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04.もう少ししたら忘れるから

彼を想う気持ちに、無理矢理鍵をかけた。その判断は、強ち間違ってはいなかったのかもしれない。


所詮、初恋なんてそんなもの。今ではそんな感情さえ湧くようになった。綺麗事の寄せ集め、けれど、縋り付きたいもの。美しくて、儚くて、色鮮やかで、見える世界は別世界で。


私だって、人並みにはリアリスト。現にこうやって女としての幸せの代名詞とも言えるであろう、この日を迎えているのだから。


「わぁ、とてもお似合いですよ!」


「ありがとうございます」


式場が用意してくれた美容師やスタッフに、にこやかに笑顔で返しながら、私は彼の事を思い出していた。


心に鍵をかけたとはいえ、そう簡単に忘れることなんて私にはできなかった。気が付けば彼の事を考えているし、彼に似た男性ばかりを探している。けれど、リングを外し、写真をアルバムにしまう事で、私は少しずつ彼への執着を解くことが出来た。


今日私は、彼ではない別の男性のものになる。彼ではない、けれど彼に良く似た、カレ。見た目も、声も全然違う。けれど、性格も纏う雰囲気も彼に良く似たカレ。


なんてヒドイ女だろう。私が男性なら、こんな女はごめん被りたいと思うのだけれど。カレ越しに彼を探す。カレの中に彼を見つけて、喜んでいるヒドイ女。


カレは、本当に寛大だ。そんな私でも構わないと言ってくれた。私を待っていてくれると言ってくれた。その言葉が無かったら、私がプロポーズを受ける事も無かっただろう。


私の中にある一握りの良心が、私を罪の意識に沈める。他の誰かのものになって偽りの姿で偽りの愛を語るより、彼を想って一人で朽ち果てていく方が私の性分には合っていたから。



今日、私は彼に別れを告げる。私のこの想いをリングにのせて、彼に別れを。


キャンドルサービスで各テーブルを周るときに、手渡すつもりだ。何度も何度も練習した台詞も、一つ、一つ丁寧に紡いで。もう一度だけ、最後にあの温かい体温を手のひらで感じたい。


私のこの気持ちを知っているカレは、この自分勝手な申し出を快く承諾してくれた。


もう少し、もう少ししたら忘れるから。そんな私の言い訳を最後の最後まで聞いてくれたカレへのせめてもの償いとして、私は今日、過去を断ち切る。鋭利な刃物で、

切り落とす。


彼が来てくれるかどうかは、正直賭けだった。しかし、彼は来ると心のどこかで確信していた。だから、もう迷わなかった。


「私、がんばるね」


扉の前で、カレに笑いかけて、私は銀のリングを握り締めた。開かれる扉、女性のアナウンス、真っ暗な会場、トーチキャンドルの揺れる炎。彼に、会える。暗闇の中でだって、私は彼を捜し出せる。きっと。


ゲストテーブルの中央に置かれたライトで七色に光るクリスタルのオブジェに、後ろから順番に点火する。若い女性の歓声、暗闇に揺れる炎。心臓の鼓動が速くなってくるのを感じる。


祝福してくれる友人の声も、水中で聞くようにぼやけ、はっきりとしなかった。機械的に笑顔で返しながら、ひたすらに彼の背中を捜した。


ふと、私の世界から音が消える。鼻腔を擽るシトラスの香るフレグランス。彼の、匂い。


「おい、次俺らの番だぞ!酔ってる場合じゃないって!」


「わかってるよ……」


高校の頃の、彼の友人と、記憶していたよりも幾分か小さく見える背中。優しい声。間違いようが無い、愛しくて愛しくて堪らない、私が別れを告げる人。


彼の横からキャンドルに火をつける。火に照らされて、彼の横顔が浮かび上がる。泣きそうに歪んでいる彼の表情に、暖かな思い出が目まぐるしく巡って消えていった。


彼が振り返ったのを合図に、私はカレと目配せをしてトーチから手を離す。鼓動が、耳のすぐ近くで聞こえる。緊張と、嬉しさと、悲しみと、苦しさでぐちゃぐちゃになって、胃がきりきりと痛んだ。


一つ、一つ丁寧に、心を込めて、別れの言葉を。


「あのね、私あなたが今日来てくれなかったらどうしようかと思った。これがあなたに会う最後のチャンスだって、そう思ってて……」


大丈夫。ちゃんと、言えてる。


突然の私の行動にホールは静まり返る。彼は、縋り付くような悲しげな表情で私だけを見つめている。少し、痩せたのだろうか。顔に影が見えた。


私は彼の手を両手で包み込んで、握りこんでいたリングを手渡した。冷たくて硬い感触が、私の手から離れていく。それは、彼も良く知っている感触で、世界で一つだけの、私と彼を繋いでいたもので。


「これ、あなたに持ってて欲しくて。だから、どうしてもあなたに会いたかったの。あれからそればかりを後悔してた」


彼の両目に涙が光る。零れ落ちる大粒の涙がオブジェからのライトに照らされて、きらりと輝いた。初めて見たその涙の美しさに耐えられなくなって、私の目からも零れ落ちる。


「泣かないで?」


繊細なレースのグローブを外し、彼の頬に触れた。記憶していたのと同じ彼の温かい体温に、触れた涙の熱さに、じんわりと私の冷たい体が温められる。熱すぎて、痛い。


「今日はありがとう」


言えた。


最後に微笑みかけた表情は、ちゃんと彼に美しく見えただろうか。


もう、振り向かない。私はトーチキャンドルを持ち直して次のテーブルへと歩みを進めた。






彼の両親から連絡が来たのは、次の年の二月半ばの頃だった。


未だ、公園の桜は硬く蕾を閉じたまま、春の日差しを待ちわびていた。



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