02 転入生の名前は江郷逢衣である。後編
午後の授業もHR活動も全て終わり、放課後。各々が部室に向かったりしている中、逢衣は下校するべく教科書を丸ごと詰め込んだ鞄を提げて校内の渡り廊下を歩いていた。
何事も無く一直線に帰れる、という訳にもいかない様だ。派手なメイクと髪色が一際目立っていた女子三人組が待ち構えていた。彼女らから滲み出ている表情から分析して、友好的なものではない様である。
「転入生さぁ、ちょっと調子に乗っちゃってない?」
「東北の田舎者のクセに生意気なんだよねぇ」
「先生に褒められるのに必死なんでちゅか~?」
罵詈雑言と共に三人は一斉に逢衣に近寄り、逃がさないとばかりに一気に取り囲んできたのですかさず立ち止まった。普通の神経をしている人間ならば、委縮したり不快になったりするのであろう。しかし彼女の無表情は崩れていない。動揺している様子も見せていない。
包囲してきた三人を一瞥する。それでも尚、冷笑を浮かべるだけで何も仕掛けては来ない。逢衣が無視して小悪党共の間をすり抜けてさっさと帰ろうとしていたので、それが彼女達の神経を逆撫でる形となってしまった。
「おい!! おめーに言ってんだよ!! 耳聞こえてねーのかアホ!!」
歯牙にも掛けずに立ち去ろうとする逢衣。向こうが嗾けてきた筈なのにその惚けた様子に忽ち怒りを露にしてきた。制止するべく一人が直ぐに追い越して目の前に立ち塞がり、逢衣を突き飛ばそうとしてくる。掌が身体に当たろうとした瞬間に少女が素早く半身を翻して躱したので、不良女は大きく前のめりになり、勢いを抑え切れずに蹌踉けて転倒した。
「……?」
理解不能。とばかりに逢衣は素っ転んで痛みに唸っている一人の無様な背中を茫然と見ていたが、直ぐに彼女の氷の様な無表情さは変わらないまま、そのまま歩み寄った。小悪党は地面に突っ伏しながら振り返ると眉間に皺を寄せて睨みつけてきた。八つ当たりに近い憎悪にも気に留めず、逢衣はゆっくりと手を差し伸べた。
「き、気色悪いんだよカス!!」
小物は慌てた様子でその手を無視して立ち上がり、制服に着いた埃を気恥ずかしそうに払う。もう用は済んだのだろうと判断し、逢衣は踵を返して立ち去ろうとしたが、背後には残りの二人が立ちはだかっていた。まだ帰してくれない様である。
「……そうだ。アンタ、紗仁を転ばした詫びとしてミルクティー買ってきてよ、アンタの金で」
リーダー格と思われる女が無茶苦茶な言い掛かりと共に近くにあった自動販売機を顎で差した。逢衣は一直線に自動販売機へと向かい、腕時計に搭載されている電子マネー決済で紅茶を購入した。後ろから小馬鹿にした笑い声が聞こえてきたが、彼女は意に介さず三人組の元へ戻り、ペットボトルのミルクティーを差し出した。しかし、それを乱暴に払い除けるや否や、人差し指で逢衣の胸骨付近を突いた。
「平和に、穏便に、学校生活を送りたいのなら、あまり出しゃばらない事ね」
何度も何度も身体を突っつきながら脅し終えると満足したのか、三人は漸く逢衣を解放した。その傲慢な後ろ姿に対し彼女はただ視線を追い掛け、折角自腹を切って買ってきたミルクティーを渡そうと腕を伸ばしたが、届く事も伝わる事も無かった。
「どうしたの? 江郷さん?」
そのまま立ち尽くしていると偶然麻里奈が通りかかった。逢衣は何も言わず、所有権を失ったミルクティーを彼女に渡して下校を再開したのであった。
※
学校の最寄りの駅に乗って凡そ二十分。そこから徒歩で約十分程。逢衣の目の前には一棟のテナントビルが佇んでいる。入口を通り抜けると真正面にエレベーターが待ち構えており、近くの案内板には二階から四階まではスポーツジムの店名が記載されており、残りの階層は空白を示していた。
逢衣はエレベーターに乗り込み、他に誰も乗って居ない事を確認すると、ボタンをとある順番に押していく。すると籠は本来ある筈がない地下へと下降を始めたのであった。
エレベーターが停止し、扉が開くと、そこは無数の管と線が壁や天井を這いずり廻り、僅かな照明しか設置されていない異質なフロアであった。この不気味な場所にも逢衣は臆する事無くひたすら奥へと道なりに進んでいく。
最奥部へと辿り着くと、頬杖を突きながらキーボードを打ち、只管モニターに表示されていく文字と数字の羅列と睨めっこをしている男が居た。枝毛まみれの襟足を伸ばしに伸ばした男が逢衣の足音に気が付いて振り返った。何年も着続けてヨレヨレになったTシャツ、寝癖で右往左往している髪、かれこれ二週間程は剃ってないであろう無精髭を生やした、如何にも野暮ったさと不潔さをこれでもかと盛り込んでいる男が逢衣の顔を見るなり微笑んだ。
「おう、おかえり」
「ただいま戻りました」
「どうだった? 学校は」
「とても興味深い所です。データの採取には困りません」
「そうか。それは良かった。……それはそうと見てやるから早く準備しとけ」
「了解です。マスター」
逢衣はそう言い終えると、突然男の目の前で制服を脱ぎ始めた。ブレザーにスカート、ブラウスからインナーまで。身に着けているものを全て床に脱ぎ捨て、彼女は一糸纏わぬ姿となった。
この光景には皆違和感を覚えるだろう。思春期真っ盛りの少女が何の躊躇いも無く中年男性の視界内で裸になる事、ではない。逢衣の姿そのものに、である。
彼女の白く透き通っていた肌は忽ち色素を無くし、光を反射する白濁色にへと変色し、首から下はさながらプラスチックで出来てそうな無機質なボディへと変わり果ててしまった。逢衣はその異質な姿のまま、付近に設置されていた台に乗り、仰向けになった。
「マスター、準備出来ました」
「ああ、オッケーだ。……行くぞ」
男が逢衣の合図に合わせてボタンを押すと、大きな作動音と同時に逢衣の今までぴくりとも動かなかった筈の目蓋がゆっくりと垂れ下がっていき、そのまま彼女の眼球を覆い隠した。そして天井から何本ものアームロボットが伸びてきて、逢衣の身体に触れる。すると、彼女の皮膚が剥がれた。厳密に言えば、彼女の装甲は外され、鋼鉄で出来た骨の様なものが露出された、という表現になる。胸部の装甲も外され、鉄骨の合間を複雑に縫っているコードやら無造作に敷き詰められているトランジスタやらがアームロボットの手によって点検されていく。
この現実離れしている光景を毎日の様に眺めている男。そして逢衣が先刻まで着用していた衣類を拾ってきた肥満体の男が隣に寄ってきた。
「出力異常無し。外部内部共に損傷無し。4月26日分のデータの抽出開始。……あぁ? 飲めねークセに何で紅茶なんか買ってんだ?」
「ね、ねぇねぇ大ちゃん。な、何かさ、アイたんのメンテナンスって何かいつ見ても背徳感あるよね」
「アホか。何が背徳感だ。アンドロイドに欲情なんかしてんじゃねぇよ」
才色兼備の転入生である江郷逢衣には大きな秘密がある。それは彼女は人間ではないという事。正確に言うならば、江郷逢衣は天才科学者である江郷大助が最先端の技術によって創造された、超高性能AIを搭載したアンドロイドである事だ。
――これは、機械である筈の逢衣が人間になる為に戦う物語である。