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虫愛でる追放聖女はゲテモノダンジョンの妖精王となりて  作者: 青蓮
第1章 ダンジョンマスターへの道
13/121

13.始動・初陣:マスターユリエル

 時間はずれたが、何とか間に合った。


 ついにタイトル回収、ダンジョンマスターとしての戦いだ!

 パワーアップして初バトルが窮地からなんて、なろうではよくあることさ。


 脳筋ワニ共に襲い掛かる、罠と虫のコンボ!!

 思わぬ被害を出した時、ワニの戦士の長は……。

(なお、作者は影牢大好き人間です)

 

 アラクネは、一瞬何が起こったのか分からない顔をした。

 その首を掴んで揺すり、ユリエルは怒鳴りつける。

「早く、マスターの座を譲りなさい!!

 奴らが二階層に入る前に、早く!!」

 こうなったらもう、時間との勝負だ。

 前のゲースの仲間の時に、敵がいる階層を改造することはできないと分かっている。だから、二階層が改造できるうちに。

 ようやく意図を悟ったアラクネは、それでも目に涙を溜めてユリエルの手を振り払った。

「何言ってるんだい、無謀だよ!

 今なら、あなただけなら突破すれば外に逃げることができる。マスターになったらもう、逃げられないんだよ!」

 しかし、ユリエルも負けじと言い返す。

「外に逃げて……どこでどうしろっていうの!?

 私にはもう、生きていける場所がないのよ!私には、ここしかない!!」

 それを聞いて、アラクネははっと思い出した。

 そうだ、ユリエルは元から行き場を失ってここに来たんだ。ここから逃げたって、力尽きた先輩たちと同じ道をたどるだけ。

 本当に逃げ場がないのは、アラクネではなくユリエルだ。

 それに気づくと、アラクネも腹を括った。

「……分かった。あなたに、託すよ!

 何なら、あたしも逃げられないボスに指名してくれてもいいよ!」

「ちょっと、それじゃ私が約束破りになっちゃうじゃん。

 大事なアラクネちゃんに、そんなことしないよ」

 ユリエルとアラクネは、二人でダンジョンコアに手を触れた。願わくばこれからも長く共にありたい、仲間とダンジョンコア。

 胸が張り裂けそうな祈りとともに、アラクネはコアに宣言した。

「マスター譲渡、人族、ユリエル!

 ダンジョンの全ての権限を、新たなマスターに移す!!」


 途端に、アラクネの体からふっと力が抜けた。

 今まで相応を超えて引き上げられていた力が、レベルと種族相応に落ちていく。アラクネは、自分がただのアラクネになったことを本能で理解した。


 一方、ユリエルは体中に力と魔力がみなぎるのを感じた。ダンジョン全体が、自分に力を捧げているようだ。

 しかし次の瞬間、激しい頭痛と目まいに襲われて崩れ落ちた。

「ぐ、うううぅ!!?」

 頭の中に、一気にいろいろな情報が詰め込まれる。

 このダンジョンのこと、ダンジョン作りで最低限守らなければいけないこと、DPの得方や使い方……マスターとしての基礎知識。

 あまりに急激な入力に、脳が思考を切ろうとする。

 しかし、今ここで意識を失う訳にはいかない。

 ユリエルは、歯を食いしばって意識を保ち続けた。


 ようやくそれが治まると、ユリエルはまだ気分が悪いのをこらえて、すがるようにダンジョンコアに手を伸ばした。

「奴らの……様子は……!?」

 ダンジョンコアに映して見ると、ワークロコダイルたちは二階層につながる下り坂に入っていた。ここまで罠がなかったからか、若干足取りが軽くなっている。

「これからも同じだと、思うなよ……!」

 ユリエルは荒い息の下で宣戦布告し、すぐさま罠の設置を始めた。


 ワークロコダイルたちは、だらだらと続く緩い坂道を下っていた。最初は気を張っていたが、こうも何もないと拍子抜けだ。

「しかし、本当に進みやすいダンジョンだな……通すためにある道だ」

 呆れ気味に呟く巨体の戦士に、老母は憐れむように言う。

「ずっと昔人間に制圧されて……糸ばかり取られていたらしいからね。こんな所まで、人間の言いなりって訳だ。

 ばあさまがいつも言ってたよ……ダンジョン取っても、ああはなるなって」

 このダンジョンの通路は階層をつなぐ通路にすら扉や階段はなく、ひたすら人も車も通りやすい緩い坂道になっている。

 このダンジョンとしては異様な光景に、ワークロコダイルの戦士たちも笑うやら馬鹿にするやら。

「グハハッ!コンナダンジョン、スグ踏ミ潰シテヤル」

「潰サレルタメノ、ダンジョンダ!」

 最初の警戒はどこへやら、小走りで先に進んだり飛び跳ねてみたり。

 巨体の戦士が注意しても、一度緩んだ気はなかなか戻らない。

 そのうち、異変は先頭で起きた。

「オイ、魔物ダ!」

 岩陰から、一匹の大ムカデが這い出してきて大あごをカチカチ鳴らしている。小さな体で、通さないとでも言っているのか。

「グフフ……一番手柄ダ!」

 戦闘にいた二、三人が一気にとびかかる。昼間ユリエルを逃がしてしまった不手際を、少しでも挽回しようとしたのか。

「待て、うかつに……!」

 巨体の戦士が注意したが、もう遅い。

 大ムカデに殺到した戦士たちの足下が、いきなり抜けた。そのまま真っ暗な穴の中に落下し、体を貫かれる。

「ブゴォッ!!」

 三メートルほどの落とし穴、その底に尖った木の杭が何本も仕込まれていた。

 体の重いワークロコダイルたちは自重と落下の勢いで、柔らかい腹をブチ抜かれてしまう。しかも、もがけばもがくほど深く刺さっていく。

 すぐ命に別状はないが、簡単には抜けられない。

「オ、オゴッ……ガハァッ……痛エヨォ!」

「ああ、可哀想に!」

 老母が魔法で火を灯して中を照らすと、底で折り重なってもがく手下たちの姿が見えた。貫かれた傷から、じわじわと血が流れていく。

「助ケネエト!」

「ヒドイ事シヤガル!」

 思わず穴の側に群がる仲間の戦士たちだが……。

「後ろだ!」

 いきなり、老母が叫んだ。

 ワークロコダイルたちの背後、坂の上から重そうな鉄球が転がってきていた。たちまち、避けきれなかった戦士がはねられる。

 そしてその鉄球は、下るままに穴へ……。

「させん!ふぬううう!!」

 巨体の戦士が、自ら壁となって鉄球を止めた。重く勢いのついた鉄球を自らの質量と筋肉で受け止め、そらす。

「フゥ……やってくれる!

 穴に落ちた奴らを、潰す気だったか!」

 巨体の戦士は、忌々し気に呟いた。

 鉄球の直径は、落とし穴よりも小さかった。もしあれが落とし穴に落ちていたら、中にいる三人はほぼ助からなかっただろう。

「マスターは、ずいぶんと賢いようだね!」

 老母が、苦い顔で呟く。

「ああ……母上の『目』が頼りだ。ここからは……」

 そう言いかけた途端に、老母の周辺がいきなり強く光った。その光の中にモヤのようなものが浮かび上がり、のたうつように動き回って霧散していく。

 老母は、驚きと焦りに目を見開いた。

「ああっ……め、『目』が、やられた!!」


 コアルームで、ユリエルは今しがた撃破した魔物の情報を確認していた。


 種族:ミストスピリット 職業:―

 レベル:5 体力:30 魔力:55


 こいつは実体を持たない霧の魔物だ。物理攻撃が効かないし、地面近くにいたり暗い場所だったりすると存在にすら気づかない。

 しかし、まだレベルが低く擬態や隠密系の技をもたないため、ダンジョンコアの機能で侵入者を調べれば丸わかりだ。

「……怪しいと思ってたのよ。

 追っ手は振り切ったはずなのに、こんなに早く来るんだもの!」

 ユリエルは、憤慨して呟く。

 湿地から追ってきた魔物はダンジョンからだいぶ離れた所で振り切ったのに、ワークロコダイルたちは斥候もなしでここに来た。

 しかも、初めからダンジョンと戦うつもりで。

 それと、昨日ワークロコダイルと連携して襲ってきた魔物たちのこと。普通、野生で別種のしかも知能が低い魔物が連携することはない。

 背後に、魔物を操る者がいなければ。

 これらの状況から、ユリエルは疑った。敵に魔物を操る者がいて、気づかれない追手でダンジョンのことを察知したのではないかと。

 その予想は当たったようで、シャーマンがこの見えづらい魔物を操って目として使っていた。

 だからユリエルは、ダンジョンの罠の一種でこれを狙って倒した。

 罠といってもシンプルなもので、設定した地点にダンジョンコアを通して魔法を送ることができるというもの。

 ユリエルは落とし穴の近くにこれを設置しておき、範囲型の光魔法、ホーリーバーストを送ってミストスピリットを倒した。

「実体のない魔物なんて、聖女として山ほど倒してるわよ!

 あのババア、聖女がどんな戦いに駆り出されるか知らないのね」

 ユリエルは、元々聖女として認められる魔力の持ち主だ。そのうえ聖女として、実体のないアンデッド等への攻撃を鍛えてきた。

 そのユリエル相手に、ミストスピリットは存在がバレてしまえば相性が悪すぎた。

「さあて、これであのババアはもう先を探れない!こっちの魔物を妨害することもできない!

 今度はこっちの番よぉ」

 反撃に血沸き肉躍るユリエルを、アラクネは若干怯えながら見ていた。

「ユリエル……す、すごい!

 これが、知識と戦略の力!」

 ユリエルは敵が二階層に入るまでのわずかな時間で、敵の性質に合わせた罠を的確に設置して当ててみせた。

 敵の動きを読み、コントロールしている。

 罠の選択も、DP消費を抑えつつ敵を止めることを考えている。重いワークロコダイルの柔らかい腹になら、鉄の槍でなくとも木の杭で十分通用するのだ。

 おかげで、DPにはまだ余裕がある。

 これで慌てふためいて強い仕掛けばかり使ってしまったら、すぐにDPが尽きて詰んでいただろう。

「ま、どんなに強くてタフな奴でも、ここまで辿りつけなきゃ相手にしなくていいものね。

 倒さなくても、止めればいいのよ。

 あの体重なら、穴のへりに手がかからなければ上がるのは難しいでしょ。人間と違って、ロープも持ってないみたいだし」

 それから、ユリエルはにわかに腹黒い笑みを浮かべた。

「生きてここにいてもらえば、DPが入り続けるしね」

 その言葉と笑顔に、アラクネはぞっとした。ユリエルに容赦がないのは出会った日から知っていたが、改めて敵でなくて良かったと心底運に感謝した。

「さあ、まだまだいくわよ!

 虫たちの力、思い知りなさい!」

 動揺したワークロコダイルたちに、ユリエルは冷酷に虫を差し向ける。その表情は、仲間がどれだけ死のうが巣を守らせる女王バチのようだった。


 ブーン、と不穏な羽音がダンジョンの通路に響く。

「オイ、ハチダ!」

 天井に空いた穴から、アサルトビーたちが次々と通路に出てくる。さらに壁が崩れて、岩ムカデや魔物化したゴキブリも。

「うろたえるな、岩ムカデ以外大したことはない!」

 巨体の戦士は冷静に指示を出し、配下たちと迎え撃つ。

 しかしその間にも、ユリエルの罠は襲い掛かる。岩ムカデに誘い出された戦士が、一人また一人と落とし穴に沈んでいく。

 ユリエルは、ダンジョンコアを通じて目視しながら手動で罠を作動させているのだ。さっき大丈夫だったから大丈夫、と思ってはいけない。

 それでも、何とか体をひねって落ちた時に杭を回避した戦士はいるが……。

「クソッ!スグ這イ上ガッテ……ブベッ!?」

 岩ムカデが駆け寄って、何か柔らかいものを落としていった。

 ナメクジが魔物化した、スベリナメクジだ。50センチほどの小さな体で殺傷力はほぼないが、名前の通り滑りやすい粘液を大量に出す。

「チッ……コンナ虫ケラ!……ンオオッ!?滑ル!!」

 ワークロコダイルが振り払おうと暴れると、スベリナメクジはどんどん粘液を出す。踏み潰すと、大量の粘液がぶちまけられる。

 ワークロコダイルはあっという間に粘液塗れになり、手足が滑って穴から上がれなくなった。

 別の戦士は、足もとを大量に這いまわる魔物化したゴキブリ……ビッグローチの幼虫を踏みつけて体勢を崩してしまう。

 そこに、複数の石ムカデ(大ムカデと岩ムカデの中間)が取り付いて、ユリエルの指示した方向に転ばせる。

 すると地面が抜けて、落とし穴に真っ逆さま。

「オアァ~誰カ!……ブゲッ!?」

 他の戦士が助けようにも、どこに罠があるか分からない。おまけに、踏み潰したゴキブリだらけで足が油を塗られたようになり、踏ん張りがきかない。

 唯一巨体の戦士だけは仲間を助けつつ奮闘しているが、一人で全てには手が回らない。

 そのうち、さっきの魔法を届ける罠から今度は火が吹き出した。それほど威力はないが、広範囲に降り注ぐ炎。

 それが、ゴキブリたちの死体に引火した。

「ギャアアァ熱イヨオオォ!!!」

 ゴキブリをさんざん潰して油だらけになった戦士たちの体にも、引火した。針や牙がとおらなくても、火は確実に鱗の下にダメージを与える。

「くっ……ウォータースプレッド!」

 老母が広範囲に水を降らせて消火するも、戦士の何人かは手足の指に火傷を負っていた。これでは、本来の力が出せない。

 気づけば、落とし穴を免れた戦士は半分ほどになっていた。

 しかもそのほとんどが、罠と虫にひどく怯えている。

 この辺りの罠を使い切ったのか、虫たちはさっと狭い隙間に引き上げていった。しかしこの先にはまだ通路と、三階層もある。

「何て様だ……この陣容で、ここまでやるとは!

 もしや、我らを油断させるためにわざと未改造のふりをしたのか?」

 巨体の戦士が言ったことは、半分本当だ。

 迷宮に改造するだけのDPがなかったのはそうだが、ユリエルはあえて見通しを良くして魔物を差し向けることで、足下から注意をそらした。

 節約と実益を兼ねた戦術である。

 もっとも、敵が素早さ重視だったり飛行系だったりすると一瞬で踏破されてしまう悪手なのだが……今回はワークロコダイルの弱点に全力でのっかった話だ。

 巨体の戦士は敵をなめていたことを痛感し、苦々しい顔で周りを見回した。

(もう一度か二度これをやられたなら……戦士たちのほとんどを失ってしまいかねん。

 それではだめだ!この戦いの後、新たな巣を守り切れん!

 だが退くにしても……さっき通って来た一階層が、帰りは牙をむかんとは限らんぞ。むしろ、我なら確実にそうする!)

 入ってきた時はこのダンジョンはこんなに貧しいのかと笑ったが、今はどれだけの力を隠し持っているか分からない。

 落とし穴に拘束された仲間を置いて、軽いやけどを負い士気を挫かれた仲間を連れて、進むも退くもならない。

「母上、火傷だけでも癒せますか?」

「ああ、三人くらいなら。それで、魔力が尽きちまうよ」

 救いを求める息子の問いに、老母は力なく答えた。

 老母はこのダンジョンに入る前から、ミストスピリットの使役に魔力を使いっ放しだった。それが虫との戦いや消火でも消耗し、もうあまり残っていない。

 巨体の戦士は、懸命に周りに目を光らせながら仲間を休ませるしかなかった。


「ふふふ、これで手下たちは使いものにならないでしょ!」

 コアルームで、ユリエルが酷薄そうな笑みを浮かべていた。しかしその額には、じっとりと汗が浮かんでいる。

 今回の襲撃で、虫たちにも少なくない被害が出た。特にビッグローチは、元からいる分では足りなかったのでDPで追加生成したほどである。

 幼虫だしクソ弱いので生成単価は安いが、何度もこの規模をやれるほどの余裕はない。

 何より、罠や魔物では倒せない相手はほぼ無傷のままだ。

「あのチャンピオン……あれを何とかしないと、勝てないんだけど」

「ええ、いくら手下を削っても、その生き残り少しでもとあいつが突撃してきたら、あたしたちは敵わない」

 アラクネも難しい顔で唸った。

 群れの中で突出して強い、タフクロコダイルガイ。あれと戦って負けたら、いくら手下を倒していてもこちらの負けだ。

 しかし、あれを手下と同じ手段で倒すのは無理だ。手下のワークロコダイルたちよりさらにゴツい鱗は、杭どころが槍でも貫けるかどうか。

「うーん、あたしたち、一点集中の火力はあんまりないから。

 まともな武器もないし……どうやってあいつにダメージを通すか……うーん」

 アラクネが悩んでいる間に、ユリエルはダンジョンの機能を調べて使えるものがないか探していた。

「強力な罠でDPを使い切っちゃうと、次に人間が来た時が辛いわね。

 それよりは、もっとこう将来にわたって使える何か……」

 ユリエルはこんな時でも、先のことを考えていた。

 そして、見つけた。

「あーっ!DPと引き換えに私自身も強化できるの!?新しい魔法適性とか常時発動のスキルとかも取れるじゃん。

 しかも、新しくマスターになった報酬で一つプレゼント!?

 この中に強いのがあれば……!」

 勇んでタダで取れる強化の一覧を確認するアラクネとユリエル。

 しかしその中に、この状況を逆転できそうな強力なものはなかった。所詮はタダでもらえるおまけ程度である。

「うわ……何かもう、あいつ相手にはあってもなくても変わんない……」

「……いや、一つ使えるのがある!」

 げんなりするアラクネを横目に、ユリエルは何かを思いついた。

 そして、迷わず報酬を取る。

「えー……それって、耐性じゃん。あいつ、そんな攻撃してこないし」

 意味が分からないアラクネに、ユリエルは残忍な笑みで答える。

「違う違う、これで私自身に仕込むのよ。

 こういうのにちょうどいい虫さんもいることだし、魔物化してないけどその分安く複製できるし。

 ……あの筋肉ワニに、虫さんの恐ろしさを教えてあげるよ!」

 ユリエルの手の上には、赤い頭と黒地に白いしまのある小さな甲虫が乗っていた。


 しばらく、ワークロコダイルたちはその場に留まっていた。

 進もうにも退こうにも、何もないように見える地面が恐ろしい。踏み出せば、穴に落ちて杭で貫かれるかもしれない。

 しかしここにいても事態は解決しないし、落とし穴の底で徐々に弱っていく仲間を見ていると心が乱れる一方だ。

 老母が、巨体の戦士にささやく。

「もうあたしたちは置いて、あんただけでお行き!

 この程度の罠と虫なら、あんただけなら突破できる。

 あたしたちが助かる道は、もうそれしかないよ!」

 巨体の戦士は、悲痛な顔で歯噛みした。

「仲間を、見捨てろというのか!?

 それに、ここで母上たちがやられたら、誰が共に新しい巣を守るのか。たとえ勝っても、我たった一人では……」

 老母は、静かに首を横に振った。

「いえ、安全に退くこともできない時点で、どうしたって同じだ。

 むしろここが手に入らずあんた一人になったら、どうやって集落を守るんだい?」

 巨体の戦士は、答えられなかった。

 老母の言うことが正しいと、頭では分かっている。しかし、魔力が尽きかけの老母をここに残していくのも辛くて。

 もし勝ったとしても、ここでこと切れた老母を見ることになると思うと……。


 その時、ダンジョン内に声が響いた。

「えー、ワークロコダイルの皆さん、こちらはダンジョンマスターです」

 その名乗りに、全員がびくりとして顔を上げた。これだけひどいことをしておいて、一体何を言ってくるというのか。

「皆さんが私を殺すと攻めてくるので、身を守るために防衛させていただきました。

 おかげでこちらは、仲間がたくさん死んで大変な思いをしております」

 当てつけのように言われて、ワークロコダイルたちは憤った。

 こっちだって一族を守るために必死に戦っているのに、今まさに苦しんで死にゆく仲間がいるのに、何て言い草だと。

 だがそれに続く言葉は、意外なものだった。

「ですが、そもそもこの戦いは不要です。

 あなた方はここに住みたいなら、私と戦う必要などありません。一緒に住んで力を合わせればいいじゃありませんか。

 降伏しなさい!そうすれば命を助け、あなた方の家族も受け入れましょう」

 その言葉に、ワークロコダイルたちに動揺が走った。

「オ、俺タチ、助カルノカ!?」

 特に穴の中で貫かれている戦士たちは、すがるような声を上げた。

 巨体の戦士に取っても、悪くない申し出に思えた。しかし降伏するということは、これから一族丸ごとダンジョンマスターに支配されるということ。

 その後の処遇次第では、一族をさらなる苦難に投げ込みかねない。

 巨体の戦士は、用心ぶかく問う。

「おまえは、何のために戦っている?種族は何だ?」

「私を陥れた教会に、復讐を。私は、人族です」

 その答えに、巨体の戦士はゆっくりと首を横に振った。

「だめだ、信用できん!……おまえと手は、取り合えん」

 だって教会に復讐するということは、人間に大きな戦を仕掛ける気かもしれない。その時、大切な一族が盾や鉄砲玉にされるかもしれないのだ。

 何より、人間は信用ならない。自分たちをこうするしかないほど追い込んだのも、そもそも人間どもだというのに。

(やはり、戦うしかないのか!)

 覚悟を決める巨体の戦士に、ダンジョンマスターの困ったような声が届く。

「えー、このまま私たちが傷つけあったら、攻めてくる人間ばっかり得するじゃない。

 あなたも、これ以上仲間を傷つけられたくないでしょう。私だって、これ以上仲間と力を失いたくありません。

 でしたら、そうですね……」

 ここで、ダンジョンマスターから提案。

「あなたと私、一対一で勝負をつけませんか?」

 巨体の戦士の脳内に、稲妻が走った。

 向こうからこんな提案をしてくるとは、渡りに船だ。こちらはたとえ向こうが複数でも、一人で乗り込もうと思っていたのに。

 巨体の戦士は、力強くうなずいた。

「よかろう!勝った方が総取り、それで文句はない!!」

「分かりました、ではコアルームにお越しください。

 道中、あなたを攻撃しないとお約束しましょう!」

 話は、ついた。後はやるだけだ。

 もちろん、ダンジョンマスターの言うことが本当である保証はない。だが自分には、もう他の選択肢がないのだ。

「行って参ります、母上。

 必ずや、一族の安住の地をもたらそう!」

「ああ、あんたならやれる!」

 最後に老母とひしと抱き合って、巨体の戦士はダンジョンの奥を見据えた。後ろから、仲間たちの必死の声援がかかる。

 今こそ、己の役目を果たすとき。

 巨体の戦士は、全身に力をみなぎらせて走り出した。

ワークロコダイル:リザードマンの近縁種で、二足歩行し知能を持つワニ。大柄で攻撃力防御力はリザードマンより高いが、体が重くて陸上で素早い動きは苦手。水場に住んでいることが多いのもあって、泳ぎながら攻撃するために武器を持たず格闘を好む。

ビッグローチ:魔物化したデカいゴキブリ。気持ち悪いが、戦闘力はあまりない。繁殖は速い。普通のゴキブリと同じく体に油が多く、火をつけるとよく燃える。

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― 新着の感想 ―
バカだなぁ、脳筋ワニ君。 信用できないと言った相手が出してきた「譲歩」を、丸々受け入れるなんて…。所詮は爬虫類か…。 次回、追放聖女の○○耐性が火を噴くぜ!! まあ君達も、爬『虫』類だし、きっと馴…
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