03.縛られたくないんだね
まるで、出会った頃に戻ってしまったみたいだ。私は彼に声をかけることも出来ずに、遠くから見つめるだけ。気が付いて振り向いて欲しいような、振り向いて欲しくないような、そんな歪で複雑な感情を持て余しながら、ただひたすらに。
彼は、私と離れても何も変わらないように見えた。優しい笑顔も、穏やかな声も、私が大好きな何もかも。左手の薬指のリング、今日もつけているみたい。その事が、嬉しくて、辛くて、苦しい。あの銀の輝きを失った時、私は一体どうなってしまうのだろうか。
別れてしまってもう半年が過ぎたというのに、彼は女の子と遊んだりということが私が知る限りでは全くなかった。彼はとてもモテるから、女の子の方が放っておかないのだけれど、どんな子も近づけず、誘いもやんわりと断っているのだと噂では耳にする。
新しく恋人をつくるわけでもなく、かと言って、私達のペアリングを外すわけでもない。中途半端な彼の行為は、私を混乱させるばかりだった。それが彼の優しさからくるものなのか、或いは偶然なのか私には分からなかったけれど、これだけは分かった。
一人にしてくれ。
彼の背中は、確かにそう言っていた。女の子だけじゃない。男の子に対してもそんな様子で、彼の周りに存在するもの全てを、或いは、彼自身の存在を否定しているようにも見えた。目に見える部分の変化は無かったけれど、彼は確かにあの輝きを失っていた。
こんな時、私がまだ彼の恋人という立ち位置ならば、彼にそっと寄り添って支えることも出来るだろうに。生憎私には、この様な関係になってもなお恋人面で彼に近付くなんて勇気は持ち合わせていなかった。
私は、やっと理解したのかもしれない。彼に別れを告げられた訳を。
彼にとって、私は重すぎたのだ。我が儘な私の側で生きていくことに、耐えられなかったのだ。私は、彼の足枷になってしまっていたのだ。
彼は今、縛られることを嫌っている。だから、足枷の私は外された。縛り付けるだけの私は、解かれた。そう、きっとそうだ。
彼の背中が、涙で歪んだ。講義中だというのに、リングを手でいじりながら考えに耽っていた私は、無意識にも彼のことばかりを考え泣いている自分に思わず苦笑した。
彼は、楽になれたのかもしれない。
そう思った瞬間に、私の心に重くのし掛かっていた重りは、溶け出し、消えた。視界に色が戻り、呼吸が楽になる。まるで、背に羽が生えたような感覚。遠くで、私の鼓動が聞こえて、体が密かに震えていることがわかる。
私は、ふられたんだ。
やっと意味を理解した。
銀のリングを暫く見つめて、薬指にはめる。慣れた冷たい感触に泣きそうになりながら、私はあのクリスマスの日を思い出した。彼がこの手にくれたイタズラな甘いキスに似せて、そっと、そっと、リングに口付ける。
もう、忘れよう。彼に愛された鮮やかな日々の思い出は海に沈めて、鍵をかけてしまおう。私だけの、宝物として。
私は、リングを外し、チュニックのポケットにしまった。