35.鼻っ柱に全力トンカチ
連休なので最終日に投稿!今回は間に合った……ぞ……!
久しぶりにインボウズ側のお話です。
といっても、開戦から一日しか経っていませんが。
勝てると疑いなかった予想を裏切られた時、インボウズはどうなってしまうのか。スーパーざまぁタイムだ!
インボウズは、何もせずただイライラしながら沈む夕日を眺めていた。
こんなに首を長くして待っているのに、来るべきものは来ない。
「あああ……また一日が失われていく!
糸の処理体制を、もっと増強しておかねば……」
インボウズは、ついその腹の底にふさわしい妖怪になりそうなほど首を伸ばしてアラクネ糸を待っていた。
昨日ダンジョン奪還部隊を向かわせてから、インボウズは糸の処理がいつでもできるよう備えて待ち続けた。
もっとも、拘束されているのは糸の処理を任せる職人たちだけで、自分は気を紛らわすために酒と女に溺れていたが。
しかし、気づけばもう夕方。
いくら準備して待っていても、肝心の糸が届かない。
「ええい、討伐部隊は何をやっとる!!
毒消しだって追加で送ったし騎士の増援まで出した!そうまでして、たかが変人の小娘一人まだ片付かんのか!!」
糸の上納期限は、もう輸送を考えるとギリギリまで迫っている。
ジリジリと爆弾の導火線が燃えていくような感覚に、インボウズは気が狂いそうだった。
夕食の味もまともに感じられず、昨夜に続き今夜も寝られないかと思っていたところで……ようやく、待ちに待った伝令が駆け込んできた。
「討伐部隊、ただいま帰還しました!」
「おお、待ちかねたぞ!
それで、糸は!?」
インボウズがそう言って身を乗り出した途端、伝令はこの世の終わりのような顔をした。
「それは、そのう……私ごときより、審問官殿にお聞きください!」
インボウズは、伝令が何を言っているのか理解できなかった。そんな事より今は糸が欲しいのに、何でそんな事も分からないのかと憤慨した。
だが、この程度のショックはまだ序の口ですらなかったのだ。
程なくして、応接室に審問官と冒険者ギルドの鑑定官が通された。二人とも憔悴しきっており、生きながら地獄を見て来たような顔をしている。
インボウズは、額に筋を浮かせて怒鳴りつけた。
「何でもったいつけといて、おまえらごときが来るんだ!!
将軍や騎士や、もっと上の指揮官はどうした!?ギルドにも、もっと上がいるだろう!?」
インボウズは、心底理解できなかった。
伝令ではなく上の者が自ら報告するのは、めでたい話ではよくあることだ。皆、手柄を自分のものとして主張したいのだから。
インボウズも、煩わしいがその意図は汲んでやることにした。
だというのに、わざわざ貴重な時間を浪費しながら、こんな軍事が本業でもない事務屋が来るとは何事か。
だが、その理由はすぐに語られた。
審問官が、幽霊の吐息のような声で答える。
「騎士殿と指揮官たちは……皆、亡くなられました。もはや私より上に、ダンジョン内で見聞きしたことを話せる者はおりません」
インボウズは、一瞬フリーズした。
「は……し、死んだと?聖女の出来損ない相手に?」
それから、気を取り直して神妙な顔で祈りをささげた。
「そうか……犠牲をいとわず、勝利の礎になったというのだな!命よりも時間を優先してくれるとは、できた奴らよ……」
「なってませんよ。勝利の礎になんて」
ここで、審問官が水を差した。
インボウズは、今度こそ本気で訳が分からなかった。
「は……では、誰が勝利を導き……」
「だから、勝ってませんと申しているのです!」
審問官は、うんざりしたように告げた。
その瞬間、インボウズは自分だけ時間が止まったように固まった。勝ってません……単純なこの一言が、どうしても分からない。
そんな訳があってたまるか。そうなる道理などないはずだ。
そもそも、それでは糸はどうなる。自分はどうなる。
その先など考えたくもないし、そこまで考えてもいなかった。自分はただ、当たり前の勝利がいつ訪れるかしか……。
混乱の極みにあるインボウズに、審問官は叩きつけるように報告を続ける。
「だ・か・ら!!負けたのです!!
ダンジョンは落とせず、ユリエルは殺せず、糸も手に入ってなどおりません!!
突入させた衛兵と冒険者の死亡率は三割を超え、騎士団も全滅!それで士気は崩壊し、もはやこれ以上の攻撃は無理です!
我々は、命を守るため逃げ帰って参りました!!」
不興を買おうが罰せられようが、どうにでもしてくれと言わんばかりの破れかぶれな敗戦報告。
そこまで言われて、インボウズはようやく内容を理解した。
それが、自分が待ち望んでいたものと真逆であることも。
インボウズは、瞬間湯沸かし器のごとく激昂した。
「な、何を言っとんじゃー!!?
戦のことも知らぬ事務屋が、いい加減なことを言うでない!!
ええい、貴様などと話してもどうにもならんわ!将軍はどうした!?さっさと将軍を連れて来んかーい!!」
すると、審問官は肩の荷が下りたような顔をした。
「あ、やはり将軍の責任ですか。正しい評価に感謝いたします。
その将軍ですが、私が地上に戻った時には既に姿を消しておりまして……あなた様が探してくださるなら助かります。
どうぞ、ひっ捕らえてたっぷりお話をお聞きくださいませ」
それを聞いて、インボウズは顎が外れそうになった。
このとんちんかんな部下に見切りをつけようと思ったら、責任を取る立場の将軍が既に行方をくらましていたとは。
ならば、こんな事務屋が現れるのもうなずける。
そして、将軍が逃げたということは……インボウズの手の中に、嫌な汗が湧いてきた。
あの将軍がどれほど強欲で手柄に固執するかは、よく知っている。自分の地位と財とぜいたくを守るのに、どれほど執心かも。
それが、地位も帰る館も蓄えた富も捨てて逃げ出した。
これが何を意味するか。
将軍は、この顛末の報告を持ち帰ったら、命も尊厳も全て奪われると判断したのだ。それほど、ひどい状況だったのだ。
「あ、な……な……まさか!そんな!!」
白目になりかけてピクピク震えるインボウズに、審問官は真偽判定の玉を駄目押しに差し出した。
「お疑いなら、この場で判定していただいても構いませんよ。
ああ、いかに目をそらそうと私を殺そうと、事実は覆りませんので」
審問官がごとりと置いた玉は、どこまでもまっすぐな真の色。
インボウズの顔からろう人形になったかのように血の気が引き、顔が地獄に突き落とされたような絶望に染まった。
そして、そのままぶっとい体が後ろのソファーに倒れ込んだ。
審問官と鑑定官は、完全に据わった隈のできた目でインボウズを見下ろした。
「気絶してやがる……軟弱はどっちだァ?」
「俺らがどれだけ修羅場くぐってきたと思ってやがる!
ま、さすがに疲れたよ。こいつが起きるまで俺らも寝ようぜ」
インボウズの気絶をこれ幸いと、審問官と鑑定官もその場でソファーにもたれ目を閉じた。本当なら有り得ない無礼だが、それがどうでも良くなるくらい疲れていた。
それに、本当にすぐにこんな事はどうでも良くなるだろう。この傲慢な上司にとって、これから対応せねばならない事態は他の何よりけた外れに大きい。
二人は、逆に自分の安全を確信して眠りについた。
翌朝、インボウズはまず錯乱状態で医務室に運び込まれた。
審問官に昨夜のは夢かと尋ね、正直な回答を突きつけられた結果がこれだ。インボウズは小一時間、鎮静の治療を受けるはめになった。
その騒ぎを聞いて駆け付けたオニデスも、事態を把握して唖然とした。
だが、オニデスは最終的な責任者でない分冷静だった。
「くっ……糸はもはや、どう考えても間に合わんか!ならば職人たちの待機を解除しろ、口止め料は必要ない。
それから、逃げた将軍を破門者との内通とダンジョン乗っ取り容疑で告発する準備をしておけ!
大将軍と他の将軍方も、それでよろしいな!?」
インボウズが泡を吹いている間に、オニデスは少しでもダメージを他に押し付ける手立てを進めた。
事ここに至っては、露見は免れない。
ならば、目をそらさず全力で身を守るべきだ。
オニデスは、それができる男だった。
日がだいぶ高く昇った頃、ようやくインボウズと軍部、そして冒険者ギルドも交えた報告会が始まった。
席に着いた皆が、死人のような顔をしていた。
手元に配られた資料には、見るのも嫌になる惨状が記されていた。
一昨日の午後出撃した討伐部隊は、多大な犠牲を出して潰走。衛兵にも冒険者にも死傷者多数。騎士隊は5人全員死亡。
一方、その戦果はほぼなし。ユリエルによるダンジョン乗っ取りの流れと後ろ盾がいないこと、4階層までの様子が分かったのみ。
いや、最大の収穫は敵の戦力が分かったことだ。
ユリエルは、一人ぼっちなどではなかった。
これまでダンジョンにいなかった多種多様な虫の魔物が、その特性を活かすように配置されていた。
そのうえ、湿地から消えたワークロコダイルと小妖精たちが傘下に入り、圧倒的な力と幻惑を振るってきた。
さらに、アラクネはこれまでの扱いに嫌気がさし、完全にユリエルの味方だ。
いや、もうアラクネではなく蜘蛛女郎だ。アラクネはユリエルから名をもらって進化し、さらなる力を得て人間に牙をむいた。
もう、糸を採るとか取り戻すとかいう話ではない。
この予想外の戦力に、討伐部隊はさんざんに打ち破られた。
それから、鑑定官が近づけなかったため詳しい事は分からないが、騎士隊を全滅させるような化け物までいたらしい。
つまり、教会やギルドとしてはこれだけ出せば大丈夫と思っていた戦力では、とても足りなかったということ。
完全に、こちらが相手の力量を見誤っていた。
ダンジョンの深さと難易度にしてもそうだ。
鑑定官によると、今のダンジョンの深さは7階層。
それが4階層もクリアできなかったのだから、半分ほどまでしか行けなかったことになる。5階層より先は、全く情報が得られなかった。
どんな仕掛けがあるか、どんな敵が潜んでいるかも分からない。
とどめに、物資の損失も地味に痛い。
一日で終わる戦いを想定していたとはいえ、ダンジョン内に運び込んだ食糧や薬はそれなりの量だった。
特に解毒剤は、都市の備蓄や流通品からも集めて送ったのだ。
それが、ほぼ丸々なくなってしまった。
回復薬と解毒剤は予想をはるかに上回る消耗を強いられ、食糧やその他物資は撤退時に大半が置き去りにされた。
こちらは、ユリエルに奪われたとみていいだろう。
運び込んだ冒険者が進撃部隊に組み込まれて死傷したため、帰りに回収して持ち帰ることができなかったのだ。
失ったものばかりで、得たものは実体のない情報だけ。
痛み分けというのも苦しい、実質的に惨敗であった。
言葉という形で報告を聞くと、皆呆然とした。
どうしてこんなことになってしまったのか、訳が分からない。自分たちはただ、飼い殺しのクソダンジョンに逃げ込んだ破門聖女一人倒そうとしただけなのに。
将軍の一人が、信じられない顔で呟いた。
「ほ、本当に……魔女に後ろ盾はいないのかね?
魔女本人も、取るに足らん実力だったのか?それが、ここまでのことを?」
将軍の問いは、もっともだ。
人間の助けが全く望めない状況で身一つで放り出されて、ここまでの大逆転が並の人間にできるものか。
しかもインボウズが自己都合で堕としたということは、いなくなっても特に問題ない実力と立場の人間だったはず。
だからすぐ潰せると思っていたのに、話が違う。
インボウズは、顔を真っ赤にして言い返した。
「聖女とはいえ40番台、役立たずの能無しだ!
成績は僕も目を通してる、間違いない!!」
実際には目を通してたというより、成績を下げるよう教師に働きかけていた側だ。堕としても大丈夫な位置にいさせるために。
逆に言えば、ユリエルの成績はこいつの手が加わった成績表より高い事になる。
むしろそのせいで、教会側が自縄自縛で能力を見誤ったといえる。
だが、インボウズがそこに思い至ることはない。
インボウズにとって気に食わない元孤児院の娘など、都合よく動かすだけの駒にすぎない。それにインボウズたちにとって、役に立つとは自分たちの役に立つことなのだ。
ユリエルが虫関係でどれだけ人の役に立っているかなど、インボウズにとってはどこ吹く風だ。
もっとも、そういう見方をするから足元をすくわれたのだが。
「後ろ盾に関しては、私が判定しましたところ、いないとのことです。
……強いていうならば、ワークロコダイルと手を組んだのがそれに当たるかなと」
後ろ盾については、審問官の言葉以外に探りようがなかった。審問官はしゃべりながら真偽判定を行っているが、結果は真だ。
ただし、発表する真実がそうなるかは別の話だ。
オニデスが咳払いして、告げる。
「ええ、しかしそれではあまりに格好がつかない。我々の面子がどれほど蹴落とされるか、想像できるでしょう。
なので、逃げた将軍に内通者になっていただく。
軍部に裏切り者がいたとなれば、この惨敗も言い訳ができます。
枢機卿、それでよろしいですね?」
「当然だ!!こんな任務もこなせん能無しが!!」
インボウズは負けを逃げた将軍のせいにしてカンカンになっている。
絶対に勝てるはずの戦いに、負けた。戦いは総指揮官である将軍の責任なのだから、逃げた将軍が悪いに決まっている。
インボウズに、自分の追放が悪かったなんて考えは欠片もない。
ただ目の前のできごとだけを理不尽な不幸と嘆き、ひたすら罪と損失を押し付ける相手を探してがっついていた。
インボウズのこの態度に、将軍たちは内心穏やかではなかった。
(何てことだ……あいつは運が悪かったが、俺が行かされていたら俺がこうなっていたということか!)
将軍たちにとって、同僚が冤罪を着せられたのは他人ごとではない。
確かに、出世のライバルは減った。これが自分たちがその目的で仕掛けたことなら、喜びもしよう。
だが今回の失墜は、完全に運。
楽な任務だと思って行きたがっていた将軍は他にもいるし、誰がこうなってもおかしくない。
将軍たちの背に、たらりと冷や汗が流れた。
(……こりゃ、あのダンジョン関係の仕事には関わらん方がいいかもしれんな)
(美味い職場だと思っていたが、潮時かもしれん。
安全でふんぞり返ってばかりいられるのも、ここまでか……損をする前に他の誰かに代わった方が身のためか。
幸い、何も考えずここに就きたがる馬鹿は山ほどおるしな!)
将軍たちは、頬をひっぱたかれたように目が覚めた。自分たちはインボウズに媚びていれば安全だと思ったが、そうではないと。
それに、元を辿ればインボウズがあの聖女を破門しなければこうはならなかった。
それで自分たちにとばっちりが来ては、たまらない。
将軍たちもあくまで自分のことしか考えていないが、今回インボウズに対して抱いた不安と恨みは正当なものだった。
そんなこともつゆ知らず、インボウズはひたすら受け止め難い事実と格闘していた。
これで、今月糸の納品ができないことは決まってしまった。
これまで代々この学園都市に君臨していた枢機卿の、誰もが難なくこなしていたことを、自分はできなかった。
この失敗する方が難しい仕事の初めての失敗者に、なってしまった。
これが、自分の名と権威をどれだけ地に堕とすか。
権威を維持するだけでもどれだけ金が要るか分からないし、一回ついてしまった汚名はもう消すことができない。
(ぐおおおぉ……どうしてこうなった!!
ユリエルめ!!あの疫病神がああぁ!!)
しかも自分にそれをもたらしたのは、いいように罪を着せて破門した小娘。これからいいように弄ぶはずだった、取るに足りないおもちゃ。
それが、まさか自分の尊い名をこんな風に堕としにくるとは。
いや、もうこの一件だけで相当な泥をかぶってしまった。
インボウズは、これまでに経験のない屈辱にプライドも鼻っ柱も叩き潰されていた。信じていた順風満帆な世界に、いきなり手を返されたようだ。
(あんな……家柄も金も魅力もない小娘にいぃ!!
この、僕が!!)
政敵に煮え湯を飲まされたことならあるが、今回はそれとは訳が違う。
例えるなら、ライオンがネズミに鼻をかじられるようなものだ。
こんなことがあっていいのか。あっていい訳がない。それでも事実は消しようがなく、多くの人が一生陰でこの傷を笑うだろう。
どうでもいいと思っていた奴に、ここまで傷つけられた。
それがインボウズには、何より痛かった。
もちろんインボウズに、ユリエルをこのまま放っておくつもりはない。むしろ戦力が整い次第、すぐにでも圧倒的な力で踏みにじって思い知らせてやりたい。
「……で、次の討伐作戦はいつできる!?」
しかし、それを聞くと軍部やギルドマスターだけでなく、オニデスまで血相を変えた。
「お待ちください、今そんなことをすれば……!」
「今やらんでどうするんだ!!今これより大事なことなど……!」
「秋の!アンデッド掃討まで無様を晒すおつもりですか!!」
その一言に、インボウズははっと青ざめた。
そうだ、ここで当たり前にこなす仕事は、アラクネ糸と虫けらのダンジョンの維持だけではない。
いつももっと戦力を必要とする、しかも人々の生活と都市の権威に直結する仕事があるじゃないか。
今一つ失敗し、それでまた失敗する訳にはいかない。
そしてそれが失敗しないためには……。
「クソーッ!!」
インボウズは、人目もはばからず机に拳を叩きつけた。
そんな事をしても手が痛いばかりで、現状は何も変わらなくて。すぐにでも拳を振り下ろしたいユリエルに、今は手が出せなくて。
インボウズはようやく、あの日のユリエルのどうしようもない気持ちを少しだけ味わった。
それがこれからもっと悪くなるなどと、インボウズは考えたくもなかった。
ついに隠せない失態を侵してしまったインボウズ。
しかしすぐユリエルにリベンジできるかは……。
これまでに、時々「アンデッド掃討」というイベントが会話の中に出てきました。
次回、学園都市が抱えるその事情に触れていきます。