81.口先の男、やり直しの末路
囚われたカッツ先生、ついに陥れたミエハリスとご対面です。
鳥インフルの防除作業が忙しくて、こんな時間になってしまった!
カッツ先生は、何を思ってミエハリスに貢がせたのか。
そしてミエハリスは、なぜそれを悪と断罪するのか。
ミエハリスちゃんは、金にルーズなお嬢様じゃないんだ。これはユリエルの偏見でしかなかった。
そして、暴かれたカッツ先生の過去とは……。
7階層のメチャクチャな戦いを、捕虜たちは唖然として見ていた。
「ひどいな……いくら何でも、これはないぞ!」
魔物学の教師が、白目になって呟く。
「私も視野が狭かったのは認めるが、これはもうそんな問題じゃない。あいつは、兵法の例を自分に都合よく振りかざしているだけじゃないか。
だいたい、兵法が誰を守るためのものか分かってるのか!?
……あんな奴が国の重要な地位に就かなくて、本当に良かった」
最後の一言は、ここにいる皆が同じ気持ちだった。
ダンジョンに入ってからのカッツ先生の言動は、正気で見ると目と耳を疑うほどにひどい。全員がそれに打ちのめされ、討伐隊の面々を心から気の毒に思った。
正直、来てくれた当初は助けてくれるんじゃないかと期待していた。
兵法の天才だという触れ込みで、しかも論戦ではこれまで負けなし。神の加護を授かった異世界からの転移者とあらば。
しかし、これはもう期待外れとかいうレベルではない。
しまいには、皆がこいつを止めてくれたユリエルに感謝する始末だ。
その落差に最もぶっ飛んだのは、他でもないミエハリスだ。
「う、嘘よ……こいつは、こんな力でわたくしを操っていたんですの!?」
ミエハリス自身、ユリエルたちに指摘されて不自然に気づいても、心のどこかで神が遣わしたのだから悪いことなどないはずと思っていたのだ。
しかし現実は、カッツ先生は人を人と思わぬ鬼畜だった。
学園の教え子たちはおろか、初対面のセッセイン家の者たちですら、意のままに動かす自分の駒としか思っていない。
それでプライドンが操られ、あんなに信じ合っていた騎士を頭ごなしに叱りつけるのを見ると、悲しみに胸が張り裂けそうだった。
自分もああなっていたと思うと、恐ろしくて恥ずかしくてたまらなかった。
思い知らされた……神に仕える者の中にも、悪い奴はいると。
「何てこと……わたくしが見ていたカッツ先生は、あれでもまだ猫を被っていたのね。人目がなければ、あそこまで……!
もし結婚していたら、わたくしもその手先に……!」
こうなってはミエハリスも、認めざるを得ない。
ユリエルは間違いなく、カッツ先生が起こす破滅から自分も家も国も救ってくれたのだと。
その洗脳詐欺男が、10階層の神殿に運び込まれてきた。
「みんな、お待たせ~!」
麻痺させられてオリヒメの糸で縛られたカッツ先生、プライドン、騎士と兵士数名が、岩ムカデに載せられて連行されてきた。
抵抗を封じるため、カッツ先生には魔封じの枷がはめられている。
10階層にわざわざ連れて来たのも、神の力に対する防御なしで話をする訳にいかないからだ。
もうここでは、カッツ先生は何の力もないただの人だ。
プライドンとセッセイン家の生き残りも、命の危機によるショックですっかり洗脳が解けており、カッツ先生を噛みつかんばかりににらんでいる。
ユリエルは、カッツ先生だけを皆に中心に転がし、口に噛ませていた糸束を外した。
口が自由になると、カッツ先生はさっそく口から泡を飛ばして喚いた。
「ほどけ!!この僕を誰だと思っている!?
神に選ばれた天才兵法家……へぶっ!?」
ミツメルが、問答無用で顔面を蹴飛ばして黙らせた。
ユリエルは、祭壇で聖なる桃を撫でながら告げる。
「残念、それっぽっちの神の力、この桃があれば効かないわ。聖呪も効かないのに、そんなチンケな小言ごとき!」
その言葉に、カッツ先生はサーッと青くなった。
自分でも、能力頼みの自覚はあるようだ。
カッツ先生は、慌てたように周りを見回した。誰か、自分に味方してくれそうな人を探しているのか。
そして、カッツ先生は見つけた。
自分が結婚を画策し、さんざん言いくるめて貢がせてきた聖女を。
カッツ先生はにわかに顔を引き締め、ミエハリスの足下に這い寄った。
「おお~愛しのミエハリスちゃん!
君を助けられなかったこと、本当に残念だ。でもこんな場所でも君は助かっている、君にこそ神はついているんだ!
さあ、今度は君が僕を助ける番だ!
君が僕を助けてくれたら、必ず君を幸せにすると約束するよ!!」
自分もミエハリスも生殺与奪を握られているのに、現実がまるで分かっていない。……いや、現実的に頼れそうなのがそこしかないからか。
ミエハリスは、冷めきった目でカッツ先生を見下ろし、言い放った。
「お断りしますわ。
あなたがわたくしの家に、国に、どれほど有害かはよく分かりましたの。たとえ本物の恋でも、あれは一発で冷めましてよ!」
「何だと、この僕との未来が惜しくないのか!?」
とんちんかんな事を言うカッツ先生に、ユリエルが呆れて突っ込んだ。
「いや……さんざんお金を奪っておいて、何言ってんの?
ミエハリスは、あんたなんかに貢ぎたくなかったのよ。なのに使いたくもないお金を使わされて、好きになる訳ないでしょう!」
すると、カッツ先生は化け物を見るような目でユリエルを見て呟いた。
「は?これは兵法に則ったやり方なんだぞ。
人というものは、自分が投資した対象に執着し失うことを恐れるようになる。その状況に持ち込めば、相手の心など思いのままだ。
水商売なんかがよくやってるじゃないか。
こんな簡単な兵法も分からないとか、おまえ本当に人間か?」
この言葉に、聞いている者たちは皆、顎が外れそうになった。
カッツ先生は、ミエハリスにお金を使わせたからミエハリスが自分を好きになったと思っている。
ミエハリスのことを、兵法で攻略する対象としか思っていない。ミエハリスが一人の人間であり、感情があることを全く考えていない。
「いや……おまえこそ、人を何だと思ってるんだ!
おまえの言うことが全て間違っているとは言わん。だが、相手に金を使うのを投資と思うには、前提として本人に好意か得がないとダメだろ。
兵法家を自称する癖に、そんなことも分からんのか!?」
たまりかねて、魔物学の教師が言い返した。
だがカッツ先生は、それすら見下げ果てたように独自論で一蹴した。
「フン、好意と得?あるに決まってるさ!
何たって僕は天才で、神に選ばれた転移者だからね。僕と結ばれることには、僕のためにお金を使うことには、それだけの価値があるんだ。
僕はミエハリスちゃんに、それを与えてあげたのさ!
分かってるよ、ミエハリスちゃん。君、お金を使って見栄を張るのが好きだろ?だったら、僕みたいな価値のある男に使うのが一番だよね~」
この発言には、全員がドン引きした。
カッツ先生は、ミエハリスに貢がせたことを、本気でいいことをしたと思っている。ミエハリスが自分にそうして幸せで得だと、信じ込んでいる。
一体どうしたら、ここまで自分の価値を過信できるのか。
「ね、ねえミエハリス……ちょっとでも、そう感じたことある?」
「実際に買った時は、なぜかそれが当然のように思えましたわ。
でも後で考えると、買った物にカッツ先生の自己満足以外の価値がないって気づいて、いつも後悔するのよ。
なぜあんな価値のないものを、これじゃただの浪費じゃないって、二度としないって何度も誓ってお祈りも懺悔までしたのに……!
その決意も、全部能力で弄ばれて……!!」
ミエハリスの声は、怒りに震えていた。
泣き出しそうなみじめな目と鬼のように歯をむいた口を見れば、ミエハリスが好意と真逆の感情しか抱いていないのは明らかだ。
「……最初は確かに、こんなに評判の方とって思いましたわ。
でもあなたがわたくしにさせることを考えると、どんどんそうではないと思えてきましたの。
でも、何度離れようと思ってもうまくいかなくて……親にお金の報告をするのが辛くて、いくら叱ってもだめな自分が嫌になって……!
少しでも他のことで挽回しなきゃって、実戦に出て囚われの身に……!」
ミエハリスは、自分の意に反する無駄遣いを何度もさせられたことで、自分が弱いと思い込み焦っていた。
それで、家に与えた損害の挽回とカッツ先生から物理的に距離をとろうとして、実戦に出るようになっていたのだ。
その方面ではユノに及ばないと頭では分かっていながら、必死に見栄を張って。
その心中を思うと、聞いているユリエルや神官たちの目から涙がこぼれた。
ミエハリスが身の丈に合わない実戦に出て引っ掻き回しているのに、こんな事情があったとは。
傍から見たら迷惑でも、本人は見えない力から脱しようと必死で足掻いていたのだ。
「そっか……あなたばっかり悪いって思って本当にごめん。
他の人には分からない事情があるものだって、私、自分がこんな立場になったことでよく分かったはずなのに。
私も、冤罪を分かってくれない人たちと、まだ同じことしてたね」
「……あなたの罪は、この際置いておきますわ。
今は、こいつの罪と力を暴いてくれたことに何より感謝いたします」
この勘違い搾取野郎から解放されることは、ミエハリスがこれまで一番願っていたことだ。それを叶えてくれたユリエルに、ミエハリスは謝意を示した。
ユリエルも、女を食い物にする性悪男から学友を救えて嬉しかった。
だから、良心からもう一つ忠告することにした。
「でもさ、あんたの言動のせいでこんなのが寄ってきた面はあると思うわよ。
高価なものを身につけていたら金持ちだって分かるし、たくさんの男に声をかけていたら家も含めてそういうの緩いんだって思われちゃう。
だから、これからは反省して質素で清純な生き方を……」
だが、そう言ったユリエルを、ミエハリスは突き放した。
「しませんわ!!貴族の責務も知らないくせに、勝手を言わないで!」
ミエハリスはカッツ先生を見下ろし、胸を張ってとうとうと語り始めた。
「わたくしが交際にお金を使い、高価で上質なものを身に着けるのは、領土と民のために人脈を広げ支援を引き出すためです。
わたくしは領主の娘として、支援や融資をしてくれる方々を安心させねばなりません。危機や有事に備え、情報網を築かねばなりません。
そのために金とこの身を捧げるのが、貴族の使命でございます!!」
ミエハリスの弁舌には、迷いも淀みもない。
ミエハリスが自身の生き方に懸ける、確かな理論と誇りを感じさせた。
「しかるに、わたくしがあなたに失望したのは、そのためのお金と時間をあなたのためにしかならないことに浪費させたからですわ。
わたくしの愛想とお金は、そんなことのためのものではありません!
そして、そんなことも分からないあなたに、人の上に立つ資格はありません。
民のための金を使い込んだ罪で、さっさと地獄に落ちなさい!!」
ミエハリスは、あくまで貴族の使命に従ってカッツ先生を断罪した。
この弁論は、ユリエルと貧しい神官の胸にも刺さった。
「そっか……ミエハリスの見栄と媚びは、全部自分の家の民を守るために……!」
ミエハリスの語った世の中の仕組みは、ユリエルや孤児院出の神官には想像もつかないものだった。
しかし言われてみれば、筋が通っている。
貴族は多くの民のために、商人や富豪から金を集めねばならない。その時に、あまり質素な装いでは、財政状況を疑われて支援を受けられないかもしれない。
それを防ぐために、より多くを救うために格式が必要と言われたら、そうかもしれない。
ユリエルはそこまで考えが及ばなかった己の視野の狭さを恥じ、これも冤罪の一種かと思い直した。
ミエハリスは、決して金遣いの荒い軽薄な輩ではなかった。
むしろ民のために貴族がするべきことを深く胆に銘じ、己の全てを投げうたんばかりに捧げる、善良な貴族の鑑だった。
……ただし、ユリエルと逆方向の視野の狭さはある。
ミエハリスもまた、その日を石にかじりつくように生きる貧しい者の切実さを知らないのだ。
ならば、ダンジョンにいる間にそこは教えてやるべきだ。そうしたらミエハリスはきっと素晴らしい為政者になると、ユリエルは確信した。
一方、ミエハリスに切り捨てられた(というか最初から慕われてすらいなかった)カッツ先生は、目を白黒させて焦っていた。
何が起こったか分からぬように目をぱちくりし、はっと周りを見回す。
もう周りに味方がいない。ミエハリスとセッセイン家の者たちは、自分に従わない。隠そうともしない殺意を向けてくる。
もっとも、そこに頼ったとて最初から助かる目はなかったのだが。
ここでようやく顔面蒼白になったカッツ先生は、あろうことかユリエルに自分を売り込み始めた。
「ユ、ユリエル君、僕を殺したら惜しいぞ!
僕を取り立ててくれたら、この能力で君を勝利に導いてあげよう」
カッツ先生の能力は、確かに使いどころを間違えなければ強力だ。
これから虫けらのダンジョンが戦うのがほとんど人間だと考えると、得ることで損はない能力といえる。
……が、ユリエルが受け入れるかは別の話だ。
「要らないわよ、そんな汚いうえに弱点分かりきってるもの。
それに、使い手が先生じゃね……ろくな事にならないわ」
「な、何だとお!?
ならば兵法はどうだ?人間相手なら、僕は負けな……」
「出席をとろうともしなかった私に負けて、どの口が言うのかしら?」
ユリエルがそう言ってやると、カッツ先生は自分がした仕打ちを思い出したのか、だらだらと汗を流し始めた。
そして、お得意の責任転嫁を始めた。
「あ、あれは……その……仕方なかったんだ!
君の成績を下げるように理事長から言われてね、逆らえなかっただけだ!」
その発言に、ユリエルの眉がぴくりと動いた。
ついに、インボウズの関与を当事者が吐いた。これなら、ユリエルがインボウズに不当に陥れられた証拠になるはずだ。
ユリエルは、煽るようにかまをかけた。
「本当に~?先生が勝手にいじめて楽しんでたんじゃないの?
学校は公平でないと、信用なくすわよ。理事長がそんなバカなことするかしら。
形に残る証拠がないと、信じられないわね!」
「そそそんな事ないぞ!証拠ならある!
僕はできる男だからね、実績を上げると約束する代わりに、報酬の念書をもらっておいたんだ。
僕の研究室の、机の一番上の鍵のかかる引き出しに……!」
カッツ先生は個人を責められるや否や、あっさり証拠の隠し場所を吐いた。
「よっしゃ!ミツメルさん、それ、取ってこられませんか!?」
「……残念ながら、僕は盗み見て映像をとることはできても、実物を持ち出すことはできない。
机の上に置いてあるならともかく、鍵のかかる所では開けて見ることもできん」
ユリエルの喜びもつかの間、持ち出せなければ意味がない。
ユリエルの表情が再び険しくなるのを見て、カッツ先生はさらに慌てた。何とか突破口を開こうと、魔物学の教師に声をかける。
「そうだ、あの件は教師全員……いや、バカ正直な一部を除いて大多数に通達されたはず!
おまえも、聞いているだろう!何か、報酬の取引とかしてないのか!?」
だが、魔物学の教師は冷たく首を横に振った。
「知らないね、何のことだか分からんな。
ユリエルちゃんの言う通り、学校は事実に基づいた公平な評価が信用の要。私は教師であり学者として、そんなことはできない。
増して形に残しておくなど、あってはならんことだ!
君は教師としても、学者としても失格だよ」
魔物学の教師は、自分を守るためにすっとぼけたのだ。そして暗に、そんなものを形に残すのは悪手だと言った。
この戦いにユリエルが勝てば、証拠が残っていたら晒されて人生終了。インボウズが勝っても、証拠隠滅もしくは証拠をバラされた腹いせに処刑。
こういう自由参加のきな臭いことに、証拠など残してはならない。
それに、魔物学の教師は学者の精神に忠実でユリエルに不当なことをしなかったため、どちらが勝つにしても生き残る目がある。
ならばインボウズからもユリエルからも身を守るために、目に見える証拠がないうちは白を切るのみ。
その立ち回りは、自称天才のカッツ先生よりずっと賢かった。
そのうえミエハリスも、ユリエルの潔白を認めないなりに、自分の中で何らかの誤解答を出してカッツ先生を叩き始めた。
「そうよ、あなたがそうやって虐めるから、ユリエルが学園と教会を信じられなくなったんじゃなくて?
それでユリエルが堕ちたとしたら、あなたのせいよ!!」
「い、いや……これは本当に理事長の指示で……!」
「お黙り!!理事長がそんな事する訳ないでしょう!
その点、あなたの性根はよく分かりましたもの」
カッツ先生がいくら釈明しようとしても、ミエハリスは聞く耳持たない。
とにかく自分のしたことをひけらかしたいカッツ先生は、自分だけボロを出したらどうなるか考えていなかったのだ。
兵法以前に、公人としてお粗末の極みである。
ユリエルは自分の潔白を証明できなくてモヤモヤしたが、ミエハリスが学園の落ち度を少しでも認めてくれたのはよしとした。
「じゃあ、もうこれ以上こいつから引き出せることはないわね。
さっさと処分しちゃおっか」
ユリエルが、見切りをつけて処分しようとした時……。
「いや、あるぞ」
ミツメルが、三日月のような笑みを浮かべて告げた。
「これ程ひどい奴を抱えて好き勝手やらせて、国が脅かされるところだった。これは民の心を教会から引き離すいい材料になる。
ついでに……この男の前世の記憶ものぞいて、使えそうなら晒してやる。
神も教会も、こんなに見る目のない愚か者だぞ……とな」
それを聞いて、全員の目の色が変わった。
「えっ!?ミツメルさん、そこまでやれるんですか!
見たい!!こいつが何してたのか、どうしてこんなに自信があるのか、知りたいです!!」
ユリエルたちが見る限り、カッツ先生にそこまで兵法の才能があるようには思えない。なのになぜ、兵法にこだわるのか。
そして、なぜこんなに自分を天才と信じているのか。
現状からかけ離れた、分からない事だらけだ。
ミツメルはうなずき、顔の上半分を覆っていた目隠しを外した。その下には、たった一つの握りこぶし大の目があった。
その白目には血管で不気味な模様が描かれており、虹彩は様々な暗い色がマーブルになって蠢いている。
ミツメルのその眼球の脇から、血管のような触手が伸びた。ミツメルはカッツ先生の顔をがっきと掴み、その触手をカッツ先生の目に挿しこんだ。
「うごああぁ!!?」
「さあ、見せるがいい……貴様の脳に映る記憶を!」
ミツメルの宙を舞う目玉が、暴かれた記憶を映し出した。
カッツの周りの世界は、砂漠の東の大帝国と似たような文化だが、かなり古い時代のようだった。
恵まれた生まれ、何不自由ない生活環境、持ち上げてくれる周りの人たち。
特にカッツがもてはやされたのは、一つには国の有能な将軍の息子だから。もう一つは、カッツが幼少のころから物覚えが良かったから。
カッツは父の後継ぎとして教えられた兵法を、真綿が水を吸い込むように覚えた。あっという間に、何冊もの兵法書を丸暗記してしまった。
ゆえに、カッツは神童ともてはやされた。
だが、それでどんどん天狗になっていくカッツに、両親は危惧を覚えた。
調子に乗っているのをたしなめられると、カッツは親すら分からせてやると兵法論を戦わせ、父を舌戦で打ち負かした。
これでもう怖い者なしだと思ったが、国の老いた重鎮の中にはカッツを不安視するものがいた。
こいつは口先だけで、中身がないと。
やがて、カッツが憎き老害共を見返す機会がやって来た。
父亡き後、国が攻められて危機に瀕した時、カッツが総大将に任じられたのだ。攻めて来た敵がカッツの才能を恐れていると、噂を受けてのことだった。
固く守っていた前任の老将軍は、難色を示した。病に倒れていた重鎮が、それを押してまで出仕してきて反対した。
母までも、カッツが失敗しても一族に罪が及ばぬよう王に掛け合った。
それでもカッツは、それが何だと思った。
自分はこんなに人から天才と言われているのに、何を疑うのか。しかも40万の兵を率いて自国の防衛なのに、何を恐れるのか。
カッツは意気揚々と出陣し、兵法書通りの作戦で敵を迎え撃たんとした。
それで逃げる敵を見た時は、人生最高の気分だった。
……が、そこから急転直下。
敵が逃げたのは作戦で、カッツ率いる40万の兵は糧道を断たれて包囲されてしまった。自国の領土内で、だ。
40万の大所帯ゆえ、カッツの軍はあっという間に飢えた。
肝心のカッツは、兵法書にこんなのないとうろたえるばかり。
カッツがようやく全軍で決死の脱出を決意した時には、兵は皆衰弱していて使い物にならなかった。
そんな兵をメチャクチャに怒鳴りながら元気な自分が突出したところで、全身に矢が刺さり……カッツの元の世界での人生は終了した。
「あああアァッ!!なぜ、天才のこの僕が!?
僕のせいじゃない!!兵法書通りにしただけなのに!!
あいつらのせいだ……老害共が、快く力を貸してくれたら!100万の兵があれば!僕をほめてくれた奴らが、助けに来てくれたら!
痛いよおおぉ母上ええぇ!!」
カッツ先生は、破壊された目ではない場所を押さえてのたうち回っていた。
ミツメルに強引に記憶を暴かれたことで、その時の心身の痛みが再生されているのだ。
ミツメルは、触手を抜いて冷たく呟いた。
「なるほど、幼い頃に記憶力が良かったのを過大評価され、思い上がって心ある人の言葉を聞かなくなった結果がこれか。
しかし、前の世界で唯一の実績がこれでは……自分の勝ちにこだわる訳だ。
安心しろ、おまえのことは神と教会の過ちとして永遠に歴史に刻んでやる。
良かったな、名を残せるぞ、カッツ……いや、趙括よ」
ミツメルが真名を呼んでやると、趙括はびくりと震えた。
趙括自身、あんな惨禍を残した自分が後世にどう評価されるかは想像がついた。だから同郷の者がいてもバレないよう、神に頼んで鑑定された時の名を偽装していたのだ。
名を変えて0から始めれば、今度は負けないと信じて。
……いくらやり直しても舞台を変えても、中身が変わらなければ行く末は変わらないというのに。
撮れた映像に夢中になっているミツメルを横目に、ユリエルとミエハリスは趙括を引きずっていく。
「あ、あばっ神様……許じで!助げでえ!!
も、破らない……実戦なんか、しないがらぁっ!」
泣いて助けを求める趙括に、ユリエルは冷たく一言。
「無理よ、助けてなんかくれない。無実の聖女が虐められても破門されて殺されそうになっても、何もしてくれないのよ?」
ユリエルの今の惨状を思い出し、趙括は叫ぶ力すら失った。
ユリエルはミエハリスの魔封じの枷を外し、二人で趙括を片目ずつ癒して何とか見えるようにしてやった。
趙括の眼前には、白い蓮の咲く美しい池があった。
「ちょっとここで、頭を冷やそっか」
思ったよりぬるい罰だと、趙括は思わず希望に目を輝かせた。
しかしその希望はすぐに裏切られることになる。
「地獄に、落ちろ!!」
「ぎょええええ!!!」
身体強化をかけたユリエルとミエハリスが、趙括を池に投げ込む。その体を迎え覆ったのは、水ではなく炎だった。
分荼離迦、それは偽りの教えで他者を苦しめた者が落ちる地獄に咲く花。
「これで少しは、騙されて死んだ人の気持ちが分かったかしら」
「こいつさえいなければ、あなたも信仰を失わずに済んだのに」
ミエハリスは相変わらずインボウズの罪を認めないが、ユリエルは今は置いておくことにした。
どうせこいつも、あと少しで分からされるのだ。可愛い弟を使われて、インボウズもこのクソと大差ない存在なのだと。
カッツ先生の正体は、中国、春秋戦国時代の人物です。
趙括 ?~紀元前260年
名将の息子で幼いころから優秀と評判だったが、兵法書を丸暗記するだけで融通が利かず、おまけに傲慢で強欲で部下のことを考えない。趙が攻められた時、秦軍と戦い、40万の兵を率いて自国で包囲され負けるという天災級の大惨事を起こし戦死。すごいのは口先だけで実践が伴わないという意味で、「紙上兵談」という故事の元になった。
でも口先の強さは本物だったので、実戦に出ず論客としてなら強かったかもしれない。現在なら論破系ユーチューバーとして多くの信者を抱えてそれなりに儲けていたであろう。
私は古代中国史が好きで、三国志と史記(秦の始皇帝~楚漢戦争)をゾンビ小説の題材にしています。
こういう面白おかしい人物は動かしていて楽しいですね。
ニコニコ動画で昔「趙括のパーフェクト兵法教室」という替え歌を歌ってみたことがありますので、お手軽に趙括を知りたい方はぜひ見てみてください!
それにしても感想で初っ端から正体を当ててきた方がいましたが……古代中国史好きの「屍記」の頃からの読者さんだったのかな?