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国王さま、ようやく登場の巻
グランヴィル城は小高い丘に建つ巨大な城である。
城を取り囲む石造りの城壁はその堅牢さを誇示しているようで、訪れた者に畏怖の念を抱かせる。
あまりにも無骨で、国王の居城にしては優美さに欠けることからグランヴィル「要塞」などと他国から揶揄されているが、国民たちはむしろ武国に相応しい造りだと誇りに思っていた。
招かれざる者を容赦なく追い払う高い城壁にふっと影が差す。巡回している兵士がそれに気付くなり素早く剣の柄を握り、臨戦態勢に入った。
――のも束の間、羽を大きく広げたシルエットが見慣れたものだと気付くなり、城壁の内側に向かって叫ぶ。
「陛下がお戻りになったぞー!」
その声に城内にいる者達が慌ただしく動き出す。
ある者は建物の中に、そしてまたある者は着陸に支障が無いかを確認するべく駆けていった。
城の中心よりやや奥まった場所に位置する飛竜の発着スペースへと徐々に影が迫っていく。
その巨体からは想像できない、実に小さな地響きと共にグランヴィル国王、レナトスの乗った飛竜が舞い降りた。
飛竜を操る上で最も難しいのが着陸だと言われている。いかに飛竜の負担を少なく降下させるか、操縦する者の力量に左右されるのだ。
その点において、現時点でレナトスの右に出る者はいない。そのため、国王が相棒の飛竜、アンジェリカと帰還する様をひと目見ようと、多くの人が集まるのが常となっている。
飛竜が羽を畳むと同時にひらりと一人の男がその背から降り立つ。
齢二十歳にしてスターラ大陸の五大大国の一つを背負う立場となった青年は、険しい表情を浮かべたまま額にかかった金の髪を無造作にかき上げた。
「陛下、お帰りなさいませ」
宰相補であるアンソニー・ディラックが足早に近付いてくる。従者に携えていた槍を預けたレナトスもまた、そちらに向かって歩みを進めた。
「すまない。予定より遅くなった」
「いえ、無事に帰還されて安心いたしました。……マルアテックの様子はいかがでしたか」
国の北西部でゴブリンの大群が発生したのは二日前のこと。
警備兵だけで対処できる数ではないという報が城に入ったのが昨日の夕方で、レナトスは夜明けを待って殲滅に向かった。
経験上、どんな大群であっても行き帰りを含めて半日もあれば十分だと見積もっていたのだが……。
「想定していた数の十倍は超えていたな。お陰で手間取った」
「十倍……ですか」
アンソニーは眼鏡の奥ですっと目を細める。
「最近、各地で魔獣に関する報告が増えています。サラティガ渓谷での毒竜出現といい、なにか異変が起こっているのはたしかでしょう」
「そうだな。調査を急がせてくれ」
「承知いたしました」
その異変はここ三ヶ月ほどで起こりはじめた。各地に配置されている警備隊が対処に当たっているものの、本来は城とその周辺の警備を任されている騎士団への応援要請の頻度が日に日に高くなっていた。
そして、今回ゴブリンの襲撃に遭った商業都市、マルアテックはヴィルナタール鉱山とそう離れてはいない。知能の高いゴブリンに例の封印を破られでもしたら一大事だと、国王自らが介入へと踏み切ったのだ。
「……アルシェラの様子はどうだ」
王妹が毒竜に丸飲みされそうになってから早くも二週間が経った。派遣された調律者によって魔力暴走は収まったという報告は受けていたが、その後の進捗は忙しさもあって訊ねる機会を失っていた。
宰相補は待っていましたとばかりに語りはじめる。
「魔術の訓練に入ったとのことです。アルシェラ殿下は早期の公務復帰を希望されているそうですが、昨日時点で調律者の許可はまだ出ていないと第二親衛隊から報告がありました」
「そうか」
廊下を大股で進むレナトスの横顔をアンソニーがちらりと見遣る。
いつもなら気にせず別の報告を促すのだが、なにかを言いたげな眼差しをひたすら向けられ、遂には根負けした。
「……言いたいことがあるならさっさと言ってくれ」
レナトスとアンソニーの付き合いは幼少期より続いている。国王と宰相補という関係になってからは控えめになったものの、昔から遠慮のない物言いをする点だけは変わっていなかった。
「そろそろ会いに行かれてはいかがでしょうか?」
「私が行ったところで状況は変わらないだろ」
「殿下が思い詰めているご様子なので、陛下に一度会って話をしてほしい……と、セレンティナ殿からの伝言がありました」
「誰だ……あぁ、調律者か」
そういえばそんな名前だったな、とレナトスはぼんやりと思い出す。
実のところ、すべて書面でのやりとりで済ませてしまったので調律者と顔を合わせていない。
一体どんな人物なのか興味をひかれないわけではない。その上、依頼を受けてもらった恩もあるが、魔術に関わる事柄には近付きたくないのが正直なところだった。
もしかすると調律者は挨拶がないことに腹を立て、妹を口実にして呼び寄せようとしているのではないか。
そんな疑念を抱きながら深い溜息をついた。
「明日、どこか時間を空けられそうか」
「調整いたします」
「ファウラーにも同行してもらおう」
「はい、承知いたしました」
アンソニーがにこりと微笑みながら即答する。
反応を見る限り、もうすでに調整を終えているか、通達を済ませているに違いない。
「では陛下、執務室でお待ちしております」
「…………あぁ」
さっきまでは魔獣相手、そしてこれからは書類と面倒な貴族達を相手にしなくてはならない。
新たな戦いに備えるべく、レナトスは汚れたマントを雑な手付きで外した。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇
翌日の昼下がり、一台の馬車が離宮に到着した。
アルシェラの親衛隊が全身に緊張を漲らせながら出迎える中、レナトスは敷地の奥へと進んでいく。
そして王妹が魔術訓練を受けているという、普段は剣の稽古場として使われている区画が視界に入った途端、すっと表情を険しくした。
「……なんだ、あれは」
この場所へはあまり来たことはないが、敷地内に池があった記憶はない。
しかもその池のほとりにどうして櫓があり、その上に妹が立っているのか。
「はーい、じゃあもう一回チャレンジしてみよー!!」
やけに明るい声が異様な光景をさらに引き立てる。
こちらに背を向け、アルシェラを応援しているその背では不思議な色合いの髪がふわふわと楽しそうに舞っていた。
「い、いきます!」
己を鼓舞するような声はかすかに震えている。稽古着姿のアルシェラは目を閉じて意識を集中しはじめた。
ゆっくり目を開き、両腕を肩の高さまで横に開く。その左手には微かに光るものが見えるが、それがなにかまでは確認できなかった。
アルシェラがとん、と音を立てて空中に身を躍らせる。
そのまま池に落下するかと思いきや――。
「浮遊!」
切羽詰まった声で発された詠唱の直後、周囲にぶわりと突風が巻き起こった。
「ここまではいいよー! あとはゆーっくり降りておいでー」
魔術をコントロールするので精一杯なのかアルシェラは真っ直ぐ前を見据えたまま。だが指示の声は聞こえているらしく、徐々に降下してきた。
足元に風を起こし身体を浮かせる「浮遊」は風魔術の基本のひとつである。これまで魔術を封印されていた身でありながら、短期間でここまで使いこなせるようになるとは、とレナトスは密かに関心していた。
――――のだが。
「きゃああっっ!」
「アルシェラ様っ!」
ばしゃん! という派手な水音と共にアルシェラの姿が池の中に消える。親衛隊長であるレオノーラが慌てて駆け寄ると同時に、水面から顔を覗かせた。
「うーん、今のは惜しかったねぇ」
「本当? よかった!」
ずぶ濡れになっているというのに、アルシェラは気にした様子もなく微笑んでいる。
しかし、どうして誰もタオルの類を差し出さないのか。どうせまた濡れるにしても、顔くらいは拭くべきだと指摘しようと一歩踏み出した瞬間――。
「……あれは」
「水魔術の一つ、『集合』でございます」
ずぶ濡れだったアルシェラの身体が一瞬にして乾き、その頭上に浮いた水の塊が池へと投げ入れられた。
初めて目にした光景に、同行してきたグランヴィル王国の魔術師団長、サマリンダ・ファウラーが低い声で答える。先代が国王の時分からその座に就いている彼女は常に冷静さを失わない人物だが、その声が微かに興奮を孕んでいた。
「詠唱も動作も無しで操るとは……さすがは『調律者』と申し上げておきましょう」
「そうか」
報告では風と時空の魔術使う、とあったが水属性まで持っているらしい。
アルシェラは純白のローブを羽織った調律者からのアドバイスに熱心に耳を傾けている。その視線が不意にこちらを向き、大きく見開かれた。
「お兄様……」
その声に調律者がぴくりと肩を揺らした。
ふわふわと浮いていた銀の髪が弧を描き、ゆっくりと振り返る。
こちらを見上げてくるのは、髪と同じ色をした大きな瞳。
遠慮など欠片すら感じられないほどじっくり眺めてから、小さな顔に笑みが乗った。
「わぁ、ようやく来てくださったんですね」
調律者、セレンティナ・ロシュフォードが声を弾ませた。
次回の更新は頑張れたら今日の20時で頑張れなかったら明日の12時です。
一応月末なので……という謎の意地。