49.モテ搾取至上主義派閥
タイトルで察してくれるだろうか?
ユリエルの魔族側の最大の敵が登場します。
しかし、狡猾で質の悪い敵ほど、最初は味方みたいな顔をして近づいて来るものですね。
でも、ユリエルにはそういう敵の経験がありました。
ユリエルにその経験を与えたのは、もちろん……。
ユリエルとオデンの茶番を、ひときわ大きな声で笑いながら見ている者がいた。
「ンフ~ホホホホ!何あれ、おぉかしすぎて……ンッフフフ……笑いが、止まりませんわぁ!」
ついさっきユリエルをモテないと言って心を抉り、ユリエルがオークにすがる状況を作った、ある意味元凶の絶世の美女。
だが、彼女の周りにそれを咎める者はいない。
「それはもう、貴女様とは違いますから」
美形の青年吸血鬼が、そう言ってグラスに血のような紅いワインを注ぐ。
「ンフッそうねえ……考えてみぃれば、当たぁり前ですわぁ~。
あ~んなイモムシ娘にぃ、愛が得られる訳なぁいですもの」
絶世の美女は、この世の真理の如くそう言って納得した。そして、泣いてさまようユリエルをとことん哀れむ目で見つめた。
「わたぁくしの力があれば、愛などいくぅらでも勝ち取れるのに。
彼女、助けてあげようかしら~!」
それを聞くと、周りにいたアンデッドの美少女たちが立ち上がった。
「まあ、さすが美王様!お心も美しゅうございますわ!」
「私たちが、救いの手を差し伸べて参ります!」
しかしそう言う美少女たちの顔は、慈悲に満ちてなどいない。むしろその逆の、獲物を見つけたような嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
絶世の美女……文字通り美王が見守る中、宝石のような美少女たちがユリエルに向かった。
ユリエルは、嗚咽を漏らしながらあてもなく会場をさまよっていた。
オークのテーブルから離れて食べるのをやめてしまったため、採血瓶の血はあまり溜まっていない。
「ちょっと~、必要なんだから食べてくださいよ。
血を予約してる方が、まだまだいるんですからね」
いつの間にか血の予約を集めて来たヒュドレアがやきもきしているが、ユリエルは上の空だ。
「……結局、欲しいのは私じゃなくて血なんでしょ。
それに……教会に勝ったって、私が幸せになれる日なんて……うっ!」
食べなくても血は抜かれていくため、貧血を起こしてふらつくユリエル。
「ちょっと、大丈夫!?何か体力のつくものを!」
オリヒメが栄養たっぷりの肉料理を持ってきても、ユリエルはかえって気分が悪くなってえづいてしまう。
だがそこに、美味しそうな果物が差し出された。
「肉食の君に合わせようとするんじゃない!
心が荒れている時は、とりあえず甘くて食べやすいものだろ!」
差し出してきたのは、二足歩行するタマムシのような魔物だ。顔と胴には若干人間のようなパーツがあるが、手足は完全に虫のそれだ。
「さあ、とにかく糖分を取るんだ。
気分の悪さが治まったら、薄いハムやチーズと食べるといい。
蜜のジュースもいろいろあるよ。蜂蜜にアリ蜜にアブラムシ蜜に……果汁もよりどりみどりだ。僕が混ぜてあげようか?」
「ありがとう……ございます……ムグッ!」
ユリエルは、とりあえず泣き止んで果物を口にした。豊かな香りと優しい甘さが口に広がり、心の痛みが和らいでいく。
そこで、改めて相手を見た。
(わぁ……すっごくきれいな虫さんだ!)
その虫の魔物は、全身が虹色の金属光沢をまとって光り輝いていた。しかも、見る角度によって色が変わる。
完全にユリエル好みの、虫特有の構造色だ。
見ているだけで、心が洗われるようだ。
正直、触ってスリスリしたいとすら思った。
だが、手は出せなかった。
(……こんなにきれいなんだから、きっと好きになってくれるメスがいっぱいいるんだろうな。
私が声をかけても、きっとあしらわれるか利用されるだけなんだ。私を本気で好きで助けようとしてくれる人なんて……)
モテないと言われて笑われたあげくオデンにもふられて、ユリエルの心はすっかり荒れて卑屈になっていた。
だから、癒しが欲しくてたまらないのに、食べ物にしか手が出ない。
ここで飛びついてふられたら、もう立ち直れないかもしれないから。
(いいよ、食べ物くれるだけでも……笑わないだけでいい人だ。
私みたいなのがそうしてもらえるだけでも、感謝すべきなんだ。女として愛されようと望まなければ、きっと大丈夫……)
それでも自分の女を諦めるのは辛くて苦しくて、せっかくの甘い果物にほろ苦い塩味が混じってしまった。
と、いきなりユリエルの周りを大量のコウモリが取り囲んだ。
「え、な、何!?」
ユリエルが反射的に光魔法を使おうとすると、コウモリたちは瞬く間に集まって数人の美少女になった。
皆、輝くように美しいが青白く血の気のない肌をしている。にっこり笑うと、口元からちらりと鋭い牙がのぞいた。
全員、吸血鬼だ。
「あ、あの……今はお引き取り願えますか?
今ちょっと血が足りてなくて……」
しどろもどろと言うユリエルに、吸血鬼たちは慌てて釈明した。
「違う違う、吸いに来たんじゃないの!
私たちはね、あなたを助けに来たの」
「助け、に……?」
きょとんとするユリエルを、吸血鬼たちは囲んでじろじろと眺めた。その品定めするような視線に、ユリエルは少し不快になった。
少し間があって、にわかに一人がユリエルの耳元でささやいた。
「ねえ……モッテモテになるように、あたしらが教えてあげよっか?」
「へ……!?」
思わず固まるユリエルの肩に馴れ馴れしく腕を回して、吸血鬼はユリエルの耳をなめるような距離でささやく。
「欲しいんでしょ、アイツ。
分かるよ、すっごいきれいだもん。
でも、さっきみたいになったらって考えると……手が出ないんだよね?」
まるでユリエルの心中を見透かしたように、言えないことをはっきり言葉にして耳に吹き込んでくる。
恥ずかしいやら悔しいやらのユリエルに、別の一人が下からのぞき込むように言った。
「でも、そうじゃなくなる方法は簡単!
あなたが、モテるようになればいいのよ。
大丈夫、あなた素材は悪くないんだから、磨けば必ず男が放っとかないわ!原石のまま腐ってるなんて、もっていないよ!」
「そ、そうかな……」
耳に心地のいいことを言われて、ユリエルは少し心が揺れた。
正直、女磨きなんてものをユリエルはしたことがない。そんな見てくれや媚びよりも、中身で勝負してやると思っていたから。
それに、そんなことより将来のためにやることがたくさんあったから。
勉強に冒険に、趣味と実益を兼ねた自然遊びに……女の武器以外を磨いて研ぐのに一生懸命だった。
そうしていれば、いつか中身と実績に惹かれる男が来ると信じていた。
だが、そうではないと現実は容赦なく突きつけてくる。
人間も魔族も、非モテな男を狙ってすら好きになってくれる男がいない。理不尽に貶められても、誰も助けてくれない。
このままじゃダメなんじゃないかと、思い始めていたところだ。
「……私、モテるようになれるかな?」
かすかな声で呟いたユリエルに、吸血鬼たちはたたみかける。
「そりゃもう、さっきのオークなんて目じゃないくらいの男がたっくさん寄って来るわ。よりどりみどりの、選び放題よ!」
「一人を求めてがっつく必要なんて、なくなるわ!
何なら声をかける必要も……だって向こうから寄って来るんですもの」
「ねえ、そんな顔してないで……あたしたちと一緒に幸せな暮らしを満喫しましょうよ!
所詮男なんて、女に色目を使って貢ぐためにいるんだから。笑った奴ら全員見返して、お返しにこってり搾り取っちゃえ!」
「男どもがあなたのために戦ったり支援したりしてくれれば、そんな苦しい思いして血をばらまかなくてもいいのよ。
そうしたら、あなたのほっぺも人生もバラ色だわ!」
いろいろと心をくすぐることを言われるが……ユリエルは複雑な気分だった。
確かに、自分を愛して助けてくれる男が増えたら都合がいい。教会との戦いも人付き合いも、ぐっと楽になるだろう。
だが、その未来予想をもってしても、拭えない嫌悪感がある。
だってこいつらの勧めることは、ユリエルが心の底から嫌う、モテるのをいいことに他者を弄ぶ性悪女のやることではないか。
自分には都合が良くても、相手は何の得もないのに傷ついて失うばかりだ。
ユリエルは女に振り回されてボロボロになる男を見て、心から同情し、自分は決してそんなことをしないと誓ってきた。
自分が非モテだからこそ、男にもそんな思いはさせないと。
ユリエルは行動が奇抜なだけで、心根は優しいのだ。
そんなユリエルから見て、この女どもの方が世を腐らせる悪魔に見えた。
(……本当に、そんなことしていいんだろうか。
いや、むしろこういう奴らが真面目な男の目を奪ってしかも何人も弄ぶから、私みたいな誠実な女が割を食うのでは?)
ユリエルは非モテの苦しみが分かるからこそ、多くの男を惹きつけて他の女にこんな思いをさせたくなかった。
そう考えると、こいつらこそ女の敵だ。
ささやかれる言葉と見せられる幻は、とてつもなく甘い。
しかしユリエルにはその向こうに辛苦に満ちてのたうち回る人々の姿が見えて、首を縦には振れなかった。
ユリエルが黙っていると、吸血鬼たちはユリエルに自分たちの格好を見せびらかし始めた。
「ねえ、あなた服装変えるだけでも、だいぶ変わるわよ」
「そうそう、目を引きたかったら、まずは自分を飾らなきゃ!
そのための投資は、決して無駄なんかじゃないわ。それに、ヤらせないで見せるだけなら減るものはないの。
むしろ、その方がこーんな宝石とかもらえたりするのよー」
吸血鬼たちは皆、きらびやかに着飾っている。
フリフリの甘いファッションだったり、大人っぽくクールに決めていたり。しかし体の各所をこれ見よがしに露出し、さらに輝くアクセサリーで強調している。
髪にも、首元にも、胸にも、目をやれとばかりにあしらわれた宝石。
白一色のうえ飾り気がなく、ローブに不似合いな実用装備とチャンピオンベルトで固めるユリエルとは、同じ女でも月とスッポンだ。
ユリエルもそれは分かっており、何となく負けた気分になる。
そこを突くように、一人が楽し気に笑ってささやいた。
「ねえ、そんな葬式みたいな服ばっか着てて、モテるとか思う?
無理だよねー、ここまで生きてて分かったよねー。
でもさ、あんた、どんな服着たらいいか分かんないでしょ。それじゃ、一人で何とかしようとしてもどうにもならないわ」
もう一人が、ユリエルの手にそっと手を重ねる。
「ほら、お肌の手入れも、してないでしょ。やり方も分かんない感じ?
だったらさ、恥ずかしがらずに人を頼ろうよ。モテるようになりたかったら、モテる人に学ぶのが一番!
そうしたら、見違えちゃう!」
思わず目をそらそうとするユリエルの視界を、キラキラした姿で囲んで塞ぐ。
そして、一斉に目を赤く光らせて誘うように言った。
「だから、ね……私たちといらっしゃい!
一緒にお買い物して、一緒にお肌の手入れとかお化粧とか覚えて、男ウケする仕草もみっちり勉強しよう!」
「そりゃ、ただって訳じゃないわよ。
でも、モテて貢がせ放題になれば、こんなのすぐ取り戻せる!」
「つまらない意地張ってないでさ、教えてって言おう!!」
だがユリエルは、一度目を閉じて大きく息を吸った。
そして、声だけで吹っ飛ばすように叫んだ。
「お断りだボケエエェ!!!」
そのあまりの音量に、吸血鬼たちは思わず耳を塞いだ。誰一人として、こうなることを予想していなかったらしい。
しかし、ユリエルには当然のことだ。
ユリエルは肩をいからせ拳を握りしめて、理由を叩きつける。
「教えるとか一緒にとか、いい加減にしろよ!!
知ってんだよ……そういうこと言う奴が、どうやって夢と憧れで私から搾り取るかを!
似合わない物買わせて、あわよくば自分のものにして、絶対自分を越えられないように金をむしってこき使う。
ティエンヌの焼き直しかてめーらは!!」
ユリエルは、この吸血鬼たちのような甘く押しつけがましい口上に覚えがあった。
忘れもしない、学園にいた頃、ティエンヌがユリエルをいじめに引きずり込む時にこういう言い方をしていた。
「ねーえ、ずいぶん頑張ってるみたいだけど、そんなんじゃ上には行けないわ。
あんたはもっと、上流の洗練されたマナーを知るべきよ。あたしたちが、連れて行って教えてあげる!」
思えば、ここで向上心につられて断れなかったのが、地獄の始まりだった。
ティエンヌは確かに、これまでユリエルが行ったこともない高級な店に連れて行ってくれた。
しかしそこで行われたのは、恩の押し付けと搾取と嫌がらせ。
服屋ではモデル料とか言ってティエンヌのものを買わされ、レストランでは食べきれないほどの残飯を押し付けられ、立場の上下で言うことを聞かされる。
「誰のおかげでこの世界を知れたと思ってんの?
そーゆー恩知らずは、退学にしちゃおっかな」
搾取されているのはユリエルなのに、なぜかユリエルが悪いことにされた。
しかも、それに対する制裁を実行できる力を持っているので切るに切れない。自分を守るために、付き合わざるを得なくなる。
結局、解放されたのは陥れられ全てを奪われる時だった。
ユリエルには、この時のティエンヌたちと今目の前で笑う吸血鬼たちが完全に重なって見えた。
考えてみれば、吸血鬼たちだってユリエルより格上なのだ。
他者の目がないところに引き込まれればユリエルに勝ち目はないし、支援を与えるも取り上げるも自由自在だ。
こんな奴らに教えを乞うたが最後、同じことになる予感しかしない。
ユリエルは、ローブを掴んで叩きつけるように告げた。
「私はなぁ、おめーらみたいなのに金を奪われて、これしか着る服がなくなったんだよ。最後に陥れるために!!
もう同じ手は食わねえからな!!」
すさまじい怒りと共に怒鳴りつけられて、吸血鬼たちはぎょっとした。見透かされたような驚きがにじむのは、図星の証か。
「え……ティエ……誰?」
「この娘を陥れた、悪徳枢機卿の娘ですよ。
あなたたち、さっきの話ちゃんと聞いてました?その程度の興味しかないのに助けたいなどと、透けて見えるほど薄っぺらい」
戸惑う吸血鬼たちに、ヒュドレアが冷たい眼差しで言う。
それを確認し、ユリエルたちは安堵した。
今この場でなら、ユリエルはこいつらに逆らうことができる。このヒュドレアを始めとする、愛憎のダンジョン勢が守ってくれるから。
それに、ユリエルの血を欲しがる者が他にもたくさんいる。ならば、その利用価値を盾にすることもできる。
こういうのは、最初にガツンと断るのが大事だ。
すると、吸血鬼たちは急にしおらしくなり、それでも控えめに言った。
「そ、そんな事しないわ!押し売りなんかしない!
でも……ガチャだけでも、やってかない?
私たちね、モテるためのいろんな物を譲り合ってるから……ほんのちょっとのお小遣いで、すごくいいものがもらえるかもよ」
「そうそう、私たちよりずっと磨かれてる、モッテモテの先輩御用達のものだって!」
「コーヒー一杯分のお値段で、何百倍もの価値が……!」
これにも、ユリエルは鬼の形相で吠えた。
「不用品ガチャじゃねーかバーロー!!
クソな売値のいらない物しか出ないくせに……結局全部持ってかれる未来しか見えねーよ!!
それもティエンヌにやられてたんだ畜生ォーッ!!」
ガチャ、それは悪魔の装置である。
一応中に何が入っているかラインナップは分かることがあるが、実際引くまで何が出るかは分からない。
そしてたいてい、出てくるのはクソなものだ。
ユリエルはこれで、ティエンヌにだいぶ金をむしられた。
「ほらほら、この装備、美しさと実用性を兼ねてすごくいいヤツよ!
他のだって、普通ならずっと高いものが入ってるんだから、損なんかしないわ」
そう言ってそれが出るまで応援と言う名の強迫を続け、ユリエルがいらないものは全部持って行こうとする。
「あら、あんたはこれのために金を払ったんじゃないでしょ?
欲しいなら持ってってもいいけど……役に立つーう?」
少しでも自分の財産を失いたくなくて、使わなくてもせめて売ればと思って、売値の安さに絶望した日は忘れない。
結局、いくら相応のガチャという価値に根拠などないのだ。
あれは、余りものと貧乏人の射幸心を組み合わせて金持ちがさらに金を得るための手段でしかない。
ついでに言えば、以前ティエンヌが流行りだからと着けていたアクセサリーが、ガチャの中から出てきたことが何回かある。
もしかしたら、店とつながっていたのかもしれない。
それでも断ろうとすると、枢機卿の娘のありがたい教えを拒んだとか言われるから……解放されたのは、ユリエルが必要なものも満足に買えなくなってからだ。
借金だけはしないように逃げ切ったが、その先に待っていたのは破門と冤罪だった。
「そこまでやってモテたいなんて思わねーよ!
おととい来い!!」
ティエンヌのトラウマを真上から踏み抜かれて、ユリエルはありったけの勢いでモテ吸血鬼たちを振り切った。
これで三人は慌てて飛び去ったのだが……なおもしつこくささやいてくる奴がいた。
「……いっぱい男はいらなくてもさ、あいつ、欲しくないの?」
残った一人が、美しいタマムシの魔物を指差す。
「な、眺めていられれば……!」
悔しいながらも諦めようとするユリエルに、吸血鬼はおぞましいことを言った。
「虫だけど……あいつきれいだよね。
あいつの外殻はぎ取って飾りたいって奴さ、実はけっこういるのよ。だから、力を合わせればちょっとぐらい分けてもらえるかも。
美王様の目に留まれば、ぐんときれいにしてもらえるわよ!
魅力を磨いていろんな男に貢がせれば、欲しいものは何だって……」
それは、ユリエルをキレさせるのに十分な言葉だった。
「だ・れ・が、殺すか!!
あ、そこのタマムシさん、この人あなたを殺そうとしてますよ!」
途端に、タマムシの近くにいた他の虫の魔物たちが殺気立った。
美しい羽を持つ蝶や、見事な金属光沢をもつ甲虫の魔物たち……同じように狙われることがあるのだろう。
守り合うように塊になって、じりじりと吸血鬼に迫る。
「ええっ何でぇ~!?」
最後まで自分の何が悪かったか分からない様子で、吸血鬼は這う這うの体で飛び去った。
それを見送るユリエルの頭を刺々しい手がちょんちょんと撫でた。
「ありがとう、優しいお嬢さん」
振り向けば、タマムシの魔物がすぐ側にいて撫でてくれていた。動くたびに、体の色が絶妙に変化する。
「ひ、ひゃいっ!」
思わず見惚れるユリエルに、タマムシの魔物は丁寧に名乗った。
「僕は甲輝のダンジョンマスター、虹色甲爵と呼んでおくれ。
僕は見ての通りだから、素材として狙ってくる女の子が多くてね……君みたいな優しい子は本当に珍しい。
心を洗われたお礼に、きれいな子たちを分けてあげよう」
虹色甲爵はそう言って、ユリエルの服にいくつか小さなものをくっつけた。
それは、色とりどりの素晴らしい光沢をもつ、宝石のような甲虫たちだ。ユリエルの白い聖衣の上で、ひときわ映える輝きを放っている。
ユリエルの険しかった顔が、一瞬でほころんだ。
「わあ、ありがとうございます!!
それで、この子たちは何を食べさせたらいいんですか?」
その言葉に、虹色甲爵はひっくり返りそうになった。
自分たちを物として見ないだけでなく、こんな小さな虫たちまで使って終わりではなく飼うことを考えてくれるとは。
心の中が、虹色の光で満ちるようだ。
虹色甲爵は、夢中になってユリエルをテーブルに招いた。
「ゆっくり説明してあげるから、食べにきなさい。
ほら、また顔が青白くなってきてる。今は虫たちよりも、君が食べる時だよ」
「じゃあ……失礼します」
ユリエルは血の気の抜けた顔をわずかに赤くして、虫たちのテーブルについた。招かれて幸せだけど、今は自分から声をかけるのが怖い。
優しい虹色甲爵から目をそらすように、ユリエルは果物とチーズにかぶりついた。
その横顔を、虹色甲爵は悶えそうになりながら見ていた。
(ふごおおぉ……何て素敵な人だ!聖女どころか、女神ではないか!!)
しかし、今これ以上踏み込むのは怖い。下手に手を出して、さっきのオデンのようになるのだけはごめんだ。
虹色甲爵の熱い視線と、ユリエルのわずかに熱を帯びた視線は、交わらない。
二人はお互いが同じ思いを抱いていることなど、気づくべくもなかった。
もう一人、ユリエルと付き合えそうな男の魔族が登場しました。
しかし、直前のオデンのトラウマが二人を阻みます。もしこのイベントが、オデンのイベントの前だったなら……イベントの順番が変わるだけで未来が大きく変わる事もあるんです。
タマムシはその美しい羽を、装飾品として使われた歴史があります。聖徳太子のために作られた玉虫厨子が有名ですね。
見てる方はきれでも、あれで何匹のタマムシが犠牲になったかと考えると……ヒェッ!
なので虹色甲爵にとって、人型の女の子はそういう目で見てくる恐怖の対象なのです。だから、そうじゃないユリエルが眩しいのだよ。