98.膨れ上がる疑念
聖王母の桃を奪っても発動しなかった聖呪。
しかし、間違いに思い当たらないインボウズたちはまだそれに固執しています。
悪い奴が追い詰められると、だいたい間違った方向に足掻いて傷口を広げるのが定番ですね。この状況で、インボウズたちが取った策は……。
全てがうまくいく、と思っている時ほど、危ないんですよね。
そして、それに踊らされてしまった一般人たちも……。
新年を迎えるというのに、学園都市リストリアの空気は淀んでいた。
いつもにぎわいを見せる市は、今年は最も聖なる場所を避けるように立ち、しかもあからさまに人通りが少ない。
行きかう人々は、皆言葉少なく足早に通り過ぎていく。
皆、何かに怯えるように緊張していた。
しかし、そんな時に人々が真っ先に駆け込むはずの教会も、人影はまばらだ。それも祝いではなく、明らかに悲痛な顔の者が多い。
「神様……どうか、お父さんを無事にお家に帰してください」
すがるように祈る子供と、疲れ切った顔の母親。
子供は、衛兵として虫けらのダンジョンに行ったきり帰らない父親の無事を祈っていた。
母親はそれもあるが、明日からの暮らしのことを思っていた。
教会にいる神官たちはそれに胸を痛めながらも、積極的に声をかけはしない。街中にこんな家族がたくさんいて、全て救おうとするとお金が大変なことになるからだ。
(どうして、こんな事になってしまったの?
私たちは、一体どうすればいいの?
ああ、神様……!)
神官たちもまた途方に暮れ、何も答えてくれない神に祈る。
自分たちは何も悪い事をしていないのに。日々を真面目に生きているのに。なぜこんなに救われないのだろうか。
人々に救いを与えるべき教会自体に、救いを求める祈りがあふれていた。
その教会のトップであるインボウズも、どうしたらいいのか分からぬ泥沼にはまっていた。
「何、虫けらのダンジョンに向かわせた衛兵が戻らんじゃと!?
ただでさえ大聖堂の浄化で猫の手も借りたいこんな時に……は、家族への説明?慰問金?
そんな場合かああぁ!!」
今、インボウズには難題が雪崩のように襲い掛かって来ていた。
まず、なかなか放たれない聖呪により、大聖堂に邪気が溜まってしまっていること。
インボウズはユリエルから聖王母の桃を奪った時点で放たれると思っていたが、そんな事はなかった。
大聖堂の地下に幽閉されたアノンを依り代に呪いは今もたまり続け、漏れ出した邪気が大聖堂の周囲にまき散らされている。
おかげで、そこで聖神祭の演説をやろうとしたら倒れる者が続出した。
もちろんその時、学園の聖女たちに浄化はさせたのだが……根本的な解決はしていない。
今は毎日浄化を繰り返して何とかしのいでいるが、邪気は後から後から湧き続けてきりがない。
おかげで、新年の祝儀に大聖堂を使えない。
「クッソー!!この大事な時に……。
神様は、一体何考えとんじゃー!!」
インボウズはついに、神に向かって毒を吐いた。
偉大なる神の力で煩わしい小娘を始末できるかと思っていたら、先にこちらがこの有様である。
聖呪を使ったからもう大丈夫、聖王母の桃さえ奪えばと信徒たちを安心させてきたのに、何一つ言った通りにならない。
それがどれだけまずいことか、インボウズにもよく分かっていた。
「オニデス君、各教会の収入は?」
「昨年までと比べ、明らかに寄付が減少しています。
来訪者も数が減り、特に裕福な者が来なくなって、来るのは寄付の期待できない困窮した者ばかりです」
オニデスの報告に、インボウズはさらに青ざめた。
例年、聖神祭から新年を迎えるこの時期は、祝いにかこつけて人々から金を集められるかきいれ時だ。
なのに、今年はその稼ぎが大きく減っている。
その大きな原因は、間違いなく数日前行われた聖神祭だろう。
一番聖なるはずの場所があんな邪気まみれで、おまけに聖呪が発動していないことがバレてしまった。
人々は、そんな教会に金を渡す気が失せてしまったのだ。
「くぅ~、やはりそうなったか!
これはいかん……いかんぞ!
このままでは僕の懐に入る金も減るし、僕の業績がひどい事になるじゃないか。ぐぬぬ、まさかここまで……」
非情な現実に、インボウズは歯噛みした。
やってしまったとは思ったが、教会の信用へのダメージは思った以上に大きい。
死肉祭の惨劇は敵と政敵のせいにしたものの、この件はどこにも押し付けられない。確実に、インボウズの評価に直撃してくる。
もしこれが一時的で済まなかったら、インボウズは教会を傷つけたと断罪されることになる。
(それだけはならん……そんな事になれば、これまでの悪事まで引っ張り出されてしまう!
この僕がそんな目に遭うなど、あってはならん!)
簡単に生徒を陥れるくせに、自分の保身にはこの執着である。
そして、まず最初にやることは責任の押し付け先探しだ。
「オニデス君、この件は元々君の発案だったはずだ。
言い出しっぺとして、どう責任取るつもりかね?」
インボウズは発案者のオニデスに矛先を向けたが、軽く言い返されてしまった。
「確かに私の案ですが、承認し実行したのは理事長です。聖女の破門は、私めにはできませんからね。
それに、理事長にはユリエルを迅速に討ち取る他の案があったので?」
ここでも、枢機卿にしかできない聖女の破門がインボウズの首を絞めた。
インボウズにしかできないから、インボウズが責任を取らない限り過ちを認める訳には行かない……ユリエルの時と同じだ。
アノンを破門し聖呪に使った責任は、インボウズ以外の誰にも負えない。
だが、弱い立場の聖女を弄ぶことが当たり前のインボウズには、それが大問題の元凶だと実感できないのだ。
インボウズはなぜか突破できない責任問題を一旦おいて、善後策を考え始めた。
「むうう、確かに聖呪が最も戦の犠牲を抑えられるからのう。
しかし、教会の信用についた傷はどうする?」
インボウズの問いに、オニデスは眉間に山脈を作りながらも、冷静に答えた。
「聖呪が発射されユリエルが倒れれば、そのために必要な痛みだったとして、全てユリエルのせいになさればよろしいかと。
たとえ少し被害が出ても、元凶を倒せれば恰好はつきます。
それにユリエルが倒れれば、もう血をばらまかれることはなくなり、他の枢機卿に払わされる賠償も目処がつくかと」
そこで、オニデスは逆にインボウズに問うた。
「それとも理事長は、聖呪が失敗するとでもお思いで?」
「いや、そんな事はあり得ん!!」
インボウズは即答した。
ただし、何の根拠もない希望でしかないが。
聖呪は、偉大なる主神の力を借りた絶対の神罰だ。これが、神の敵になった小娘を打たぬはずがない。
きちんと神の力を受けた生贄を用意し、手順も間違っていない。失敗する要素など、どこにもないはずだ。
前は魃姫のテコ入れで防がれたが、魔王軍四天王ごときに何度もそんなことができてたまるか。
聖呪は、どうあっても発動せねばならないのだ。
「そうですか、安心しました。
ならば大聖堂の邪気は、あと二日ほどの辛抱です。
ただし、一つ残る懸念は……聖呪で本当にユリエルにとどめを刺せるか、ですな。その結果がなくては、信徒は納得しますまい」
「それは確かにある。
やはり、アノンでは不足だったということかのう」
「当時は、ユリエルにここまで魔の支援が入ると思いませんでしたので。
それに、もっと強い聖女を破門して使うとなると、それはそれで厄介な事になりますし」
聖呪が必ず発動するという前提で、二人が最も懸念するのは、最大まで溜め撃ちしたところでユリエルを殺せるかどうかだ。
正直、魔の多大な支援を受けたユリエルがどれくらい強くなっているか、二人には想像もつかない。
二人の中では、破門されて泣いた弱い少女の姿と、得体のしれない化け物の気配がダブッて見える。
果たしてアノンを生贄として引き出せる力で、ユリエルを討つに足りるのか。
足りなければ、信徒たちから話が違うと突き上げられることになる。
「これも、理事長の判断になりますが……」
予防線を張ったうえで、オニデスは一つ提案した。
「逆にまだ聖呪が発射されていないのであれば、さらに強化することはできます。
学園の聖女や神官だけでなく、街の住民からも魔力を集め、聖呪の威力をできるだけ高めて放つのです。
そうすれば、討ち漏らしの確率を下げることはできるかと」
「なるほど、それなら皆協力せん訳にはいかんな。
それに、そこまでやればさすがにユリエルも耐えられんじゃろ。
たとえ他の神の力を使って防いでいても、それを打ち破れるくらい聖呪の威力を上げればいいしな」
インボウズは、飛びついてうなずいた。
この方法なら、人々に教会との連帯感を持たせつつ、教会への来場者数などの業績も上げられる。
インボウズにとっては、願ったり叶ったりだ。
「よしやれ!すぐに各教会に通達して始めさせよ!
ついでに信徒の不安を煽って、免罪符を売りさばくんじゃ!!」
こうして、住民を巻き込んだ無駄な足掻きが始まった。
新年を迎える日には、さすがに教会に少し顔を出さねばと思う者も多かった。去年がさんざんだったから、今年こそは良くなりますようにと祈りを捧げにやって来た。
すると、教会には「魔女打倒のため、力を束ねよ」の横断幕がかかっており、魔力を集める魔道具が置かれていた。
「皆さま、今こそ信仰の力を示す時です!
明日放たれる聖呪に皆さまの力も束ね、確実に魔女を撃ち抜きましょう!
虐げられた人の思いの強さを、魔女に思い知らせてやりましょう!」
神官たちの説明を聞いて、人々は納得した。
ユリエルが魔の支援によって強大化し、アノンから引き出せる力のみで足りなくなったから、仕方ない。
なかなか発射されず大聖堂に邪気が溜まっていたのも、そこまでしないと足りないからだ。
そして限界まで溜めてもまだ足りない可能性があるならば、人の力を足して少しでも威力を上げればいい。
「アノン様は最期に改心し、自分を惑わした魔女を倒すと身を捧げられました。
しかし、力が足りなくてはそれも無駄になってしまいます。
どうかあの方の、最期に取り戻した良き心にお力添えを!」
神官たちが、情に訴えて呼びかける。
オニデスが考えた、無理矢理堕とされて生贄にされたアノンを利用するプロパガンダを、ラジオのように垂れ流して。
それを聞くと、少し疑念を持っていた人々もその気になってしまう。
「なるほど、そうだったのか。
確かに元はと言えば、クソ魔女が反逆したのが悪いんだもんな」
「あのアマがさらに悪いことしてるせいで、聖呪を撃つ方も困ってんのか。
ごめんよ、そんな事情なのに教会を疑うなんてどうかしてたぜ!お詫びに、俺の力もしっかり束ねさせてもらおう!」
人々は、自分たちも正義に力を貸すんだと意気込んで魔力を捧げた。
人々が並ぶ列の両側には、魔力が底をつくまで捧げた女子供が倒れている。ユリエル討伐に行って戻らなかった、冒険者や兵士の家族だ。
その光景に、人々はさらに魔女討伐の決意を固める。
何も悪い事をしていない女子供をこんなに苦しめて、魔女はなんて悪い奴だ。決して生かしておいてはならない。
大聖堂で多くの人が倒れたのも、元を辿れば魔女のせいだ。
こんなことを許しておけるか。絶対に、この聖呪強化で終わらせてやる。
そうして魔力を捧げた人々の帰り道で、神官たちがこれ見よがしに免罪符を並べて呼びかけている。
「神様に皆さまの思いが届くように、罪を雪ぎましょう!
皆さまは、神様を疑ったりしていませんか?必死に街を守ろうとする教会を、心の中で罵ったことは?
それらの罪を洗い流してこそ、救いは訪れます!」
人々は、内心ギクリとした。
最近教会の言う通りにいかないことが多くて内心不満を抱いていたが、神様が見ていると言われると怖くなる。
むしろうまくいかないのは自分のせいじゃないかと、罪悪感を感じてしまう。
そして、これでこのおかしな状況が終わるならと、つい苦しい生活でやせ細った財布をさらにはたいてしまう。
教会の収入は、元旦一日で例年の新年の七割ほどに達した。
インボウズの財布も、これで一安心である。
後は聖呪が発動しさえすれば、全てがうまくいくはずだった。
「……で、本当にこんなのうまくいくの?」
交代で大聖堂の浄化に当たる中、ミザトリアがカリヨンにこそっと話しかけた。
「あたしが巡業でいない間に、とんでもないことになってるじゃない。
ユリエルもアノンも、破門されるような子じゃないのに。しかも魔族の反攻の話、これ絶対こっちがアレなヤツよね。
なのに……大丈夫なの?」
ミザトリアはしばらく学園を留守にしていたが、むしろ外にいたからこそ、状況を客観的に見ておかしさに気づいていた。
カリヨンは直接的に答えず、しかしミザトリアの頭なら分かるよう話を振る。
「これまでユリエルは、破門の理由が冤罪であると主張し続けてきました。それを受け入れず討伐に来た者は、容赦なく屠っています。
これは、己の主張を通すまで絶対に死ねないという意思表示でしょう。
しかし今、ユリエルは特にこちらを攻撃してきません。こちらが聖呪を仕掛けたのは分かっているし、強い味方もいるのに……どうしてでしょうね?」
「あー、なるほど、あっちは、大丈夫なのね」
ミザトリアは、半目になってぼやいた。
「じゃあ、明日は?」
「ええ、寝られると思わないでくださいね。
わたくしも数日前から、休養を重視して体調を整えております」
現状に疑問を持ったうえでユリエルの動きを分析し、分かる者には分かっている。
こんな事をしていくら力を集めても、ユリエルに阻止しようとする動きはない。つまり、ユリエルはこれを命の危機と捉えていない。
となると、早くも討伐セレモニーの準備をしているこの大聖堂で明日起こることは……。
ごく一部の心配をよそに、翌日、街は聖神祭に引けを取らないほど浮かれていた。
今夜ついに、忌まわしき魔女を討つ聖呪が放たれる。そのために少しでも魔力を集めて、皆で正義を執行しよう。
大結界で邪気漏れを防いだ大聖堂と学園の周りには、たくさんの露店が並び、お祭り騒ぎだ。
教会が商業ギルドに声をかけ、無理矢理盛り上げているのだ。
こうしてとにかく人を集めて、できる限り魔力を吸い上げる。
「フヒヒッこれだけ威力を上げれば、あの小娘は敵うまい。
人類の敵め、人々の怒りと恨みを思い知れぇ~!」
インボウズは自分が元凶であることなど知らぬふりで、それはもうウッキウキでその瞬間を待ち望む。
夏から、この瞬間をどれだけ待ち望んだか。
ようやく、煩わしい小娘を排除して、元の生活に戻れる。
人々は何の疑いもなく自分に従って金を貢ぎ、自分のやる事はすべて正当化される。枢機卿として、あるべき日々。
ついに、全てがふさわしい姿に戻る。
「二月ちょうどまで、あと一分です」
「よーし、カウントダウンじゃ!
僕自ら、音頭をとってやるぞ!」
インボウズは自ら人々の前に出て、拡声器を手に人々を煽る。普段なら聞くに堪えない言葉でユリエルを罵り、自分がやるからには何の心配もないと、万能の正義の使者気取り。
そして、ついに運命の瞬間が訪れた。
「ゼーロー!!はい、ユリエル、終~了~!!」
インボウズが天に拳を突き上げると同時に、盛大に花火と魔法が打ち上げられ、色とりどりの光が空を焦がした。
……が、大聖堂の嫌な感じは消えない。
「ん……な、何じゃ?時間を間違えたか?
いや、それよりも……」
インボウズはある可能性に気づき、オニデスに声をかけた。
「何をやっとる、早く大結界を解除せんか!多分あれがあるせいで、聖呪が飛べんのじゃろう」
「いえ、大結界にそんな効果は……」
「うるさい!現に聖呪が飛んでいかんのじゃ!
あれが原因でなかったら、何なんだ!!」
インボウズは晴れ舞台を台無しにされた怒りで我を忘れ、公衆の面前でオニデスを殴って大結界を解除させた。
次の瞬間……大聖堂から、これまでとは比べ物にならない強さの邪気が噴出した。
「ぎゃあああ!!どうなってるんだ!?」
「か、神様!お助けぇ~!!」
あっという間に、恐慌を起こして逃げ惑う人々。
強大な邪気が人々に襲い掛かり、偽りの希望も正義も全て打ち砕いていく。人々は恐怖と苦痛にのたうち回った。
「ひいいっ!ど、どうなっとる!?
なぜ、こうなるんじゃ~!!」
何もできず目を白黒させるインボウズに、カリヨンが詰め寄った。
「まだお分かりにならないのですか!?
聖呪は、失敗です!放たれないのです!
しかもこの邪気は、聖呪の威力に比例するもの。あんなに強化して、しかも封じ込めていた大結界を解いてしまうから……!」
そう、この邪気は、人々がユリエルを倒そうと注いだ魔力が生み出したもの。
元々溜め撃ちのためにその場で膨れ続ける呪いが邪気漏れの原因だったのに、それを街中の魔力で強化したものだから……当然の結果だ。
無実のユリエルを討とうという不当な正義の報いが、魔力を捧げた人々とそれをさせた教会に跳ね返った。
「そ、そんな……聖呪は……神の裁きは、絶対……。
一体、何を、間違えたというのだ!!」
あまりな結果に呆然としているインボウズを、またカリヨンが叱りつけた。
「原因より、今はこれを何とかする方が先でしょう!
さあ皆さん、大結界を張り直しますよ!」
幸い、集まっていた聖女と聖騎士総出で、大結界は時間がかかったが張り直された。しかし、人々の心には今度こそ消えぬ疑念が植え付けられた。
「おい、何で……神様が、魔女を討たないんだよぉ!」
「俺たちは、何のために魔力を捧げたんだ!話が違う!」
「枢機卿と教会の言うこと、本当に信じていいのか?
何回もこれで終わりだって、嘘ばっかりだ!!」
切なる正義のはずの献身を裏切られ、人々はさすがに教会を信じていられない。身から出た天罰は、漂白されたような信仰心に呪いのような黒いシミを作った。
インボウズは、悪徳商法で金をまき上げる犯罪組織並に汚い考えが得意です。
人々が苦しむのも内心疑念を持っていたことさえも、金儲けの道具にしようとします。うまくいけば、本当にヒーローとして返り咲いていたことでしょう。
人心を掌握する悪どい手は、お手の物です。
しかし、アノンが最期に守り抜いた真実には勝てなかったよ。
度重なる失敗で評判が急降下し、カリヨンの株が上がっていきます。
このまま押し切れるか、あるいは……。