24.水面の上と下~盲目と慧眼
閑話の終わり、学園で免罪符を売る優しき聖女のお話。
しかし、いくら優しくても本当に苦しむ人の助けになるとは限らない。
優しい世界に浸るゆえに、目の前の苦しみが見えない目。そして、それを塞いだままにする級友たちの存在。
一方で、ユリエルが隠していることを察知して密かに知らせる者もいた。
ちょろっと出て来た冒険者の忍者娘、あの子はできる子だ。そして、ユリエルのことを分かっていた。
学園都市には、壮麗な教会がいくつもある。
中心となっているのは、学園に併設されている大聖堂。その周りにも、教会が崇める各聖人を祀る教会が散在している。
そこでは、日々のお祈りや民から依頼された儀式などが行われていた。
ステンドグラスの柔らかな光が降り注ぐ中、美しい歌と音色が流れる。
白く清らかな装いの新郎新婦が永遠の愛を誓う隣で、フリフリの可愛らしいローブの聖女が笛を奏でていた。
その温かく包み込むような音楽の中、司祭が告げる。
「本日は、お二人の門出の祝いに聖女様がいらっしゃいました。
聖女様の祝福に包まれたお二人の未来には、大いなる幸せがありましょう。
もちろんその幸せを約束されたものにするために、常に神への感謝を忘れず身を慎み、罪を犯すことのないよう……」
司祭の説法が終わると、二人の親族たちは披露宴のために教会から出て行く。
演奏を終えて一息ついていたシノアは、級友の神官たちに声をかけられた。
「ほら、早く外の売り場に向かいましょう!
可愛い聖女がいるかどうかで、売れ行きが全然違うんですから」
「ああ、ごめん……すぐ行く!」
シノアは手早く楽器を片付けると、神官たちと共に教会前に向かった。シノアの仕事は、演奏だけではないのだから。
教会前には机が並べられ、そこに材質も紋様も様々な札が並べられていた。先に来ていた神官たちが、通る人々に声をかけている。
「そこのお方、免罪符は要りませんか?」
「これからの宴会で、つい羽目を外しても大丈夫!
飲みすぎても、神は大目に見てくれますよ」
教会前には、免罪符の売り場ができていた。
聖女が参加するような大規模な結婚式や葬式があると、だいたいこうなる。参加者に、それにかこつけて売りつけるために。
「ほらシノアさん、聖女がいるかいないかで人の集まりが違うんですから!」
級友の神官に促され、シノアは売り子席につく。
「さあ、聖女様が祝福された特別な免罪符ですよ~!」
神官が、ここぞとばかりに声を張り上げる。
しかしシノアは、そんな気分になれなかった。
(免罪符、か……本当にこんなんで、罪が許されるのかな?あんなに真面目にやってたユリエルが許されなかったのに、こんなので……)
シノアの胸の中には、許すことへの疑念が渦巻いていた。
以前は、免罪符を売ることに疑問などなかった。多くの人々のために使うお金を対価として出したのだから、そんないい人は許されてしかるべきだと。
だが、ユリエルが追放されたことで、よく分からなくなった。
余裕があってポンと出せるお金でこの人たちは許されるのに、体を張って戦場で人を救っていたユリエルや、頑張っても払えない人は許されないのかと。
そう思うと虚しくなって、つい沈んだ顔をしてしまう。
すると、神官たちから声がかかる。
「シノアさん、祝いの席ですよ!
せめてもうちょっと笑ってください!」
「そんな顔されたら売れないじゃないですか!
こうなったら……」
神官の一人が、頭をひねって声を張り上げる。
「ああ、聖女様は憂いておられます!皆さまがこれからの宴で、神様にお咎めを受けるようなことをしないか、心から心配なさっているのです!
さあ皆さま、これを買ってそのような心配をなくしましょう!
そして、優しき聖女様の笑顔を取り戻して差し上げましょう!!」
「えっ……ご、ごめん!そんなつもり……ムグッ!」
謝りかけたシノアの口を、神官が塞ぐ。せっかく客が寄ってきたんだから、そういうことにしておけと、目で訴えてくる。
シノアは、やっちゃったと思いながら俯いた。
免罪符が本当に正しいのかと、級友の仕事の手伝いは別問題なのに。
これも考えて見るとどうかと思うが、免罪符の売れ行きは神官たちの点数に直結する。
だから自分が物思いに沈んでいて免罪符があまり売れなかったら、神官たちに迷惑をかけてしまう。
聖女の自分は仕事を選べても、神官たちはそうではない。この失点が元で、どんな過酷な職場に送られるか分からない。
(……そんな事にはしたくない!
だからあたし、しっかりしないと……!)
シノアは懸命に愛想を振りまきながら、免罪符を買った客を祝福し続けた。
客がいなくなっても、売り場にはまだまだ免罪符が残っていた。特に、高額なものは売れ行きが悪い。
神官たちが売り上げを数えながら、苦い顔で呟いている。
「まずいんじゃない?今日、ノルマに届くかな」
「今日、参加する人が少なめだったから……シノアさんも最初はあんまり呼びかけてくれなかったし。
シノアさん、いつもは明るいんだけど……私たち、何かやったかな?」
それを聞いて、シノアはぎくりとした。
これでは、自分がこの子たちを自分の都合で潰したみたいじゃないか。
それは、自分が最も嫌っていることなのに。ユリエルが虐められていたかもしれないとユノやカリヨンに聞いてから、そんなものはこの世からなくしたいと思っているのに。
「じ、じゃあ、あたしも買おっかな~」
シノアはいたたまれず、それなりに高額な免罪符を手に取った。
「え!?いいんですか!」
「うん、その……あたしもみんなに迷惑かけちゃったから、罪滅ぼししなきゃ。神様に、申し訳ないし……」
幸い、シノアは金ならたっぷり持っている。親は金持ちの豪商だし、自分も聖女として既にそれなりに稼いでいるのだから。
余ったお金でこの子たちの幸せな世界を守れるなら、安いものだ。
ぱっと笑顔になった級友たちを見て、シノアは安心した。
シノアは、さらに級友たちを励ますように言う。
「みんな、困ったことがあったらいつでもあたしに相談してね!あたしにできる事なら、力になるから!
あたし、みんなが幸せな世界を守りたいんだ!!」
ベタでふわっとした願いだが、シノアは真剣だ。
シノアは、自分の信じる世界を守りたかった。みんなが平和でそこそこ幸せで、怖いことやひどいことがない世界を。
ユリエルが陥れられたことでショックを受けて、あんな事はもうたくさんだと思った。
だから、もし本当に虐められたり陥れられそうになったりして困っている子がいたら、手を差し伸べようと思った。
悪い奴がいたら自分の口から諭すし、お金で解決できるなら自分が出してもいい。
少しでも身近な所から誤解や虐めや困窮をなくし、これ以上ユリエルのような理不尽な目に遭う子を出さないようにしたい。
それが、今のシノアの切なる願いだ。
「その代わりに、みんなにもお願いがあるの。
もしみんなが、人が虐められてるのを見たり聞いたりしたら、あたしに教えて!力を合わせて、助けてあげよう!」
シノアは、目をキラキラと輝かせて神官たちにお願いする。
神官たちは一瞬顔を見合わせたが、すぐに笑顔で拍手を始めた。
「さっすがシノアさん!素晴らしい心がけです!」
「えへへ、みんなありがと~」
シノアは、無邪気に信じていた。こうして他人を助けてその輪を広げていけば、きっと世界は明るくなると。
そこに、パタパタと駆けよって来る者がいた。
「はい、免罪符……って、聖女様!?」
現れたのは、もう一人の同級生の聖女だった。その姿を見た途端に神官の何人かが身を固くしたが、そっちを見ていないシノアは気づかない。
「ア、アノン……どうしたの、そんなに慌てて?」
「免罪符……免罪符を、ください……」
アノンはずいぶんと顔色が悪く憔悴しているようだった。ひどく怯えて張り詰めた顔をして、必死で机の上に手を伸ばす。
「……これを」
その手に掴んだものを見て、神官たちもシノアもびっくりした。
それは、銀でできていて金の装飾が入ったかなり高額なもの。しかも、アノンに似合わぬ暴食の罪を許すものだったからだ。
「アノン……一体、何があったの?
困ってるなら、話してよ。力になるよ!」
アノンは一瞬、すがるような顔をした。
しかしすぐに浮かない顔になり、ぐっと唇を噛みしめてしばらく悩んだ後、すまなさそうに首を横に振った。
「いいえ、これは私が悔いるべき問題ですから。
自分のしたことも自分で拭えないようでは、神に仕える者とは言えません。お気遣いは無用です」
アノンは震える手でお金の入った袋を置くと、逃げるように去っていった。
それを見送ったシノアは……ほーっと安堵のため息をついた。
「良かったー……誰かに困らされてる訳じゃないんだ。
それにしても、アノンは立派だな。あんなに厳しく自分を見つめて、きちんと取り戻そうとするなんて。
あたしも見習わなくちゃ~!」
シノアの目には、今日も平和で明るい世界が映っていた。
……アノンの身に、何も起こっていない訳がない。
アノンはここに来る前、また他の人眼がない所でティエンヌたちに大食を強要され、吐かされたのだ。
例によってティエンヌたちは、こんな事になったのはアノンのせいだと責め立て、これもないのにと自分たちは免罪符を見せつけた。
それを真に受けたアノンは耐えきれず、有り金はたいて免罪符を買いに来たのだ。
シノアは、そんなこと欠片も想像できなかった。
だってシノアはそんな虐めに遭ったことがないし、シノア自身もどこまでも善良で人を虐めるなど考えたこともない。
それに、アノンは自分の問題だとはっきり言ったではないか。
……シノアは、本当に虐められて苦しい人間が他に助けを求めるのがどれほど難しいか、知らなかった。
虐める人間が標的に他言しないよう口止めするのは、常識だというのに。
もっと狡猾な場合は、標的の人の良さを利用してコントロールして自尊心を失わせ、助けを求めなくさせるのに。
標的の守りたいものを質に取って追い詰めるのも、お手のもの。
シノアは虐めをなくしたいと思うばかりで、そういうことを何も知らない。
きれいで幸せな世界を信じているから、そんな事はないと無意識に信じ込んで、ユリエルが失われても何も学ばない。
おかげで、シノアは巻き込まれず平和なままだった。
それに、シノアの盲目な平和を守りたい人もいる。
「シノアさん……あれ気づかないとか、どんだけ頭の中お花畑なの……」
「鈍感にも程があるでしょ。
……でも、おかげでシノアさんは私たちを助けてくれるのよ。私たちのために、シノアさんはそのままでいてくれないと」
シノアが先に帰った後、売り場を片付けながら、神官たちは口々に言う。
シノアほど恵まれた育ちでない神官たちは、とっくに気づいている。アノンが、悪意の罠に落ちてもがき苦しんでいることに。
しかし、助けようとは思わない。
なぜなら、下手に首を突っ込むとどうなるかを知っているからだ。
いじめを止めようとした人間が次の標的になるなど、よくあること。しかも虐めているのは絶大な権力を持つ枢機卿の娘、目をつけられたら一巻の終わりだ。
聖女でも倒されるのに、一般神官の自分たちが敵う訳もない。
そしてシノアでも、ティエンヌたちにはとても勝てないだろう。富も地位も、はっきり言って格が違いすぎる。
それが分かっているから、神官たちはシノアに巻き込まれてほしくなかった。
シノアは人が良くて羽振りも良くて、平和にしておけば自分たちちょっと恵まれない友達を笑顔で助けてくれる。
本当に、こんないい人は貴重だ。
対価なく善意だけで助けてくれるこんなありがたい人を、助ける金のない奴のために奪われてたまるか。
それがシノアに集まる神官たちの総意だ。
だから神官たちは、自分たちとシノアのために見て見ぬふりをする。むしろ積極的に、シノアの目を塞ぎに行きさえする。
そんな神官たちにとって、シノアの盲目はとても都合が良かった。
アノンには悪いが、アノンが破門されて消えたって自分たちに影響はない。
ならば自分たちはシノアの慈悲に与りながら点数を稼ぎ、次の春まで目を付けられないようにして卒業を待つのみ。
どうせここで助けなかった人なんて、将来に何の関係もないんだから。
ほとんどの学生たちは、そう考えて日々を過ごしていた。
そう、堕とされて消えた者に口はない。
だから、助けなくても大丈夫。何ともない。
盲目のままでいてもわざと他人のそれを守っても、関わりに行かなければ日常は変わらず流れていく……。
……とは限らないことを、ほんの一部の者だけは掴んでいた。
「湿地の様子がおかしい?」
カリヨンは盗聴されないようにわざわざ学園都市の外の森で、マリオンからの報告を聞いていた。
カリヨンの結界とマリオンの隠密スキルで、二人はほぼ完全に他から認識できなくなっている。
「ああ、まず一番わかりやすいのは……ワークロコダイルの集落が消えた。
それに、ダンジョンを襲った賊のキャンプが見つかったんだが……どうも直前まで生活してた人数が、ダンジョンで見つかった死体より多い」
マリオンは、冒険者ギルドの斥候として湿地の調査を行っていた。
教会からの大規模討伐命令を受けて、湿地の奥にいるワークロコダイルも討伐が検討されていたからだ。
しかし、調査に向かったところ集落はもぬけの殻。ワークロコダイルがいないどころか生活に必要なものもなくなっており、どこかに移住したように思われた。
……が、その移住先が分からない。
ワークロコダイルは基本的に水場がないと暮らせないため、湿地から近い国内の水場はできるだけ探ったのだが、見つからない。
「……ただ、他の斥候が、湿地や山裾の森でワークロコダイルを見たって言ってんだよ。俺が、集落が空だって確認した後に」
「なるほど、それは妙ですね。
何らかの原因で集落が壊滅し、はぐれだけになった可能性は?」
「その原因らしき変化はあった……が、集落は攻め滅ぼされたって感じじゃない。
ついでに賊のキャンプ周辺にも、その不気味な変化はあった。むしろ賊の方が、あれに耐えかねてダンジョンに逃げたんじゃねえかな」
マリオンが調査したところ、賊のキャンプを中心にワークロコダイルの集落を含む形で、様子がおかしい場所があった。
いつも夏はあんなに煩わしい蚊やブユがおらず、魚やエビや他の虫もおらず、鳥や獣も寄り付かない……死んだような場所。
「一緒に調査した奴は、賊が変なモンを不法投棄して一帯が毒に侵されたんじゃねえかって言ってた。
そこは俺も同じ意見だぜ。
ただな……それだけで説明できない変化もある」
マリオンは警戒した様子で、カリヨンの耳元に口を寄せる。
「こっから先は俺の感覚で、ギルドにも報告してないんだけどよ。
そういう毒の影響を受けねえはずの、水場の妖精みたいな魔物……ミストスピリットやウィルオーウィスプが妙に少なかった。
ワニと一緒に移動しただけならいいが、減り具合からして少数で使役できる数じゃねえ」
「……何者かが、意図して多数集めていると?」
「俺はそうにらんでる」
マリオンの言い方に、カリヨンは息をのんだ。
ダンジョン襲撃は賊によるものだし、続けて侵攻してきそうな奴らは教会主導の大規模討伐でほとんどいなくなった。
……しかしそれは氷山の一角で、事変はまだ終わっていないということか。
嫌な予感を覚えるカリヨンに、マリオンはさらに衝撃的なことを告げる。
「……俺は、ユリエルが絡んでるんじゃねえかと思ってる」
「何ですと!?」
「これもギルドにゃ言ってねえが、ユリエルと毎年虫遊びに行ってた朽ち木や、毒キノコ観賞してた切り株がなくなってた。
……例のダンジョン、虫の魔物と相性がいいんだったな」
マリオンの言わんとすることは分かった。
もしユリエルがそこに潜んで、報復のための牙を研いでいるとしたら……ということだ。
マリオンは、少し悲しそうにささやいた。
「……正直、ユリエルが生きるにゃ、そうするしかなかったろう。
俺は応援したいくらいだ。
けど、始まっちまったらあんたらはどうなるか分からねえ。……まだ決まった訳じゃねえが、何が起こってもいつでも逃げられるようにしとけ!」
マリオンはそれだけ警告し、森の木々に溶けるように消えて行った。
カリヨンはぐっと拳を握り、しばらく立ち尽くしていた。
カリヨンを乗せた馬車が、何事もなかったように学園都市の門をくぐる。いつもと変わらぬ街の様子を見ながら、カリヨンは思う。
(呑気なものね……教会を信じるだけで他を見ようとしない者は。
自分たちが何に加担して何を捨てたか。水面下で起こっていることなんて、彼らにとってはこの世にないのと同じ)
しかし、見えないこととないことは違う。
自分が気づかなかったからといって、水面下の何かが襲ってこないとは限らないのだから。
(もっとも、その鈍感力で身を守れている者がいるのは確かですが。
ユノは戦場に発つ前、シノアの身を案じていましたが……首を突っ込みたくても穴が見つからないようですし)
すぐ側の暗部に気づかずのほほんと過ごしている友を思うと、逆に羨ましくなってくる。
自分やユノが見えているゆえに苦しむのが、馬鹿みたいだ。
しかし、見えていなければ備えられないこともある。自分が標的にならなくても、巻き込まれることなどいくらでもある。
もしユリエルが生きていて戦いになったら、シノアはどうするのだろうか。
喉元に刃を突きつけられてから慌てふためいても、もう遅いのだ。
かくいう自分たちも、ユリエルには申し訳ないことをしていると思う。見えたとしても、すぐに対応して動けるわけではないのだ。
この街は、インボウズの縄張りなのだから。
大規模討伐が終わってのんびりしている衛兵たちを眺めて、カリヨンは呟いた。
「次の糸の採取まで、あと三日。
……何も起こらなければよろしいのですが」
凪いだ水面が破られる日は、近い。
次回から次の章に入り、本格的に教会との戦いが始まります。
ユリエルはどんな準備をしてきたのでしょうか。
そして、慌てふためく教会の動きは!!
さあ、言い放つ準備だ……「もう遅い」