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06.二度とないチャンス

ぱりっと糊のきいたスーツを着て、何度も鏡の前に立つ。

髪もセットして、ポケットチーフを入れ、純白のネクタイもしっかりと締めて。

シトラスの香るフレグランスも身にまとい、黒々と光る革靴を履く。


「……ここか」


車をパーキングエリアに停めて、豪華なホテルの前に来た。手紙によると、式場はここのはずだ。何人か着飾った俺の知り合いにも会った。高校のクラスメイト、大学の友人、彼女と二人親しくしていた人たちばかりだ。


受付で祝儀を渡し、会場に入る。がやがやとざわめきだったホールでは、皆笑顔だった。高校時代の友人の輪に加わり、俺もテーブルに着く。もともと食が細く、最近では食事を抜くことも多くなっていたのだが、勧められるままに目の前の豪華な料理を食べた。


「にしても、お前残念だったなー!何で逃げられたんだよ。あんなに仲良かったのに」


色鮮やかなカクテルを何杯も飲み、いささか陽気になっている友人は笑いながら話しかけてくる。


「さぁ、なんでだろうな?」


「ははっ。なんだよそれ!」


お前は知らなくても良いことだよ。腹の中でそう呟いて、鮮やかな薄紫のブルー・ムーンを口に含んだ。


彼女が好みそうな演出ばかりが詰め込まれている人前式形式の結婚式だった。


純白のドレス、黄色のバラをあしらわれたマリアベールに包まれた彼女は、輝くほどに美しかった。


そんな遥か遠くへと行ってしまった彼女をなるべく見ないようにしながら、度数の低めのカクテルを少しずつ少しずつ飲む。酔ってきたのかほんの少しぼうっとする頭で友人の溜まりに溜まった愚痴を聞いていると、会場の照明が突然落ち辺りが暗くなった。


どうやら、キャンドルサービスを行うらしい。新郎と二人でトーチキャンドルを持ち、彼女が会場に入ってくる。


ゲストテーブルの中央に置かれたライトで七色に光るクリスタルのオブジェに、後ろから順番に点火して近づいてくる。若い女性の歓声、暗闇に揺れる炎。心臓の鼓動が速くなってくるのを感じる。


「おい、次俺らの番だぞ!酔ってる場合じゃないって!」


「わかってるよ……」


だって、あの頃と同じ、俺があげた香水の香りがすぐ後ろでするんだから。


彼女が俺の横からキャンドルに火をつける。火に照らされて、彼女の横顔が浮かび上がる。泣きそうに歪んでいる顔を彼女に見られてしまうのではないかと思うと胃がきりきりと痛んだ。


なぜ、早く立ち去ってくれないのだろう。勇気を振り絞り背後を振り返ると、彼女は新郎と目配せをしてトーチから手を離した。


「あのね、私あなたが今日来てくれなかったらどうしようかと思った。これがあなたに会う最後のチャンスだって、そう思ってて……」


突然の彼女の行動にホールは静まり返る。彼女は、美しい聖母の笑顔の中に一握りの哀愁を含んだような表情をして俺の手を両手で包み込んだ。冷たい感触がする、何かを渡された。それは、俺が良く知っている感触で、世界で一つだけの、君と俺を繋いでいたもので。


「これ、あなたに持ってて欲しくて。だから、どうしてもあなたに会いたかったの。あれからそればかりを後悔してた」


彼女の両目に涙が光る。零れ落ちる大粒の涙がオブジェからのライトに照らされて、きらりと輝いた。なのに


「泣かないで?」


彼女は俺にそう言って、繊細なレースのグローブを外し、俺の頬に触れた。記憶していたのと同じ彼女の冷たい体温に、流れ落ちる涙の熱さに気が付いた。



「      」



振り向くことなく立ち去っていく彼女の後姿をぼんやりと見つめながら、ポケットチーフで乱暴に涙を拭った。



披露宴を終えて、少し酔っていたためそのまま車を運転して帰る事も出来ず、海辺のホテルのすぐそこにある浜辺で酔いを醒ますことにした。石の階段をゆっくりと下り、波打ち際まで歩く。砂の革靴越しの感触は、不思議だった。


静かだ。波の音が響くだけで、他の音は何も無い澄んだ世界。潮の香りがする夜風は火照った頬に心地よかった。


スーツのポケットから、彼女に渡されたリングを取り出す。彼女の名前が彫られた、小さな赤い宝石をあしらった、シンプルなリング。たった一つの、俺と彼女を繋いでいたもの。今はもうその役割さえ果たさない、俺が縋り付いてきたもの。


トラウザーズのポケットから、俺のリングも取り出す。砂が付くのも無視して濡れた砂に腰をつき、親指で名前をなぞった。


「やっと、終わった」


どうしても、手に入れなくてはいけなくて、でも、本当は手にしたくなんてなかったもの。こんなに冷たくて、硬いものだなんて、当時は思ってなんていなかっただろう。


立ち上がり、片手に強く握りこんだ二つのリングに拳の上からキスをして、広い広い真っ暗な海に力いっぱい放り投げた。


ぽちゃりと沈む前に、月光にきらりと銀に光ったその姿は、俺が見たなかで一番美しかった。



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