凛さんに話しかけられた。


「高橋君、食べないの?食べないんだったら私が食べちゃうよ?」


「俺は自分のペースで食べたいだけです。それに凛さんは三つもケーキあるんですから、それで十分でしょう」


「うっ、ごもっともで……あーあ、ダイエット中だったのになぁ……今日はチートデイにして明日からまた我慢しなきゃだなぁ……」


何をどうしたら、ダイエット中の人がケーキを三つも食べようという考えに至るのだろうか。それに、安易にチートデイという言葉を使っているのを見る限り、こりゃ毎日甘いものばかり食べてるな、この人は……


しかし、よくよく考えてみれば、凛さんのスタイルは同学年の中でもずば抜けて良いと言えるものだ。ダイエットする必要がないほどスラっとしているように見えるが、これ以上痩せたいのだろうか。逆に、甘いものをそんなにたくさん食べて、よく太らないものだと言いたいところだが。


そんな気持ちで凛さんの方を眺めていたら、


「なになに、私のケーキも食べてみたいの~高橋君?素直に言ってくれれば一口くらいなら食べさせてあげるよ~」


「本当は自分で食べたいけど……って顔してるので、遠慮しておきます」


「あれーバレちゃったかー恥ずかしがる高橋君、見たかったんだけどなーちぇー」


凛さんは軽く頬を膨らませたが、また視線をすぐにケーキに戻す。凛さんの言うとおり、俺はこのようにからかわれるということに関しては全く耐性がないので、そのような言動は控えていただきたいものだ。


それにしても、初対面の凛さんの印象は落ち着いた大人の女性というものであったが、一緒に話せば話すほど、実は表情が豊かであることが分かってきた。容姿こそ年齢らしからぬ美しさであるものの、中身はどこにでもいる女子高生だ。こう考えると、容姿も中身も年齢相応のものである俺でも、なんとなく凛さんに接しやすくなる気がする。


俺がふと前を見ると、凛さんはフォークを置いて幸せそうな表情を浮かべていた。


「んー美味しかった!!」


「もう食べ終わったんですか!?ごめんなさい、早めに食べますね」


「いいのいいの、ゆっくりで大丈夫だよ。だって“自分のペースで食べたい“んでしょ?」


「う……」


早速からかわれてしまった。本当は俺が遅いのではなく、凛さんが早すぎるだけのはずなのだが。俺の目の前の人は、俺をからかえたことか、ケーキが美味しかったのか、はたまたその両方なのか、上機嫌で笑っていた。


それにしても食べるの早すぎないかこの人は。ゆっくりでいいとは言ってくれたものの、あまり待たせるのも申し訳ないので、俺も早く食べることにしよう。



「美味しかったね!」


「ですね、すごく美味しかったです。それにしてもよく見つけましたね、このお店。インスタとかで見たんですか?」


「私はお店を調べるときは口コミサイトしか使ってないなぁ。このお店もそこで見つけたとこだよ。私、インスタとかやってないからさ」


「そうなんですね。なんか、解釈一致です……」


あんまり写真を撮ろうとしていなかった時点でなんとなく察しはしていたが、やはり凛さんはそういうSNSにはあまり興味がなさそうだ。ただ、俺は女子高生の事情はよく分からないが、インスタをやっていないというのはかなり珍しいのではないか。それが凛さんらしいといえばそうなのだが、インスタでの友達の輪なりは大丈夫なのだろうか。もとより凛さんの性格的に友達がたくさんいるような人とは到底思えないのはさておき。


「さて、お腹も満たされたことだし、駅の近くにでも行こっか」


「逆に食べすぎてないですかね……大丈夫ですか……?」


「女の子にそういうこと言うのは失礼だよ!大丈夫だから!ほら行くよ!」


凛さんはちょっとムッとしてそう言うと、走って行ってしまう。まるで過去はもう振り返らないと言いたげの様子だが、彼女のダイエットは果たして成功するのだろうか。しかし、俺も失礼なことを言ってしまった自覚はあるので、急いで凛さんの後を追わなければ。


程なくして俺たちは駅ビルに到着した。こういったところに来るのが久しぶりだった俺は少々興奮していたが、人が多い環境にあまり慣れていない上、なによりずっと走ってきたので、早くも体が疲れてきた。


「ずっと走らせちゃってごめんね……しかもこの辺りって人混みがすごいから疲れちゃうよね、大丈夫?」


「えぇ……まぁなんとか……」


「無理はしなくていいからね。とりあえず人が少なそうな本屋さんにでも行こっか」


「お気遣いありがとうございます……」


自分の顔を見なくても、疲れ切った表情をしていることが分かってしまう。思えば、思いっきり走るのは昨日を除けば中学二年生の頃の体力テスト以来だから、もう1年以上も前のことだ。こんなに疲れるものだったか。というより、俺の体力がめっきり落ちてしまっているだけだろう。確かにこの状況で駅ビルを歩き回るのはあまり得策ではないかもしれない。気づけば完全に凛さんにエスコートされてしまっているが、ここは凛さんの提案にありがたく乗らせてもらうことにしよう。


「なんか……頼りなくてすみませんホント……」


「いいのいいの!しばらく外出歩いてないのは分かってるし、そもそも遊びに誘ったのは私だからね。それに私、本屋さんの雰囲気が大好きなの!だからせっかくあげた厚意にはありがたく甘えること!」


凛さんは優しい口調でそう言ってくれた。悪いのは引きこもり生活をずっと続けていた俺であるのにも関わらず、文句ひとつ言わずに休ませてくれる。本当にありがたい限りだ。一歳年上なのもあるのか、やはり凛さんはしっかり者のお姉さんのように見える。弟や妹がいるのだろうか。


そんなことを考えながら、わざわざ俺に合わせてゆっくり歩いてくれている凛さんについていくと、少々大きめの本屋の前に着いた。他のお店に比べて人はあまり多くなく、落ち着いた雰囲気だ。皆、静かに本の背表紙を眺めては、気になったものを手に取り、見る。小説を探している人もいれば、マンガを漁る人、検定や受験を受けるであろう人もいる。思いつきで、ふらっと立ち寄る人もいるだろう。色んな人が、様々な種類の本を求めて、ここに立ち寄っては本を眺める。そんな雰囲気が、凛さんは好きなのだろうか。


俺自身でいえば、本を読むことはあまりないため、こういったお店に来ることも全くと言っていいほどない。というより、今は電子書籍であったり実物でもネットで買えてしまうから、実際に物を見てから買うか決めるなどという場合でなければ、本屋に来る必要がないとどうしても思ってしまう。強いて言うならばマンガは読んではいるが、たくさん読んでるわけではないし、なによりこれを読書と言ってしまったら、凛さんや読書家に怒られてしまう気がした。


「そういえば、高橋君は本とか読むの?」


「お、俺ですか……俺はあんまり読まない、です」


「私はマンガも本だと思ってるけどなぁ」


「いやでもマンガは……って、なぜそれを知って!?」


「部屋にたくさん置いてあったじゃん。あれぜーんぶ高橋君のでしょ?マンガだって、漫画家さんが一生懸命描いて、それを読んだ読者の心を掴んでいるのだから、その点で立派な本だと思うよ」


凛さんが俺の部屋にいたのはたかが三分程度だった気がするが、いつの間にそんなに部屋を観察していたんだ。凛さんの言う通り、病室にあるマンガは全部俺のもので、気が向いたときに読んでいる。しかし、凛さんがマンガも立派な本だよ、といったことを言うのは少し意外だった。言っていることはもちろん理解できるし、正論だから納得できる。それに、マンガを肯定的に捉えてくれているのは、一読者としては嬉しいに決まっている。それでも、このセリフはどこか凛さんに似つかわしくないと感じた。


「まぁ、でもたまには小説とかも読んでみたら?私がオススメ買ってきてあげるよ。高橋君はこのへんで本見てなっ」


そう言うと凛さんは駆け足で奥の方へと行ってしまった。確かに小説というものをしっかりと読んだことはこれまでになかった気がする。別に食わず嫌いをしていたわけではないが、あの活字だらけの文章を読む気がいまいち起きなかったのだ。しかし、小説は本自体を楽しめるだけでなく、自分にとって何か為になることが得られることもある。確かに一度読んでみる価値は大いにありそうだ。


それにしても、凛さんのオススメはどんな本なのだろうか。堅い哲学本のようなものであったら、果たして読み切ることができるだろうか。しかし、凛さんのことだから、おそらく俺にとってなんとなく読みやすいものを選んでくれるような気がする。そんな期待をして大人しく待っていると、凛さんが小さな本を持って帰ってきた。俺は凛さんから本を受け取り、表紙を眺める。


「家出恋愛、ですか」


「そうそう!これはね、とある理由で現実から逃げ出したくなって家出しちゃった男の子が主人公のお話で、家出をして行き着いた先々で出会う色んな人との関係とか、苦悩、そして新たな恋愛に悩んでいく思春期の男の子を書いた作品なの。とっても面白いから、寝る前とかにぜひ読んでみてね」


凛さんが持ってきた本は意外にも恋愛モノであった。しかし、普通のラブコメなどとは一風変わった、どこか考えさせられそうな本だ。ちょうど主人公もおそらく俺と同じくらいの年齢で、なんとなく読みやすそうな気がした。きっと凛さんはそこまで織り込み済みだろう。


「なるほど、オススメ感謝です。面白そうですね。とりあえずお金だけ払います」


「いいのよ、これでも私アルバイトしてるから!」


「いやでも……」


お金だけは払う、と言いかけるも、凛さんは絶対に受け取らないという表情をしている。これももらったご厚意には甘えろということなのだろうか。ここはありがたくいただいてしまおう……


「分かりました。ありがとうございます。読み終わったら感想伝えますね」


待ってるね、と言った凛さんの顔はとても満足気であった。あの凛さんがオススメする本は一体どんな内容なのだろうか。何かとセンスが良い凛さんのことだから、面白い本であることに間違いはないだろう。今日の夜にでも読んでみるか。


「凛さんはなんか本とか買わないんですか?」


「んー今日はいいかな。高橋君にオススメ紹介するっていうのが一番の目的だったし!」


「そうだったんですか!それはありがとうございました」


凛さんはお構いなく、と言いたげの様子で親指を立てる。非常にありがたい話ではあるが、何から何まで凛さんのお世話になって大丈夫なのだろうか。凛さんは、自分が外の世界を案内するからお任せあれ!といった様子だが、俺も凛さんに任せっきりではなく何か貢献したほうがいいと思ってしまう。



「じゃー本も買ったことだし、とりあえず遊ぶぞー!」


「遊ぶって、どこでですか?」


「決まってるでしょ~中高生が遊ぶとこと言ったら!そう、ゲーセンだ!」


凛さんは子供のようにはっちゃけながらスキップしている。俺の方はなけなしの体力が尽きそうだというのに、凛さんはまだまだ元気があり余っていそうだ。この人、見かけによらず意外と体力あるんだよな。


それにしても、中高生というのはゲームセンターで遊ぶのだろうか。普通の中高生が普段どこで遊ぶものなのかは全く知らないが、少なくとも俺はそういったところへは行ったことがない。おそらく友達同士で行って楽しむところなのだろう。そう考えると、凛さんがいるのはとても心強い。


駅ビルを出てちょっと歩くと、件の建物が見えてきたのだが。


「着いたよー高橋君」


「なにこのめちゃくちゃうるさいところは……」


初ゲーセンの俺は、店内に入るや否や、その騒がしさに頭を痛めていた。クレーンゲームにスロットの音、音楽ゲームから流れている曲に店内アナウンスがあちこちから聞こえて反響する。もはや何の音が鳴っているのかが何も判別できない。この騒音具合は長時間居たら気分が悪くなりそうだ。どことなくパチンコ店の前を通った時のような感覚がする。大人の遊び場であるパチンコ店に比べると、ゲーセンの騒音は多少マシだと思っていたが、環境慣れしていない俺にはどちらも同じくらいキツかった。


少し落ち着いてから周りを見てみると、ちょうど学校終わりの時間だからか、中高生が群れをなして遊びに来ていた。そういえば駅に近い立地もあってか、駅から歩いて来たであろう学生も多かった。いずれにしても、隣に凛さんがいる限りは目立つことはあっても変に浮いてしまうことはないだろう。


「ねぇねぇ何するー?やっぱりゲーセンといったらクレーンゲーム?エアホッケー?バスケとか格ゲーに音ゲーもあるよ!あ、ホラゲーとかやっちゃう?」


「凛さん、やけにテンション高いですね……」


「久しぶりに来たら興奮してきちゃった!なんか対戦とかしようよ!」


凛さんは燃えるような熱い瞳でこちらを見つめる。勝負事などが好きなのだろうか。凛さんの性格を考えると、おそらく負けず嫌いだろう。俺もこういった勝負をするのは嫌いではない。それに、せっかくたくさんゲームがあるなら、やるべきことは一択であろう。


「初めて来たんですけど、ゲーセンって色んな種類のゲームがあるんですね。よし、じゃあせっかくなので全部やりましょう!負けた方はジュース奢りですよ?」


「お!良いノリじゃない!初のゲーセンなのにやけに自信ありげだなー?二言はないぞ高橋君よ!」


「望むところです、六本勝負ですよ」


なぜだろう、凛さんが楽しそうにしていると、不思議とこっちまで凛さんについていこうという気が湧いてくる。こんな感覚は初めてだ。凛さんに合わせようとするのは全く苦痛ではなく、むしろ楽しいと思える。俺が楽しいと思えたことなんていつぶりだろう。俺が欲しかった時間って、こういった時間だったのだろうか。特別な時間じゃなくていい。物語の主人公並みの波乱の展開なんて待っていなくていい。こんな、世界のどこでも見られそうな、当たり前の時間。俺はこういった時間が欲しかったのだろうか……


「さぁボーっとしてないで早速一戦目だぞ高橋君!まずはエアホッケー対決だ!一回勝負だぞー!」


凛さんは今にも叩き潰してやるといった表情を浮かべて誘ってくる。真剣勝負を誘われたからには、ズルなしの真剣勝負で返すのが礼儀ってもんだ。やるからには徹底的にやってやろうじゃないか。


「受けて立とう!」



第一ラウンド、エアホッケー。


「おりゃ!おりゃ!ずっと跳ね返してたらいつか入るでしょ!いけ!」


「凛さん、隙だらけですよ。エアホッケーっていうのはこうやるんです」


俺は凛さんの両手の間にある広い隙間を目掛けてショット。凛さんがなすすべもなく、円盤は凛さんサイドのゴールに吸い込まれる。


「あぁー!?そこ狙うのは卑怯だぞ!」


「これが試合ってもんですよ、凛さん」


その後も俺は得点を重ね、隙だらけのゴールキーパー凛さんにやすやすと勝利。まずは俺が先制だ。


第二ラウンド、格ゲー。


「俺こういうゲームってやったことないんですが、どうやるんですか?」


「私もあんまりやったことはないんだけど、ボタンを押してキャラクターをジャンプさせたり飛び込みさせたりするんだよ」


ガチ勢っぽい人が隣でガンガン敵を倒しているが、手の動きを見ても速すぎてよく分からない。あんなのをされたら勝てるわけはないが、大丈夫だろうか。


「とりあえず二人とも初心者だから2Dのゲームにしようか。これで勝負だ!」


選ばれたゲームは、画面に自分と敵のキャラクターが表示され、画面上にはHPと残り時間が、画面下にはおそらく必殺技ゲージがある、よくありそうな格ゲーだった。ボタンもたくさんあってよく分からないが、とりあえずどこが何のボタンかだけは把握しておこう。


「いきなりやるのはさすがに不公平だから、まずは練習試合しよっか。そこでなんとなくの操作性とか掴んでね!」


「ありがとうございます」


凛さんはそういうと、軽く操作説明をしてくれた。ルールを全く知らない俺を潰さずに練習をさせてくれるあたり、凛さんもこの勝負を楽しんでいるのだろう。一通りの操作を確認した俺は画面上のキャラクターを動かしてみる。


「ここを押すと、こうか。なるほど、見た目より難しいですけど楽しいですね」


「でしょ!格ゲーって食わず嫌いしてる人も多いイメージだけど、結構面白いんだよ!」


試しに凛さんと勝負をしてみるが、連続攻撃を喰らわせられ、あっという間にゲージが残り僅かになってしまった。なんだ今の動きは、ちゃんとやってる人のそれではないか。


「……って!初心者相手に即死コンボ決めないでください!」


「ごめんごめん、癖で押しちゃうんだよね。さすがにこのまま戦うのも不公平だから、即死コンボ無しのHP半分始まりってハンデでどう?これなら良い感じじゃない?」


「確かにそうですね、ではそれで」


どのくらいのハンデで平等になるかは全く分からないが、とりあえず初心者なりに戦ってみよう。ビギナーズラックというものもあるかもだし。


「それじゃあ本番行くよ!レディー、ゴー!」


凛さんの合図と共に試合が始まる。画面上では左に俺のキャラクターと右に凛さんのキャラクターが少し離れたところにいる。凛さんは様子をうかがって隙を狙うつもりだろうか。おそらく俺が攻撃を仕掛けようとしたところを、カウンターしてくる作戦だろう。だが、そんな単純な攻撃をする俺ではない。見てろよ、凛さん。


「いっけーーー!!!」


という掛け声と同時に攻撃を仕掛ける、と見せかけてジャンプ。凛さんは予想通りカウンターの形を取っている。よし、引っ掛かったな。一瞬だけ動けなくなっている凛さんを狙って、ここで右下入力をして今度こそ攻撃!


「甘いね」


「え?」


俺のキャラクターは凛さんのキャラクターには当たらず、凛さんの後ろに着地する。なぜだ、向きは完璧であったはずなのに。


「斜め攻撃をされたときは、意外と前に突進するのが有効だったりするんだよ」


凛さんは小声でそう言う。見ると、凛さんはいつの間にか俺の少し左にいるではないか。あの一瞬で移動したのか。俺が元の位置に戻ろうとするも、後ろ向きで凛さんに掴まれてしまった。凛さんはそのままジャンプ、そして俺を地面に叩きつける。くそっ、俺の作戦は読まれていたか。


その後も、少しはダメージを与えることはできたものの、凛さんの回避術と上手いカウンターにやられ続ける。やはりあそこまでのハンデをもってしても、経験者に勝つのは厳しいか。


「これでどうだっ!」


「あ、そのカウンターはやば……あぁ……」


無慈悲にも俺は凛さんの完璧なカウンターを喰らい、HPが0になってしまった。これで一勝一敗だ。しかしながら、凛さんのHPを少しだけでも減らせたので、十分頑張っただろう。それに、格ゲーというものの楽しさに気づかされた。このゲーム、意外と楽しいではないか。


「いやー最初の斜め攻撃は流石だったよ、高橋君。私じゃなかったら刺さってたね~あれは!」


凛さんはやってやったという顔でそう言う。悔しいが、俺の完敗だ。


第三ラウンド、バスケ。


じゃんけんの結果、俺は後攻ということになった。先攻の凛さんは準備運動をしている。ゲーセンのバスケットボールでその必要があるかどうかはさておき、凛さんの運動神経は全くの未知数だ。果たしてどのくらいゴールできるのだろうか。


「よし、行くぞー!」


と威勢のいい声を出しながらゲームが始まったものの、凛さんのボールはそもそもゴールまで届いていない。バスケをやったことはないのだろうか。


「もうちょっと山なりに投げるんですよ!」


「あ、分かった!」


そう言って凛さんは山なりに投げようとするが、なかなか入らない。結局、時間内には一球も入らなかった。


「う~意外と難しいんだねバスケのゴールって……」


「やったことなかったんですか?」


「体育のときは、ゴールは他の人に任せてボールのパスをしてるからね……」


凛さんは苦笑いでそう言う。なぜそれで勝負を挑んだのかは分からないが、これで俺が一球も入らなかったら何も笑えないので、俺も本気でやることにする。バスケなんてものすごく久しぶりな気がするが、出来るだろうか。


「じゃあ俺の番ですね」


転がってきたボールを手に取り、ゴールに目掛けてシュート。ボールはリングを綺麗に抜けて落ちる。二球目、三球目も連続して入り、俺の勝利は確定したが、後ろからは何も聞こえてこない。凛さんの方を振り返ると、彼女はあっけにとられた顔をしていた。


「高橋君、バスケ上手だね……」


「小学校の頃に好きでよくやってましたので、その名残だと思います。凛さん、もう一回投げてみます?投げ方教えますよ」


「じゃあお願いしちゃおうかな」


そう頷いた凛さんを台の前に呼ぶ。凛さんにボールを持たせ、手の動きを伝える。しかし、凛さんはシュートしようとはせずにこう言った。


「あの……難しいから、実際に私の手を使って教えてほしいな……」


……って、なんでそうなる!?

つまり、凛さんの手を持って教えろということなのだろう。凛さんの顔がほんのり赤く染まっているが、それを見ると俺も恥ずかしくなってきてしまった。とはいえ、凛さんにずっとこういう表情をされるとどうも話しづらいので、お望み通りに教えることにする。決して邪な心などは持っていない。


「少しだけですよ……じゃあまずはこう持って、手をこうやって動かして投げるんです」


俺と凛さんが一緒に投げたボールは綺麗にゴールに吸い込まれた。凛さんは無邪気に喜んでいたが、手を触れたということを思い出したらしい。また顔を赤くして、けれども喜んだ様子のまま、


「あ、ありがとう……その、嬉しかった」


と、にこやかに笑っていた。俺は恥ずかしさでそんな凛さんを直視することができず、少し目線をずらしながら、良かったです……と言うことしかできなかった。


試合自体は俺の勝ちで二対一となったが、勝負に負けたような感覚が残っていた。


第四ラウンド、クレーンゲーム。


「公正のために同じ台でやったほうが良いよね。交互にやって、先に取れた方の勝ちっていうルールでいいかな?」


「賛成です」


俺と凛さんは二人で悩んだ挙句、小さなぬいぐるみのある台で勝負することにした。これなら何回か挑戦すれば、二人のうちどちらかは取れそうだ。


「私、クレーンゲームって初めてなんだけど出来るかな?」


「俺も初めてです。何回かやればそのうち取れるんじゃないですかね……」


とは言うものの、俺はおそらく凛さんより少し有利な立ち位置であろう。というのも、俺は実物こそやったことはないが、他人がプレイする動画を見るのは好きで、取り方などは少しばかり知っている。動画を見るのと実際にやるのでは全然違うとは思うが、多少なりとも有利であることに変わりはないだろう。


「とりあえずやってみよっか。私からいくね」


凛さんは百円玉を入れて、レバーに手をかける。目線を見るに、狙いはクマのぬいぐるみの外に飛び出たヒモ部分だろう。確かにヒモにアームを引っ掛けて取るのは一番取りやすいように見えるが、ヒモはちょっとアームが触れるだけで動いてしまうから、なかなかアームを輪に入れるのは難しい。案の定、アームは空を切ってしまった。


「あちゃー結構難しいんだね、クレーンゲームって……じゃ次、高橋君の番ね」


俺も凛さんと同じクマを狙いに定める。さて、この手のクレーンゲームでは、ヒモに引っ掛けるよりも効果的なやり方がある。それはぬいぐるみの後方から押すように掬い上げることだ。ぬいぐるみの後ろの部分をアームで持ち上げると、ぬいぐるみがアームから落ちた際に勢いがついて少し前に進む。こちらの方がヒモ狙いより落ちやすい、と誰かが動画で話していた。真偽は不明だが、ヒモを狙っても先ほどの凛さんと同じ羽目になる気がしたので、イチかバチか賭けてみる。


「この辺で、どうだ!」


「えー!後ろすぎない!?」


凛さんはビックリした様子でそう言う。確かに少し後ろすぎたか、と思ったが、アームは上手い具合にぬいぐるみの下に潜り込み、そのまま持ち上げる。そして少し持ち上がったぬいぐるみは、やがてアームから離れて、その勢いのまま、取り出し口へと落ちた。


「本当に取れちゃった……」


「高橋君ってホントにクレーンゲームやったことないの!?上手すぎない!?」


俺は喜びよりも驚きが勝ちつつも、落ちたクマのぬいぐるみを手に取る。まさかこんなにも簡単に取れてしまうとは、これこそビギナーズラックだろうか。とはいえ、これは勝負の為のクレーンゲームだ。もともとこのクマのぬいぐるみを標的にしたのは凛さんなのだから、これは凛さんに譲ることにしよう。


「はい、凛さん。これあげます」


「え、でも高橋君が取ったから……大丈夫だよ。記念ってことで!」


「じゃあクレーンゲームで勝負して俺に負けた記念、ってことにして下さい。そうすれば、これを見たらいつでもこの勝負を思い出せますよ」


「むー高橋君ったら性格わるーい……でも、ありがとね。じゃあ大事な思い出ってことにして貰っちゃおうかなっ」


俺は凛さんにクマのぬいぐるみを手渡す。凛さんはそれを大事そうに抱えている。ぬいぐるみとか好きなのだろうか。まぁ、凛さんに言った言葉通り、俺としては今日の日のことをなんとなく覚えてくれたら嬉しい限りだ。……って、なんでそんなことを思っているのだ、俺は。


「でもまた勝負には負けちゃったな~後がないよぉ…」


ともかく、これも俺の勝利だ。三対一、これで負けはなくなった。かなり有利な状況だ。


第五ラウンド、音ゲー。


音ゲーコーナーはゲーセンの他のコーナーとは異色を放っている。洗濯機のようなもの、ATMのようなもの、様々な形の音ゲーがあるが、どこの音ゲーにもいわゆるガチ勢と呼ばれるような人がたくさんいて、初心者が居ていいのか少し不安になってしまう。


「まぁみんなでやる音ゲーといったら、あの洗濯機っぽい見た目のやつがベターな気がするけど、あれでいい?」


「正直、違いがよく分からないので何でもいいです……」


俺と凛さんがやる音ゲーは、ノーツが流れてくる丸い画面があり、その枠にボタンがついているものだ。とりあえず100円ずつ入れて、チュートリアルを試してみる。思いのほか上下の運動が大きく、少し疲れるけど楽しそうなゲームだ。


「そういえば、私前にピアノとかやってたけど、このゲームはあんまりそういうの関係なさそうだからハンデは無しね。私もこのゲーム初めてやるし」


「確かにピアノ経験者ならやりやすい音ゲーがあるとか聞きますが、これはあんまりそうは見えませんからね。了解です」


なるほど、確かにこのゲームならそこらへんのギャップは無さそうだ。奥の方にはボタンを押すものであったり、本当にピアノの形をしたスライダーを叩くものもある。あんなので勝負を挑まれていたらボコボコにされていただろう。


「どうやら二人だと四曲できるみたいだね。三回は練習ってことで、四曲目の一発勝負にしようか!」


「分かりました。じゃあ先に曲選んでください」


とりあえず最初の三回で感覚だけでも掴もう。凛さん曰く、スピード設定だけは変えるべきとのことなので、なんとなくスピードを速める。手始めに二人とも中くらいの難易度を選んで、プレイスタート。


「簡単そうに見えて結構難しいですね……」


「だね……いつの間にか曲と譜面に置いて行かれちゃってる……」


一曲目を終えた段階で、俺と凛さんは既にヘロヘロになっていた。思ったよりも体力を使うゲームだ。本当に勝負になるだろうか。


とは言ったものの、やはり人間というものは学ぶもので、二曲目、三曲目と少しずつ慣れていった。二人とも悪くないスコアが出たし、コツを掴んだら上手く叩けるものだ。そんなこんなで迎えた四曲目。


「さて、ここからが本番だよ。曲は二人とも知ってるやつがいいよね。難易度的にも丁度良さそうなこれにしよっか。難易度はこのエキスパートってやつでいい?」


「分かりました。スコア勝負ですね」


ここで勝ったら俺の勝利だ。譜面に置いて行かれないようにすることだけ気をつけよう。


凛さんがスタートボタンを押し、曲が始まる。最初からなかなか上下左右に振られる譜面だ。タイミングは怪しかったが、なんとかコンボをつなげる。サビも少し忙しい配置をしているが、四回もこのゲームをやればこのくらいなら追いつけるようになった。コンボをつないだままラスサビ、そしてアウトロへと入る。似たような配置なので難なく叩き切り、曲が終わる。筐体からフルコンボ!という音が聞こえる。よし、これは勝ったな。


そう思って隣を見ると、ドヤ顔の凛さんの筐体からはオールパーフェクト!という音声が聞こえてきた。


「オ、オールパーフェクト!?」


「ふっ、これは私の勝ちのようだな!」


「絶対勝ったと思ったのに……」


というより、二人とも直前のプレイまでそんなに上手くなかったはずだが。やはり勝負となるとやる気が違うものなのだろうか。これは惜敗だ。これで三対二、少し追いつかれてしまった。


最終ラウンド、ホラゲー。


「ホラゲーって言いますけど、実際どんなゲームなんですか?」


「ん-、ゲーム内でゾンビとかが襲ってくるから、それを銃で倒すみたいな感じかな」


「なるほど、ホラーにバトル要素が加わった感じですか。ところで、これどうやって勝負するんです?」


「そうだねー倒した敵によってスコアが出るから、とりあえずそれでいいんじゃないかな。あ、ただ死んだら問答無用で負けね!」


バトル要素のあるホラゲーとはどんなものなのだろう。俺は生まれてこのかたホラーというものに全く触れたことがないが、凛さんがあんまり怖がっていないのを見るに、そこまで怖いものではないのだろうか。


「よし、じゃあ銃持ってね。頭が弱点だからそこを狙うこと!」


ゲームが始まると、画面の中の俺と凛さんは、なにやら薄暗い不気味な館のようなところに降り立った。俺はこの時点で既に雰囲気が怖いのだが、凛さんは物怖じすることなく突き進んでいく。こういうのは慣れなのか、先天的なものなのだろうか。恐る恐る後を追う。


少しばかり凛さんについていくと、暗闇の中から急に敵が現れた。俺はあまりの怖さに足がすくんで手が動かない。この状態で戦え、というのには無理があるのではないだろうか。横を見ると、凛さんはバンバンと銃を撃ち続け、ひっきりなしにやってくる敵を次から次へとやっつけている。意外にも凛さんはホラーには強いらしく、俺はそんな凛さんのかっこいい姿に見惚れてしまう。


と、その時。目の前からやってきていた敵に気づかなかった俺は、敵に武器を取られてしまった。まずい、と思って取り返そうとするも、反撃に遭ってしまう。隠れるところを探そうとするも、暗闇で視界が悪い。そうこうしているうちに連続攻撃を浴び、俺はあっけなくやられてしまった。


「もう何してるの高橋君!私がお手本見せてあげるから見てな!」


凛さんはそういうと、華麗な銃さばきで敵を一掃してしまった。ものの見事に全て頭に的中させている。スナイパーか何かなのか。あっという間にラストステージまで到達し、ボスも凛さんの前にあっけなくやられてしまった。


「ゲームクリアっと。私は無傷だけれど、高橋君は何があったのかな……」


「ちょっと、あまりに怖くて足が動きませんでした……」


俺がそう言うと、凛さんは苦笑いを浮かべる。あんなの怖くないでしょ!と言いたい様子に見えるが、ホラー初体験にしてはかなりハードだったような気がする。というより、あれよりハードのものが世の中にたくさんあるとしたら、それこそホラーだ。世の中にはそんなにもホラー好きがいるのだろうか。


とはいえ、ホラゲーに関しては惨敗だ。致し方ない部分もあるとはいえ、もう少し何かできたはずではあったが……



「結局、三対三の引き分けだったか~後半の追い上げ頑張ったんだけどなぁ~」


「凛さんにホラー耐性があったのは少し驚きでした」


「というより、高橋君が意気地なしだっただけでしょ!」


「う……」


今日で分かった。ホラーは俺には無理だ、と。ああいうのを前にしてビビらずに立ち向かえる凛さんが不思議でたまらない。



白熱した勝負が終わり、ヘトヘトになった俺は凛さんとゲーセンを後にする。集中しすぎて気づかなかったが、時間はかなり経っていたらしく、既に日は傾き始めている。そろそろお開きかと思っていたが、体力の底がない凛さんは元気な声でこう言った。


「結構遊んだね!よーし、じゃあ今日の締めはカラオケに行くぞー!」


「まだ遊ぶんですか!?」


「学生の打ち上げと言ったらカラオケ!学生の遊びの締めと言ったらカラオケ!思う存分、歌いまくるぞー!」


あんなに遊んだ後だというのに、凛さんはまだまだ元気はつらつだ。その無尽蔵の体力を少しでも分けてほしい。とはいえ、友達とカラオケというものは、ちょっとばかり街の中高生気分を味わえている気がして、悪い気はしない。


ゲーセンの向かいにあるカラオケには、何やら楽しそうに話している学生たちが数人いた。ゲーセンに比べるとカラオケは圧倒的に静かな空間で、長時間ものあいだ騒音の中にいたせいでクラクラしていた頭はだんだんと落ち着きを取り戻していく。


お店の入り口のすぐそばにホテルのフロントのような受付がある。なるほど、ここで時間などを選ぶのだろうか。しかし、当然ながら俺はカラオケにも精通していないので、ここは慣れているであろう凛さんに全て任せることにする。


「いらっしゃいませ。お二人様ですね。学生様でしょうか?」


「はい!」


その後、店員さんと凛さんの会話からはどのコースにするだとか学割だとかといった話題が聞こえてきた。なるほど、中高生がよくカラオケに来るのは学割が使えるというのもありそうだ。壁に貼られているポスターにはおひとり様用のカラオケなるヒトカラの紹介がなされているが、もしかするとカラオケというものは一人で来る人も少なくない場所なのだろうか。


俺がそう想像しているうちに、受付が終わろうとしていた。


「……学割で一八時まで、ですね。……はい、かしこまりました。では、学生証のご提示をお願いします」


「あ、学生証……」


気まずそうな顔で凛さんはこちらを振り返る。なるほど、俺が学生証を持っていないと思っているのだろうか。ありがたい配慮ではあるが、心配はご無用。中学校はまだ義務教育であるし、俺は悪事を働いて退学になったなんてこともない。中学校にはほとんど行けていないが、事情が事情ということで在籍扱いにしてもらえているのだ。だから学生証はバッチリ持ってきている。

昨夜見たサイトに、学生証は持っていこうと書いていたが、こういうときに使うものなのか。なるほど、と思いながら書いてくれた方に心の中で感謝した。


「学生証はちゃんと持ってますよ、安心してください」


「良かった!じゃあ預かるね」


凛さんはホッとした表情をして俺の学生証を受け取る。あとはドリンクバーやら、注文したいときの手順やら、店員さんから矢継ぎ早に案内をされて、受付が完了した。あんまりよく分からなかったが、きっと凛さんが分かってくれているだろう。


凛さんは慣れた手つきで伝票を受け取り、部屋を確認する。どうやら俺はついていくだけで良いみたいだ。


「とりあえずドリンクバーでも取ってから行こっか。さっきの勝負で同点だったから、お互い好きなジュースを交換する、なんてどうかな!」


「良いですよ。じゃあ俺は端の方いるんで、先取って部屋行っててください」


凛さんはほぼ迷わず決めたようで、すぐにジュースを入れ終わったようだ。「5階に登って真正面の部屋で待ってるね~」と言い残し、すぐに行ってしまった。意外と即断即決できる人なのか、それともとびきり好きなジュースでもあるのだろうか。俺は大抵のジュースは好きなので、しばし悩んだ末、なんとなく凛さんも好きそうなものをチョイスして、部屋へ向かった。


部屋に入ると、凛さんはなにやら準備をしていた。マイクを機械と接続したり、いつの間にかタンバリンやマラカスが置いてある。カラオケには何回も来たことがあるのだろうか。さすがの手慣れ具合である。


「よし、とりあえずジュース交換しよう!」


凛さんがそう言ったので、俺たちはいっせーので机にジュースを置く。俺は凛さんが持つカップをチラッと見る。なんか俺と同じような色だな。


「私はカルピスー!」


「あれ、奇遇ですね。俺も同じです」


「お、かぶったね~おそろっちだ!私カルピス大好きだから嬉しい!」


どうやら俺の読みは当たっていたようだ。ともあれ、とりあえず凛さんの好みのものを選べて良かった。それに、こういうところで好きなものが合うのは少し嬉しい。凛さんは俺からコップを貰うと、「かんぱ~い!」と言って一気飲みしていた。相変わらず元気な人だ。


「よーし、それじゃあ歌うぞー!私先に選んじゃうねー!」


そう言うと凛さんはルンルンになってタブレットをいじり始めた。一方で、流行りの音楽というものがサッパリな、流行に取り残されている俺はというと、歌える曲を頭の中で必死にピックアップしていた。


「それじゃあ一曲目いきまーす!」


と言って凛さんが選んだ曲は、誰もが知る曲ではあるが、今流行っているわけではないものであった。中高生のカラオケは今流行りの曲とかを歌うイメージがあったのだが、どうやらその辺の流行りというものはあんまり関係がないのかもしれない。それか、凛さんが俺の知っていそうな曲をわざわざ選んでくれたのだろうか。後者の方が可能性は高そうだが、どちらにせよこういった有名どころを選曲してくれた方が、俺でも歌えるのでありがたいものだ。


「ほらほら高橋君も!さっき音ゲーでやった曲だから分かるでしょ?一緒に歌うよ!」


「デュエットですか!?」


「そうそう!カラオケは大人数で歌う方が楽しいって相場があるんだから!」


果たして二人を大人数と言っていいのかはさておき、こういったことを一緒にできる相手がいることはなんとも楽しいものだ。複数人でのカラオケというのは歌が上手い人しか主導権を握っていないと思っていたが、みんなで歌うというのはもはや上手さなどは関係なく、その雰囲気が楽しいのだろう。世の学生がこぞってカラオケにやってくる理由が分かった気がした。


「じゃ、せっかくなので歌います」


「いいねいいね!よーし歌うぞー!」


凛さんがそう言うとすぐに曲が始まる。一度歌い始めると歌に没頭してしまい、いつの間にか疲れが吹き飛んだように熱中してしまった。俺と凛さんは時間が経つのも忘れて、ひたすら歌いまくっていた。


「ん~!歌い疲れた~!」


結局、中学生が滞在できる十八時まで目一杯歌ってしまった。マイクを使っているからか、音が反響しているからかは分からないが、なんとなく上手く歌えてるような気がして、次々と曲を入れてしまったのだ。それに、大人数でなく凛さんと二人きりだからこそ、周りの視線というものを気にしなくてよかったから、居心地も最高だった。


カラオケからの帰り道。流石の凛さんもかなり体力を消費したようで、俺たちは会話も少なめに病院の方へと歩いていた。カラオケを出たとき、女の子を一人で帰すのは危ないと思って俺は凛さんを家まで送ることを提案したが、「ありがたいけど、高橋君もう見るからに疲れてるから、無理しなくていいよ」と凛さんに情けないまでの気遣いをさせてしまった。それどころか、ありがたいことに凛さんは俺を病院まで送ってくれるらしい。


そろそろ病院が見えてくる頃合いだ。赤い夕日がもうまもなく暗闇に包まれた夜空に溶け込んでしまいそうだ。こんな時間まで遊んだのはいつぶりだろうか、いや初めてかも知れない。俺は薄明の空を見上げながらそう思った。


「すっかり外も暗くなっちゃいましたね」


「この時期って意外と早く日が落ちちゃうよね。それにしても久しぶりにこんなたくさん遊んだな〜!高橋君、今日はありがとうね」


「こちらこそ、色んな場所に連れていってくれてありがとうございます。でも、まだ一週間も残ってるんですよ。まだまだ色んなところ行きましょうよ」


俺は自分でも不思議なくらいにノリノリになって凛さんにそう言う。こんなにも外で遊ぶことを楽しみに思うのは初めてだ。


しかし、凛さんからの返事が一向に来ない。不思議に思って横にいる凛さんの方を見ると、なぜかぽかんとした顔で俺の方を見ていた。俺と目が合うと、はっとしたように意識を取り戻す。


「……そっか!まだ一週間、それも毎日遊べるんだね!楽しみだ!」


そう言って、凛さんは元に戻るどころかまた元気を取り戻したかのように走って行ってしまう。あんなに遊んでなお走る余裕があるというのか。一日目からアクセル全開で、この先の体力が少々心配だ。


「それじゃあ私は向こうだから、また明日ね!明日は早く起きるんだよ!」


「了解しました。おやすみなさい」


「はーい!おやすみ!」


凛さんはこっちを振り向いて一瞬ニコッと笑うと、また走り出してしまった。俺は凛さんの姿が見えなくなるまで見送って、余韻に浸りながら帰途についた。



その晩、俺は凛さんに買ってもらった本を読もうとしていた。


「えーっと、あらすじはこれか。『初めて彼女ができた高校一年生の新太は、慣れない恋愛を楽しんでいたが、いつの間にか恋愛そのものに依存していた。しかし、半年後、唐突にその恋愛に裏切られてしまう。今まで依存していた恋愛というものは、新太が思うよりずっと新太の心を蝕んでいて、その消失はやがて彼の生きる気力さえ奪った。その辛さを身近の人に伝えても理解されないどころか、早く元に戻れと素っ気なく扱われてしまったことから、新太は現実から逃げ出してしまう。そんな新太の前に現れる様々な人々との交流で、様々な苦難を通じながらも、人間関係の重要さをもう一度思い直す新太。そしてそこに現れた新たな恋の行方とは。これは、恋に悩む思春期の繊細な心がやがて成長していく、恋愛ストーリー』なるほど、ただのラブコメじゃないところは凛さんっぽいな。それに、結構重そうな話だなぁ」


俺は当然ながら恋愛などしたことがない。だから、もしかすると新太の気持ちが完全に分かるということはないかもしれない。しかし、今日初めてガッツリと外の世界に触れたことで、どこからか恋愛というものを知ってみたいという気持ちが湧いてきた。


「恋をするってどんな気持ちなんだろう。そんなに依存しやすいものなのかな」


新太が恋をした相手はごく普通の女の子だ。しかし、恋をすると人間というものは壊れていってしまうらしく、新太は彼女にどんどん依存していってしまう。それはやがて束縛などに繋がっていき、二人の仲を引き裂いてしまった。すぐに立ち直ることができると思っていた新太であったが、恋愛への依存というものはいつの間にか過多になっていたようで、しばらくそこから立ち直れなくなってしまう。しかも、それを家族に相談しても全く聞く耳を持ってくれず、むしろ「男なんだから早く立ち直りなさい!」と言われる始末。そんな現実から逃げ出したくなった新太は、衝動的に家出をする。


「なんかすごく重い話だな……束縛などという言葉は恋愛絡みではよく耳にするけど、恋愛依存から来ているものも多いのだろうか。恋愛って難しいんだな……」


ふと時計を見ると、間もなく日が変わろうとしている時間であった。明日は早く起きるように、と凛さんに言われている。寝坊しないためにも、今夜は早く寝た方が良さそうだ。


「明日は早いし、今日はここまでにしよっかな」

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