112.妖精の怒り
妖精さんたち、本格始動だ!
今回は二種類の新しい妖精さんが出てきます。
妖精といえば、小さくて可愛らしいのが定番ですね。
でも、自然の中で待ち構える人外という意味では人間離れしていたり醜かったりする妖精さんもたくさんいます。
下層に進む侵入者たちを待ち受けるのは……。
森の虫地獄であった7階層を抜け、8階層に到達した男たちがいた。
しかし、無事とは言い難い。
「ハァ……ハァ……畜生、休めるところはねえのか!?」
「腹が減った……クソッまだ口の中が苦いぜ!」
男たちは、相当消耗していた。
これまでの階層は、いつどこから敵が来るか分からず、足を止めても休まらなかった。
おまけに、食糧と水の便利セットを大枚はたいて買ってきたのに、湿地でちょっと酒を飲んでいたらワークロコダイルに荷物の大半を奪われてしまった。
7階層には果物が実っていたが、みずみずしく美味しそうな杏にかじりついたら、とんでもなく苦いのが混じっていて食べた物を全部吐いてしまった。
おかげで、男たちはひどく腹を空かしていた。
そこに、どこからともなく美味しそうな匂いが漂ってきた。
そちらに向かうと、木の家があって煙突から煙が出ていた。
「おい、誰か住んでるのか?」
「もしかして、魔女の家……こいつぁ運がいい!」
「本人じゃなくても、女なら倒して料理もろとも食っちまおうぜ」
男たちは、この期に及んでまだ思い違いをしていた。ここで自分たちは、邪悪な魔女とその手下を分からせる側だと。
上で知性の乏しい魔物にすらここまでやられたというのに、男たちは分からされずにここまで来てしまった。
男たちは、ようやく実入りのいい獲物だと思い込んで家のドアを蹴破った。
「おい、飯をよこせ!!」
「うん?騒がしい連中だね」
男たちが強盗上等に踏み込むと、厨房にいた人影が振り返った。
その姿を見た途端、男たちは悔し気に歯を鳴らした。
そこにいたのは、色気の欠片もない老婆だった。ボサボサの髪に曲がった背中、醜いしわだらけの顔。
男たちが欲している美女からはかけ離れた存在だ。
「ふざけんな!!ヤれるかこんなモン!!」
男たちは腹立ちまぎれに、老婆に椅子を投げつけた。そして怯えて縮こまる老婆を横目に、煮えている鍋を奪った。
「おっ美味そうなシチューじゃねえか。
おいババア、死にたくなけりゃこいつをよこせ!ついでに、もっと食い物をよこせ!」
男たちの横暴に、老婆は不快そうに顔を歪めた。
「おまえたち、なぜこんな事をするんだい!?
勝手に他人のものを盗るなと、教わらなかったのかい?それに、それが人にものを頼む態度かね?」
至極まっとうな問いだが、男たちはせせら笑った。
「ハッ!こんなダンジョンに住んでるくせに何言ってんだ!」
「いいかぁ、ここに住んでる奴ぁみんな神敵かその手下なんだよ。
おめーはその時点で、何されても文句言えねえの!」
「それを、飯が美味かったら命は助けてやろうってんだ。ほれ、優しさに感謝してさっさと差し出せ!」
男たちはすっかり付け上がって、何をしてもいい気になっている。
「……あたしたちが悪い事をした、証拠も見てないのにかい?」
老婆の当たり前の言い分も、男たちにはどこ吹く風だ。
「証拠?んなもん、教会が神敵って言ってるので十分じゃねーか」
「そうだぞ、悪い奴ぁどんな悪いことされたって世のためだ。俺らは、そんなことも分かんねー女を調教して分からせてやるって言ってんだ!」
怯えて後ずさる老婆に、男たちは得物を手ににじり寄る。
か弱そうな見知らぬ老人への気遣いなど、欠片もない。男たちはただ、好き放題に奪って自分を満たしたいだけ。
それが分かると、老婆は憎たらしく顔を歪めた。
「ほう……言ったね?悪い奴はどんな目に遭ってもいい。上等だ!
じゃあ、おまえたち自身に分からせてやるよ。
悪い子は、お仕置きだあぁ!!」
途端に、家がガタガタと音を立てて揺れ始めた。
「何だ!?」
男たちが慌てた隙に、家じゅうのものが飛び回って男たちに襲い掛かった。テーブルに載っていたナイフやフォーク、皿や花瓶が男たちに飛びかかる。
「ぎゃああっ何しやがる!?」
「こいつ、魔女か!?」
男たちが反撃しようとした時には、老婆はもう魔力を込めて杖を振っていた。
「シチューが欲しいのかい?じゃあやるよ!
おまえたちも、こいつの仲間になるんだ!」
突然、シチューの鍋の中から何かが飛び出してきた。それが、熱いルーをまき散らしながら男たちに噛みついた。
「あっぢいいぃ!!!」
振りほどこうとして、気づく。鍋から飛んできて噛みついたのは、人間の頭蓋骨であると。
その瞬間、男たちの体がズシンと重くなった。
「さあ、先に来た悪い子たちが友だちを欲しがってるよ。
悪い子同士、一緒に地獄で遊ぼうねぇ!」
老婆の意地悪な声とともに、熱々のシチューが男たちにぶっかかる。男たちは思うように体が動かず、大やけどを負った。
そこに、真っ赤に焼けた火箸や鍋吊りフックが刺さった。しかも、目や口や関節といった急所を狙って。
その家そのものが敵になったようなコンボに、男たちはあえなく沈んだ。
老婆は嬉々として男たちの亡骸を切り刻み、首を切って鍋に放り込んでしまった。じっくり煮込んで、次の獲物に振舞うシチューにするために。
彼女は、魔女ではなく妖精。
森に暮らし、不用心に無遠慮に侵入した者を虐め殺す鬼婆、ハッグ。
彼女は痩せて小柄な姿で相手の油断を誘い、相手が醜い心を露わにするとその報いを与えるように殺す。
さらに犠牲者の魂を骨に縛り付けて苦しめ、その怨念を新たな獲物のための武器として使う。
この世の醜いものを煮詰め、醜い者にそれをぶちまける。
「フェッフェッフェ……他人に意地悪をしたら、どうなるか分かったかえ?
こいつらも、美味しい怨念になりそうだねえ」
楽しそうに新しいシチューを煮始めたハッグの後ろで、メチャクチャになった家の中が勝手に片付き始めた。
……が、彼女も無敵ではない。
ハッグが家具や道具を思うままに操るには、事前にかなり魔力を込めておく必要がある。
怨念シチューも、時間をかけて煮たものでないと大したダメージを与えられない。
つまり、連続で来られたり大人数で来られたりすると弱いのだ。
そのうえ、敵を逃がさずに閉所で全方位から攻撃できるのは、敵がのこのこと家に入って来た場合のみ。
逆に外から一方的に攻撃されれば、ハッグは一気に劣勢に立たされる。
「ダンジョンの中に住んでいる時点で、敵か不届き者だ。
ここは安全のため、家ごと焼いてしまうとしよう」
歪んだ正義感に駆られて攻めてくるいいとこのボンボンの中には、普段やっている圧政の癖でいきなり放火してくる奴もいた。
「ギィイイイッ!やってくれる!」
こうなると、もうハッグは圧倒的地の利と準備を使えない。まだレベルが低いため、家を固く守ることもできない。
魔法をぶつけられて炎上する家から飛び出し、木の枝にまたがって飛び回りながら戦うことになる。
それでも、周囲には他の妖精たちが作った罠がある。束ねられた花や丸く生えたキノコに敵が触れると、石が飛んできたり一時的に方向感覚を失わせたりする。
だが、それも有限だ。
敵は数十人の部下を連れた貴族、薬も祝福された装備も豊富だ。
まるで狩りでもするように、ハッグを追い立て、容赦なく聖なる矢を撃ち込んでくる。
ハッグも魔法による遠距離攻撃はできるものの、多勢に無勢、手数も魔力も防御力も足りない。
「ここまでか……畜生めぇー!!」
邪悪な恨みに満ちた叫び声とともに、ハッグは倒れた。
家はすっかり焼けてボロボロになり、鍋が転げてシチューはこぼれ、煮られていた頭蓋骨はもう動かない。
敵のボンボンは、やはり分からず屋を止めるにはこれが一番だと、鼻高々で荒らした廃墟を後にした。
数が多ければ、こうして敵を各個撃破するには有利だ。
しかし、それならそれで突くべき弱点はある。
9階層のカビとキノコの森は、まさにそのための仕込み場だ。
ここは、食物や水を腐らせる菌の胞子に満ちている。もっと危険な、状態異常を起こしたり寄生したりする菌もはびこっている。
無防備に食糧の袋や水の樽を開けると、すぐに胞子が入り込む。
しかしすぐには変化が起こらないため、すぐ起こる人の状態異常の対処に追われてそちらに気づかない。
「むぅ……ここにいては、いくら薬があっても足りんな!
者共、急いでここを抜けるのだ。ついて来られねば置いていくしかないが……その場合どうなるかは分かろうな?」
この手のボンボンは自分と精鋭を守る結界を用意しているものの、荷運びや一般兵の分まで用意などしない。
下賤の代わりなどいくらでもいるので、そこまでして守る気がないのだ。
そうでなくても、大所帯で行動するほど全員を守るコストは跳ね上がる。
……それでもここまで状態異常攻撃が激しいと、ある地点で結界で全員守る方が安くなるのだが……欲に引きずられて突っ込む馬鹿にそんな計算はできない。
そもそも、7階層より下はほとんど情報が出回っていないのだ。
元クソダンジョンで、マスターが男をたぶらかすしか能のない順位ギリギリの元聖女と聞いて、立てる見通しがまず甘い。
それに従って十分だと思う物資を準備しても、足りる訳がない。
だがそんな状況でも、この手のボンボンに撤退という考えはない。
あくまで自分の思い込みと欲に従って、足りない分は現地調達して前進あるのみだ。
「水も食えるキノコもあるではないか。
ならば、雑兵と荷運びはここで得られるものを食えばよい。間違って毒を選ぶような馬鹿は、要らぬ」
きれいに見える水にも、腐敗系や寄生系の胞子は混じっているのだが……こういう短絡的な輩にとってすぐ症状が出ないのはないのと同じだ。
こうして一行はカビ臭い下味をしっかりつけられて、さらに下に向かうのだった。
10階層は、再び美しい森と清らかな湖沼ののどかな階層だ。
しかし一行が分散して探索していると、にわかに白い霧が流れて来て侵入者たちの視界を遮った。
「あ、あれ……どっちから来たんだっけか?」
自分が伸ばした手の先も見えないような濃霧の中、部下たちは次々と帰る場所を見失っていく。
そして、湖沼の深みに足を突っ込んで静かに水中に引きずり込まれる。
しかし、大将のボンボンは初めはそれに気づかない。なぜなら、ボンボンが休んでいるところはうららかに晴れているからだ。
……この場所を限った濃霧は、明らかに自然のものではない。
犠牲者の近くにいた者は、その濃霧にぼんやりと顔が浮かぶのを見た。そして次の瞬間、思わず顔を覆うような風雨に襲われた。
「イビルフェイスだ!下手に動くな!」
幸い、イビルフェイスはさほど強くない。気づいた時に魔法攻撃の手があれば、倒すのは難しくない。
だがその脅威を取り除いた時、ボンボンの部下の人数はだいぶ減っていた。
「何をしている!?露払いもまともにできんのか!
極上の美女と栄光が我らを待っているのだぞ!」
それでもボンボンが撤退を考えることはない。ここまで来て帰ってたまるかと、焦れた下半身に引きずられている。
そっちの準備万端で来たのに、何もいい思いができないでは帰れない。せめてどこかに楽しめそうな女はいないかと、ボンボンは部下に鞭打って進んだ。
そしてようやく、次の階層へ進む鍵である湖の島の小さな神殿を見つけた。
それ以上に、本能が待ち望んでいた、美しい人影を見つけた。
島に渡る橋のたもとに佇む、白いドレスの女。近づく敵に気づくと、清楚な顔に憂いを浮かべてふわりと浮き上がった。
「ほう……妖精か。
妖精は、人間の妻となることもあったという。つまり、これは楽しめそうだ」
ボンボンが向けたいやらしい視線に、白いドレスの女はそっけなく言い返した。
「あら、お断りよ。あなたのような魂の汚れた男なんて。
私だって主様だって、そんなことのためにここにいるんじゃないわ」
しかしボンボンは、鼻息荒く言い放った。
「まさか、どう見てもそのためだろう!?
おまえの主は、聖騎士を誘惑した神敵!今も思いのままにできる男が欲しくて、待ち望んでいるんじゃないか?
おまえのような女を置いて誘っているのが、何よりの証拠だ!」
そのあまりな言いように、白いドレスの女は不快そうに眉を寄せた。
「まあ、何て目が濁っているのかしら!
あなたの目に真実は映らない。あなたの耳に真実は聞こえない。そんなあなたがいても、この世を汚すだけ。
私が、キレイキレイに洗ってあげるわ!」
突然、空が暗くなってザァッと雨が降り出した。
同時に、ボンボンの部下たちが一斉に白いドレスの女に攻めかかる。
「まあ、渡れるといいわね」
白いドレスの女は、激しい風雨で己を守りながら橋の上まで下がる。飛来する魔法はそれに阻まれて、まともに女まで届かない。
だが女が下がるにつれて、風雨は弱まっていく。
このまま押し込めとばかりに、ボンボンの部下が橋に踏み込んだ。
部下たちが勢いに乗って橋の半分ほどまで来たところで……橋の横の水面がいきなり盛り上がった。
次の瞬間、それが人間の腰くらいまでの波となって橋を襲い、部下たちの足をすくって押し流した。
「げぇっ踏ん張れな……ガボボッ!?」
あっという間に、十人ほどが落水する。
「落ち着け、そのまま島に向かうのだ!
むしろ多方面から攻めれば、奴は止められな……」
「そうかしら?」
ボンボンは大したことはないと思って命令を下すが、そんな甘い考えはここでは通用しない。
たちまち、橋の周りの水が大きく波立って渦を巻き始めた。部下たちはたちまち水に巻き込まれ、溺れていく。
「さあ、キレイキレイにしましょうね♪
死んだらもう、この世を汚さなくていいでしょ」
命の全自動洗濯機のように、暴れ狂う水が汚れた者たちを沈めていく。
彼女は水と霧の妖精、ダーム・ブランシュ。
人を迷わせ水に引きずり込む、水辺の霧にはっきりした意思が宿り、人の姿をとったもの。
透き通るような美しさと儚げな雰囲気で人を誘い、邪な心を洗おうとするように水でもみくちゃに殺してしまう。
進化前のイビルフェイスより遥かに多くの水を操ることができ、しかも近くに水場があれば瞬時に補給できる。
水場で戦えば、魔力が続く限り周りの全てを味方にできる。
……しかし、本人の耐久性は高くない。
戦況を見て、ボンボンの側にいた精鋭の魔法使いが動いた。強力な雷が、風雨を突き抜けてダーム・ブランシュの体を貫く
「かはっ……!?」
ダーム・ブランシュは一撃で水を操る力を失い、へなへなと橋の上に落ちた。
そこに精鋭の騎士が駆け寄り、光魔法を付与した剣を突き立てる。これでもう、ダーム・ブランシュは動けない。
「……ずいぶん、手こずらせてくれる。
しかも、高貴な私と配下を汚れているなどと!
おまえこそ、人間様の性なる剣で浄化してやろう!」
ようやく何をしてもいい美女を仕留めたとばかりに、ボンボンは舌なめずりして歩み寄った。
しかしスカートをめくった途端、下半身が大量の水の槍となって飛び出した。
「ぐがっ!?」
「残念ね、私の体は全部水なのよ。
あなたが楽しめるようなお肉なんて、私、持ってないわ」
それだけ言い残して、ダーム・ブランシュは消えていった。
白いドレスが霧に溶けるようにほどけ、しかしボンボンが目を凝らしたのも空しく、後に残ったのは水たまりだけだった。
「畜生、期待させやがって!!
こいつの分まで、生身の魔女を味わい尽くしてやるぞぉーっ!!
早く、上級回復薬をよこせ!」
ボンボンは怒り狂い、上級回復薬で傷を治して、残った精鋭とともに本命の女体を求めてダンジョンを下っていった。
ダーム・ブランシュを倒すための電撃が水を伝ってとどめになってしまった、大勢の部下たちには目もくれずに。
それを、ユリエルは苦い顔で見守っていた。
「うーん、配置したそばから敵が強すぎたなぁ。
疲れさせて弱らせた敵を送ってあげたいけど、弱いのはほとんど上で淘汰されちゃうからなー。
特に10階層ともなると、それなりに強い団体さんしか来れないか」
自身が妖精となって新たに進化させた配下たちは、欲にまみれた人間の悪意に敗れ去った。
しかし、ユリエルはそれほど心配していなかった。
倒されたといってもDPで復活できるし、負けた方が学べることは多いかもしれない。
それに、新しい配下たちは善戦して敵の人数を大きく削った。この状態のあいつらが、この先に待ち構えるボスに勝てる道理はない。
「さーて、レジスダンに結果を伝えて古城でスタンバイさせとくか。
あいつ、妹思いだから……怒るぞ~!」
虚実入り乱れる世界で、妖精たちは悪い人間を待ち受ける。
ありのままを否定し嘘に浸る人間どもに、その報いを与えて鏡に映したような悪意を浴びせるために。
己の汚れを認めようともしない人間どもの魂をこの世から解き放ち、世の中を少しでも洗濯するために。
新しく現れた妖精たちは、人間の傲慢を打ち砕く自然のごとく、残酷な怒りを向けて立ち向かう。
時には、人間に敗れて不自然を通されてしまうこともある。
しかし、世の中のありのままを守ろうとする魂が折れることはない。
自然の中で生きてきた妖精たちはユリエルの作った生態系に取り込まれ、その心に共鳴して本格的に戦列に加わった。
そして、そんな後輩たちを愛する恐るべき先輩妖精の怒りが、新人を突破した愚か者に迫っていた。
ハッグは日本でいう鬼婆とか山姥とかです。ヘンゼルとグレーテルに出てくるお菓子の家の魔女をイメージすると分かりやすいです。
ダーム・ブランシュは水辺に出現するもやのような幽霊のような妖精です。ちょっと洗濯女系が混ざっています。
そしてここではまだ効果が出ていませんが、9階層……長く旅するほど脅威になる時限爆弾型の階層です。これまでは、それが爆発するまで時間をかける奴がいませんでした。
目に見えるボスを退けたとて、ボンボン共はどうなってしまうのか……。
そして妖精たちは、何を思ってユリエルに手を貸し、このような進化を遂げたのか。