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異端の調律者は天秤を持たない  作者: うつおぎ
2/9

1-2

しばし女子三人のやり取りをお楽しみくださいませー。




 ――あの時の感覚は今でも忘れられない。


 サラティガ渓谷に生息しているはずのない魔獣がどうしているのだろう。

 浮かんだ驚きと戸惑いはすぐさま恐怖によって塗りつぶされた。

 逃げる術を失った獲物を悠然と見下ろす毒竜が嗤っているように見えたのは、きっと気のせいではない。

 命乞いをするだけ無駄なのはわかっている。

 かといって仕方がないと思えるほど生きてはいなかった。


 いやだ。死にたくない。誰か助けて……!


 叫ぼうにも声が喉に貼りつき、どうしても出てこない。

 そしていよいよ命が潰える瞬間が訪れるのだと本能的に悟った瞬間――身体の奥底から「なにか」が急激に湧き上がってきた。

 それを例えるなら、火山から噴き上がるマグマ。

 極限まで熱されたドロドロしたものが出口を探して全身を巡っている。

 そして、ふつりと何かが切れた感覚と同時に勢いよく噴き出し――毒竜を八つ裂きにした。

 お陰で目の前の脅威を退けられた。だが、身体から溢れてくるものをどうやって止めたらいいのかまったくわからない。

 未知の感覚に混乱し、焦れば焦るほど状況は悪化していく。周囲が困惑し、右往左往しているのを察するたびに絶望を深めていった。


 あれからどれくらい経ったのか――大事な城や臣下達を傷付けたくないと石塔に篭ってはみたものの、どうやったら解決できるのか皆目見当もつかない。

 もしかすると、一生このまま――。

 そんな考えが思考のまとまらない頭をよぎりはじめた頃、やけに明るい声が束の間の微睡まどろみを打ち破った。

 人の気配を感じた瞬間、またもや全身をドロドロとしたものが駆け巡る。

 扉の開く音が聞こえないほど深く眠っていたわけではない。しかも、その声の主は扉とは正反対の位置からこちらへ向かってくるではないか。

 どうやって入ってきたのか。いや、それ以前にこの白と銀で構成された女性は一体誰なのか。

 とはいえ、誰であろうと怪我をさせるわけにはいかない。必死で出ていくよう伝えても文字通りどこ吹く風。ローブと髪を揺らしながらこちらへ歩いてくるその顔は、なぜか愉悦に染まっていた。


 ――どうして、近付いてくるの……!?


 自分は強いから、と言った彼女の言葉は間違っていなかった。

 制御不能の風魔術によって作られた刃をものともせずアルシェラの前に屈み、左手を取った。拘束された場所から伝わってくる柔らかな弾力と熱は、久しく感じていなかった人の肌のもの。

 そして着けると宣言されていたバングルの留め具がかちりと音を立てた瞬間、アルシェラの身体を苛んでいたものが動きを止めた。


 ――これで、眠れる。


 幼い頃より優れた武人となるべく鍛錬に励んできた。だが想像を遥かに超える過酷な状況に、身も心もとうの昔に限界を迎えている。

 安堵したアルシェラは一言も発することなく深い眠りへと落ちていった。






◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇






「あ、おはよー」


 まだ重さを残す瞼をのろのろと上げると、眩い銀色がアルシェラの目に飛び込んできた。

 どうやらとても深く眠っていたらしく、まだ視界も思考もぼんやりしている。


「おーい、私の声、聞こえてますかー?」

「…………えぇ」

「よかった!」


 問い掛けに素直に答えると弾んだ声が返ってきた。

 聞き覚えがあるような、ないような。この声は奇妙な感覚に陥らせるものの、不思議と嫌な気分にはならなかった。


「随分と顔色も良くなったね。まぁ、少なくともあと三日はゆっくり過ごした方がいいかな」

「…………っ、わた、し……っ!」


 石塔の中ではないと気付いた瞬間、アルシェラは勢いよく起き上がった――のも束の間、ぐらりとバランスを崩す。

 派手な音を立てて顔から倒れ込んだのは豪華なベッド。久しぶりに感じる柔らかな感触を掌に受けながら体勢を立て直そうとしたが、どう頑張っても腕に力が入らない。

 なにこれ、どういうこと!?

 布団の合間で藻搔いているたアルシェラの身体が突如として宙に浮きあがった。


「きゃあっ……! な、なにっ!?」

「はいはい、暴れないで大人しく寝てなさーい」


 アルシェラだけでなくベッドの上にあったものがすべて浮いている。時折頬をかすめる風の存在に気付き、遅ればせながらこれが風の魔術の仕業なのだと気が付いた。

 ただ暴風を起こし、周囲のものを切りつけるアルシェラのそれとは明らかに違う。これほどまで完璧に制御された魔術を目の当たりにするのは初めてだった。


「セレンティナ様! なにをしてるんですかっ!!」


 派手な音を立てて扉が開かれるなりレオノーラが飛び込んできた。

 元々頭に血が昇りやすい性格をしているのだが、今日は普段より輪をかけて怒り狂っている。


「え? 布団をぐちゃぐちゃにするから直そうとしただけだよ」

「そういう時は我々を呼んでください!」

「めんどくさーい。いいじゃない、私がやった方が綺麗だし、王妹さんにも負担が掛からないよ?」


 どうやら銀髪の女性はセレンティナという名らしい。「ね?」と同意を求めてくる彼女と目が合った瞬間、なぜか心臓がどきりと跳ねた。

 これまで大陸各地で美しさを賞賛される踊り子や歌姫を何人も見てきたが、セレンティナは彼女達とは次元が違う。あまりにも人離れした美貌はこの世の存在ではないのでは、という疑いを抱くほどだった。


「ひゃっ……」


 背中からゆっくりとベッドに降ろされたその頭にはちゃんと枕が配置されている。見上げた先から薄手のブランケットが静かに降下し、アルシェラの身体を覆う。それに続いて掛け布団が降ってくるとすべてが元通りになった。


「そもそも、殿下のお部屋へ勝手に入らないでくださいっ!」

「腕輪が魔力を検知したんだもん。状況を説明するのに早めに来てあげた方がいいでしょ?」

「それならせめて扉から入ってください! 護衛を置く意味がないじゃないですか!!」

「えっ……?」


 扉からではないなら、一体セレンティナはどうやって入ってきたのだろう。窓をたしかめてみたが壊れたりしている箇所はどこにも見当たらなかった。


「ところで、ご主人様が目覚めたのになにも言わなくていいの?」

「はっ……! そ、そうでした!!」


 セレンティナに詰め寄っていたレオノーラがにわかに慌てはじめる。そして素早くベッドの傍らに跪き深々と頭を垂れた。


「殿下、此度は毒竜からお護りできず面目次第もございません」

「レオノーラ……」

「この失態はすべて私、レオノーラ・ディラックに責任があります。どんな処罰も甘んじてお受けいたします」


 ディラック伯爵家はこれまで多くの武人を輩出し、グランヴィル王家に仕えてきた。レオノーラはアルシェラを守護する第二親衛隊の隊長というだけでなく、大事な幼馴染でもあるのだ。

 だが、王族を危険に晒すのは、例え不測の事態が起ころうとも重罪であることに変わりない。

 身じろぎせず処断を待つレオノーラの後ろではセレンティナが後ろ手を組み、紫銀の髪をふわふわと揺らしながら佇んでいる。

 この上なく緊迫した空気が漂っているというのに、純白のローブを纏った彼女はこの状況を愉しんでいるようにさえ思えた。


「……サラティガ渓谷で毒竜と遭遇するのは誰にも予測できなかったわ。それに、すぐ撤退命令を出さなかったのは私の落ち度よ」

「で、ですが……っ!」

「まぁまぁ。もういいじゃない。みんな無事だったんだから」

「部外者は黙っていてください!」

「えー? 私がいなかったらもっと大変なことになっていたのに、部外者って言っちゃうんだ?」


 図星だったのかレオノーラがぐっと黙り込んだ。射貫かんばかりの眼差しで睨まれているのもどこ吹く風、白と銀を纏った美しい女性がアルシェラが横たわるベッドに近付いてきた。


「そういえば自己紹介がまだだったっけ。私はセレンティナ・ロシュフォード。よろしくね」

「ロシュフォード……」


 その姓を名乗れる家はこのスターラ大陸でたったひとつだけ。

 これまで直接顔を合わせたことはなかったが、「調律者」の噂はこれまでいくつも聞いている。

 魔塔主の直系である十二人の調律者達は誰もが人離れした美貌をしている、という話だったが、正直なところあまり信じていなかった。どうせ圧倒的な魔力を目の当たりにして過大評価されているのだろうと。

 だが、オリーブの葉をモチーフとした金の縁取りが入った純白のローブに身を包んだ彼女を前にして、なるほどと納得してしまった。


「セレンティナ……」

「あ、セレンでいいよ」

「セレン、貴女が結んだ『天秤の契約』の内容を教えて」


 調律者は不遜な態度を取るという噂だったがどうやら彼女は例外のようだ。アルシェラの問いにセレンティナは待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべた。


「魔塔がグランヴィル王国の国王から依頼されたのは、『王妹の魔力暴走を止め、その力をコントロールできるよう訓練すること』だよ」

「……再度封印するのではなく?」

「うーん、それはね、ここまで高い魔力になるとリスクが大きすぎるんだ。だから最低限の訓練だけは受けさせた方が良いって結論になったの」

「そう……」


 てっきりまた魔封じを施されると思いきや、兄王はアルシェラが魔術の訓練を受けることを容認したらしい。

 その事実をどう受け止めるべきなのだろう。思案に沈みかけた視界に紫がかった銀色に覆われる。


「あ、そうだ。傷の具合を診ないとね」

「傷……って」


 言い終わるより先に左の袖が容赦なく捲り上げられる。二の腕に巻かれた包帯が見えた途端、アルシェラは小さく息を呑んだ。


「痛い?」

「いいえ……」

「じゃあもう包帯は外そっか」


 物心がつく前から肘のすぐ上に魔封じの紋章があった。腕をぐるりと一周する紋章は濃い藍色をしていたはずが、今は薄いピンク色になっている。

 セレンティナいわく、魔力暴走を起こして封印が破れ、紋章が焼き切れたらしい。

 幼い頃からずっとあったものが無くなるのは少し寂しい気がするが、それ以上に安堵が大きかった。


「紋章は火傷みたいになっていたけど、治療したからじきに消えるよ」

「そう。……ありがとう」


 外された包帯がふわりと宙へと舞い上がり、音もなく消える。

 唖然とするアルシェラの耳にくすっと愉しげな笑い声が届けられた。


「それじゃ早速、明日から魔術の訓練をはじめるね」





明日12時にも更新しまーす。

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