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「審判者J」

それがどれだけ重い罪だとしても。


大事な人が裁かれることを許せない復讐の罪。


最悪の人が裁かれないことを許せない復讐の罪。


復讐に対してすら復讐する究極の傲慢の大罪。


ー共に罪を背負う、材村海斗は、そう決めた。

                    ―”世界J―

 「判決は…無罪です。」


                    ―”世界J―

 「なんで、なんでなんだ…!」

 あの男が犯人なのは、女児暴行・殺人の犯人なのは間違いない。私はあいつの眼を見た、濁り切った眼を!

 ー「刑事のオッサン、知ってるか?

 俺はやったさ。ヤッたし、殺った。

 でもな?

 てめえに取り調べで言わされました…って言えばいいんだよ!

 ざんねーんショー!がははははっ!」ー

 ー「取り調べで、この刑事さんに言われたんです!

 『私がやりました』って言わなかったら死刑だけど、やったって言って反省したって言えば減刑する…って!」

 「くそくそくそくそ!

 あいつを、あいつを野に放つだなんて!

 俺に力があればっ!」

 犯罪者を裁く、正義。

 裁判所は正義を傷つけた。俺は刑事、捕まえることは出来ても、ワッパをかけた先、裁くことは出来やしない。

 「俺に、俺に正義の力を!誰か!」

 「…汝ハ、裁キノ力ヲ、望ムカ?」

 「だ、誰だ!?」

 き、聞かれていた!?マズイ!

 「我ガ名ハ正義ノ女神、ユースティティア。

 正義ヲ産ミ司ル。

 裁キノ、神ナリ。」

 「か、神、様…?」

 「肯定。

 正義、裁キ、審判ハ我ニ帰属ス。

 汝、正義ヲ欲スルカ?」

 「ああ!」

 あの、ガイシャの母親の涙を見た時から…

 …いや、刑事になった時から、俺の心は、運命は決まっていた気がする。

 「すべての犯罪をなくしたい。

 犯人が必死に捜査してもわからなくて、犯人が分かっても証拠が無くて、せっかく立件までこぎつけても頭の固い弁護士と判事と裁判官に無罪にされて、執行猶予を防いでムショにぶち込めたとしても刑期が終われば又出てきて犯罪を繰り返す…もうたくさんだ!」

 「汝ノ持チタル真摯ナ正義、確認セリ。

 我、汝ヲ審判者トシテ認ム。」

 「て、てん、びん…?」

 「罪ノ重サ。

 命ト世界。

 裁キニ見合ウ正義。

 汝ガ天秤ト釣リ合ウ正義ノ心ノ持チ主ナラバ、使イ方ハ自ズト分カルハズ。」


                    ー”世界J”ー

 「おい。」

 「ん?なんだァ?

 ...って、刑事さんじゃねェか。俺を逮捕しに来たのか?

 でも、一事不再理なんだよなァ…かわいそうに」

 「かわいそうなのは…

 …俺じゃねえよ。」

 「ん?…おっ?」

 「お前にも、聞こえるはずだ…

 ガイシャと、ガイシャの家族の、嘆きと、哀しみの叫びが…!」

 「へっ、で?」

 「、お前の命ごときじゃ、お前が殺した娘に釣り合わねえけどさ。

 裁きを、云い渡す。

 お前は、死刑だ!」


                    ー”世界J”ー

 「…はっ?」

 意識が一瞬飛んで。

 男は、真っ白な空間の中で、銀色の皿の上に立っていた。

 辺りを見回すと、近くに、もう1つ、空の銀皿が...いや、空じゃない。天からどさっと真っ赤な何かが落ちてきて乗っかっていく。 

 「な、な、な...」

 男はこの時になって初めて、自分がいるところはただの銀皿ではなく、天秤の皿だと気が付いた。竿から吊るされた皿の一方に男は立たされていて、そしてだんだんと皿は上がっている。

 言いようのしれない恐怖に駆られ、このまま天秤の上にいてはいけないと、男は走り出そうとして。

 どさどさどさっと、鈍い音とともに、もう一方の天秤の上に赤い何かーいや、何かじゃない。

 血塗れの、腕、足、お腹、内蔵、そして...

 虚ろな目から涙を垂らし、こちらを見つめてくる、女の子の生首。

 「ひっ」

 声にならない声が漏れた。

 ガクンと向こうの皿が下がり、男は無垢なる虚空の空高くへ吹っ飛ばされ、意識を失った。

 最期に男が目にできたのは、布で両目を覆い隠した、天秤を指先に乗せる美しい女神の姿だった。

 

                    ー”世界J”―

 「速報です。

 先日冤罪として釈放された、女児暴行・殺人事件の鈴木タケル元容疑者が、今朝、自宅にて死体で発見されました。

 元容疑者の遺体のそばには『死んで罪を償う』と表示されたスマートフォンが残っており、現場は密室であったことから、警察は自殺と見た上で、事件全体の再捜査を...」


                    ー”世界J”ー

 それは、確かに、世間を揺るがせた。

 「強制された自白による冤罪」だと思われて社会的な抗議の対象にすらなった事件が、まさかの、「冤罪だと証明された後に、元容疑者が自白文を遺して自殺する」という終わり方を迎えたのである。

 警察、裁判、検察と弁護...司法制度の在り方を根底から揺さぶるまでのスキャンダルになるのも、致し方なかった。

 ーだが、事件は、さらなる急展開を迎えた。

 まず、女児暴行・殺人事件の弁護を担当した有力弁護士が急死した。その筋では黒いうわさもある、数々の無罪を作ってきた人物だった。

 さらに、控訴を取りやめた判事も。彼は社会運動に屈し、事件をこれ以上調べないことを決定した人物だった。

 そしてそして、さらに、著名な社会系国会議員が衆人環視の取材中にフリージャーナリストに刺され死亡した。死後、彼が、元容疑者に関して、冤罪事件であるとして影で司法に政治的圧力をかけていたことが発覚した。

 ーこの事件には、何か大きなものが関わっている...

 …薄気味悪さの中で、事件の捜査も報道も、スッと、フェードアウトしていこうとしていた、その時、だった。

 さらなる波及は、起こるべくして、起こってしまったのだった。

 

                    ー”世界J”ー

 お兄ちゃんが殺されてから、世の中、生きづらくなるばかりです。

 誰かが、お兄ちゃんを殺した誰かが、「犯罪者狩り」を始めたから。

 匿名でネットに出た声明で、何もかも変わってしまった。

 ー「汚れた水は、綺麗にしなければならない。

 洗えばかき混ぜれば濁るけど、きっと、そうしたら日本は綺麗になる。

 すべての犯罪者よ、裁きを待て、震えて眠れ」ー

 そして、日本は、「濁った」んです。

 なかなか死刑執行されない死刑囚や、精神鑑定のおかげで無罪になった凶悪犯が自殺したニュースが流れた時は、みんな喜んでたけど。

 暴力団のトップが互いに撃ち殺しあった事件があってから、日本は本当に「濁って」しまった。

 犯罪組織が揺らいで、治安は悪化した。それが消滅する前の悪あがきだとしても、誰も深夜に一人で出歩けなくなった。

 犯罪者と犯罪の粛清、社会正義...なんて世間が喜んでみても、現実には犯罪はなくならないし、それに、私の心は救われない。

 「お兄ちゃん...

 …また、お兄ちゃんに、看病してもらいたいな…」

 …なんて、ね…


                    ー”世界J”ー

 犯罪の粛清は、日本を、希望と恐怖に突き落とした。

 すべての凶悪犯と犯罪擁護者に裁きを下す、そう銘打って始まった裁きは、確かに日に一人、場合によっては二人を順調に死刑にしたが、でも、一年に日本で起こる殺人事件の件数は約300、つまり「殺人犯を皆殺しにすることで殺人事件を失くす」ことだけでも300回の裁きが必要なのだ。それに凶悪事件は殺人だけじゃないし、犯罪に携わる人間も300ぽっちではないし、それらが具体的に誰であるか突き止めるのにもそこそこの時間がかかる。

 犯罪者が一人狩られたことに世間が喜んでいる間に、「次は自分かも」と思っている裏社会は、二人以上の犯罪者を生み出し始める。

 ー汚れた水を綺麗にするために砂粒を一粒ずつ取り除こうと手を突っ込んだ結果、水のすべてが濁ってしまったのだ。

 福岡の某町では、その、まさに象徴的な出来事が起ころうとしていた。


                    ー”世界J”ー

 「何の用だ?」

 「てめえも知ってるはずだ、

 うちの組長が死んだ。」

 「…知らんな。」

 「ニュースになって無くても、知らんとは言わせねえぜ。

 てめえさんがうちにスパイを送り込んでるのはもう知ってる。

 殺れって言ったのは、てめえだな?」

 「…あ?」

 「しらばっくれるんじゃねえ。

 福岡県の大きな組でな、この大粛清の犠牲者がまだどこにも関係してねえの、てめえだけだろうがよ!」

 「…宣戦布告、か?」

 「ああ。

 戦争だ。」

 「…言っておく。うちも、俺の義兄も取引先も、一切関係ねえよ。

 ここは法治の国、日本だ。...まあヤクザの俺が言う事でもねえがな。

 どこに、拘置所の未決死刑囚を3人も始末できるヤクザがいるんだよ。」

 「…てめえ、マジでふざけんなよ。

 ロシアンマフィアとも付き合いがあるんなら知ってるはずだ。スターリン大粛清にひとつ噛んでたあの都市伝説をな。」

 「…『天秤』?

 そんな、ガキじゃねえんだよ。

 ネット掲示板怪談じゃねえんだぞ?」

 「…ああ、そうかい。

 てめえとはこれっきりだ。」


                    ー”世界J”ー

 そして。

 「犯罪者狩り」が本格化してから何件も起こった裏社会抗争の、典型的なスタイルのそれが、発生した。

 深夜に銃声が響き、フロント企業に爆発物が届けられ。

 警察が立ち入り捜査をしても、止まらないー抗争に全力を注ぐことにした組員たちは、捜査を逃れて散らばり逃げるどころか、邪魔をするなとばかりに警察への恫喝電話までかけ始めた。

 夜の街が、戦場になった。

 銃弾がヤクザたちにやりとりされ、小指が何本も斬り落とされる。

 そして、一発の流れ弾が、民家に飛び込んで、たまたまそこにいた主婦を撃ち殺してしまう事案が発生し。

 ーそして、福岡の地に、粛清の風が吹き荒れた。


                    ー”世界J”ー

 「く、組長?どうされたんですか?しっかりしてください!」

 「あ、ああ…

 …くそっ、ありやがった、天秤はありやがった…ああ、ああ…」

 バン!

 「…え、なんで、なんで、死んで…

 そんな、そんな…!?」

 ー「貴様にも裁きを下す。

 判決は…拳銃自殺で死刑!」ー

 バン!

 「あ、がっ…

 …そういう、こ、と…」


                    ー”世界J”ー

 「あっ?

 …誰ですか…?」

 「俺か?

 俺は、審判者だ。

 福岡県警本部長、貴様の罪を、裁きに来た。」

 「審判者…裁き…罪…?

 …犯罪者狩り、なんと、こんな超自然的な…?

 …いやありえないありえない。

 薬物を盛ったのですね?」

 「いいや、違う。

 奢れるものは久しからず。貴様らが罪を顧みないつもりなら、俺が、俺が裁いてやる。

 この国には、正義が必要だ!」

 「正義?

 現実と折り合いのつかない正義など意味がないでしょう。

 私たち警察は、正義よりも法律を、法律よりも現実を、重んじなければ。」

 「ああ、俺もそう思ってたさ。

 でもな、反吐が出るんだよ。」

 「…俺も?なるほど、刑事…でしたらなおさらこんなことは止めなさい。

 すべての犯罪者を狩るなんてどだい無理です。すべてのヤクザを我が県から追い出すのも。

 お前の理想論を押し付けんなよ。」

 「ああ。理想論なのもわかってるさ。

 見ろ。貴様の命は、貴様の罪より重いんだとよ。」

 「…天秤…?これで、『裁き』とやらを…?

 これで、命が罪より軽くなったら死ぬ、そういうからくりだったんですね。」

 「ああ、でもな。

 貴様の罪の重さを決めるのは、俺だ。」

 「は!?」

 「車1台の重さはだいたい1,5トン弱…

 貴様に裁きを言い渡す。判決は…死刑!」

 

                    ー”世界J”ー

 お兄ちゃんは、止めろって言うかもしれないけど、でも。

 私は、来る日も来る日も、検索を続け、探偵にも断られ続けたから自分であちこちに資料を請求し、SNSの力も借りて、お兄ちゃんを始まりに日本を席巻する犯罪者狩りについて調べました。

 狭い病室でできることは限られたけど、でも。

 「ユースティティアの天秤の伝説…」

 やっと、辿り着きました。

 ガタン。

 「はい。」

 看護婦さん…?

 「初めまして、ね。」

 「初めまして、です。」

 …だ、誰?

 「ちょ、ちょっと、画面見ないでください!」

 不審者!?

 ナースコールで、助けを…!

 「それで、いいんですか?

 天秤を、本当に、頼るんですか?」

 「…っ」


                    ー”世界J”ー

 ユースティティアの天秤


 ルール1:天秤を使い、裁く相手の罪と命を量ることができる


 ルール2:罪に釣り合うだけの罰が裁きとして与えられる


 ルール3:罪が重すぎた場合には死刑になるが、死に方としての量刑を天秤の持ち主(審判者)が決めることができる(指定なき場合は絞首自殺となる)


 ルール4:審判者は自分の持ち物を相手の罪に加重することで思いを侵犯に反映することができる


 ルール5:天秤は、正義と裁きに対して強い思いがある者に、正義と裁きと審判の神ユースティティアが現れて手渡し、委託する


                    ー”世界J”ー

 「あなたがしようとしているのは、ただの、恨みつらみから来る復讐、ですよね…?」

 「…はい…」

 「そんなの、何も生まない。」

 天秤の伝説、そして数の限られる天秤は、歴史と共に動いてきた。

 ユースティティア信仰の始まった地ローマでネロ大帝や軍人皇帝時代にはじまる様々な惨劇を引き起こし、東ローマの衰退と復興の場に常に居合わせ、そしてロシアに渡りラスプーチン殺害、ロマノフ王家惨殺に使われたのちに散逸、その行方と持ち主を恐れたスターリンにより大粛清が行われ、そして今はなぜか日本にある。

 ユースティティアの天秤がもたらす復讐の連鎖と猜疑はそれほどに強力で、それもあって、闖入者ー材村海斗と明末良音は、止めさせた方がいい、そう考えたのだ。

 「わかってますよ。

 私がお兄ちゃんの復讐をしても、お兄ちゃんも何も、帰ってこない。」

 「だったらなんで…」

 「明末さん、余計なこと言わないで下さいよ。

 …自己紹介忘れてました。

 僕は材村海斗、そして」

 「私は明末良音。貴女を見届けに来たわ。」

 「は、はぁ… 

 …やっぱり、誰ですか?」

 「そんなことはどうでもいいの。私が誰であろうと。

 それより貴女、どうしてもわからないんだけど。

 どうして貴女は、復讐をしたがるの?」

 「はい?」

 「復讐しても生き返るわけでもなければ、魂が救われるとかそういう宗教でもないし、かたき討ちの習俗とかでもない。

 そんな個人的な、審判でもなんでもないただの制裁を、どうして貴女はしたがるの?」

 「あ゛?」

 それまで礼儀正しく弱弱しい雰囲気で病室のベッドに横たわっていた彼女が、とたんに豹変した。

 「あなたに、私の何がわかるって言うんですか!?

 お兄ちゃんは喜ぶに決まってます。それに、私が復讐出来たらうれしいからしたいんです!」

 「うれしい?」 

 「だってそうじゃないですか!

 もう何もできないだなんて、そんなの嫌です!

 だから、私は、私はっ…

 冤罪だなんて、そんなわけないのは、私が良く知っています。あの事件の犯人は間違いなくお兄ちゃんです。

 でもそんなことどうでもいい!

 私は、私が、お兄ちゃんのためになんかするんです。

 …兄にはきっと、2つの人格があるんです。

 お兄ちゃんが人殺し、残酷で凄惨な犯罪者…納得できます。できちゃうんです。

 でも。

 小っちゃい子を嬲り殺したお兄ちゃんも。

 病気の私の頭を撫でて、桃を買ってきてくれるお兄ちゃんも。

 …どっちも私のおにいちゃんだから、私は、お兄ちゃんを殺した人を、許せない。桃の皮をむいてくれたお兄ちゃんを殺した人を、許せない。

 だから、私がそうしたくて、復讐するんです。

 お願い。

 こんなの正義でも何でもないけど、私に、裁きの、復讐の力を!」

 ただ、沈黙と。

 そして、静かな慟哭が、病室を満たした。

 

                    ー”世界J”ー

 「裁キト、正義。

 汝ニ成シ果ス覚悟アリヤ?」

 「いいえ。

 私は、私のしたい裁きを、思うさま果たすだけです。」

 「汝ノ覚悟、理解シタ。

 汝ニ、罪ト罰ヲ量リ授ケル権能ヲ下ソウ。」

 

                    ー”世界J”ー

 カラン…

 涼やかな音を響かせて、ベッドの枕元に、銀色の天秤が出現した。

 「これが、ユースティティアの天秤…」

 手を伸ばし、少女はそれをつかみ取ってうっとりと眺める。

 「そう、貴女は、その道を選ぶのね…」

 良音は眉をひそめ、それから真っすぐ、天秤へと左手を伸ばした。

 「何するんですかっ!」

 バチッ!

 紫電が奔り、良音は全身をつかの間ビクリと震えさせてから慌てて飛びのいた。よく見れば、痛そうに押さえた左腕の袖からわずかに白煙が垂れている。

 「次に奪おうとしたら『裁き』ますからね。」

 刺すような目でそう告げられ。

 「明末さん!

 明末さんいったん退きましょう!」

 「ちっ…」

 悔しそうに歯ぎしりしながら、海斗に右腕を引かれ、良音は病室を出て行った。

 

                    ー*ー

 「今頃、原作どおりにむちゃくちゃやってることでしょうね…」

 対象を具体的に明示することさえできれば、ユースティティアの天秤は、死刑含むあらゆる刑罰を、射程無限大で与えることができる。

 無敵なのだ、誇張でも何でもなくーただ、こともあろうにその天秤が複数ある上に相手に姿を見せなくていいし証拠も残らないため天秤の持ち主どうしだと状況が悪化しすぎる、というのが目下の問題なわけだが。

 「ええ…

 …でも明末さん、再介入してやり直すことは出来るのでは?」

 物語を想像することで実際にその世界を創造するーならば、前の世界でそうしたように、最初からなかったものとして想像すれば本当になかったことにできる。

 「…そうしたいの?

 そうして…

 …今度は無理やりにでも天秤を奪う?」

 良音は、左腕を制服の上からさすったーあくまでも物語世界の中で感電しただけで現実で感電したわけではないけれど、それでも、幻肢痛のようなものなのか、片腕を焼かれた痛みとしびれは残っているらしい。

 「…シャクですね。」

 「ええ。せっかく痛い思いしたのに無駄になっちゃう。」

 「それは違うのでは…」

 でも、たとえなかったことにできるとは言え、一度は救いの手を伸ばした相手を見捨てていいわけがない。

 「材村君のほうが、そのつもりでしょう?

 救えるのはあの妹さんだけ…殺人犯の妹さんだけ。それで、2人が勝手に裁いた多くの人々は救われない。それでも、でしょ?

 …私には、納得できないけど。」

 「僕にも、完全に納得できるかって言うと、できませんよ。

 それでも、最初に、僕らは彼女を救いたい、読んでそう思った。

 なら、そうしましょう。それにこれは、彼女の物語なんですから。」

 「…そのカルマは…

 貴方も、背負ってくれるのよね?」

 十字架を背負いあうことでしか、矛盾を抱える孤独な介入者たちは歩き出すことができなかった。

 差し出された手を握り返し、明末良音は目を閉じた。


                    ー”世界J”ー

 誰がお兄ちゃんを裁いたのかわからない。

 でも、次々と連続殺人犯や凶悪犯やヤクザの死の報道がなされるからには、きっと、お兄ちゃんを狙った意味は特になく、ただ最近話題の事件だから…というだけ。

 正義感の強い人が、天秤を手に入れて「裁き」を行っている、そう思う…それで、どんな犯罪者でも大事に思う人、家族がいるかもしれないってことを忘れて。

 「犯罪者狩り」を擁護したり、「どんどんやればいい」と公言している人は怪しい。だから、一人ずつ裁く。

 …それに、いくら罪人だからと言って、どんどん死刑にすればいい…なんて、私には許せない。だって、どんな酷い犯罪をしてても、お兄ちゃんは私の優しいお兄ちゃんだったんだから。

 だから、私は。

 「家族を悲しませた罪に、ふさわしい罰は?」

 「ふん、そのようなもの、凶悪犯罪に比べれば何の問題でもないわ!」

 「そう、そうですよね。天秤もそう言っている。

 でも、私は、私はそんなの許せない。

 私たちにも、大事な人がいるんです。

 だから…

 判決は、死刑です。」

 「あっ…!?」

 

                    ー”世界J”ー

 「そ、そんな、俺はただ、誘っただけで...!」

 「うるせえよ。

 お前が誘ったカルトが、どんだけ人様に迷惑かけてんのかわかってるのか?」

 「迷惑かけてるって…選挙にだって出てるんだぞ!それをそんな」

 「知らんな。

 お前らに騙されて破産した奴、洗脳された奴、家族が引きちぎられた奴...

 あとでお前らの好きな教祖様も裁いてやるからよ。

 判決は、死刑だ。」


                    ー”世界J”ー

 「何が、『凶悪犯は死ぬべきだ』ですか?」

 「我が国は国際圧力に負けて死刑廃止の方向へ動き始めています。

 死刑は残酷だ、非人道的だ...

 …ですが、被害者感情を納得させることも、そして、犯罪への最大の抑止力たることも、死刑にしかできない。

 生きるという権利を奪う、最高の刑罰。だからこそ、凶悪犯は死によって裁かれ、死刑によって凶悪犯罪はなくなるべきなのです。

 哀しいことですが、殺すぞと脅すことでしか、人々は犯罪を止めない。そしてそれでもやめない人々は、社会から、人間から永久に追放するしかない。」

 「でも、それで私は、私は...っ!

 死刑っ!」


                    ー”世界J”ー

 「お前だな?死刑廃止を陳情したって奴は。」

 「そ、それがなんだって言うのですか!」

 「殴ってわかんねぇ奴らはぶっ殺すしかねぇ。

 犯罪者を取り除かなきゃ、犯罪はなくなんねぇ。

 だから俺は!」

 「犯罪者の命だってかけがえのな」

 「お前それ、ガイシャの親や子どもの前でも言えんのか?

 犯罪者をかばうなんて、犯罪をかばってるようなもんだ、死刑。」

 「ぎゃっ...」

 


                    ー”世界J”ー

 「殺伐としてるわね…」

 「無理もないですよ明末さん...」

 材村海斗は、コンビニの店先に売られている新聞を手に取り言った。

 「『相次ぐ不審死、司法関係者に激震奔る、死刑廃止論者や犯罪者更生団体にも被害拡大』『白昼の市街地で銃撃戦、暴力団抗争激化の原因は組長の自殺か、警官一名死亡』」

 一方では、凶悪犯の罪を死で償わせようとする人々が狙われ。

 一方では、凶悪犯の罪は死でしか償わせられないと殺され。

 連日、死体が増える、そして社会がギスギスする。

 「…まったく反対の立場の二人が、お互いに気づかずにむちゃくちゃやるものだから、周りが酷い迷惑をこうむるわけよ...

 はぁ...まったくまだるっこしいったらありゃしないわ。

 愚か。

 材村君、さっさと、巻きで終わらせるわよ。」


                    ー”世界J”ー

 「お兄ちゃんを、犯罪者を殺して回ってるのは、誰なの...?

 そう言う考えー「犯罪者なら、凶悪犯なら死で償って当然だ」ーって考えの人たちがやってるんだと思ってたけど、テレビや新聞、ネットでそう言ってる「有識者」はあらかたつぶしたのに見つからない。

 誰が、誰がお兄ちゃんを...?

 「…メール?」

 何処から嗅ぎつけたのか、「世紀の冤罪犯かつ真犯人」「日本をだました真冤罪犯」なんて呼び名までついちゃってるお兄ちゃんの最後の親族である私を取材したがったり、脅迫メールを送り付けてくる人までいる有様。またそれのような気もするけど、「件名:天秤の持ち主について」はさすがに...

 <貴女が、兄を殺した相手を探しているのは知っています。

 それで、あなたは、凶悪犯を殺すべきだと考えている人間を殺して回っている。

 けれど、あなたの兄が真犯人であるということは自白文まで知られていなかった。

 冤罪であると社会運動にされ新聞の記事にされていた。だから、事件のことを詳しく知る人間で当時有罪主張側の人間しか、兄が犯人であることを知らなかったのでは?>

 「あっ…」

 青天の霹靂だった。

 「犯人は、判事か、裁判官か…刑事...」


                    ー”世界J”ー

 あの事件にかかわった者ー有罪側の裁判官や判事から、不審死が出た。

 犯罪者を裁くことに反対する人間が、それも、天秤を持っている人間がいる。

 「正義を邪魔する奴は、許せん。

 見つけ次第、裁く。

 正義を妨害する奴は、見つけ次第、除去してやる...!

 犯罪のない世界を、作らなければ…!」


                    ー”世界J”ー

 それは、必然だったのかもしれない。

 最後まで彼女の兄が犯人だと捜査を続けていた刑事を、彼女が忘れないわけがなかったのだ。

 「ひさしぶりですね、刑事さん。」

 真っ白な虚無の中で、刑事は眼をすがめ。

 「お前さんかよ。

 兄貴だから、かばうってのか?」

 「はい。

 貴方がなんと思おうと、お兄ちゃんは、私の大事なお兄ちゃんです。

 だから...!

 ...誰にだって、大事な人が、家族が、いるんです。お兄ちゃんを想ってた人が、いるんです!

 だから、私は、大事な家族だった人たちのために、あなたを裁きます。」

 「そうかい。

 俺も、だ。

 俺は、いくつもの涙を見てきた。

 納得できないと、なんで罪に問われないんだ、なんで釈放されるんだ、なんで家族は殺されたのに犯人は死刑にならないんだ、そう言われ続けた。

 だから俺は、あの嘆きのとおりに罪を裁く。犯罪も、犯罪者も、犯罪をかばう奴も裁けば、きっともう、誰も嘆かない。」

 「「判決は、極刑!」」


                    ー”世界J”ー

 片方に妹を、片方には刑事を。

 天秤は、二人をのせ、完全に釣り合った。

 「なぜだ...!?なぜ裁けない…!?」

 廃自動車がいくつも、彼の後ろに積み重なる。しかし、犯罪者の妹の皿は、上がらない。

 「…私の皿には、私の命と、あなたの罪。

 あなたの皿には、あなたの命と、私の罪、そしてあなたが私に上乗せする罪の重さ。」

 相手が乗った皿で相手の命の重さ、自分の側の皿で相手の罪の重さを量り、もし重い量刑を下したい場合は自分の側の皿に重りを増やす、それが「ユースティティアの天秤」の仕組みだ。

 今回は両方が天秤を発動させているため、両者が天秤に載ってしまった。それはつまり。

 「私とあなたの罪が、それだけ釣り合っていて、重い、ただそれだけの話ですよね?

 だって、裁くとはいえ、私たちは、たくさんの人の命を奪ったから。」

 その重すぎる罪は、数十トンか積み増したからどうにかなるほど軽いものじゃない。

 「そんなはずはない!

 俺はただ正義を遂行しただけだ!罪になど問われん!

 犯罪者と犯罪を擁護する奴を裁いて、何の罪がある!」

 刑事は、腕を振り下ろした。

 空から落ちてくるのは、三角形あるいはブーメラン型の巨大なビル。

 「…警視庁ビル...!?」

 「刑事なら、警察官なら誰もが、犯罪者の罪を裁きたいと、正義を夢見ているはずだ...!」

 

                    ー”世界J”ー

 「そこまでして、貴方たちが戦うのなら。

 貴方たちの正義が永遠に相いれないのなら。

 私だって、この世界に復讐する権利があるわ!

 『全てが悲劇的な非常識に規定されるなら、全ては虚構であれかし』ー偽者F!」

 青い巨大な六角形が、虚無を落下する巨大ビルを包み、消し去った。

 「何!?」

 「あなたは...この前の不審者!?」

 天秤の支柱の上に背筋を伸ばして、明末良音は悠然と真っ白な世界を背景に立っていた。

 「初めて会うわね、ユースティティア。」

 天秤をヤジロベエのように指先に乗せて両目を布で覆い隠した巨大な美女を見上げ。

 「私にもこの天秤、くれないかしら?」

 「汝ハ、異物?

 汝、信ジル正義、アリヤナシヤ?」

 「私をなんだと思ってるのかしら?

 私にも正義と裁きたいものくらいあるわよ。

 だからこそ、貴女にも正体が見えないような異物なのに、ここに来れたんじゃない。

 見識が狭い神様もいたものね。」

 隣で材村海斗が「えっ?明末さんに正義感?」みたいな表情で突っ立っているのには気づかず、良音は優雅に左手を差し出した。

 「ヨロシイ。

 ダガ、汝モ、復讐カ?」

 「ええ。

 私は、世界と、現実に、復讐し続けてきた。

 だから、私に、この戦いの場でこそ、復讐の力を!」

 「裁キノ力ハ、神ノ権能。

 汝、復讐ノ神ヲ貫ク覚悟ハアルカ?」

 ーあなたは、復讐する神に、なれますか?ー

 海斗は、ハッと、良音の肩に手をかけた。

 「明末さん、よく、よく考えてください。」

 「何を?」

 「明末さんの力は強大で、しかも世界を越えて持ちこせる。

 とっくの昔に、機械仕掛けの、神様なんです。

 それでも、他人を裁く重圧を」

 肩の上に置かれた手に、自らの左手を重ね。

 「その重圧は」

 「…はぁ...

 …ええ、はい、わかりましたよ。 

 でも、明末さんも、ちょっとは抑えてください。

 明末さんの自滅衝動と破壊願望のすべてを背負ったら、共倒れになります。」

 「…そう、弱いのね。

 貴方も、私も。

 でも。

 いや、だからこそ。

 私に不釣り合いな力で、私に愛せない世界を、裁かなきゃいけない。」

 「汝ノ正義ヘノ想イ、本物ナリ。」

 女神の差し出す巨大な手の先に、2つ目の天秤が出現した。それは吸い込まれるように小さくなって、良音の手のひらに載るほどに収まる。

 「汝、何ヲ裁カントス?

 其ノ想イ果タシテ見ヨ」

 「そう…

 想い。

 感情に見せかけの論理を重ねても、それは感情でしかない。そして人間は何の感情もなしに話を、論理を始められない。

 だから、そう。

 裁きなんて、私たち血の通った人間に、出来るわけがなかったのよ。」

 「ナニ?」

 「『あらゆる力は解釈の相違。ならば汝全てを捉え直せ』ー複製者C」

 冷たく青い六角形の光に包まれ、天秤が、良音の左手の中に吸い込まれるように消失した。

 

                    ―”世界J”ー

 そう、私は、運命を、神を、復讐して、正義で、裁きたい。

 それが、私の正義。

 「裁きである必要もない。こんなのは、私怨よ。

 『(false)』」

 足元の天秤を消し去って、二人の審判者兼被告人を落とす。

 「なっ、何を!?」

 「俺から正義を奪うのか!」

 重力操作でふわふわ浮かぶようにしてあげてるのに、何を文句があるのかしら、けたたましい。

 「ちょっ、明末さーーーーーーんっ!」

 …いや浮かべず落ちてる人いた。

 「あ、存在感ないから忘れてたわ。」

 「…はぁ...

 明末さんがしたいことって、『裁き』の裁きですか?」

 「ええ。

 わかる?

 どんな人でも人は人。

 人にはそれぞれ、積み上げてきた歴史と、人の輪と、世界がある。人一人の死は、ただその一人じゃなく、回りのすべてを、世界から欠落させる。

 命の軽重なんかじゃないのよ。家族を失った貴女なら、家族を失った人の涙を見た貴方なら、わかるでしょう?

 もう、気付いていたはずだわ。

 命の尊さと人の輪のかけがえなさを問い直して奪えるほど、私たちに、傲慢になることは許されない。たとえそれが私たちの正義であっても、ね。

 貴方たちだって、人を殺した罪に殺す罰で応えることの不毛さも、もはやそうでない見失われつつある復讐の意味にも、うんざりでしょう?」

 だって、それが被害者か家族かの差こそあれど結局は、「大事な人のために始めた裁き」に過ぎない。それが誰かの大事な人を奪う結果にしかならない近視眼は、落ち着けばわかるはず。

 「頭を冷やしなさい。

 誰が何と言おうと正義がなんだろうと、死体の山の上に立っている人間に、今さら自分の行いの何もかもに目をふさいで殺人を裁く権利なんてないわ!」

 

                    ー”世界J”ー

 「終ワリ、カ?」

 深刻な表情で押し黙ってしまった刑事と妹を見下ろしながら、ユースティティアは良音と海斗へ問いかけた。

 「いいえ。

 これより、裁きを云い渡す。

 その目を背けず、見開いて聞け。

 『(gravity)』」

 女神の両目を隠していた布切れが、前へと引っ張られ、引きちぎるかのようにほどかれる。

 神々しくもどこかうすら寒い美貌があらわとなり、感情のない機械のような眼が虫けらを見るようにして良音を睨む。

 「キサマ...

 何ヲスル!?

 裁キハ感情ニヨッテハ行エナイ、ダカラコソ其ノ権能ハ目ヲ塞イダ神ニ託サレテイル。

 キサマ、正義ヲ何トスル!?」

 「ええ。

 私もまた、正義も裁きも、感情の下ではなく、仕組みの下、決まりの下、システムの下にあるべきだと思うわよ?」

 ー人が人を裁く事に、しょせん意味はない。誰かが人を殺したからと言って、その人を罰するーまして罰でー罪が完全に消えるわけではない。仇討ちがなにゆえ罪であるかと言えば、討たれる仇にもまた家族や友人がいるからなのである。

 だからこそ、人ではなく、法が、システムが人を裁き、罰してきた。

 「デモ、仕組ミニモ欠陥ガアル。ソノタメニコソ、神タル余ガ存在スル。

 余ガ目ヲ塞ギタダ天秤ヲ支エテ来タノハ、裁キノ終端タル余ヲタダシステムトスルタメ。」

 人によって行われる裁きは、その実行者も罪があるという矛盾がある。

 法によって行われる裁きは、完全ではない。

 だから、裁きの天秤を吊るしているのは、完全な神であり、そして目を閉じ感情を消したシステムなのだ。

 ーけれど、それですら、明末良音を満足させるには至らなかった。

 「それこそが、最悪の欠陥。

 だから私は今一度言いたい。

 悪虐に罪を、傲慢に罰を。

 神が完全なら、世界が完全でないことの説明はどうやって付けるの?」

 ーだから、結局は。

 目をつむっていても、それで神様の罪は、帳消しにはならない。

 神様がシステムなどと自分のことを免罪するのも、馬鹿馬鹿しいだけだ。

 「全部見ないことにして。

 裁きの代価、罪から目をそむけて。

 だから、最大の罪人は、貴女。

 観測者の名のもとに、判決を執行するわ。

 天秤は今日から、私のモノよーユースティティア。」

 下向きに翻した左手のひらの下に、青い六角形の輝きが灯る。

 「『罪には裁きを、裁きには罪を、罪には罰を。十字架の下にのみ原罪と天秤は憩う』

 ー審判者J」

 それは、明末良音という人間が日頃から抱き続ける罪の意識の象徴か、罰の意識の象徴か。

 白く無垢に輝く十字架が、良音を磔にするようにして、真っ白な虚空に顕現した。

 良音自身が、両腕をいっぱいに広げて、自ら磔刑に自らを擬し。

 十字架の頂点から水平に伸びた支柱に吊られた天秤が、カランカランと音を響かせて。

 そして、白い光の粒でできた巨大な天秤が、中空に虚像を描くようにして浮かび上がった。

 片方の皿には良音の十字架を、もう片方の皿には女神ユースティティアを載せて。 

 「貴女の…

 裁きの神の悪虐と傲慢と怠慢の罪は、きっと重い。」

 それは、天秤を配った罪か、天秤を存在させた罪か、それともー

 ー女神ユースティティアの、原罪か。

 ガクンと腕が上がり、女神が上へ。

 女神の全身にひび割れが奔り、血が流れだし、そしてどろりと溶けるように崩壊、やがて煙をぷしゅーっと上げて消滅した。

 「…死んだ…んですか?」

 ふわふわ浮かびながら、海斗が十字架の裏から表に回りー

 ーそして、蒼白になった良音の顔を見てぎょっとする。

 「ちょっ、明末さん大丈夫ですか!?」

 「いえ…

 …誰かを裁く事、罰を与えることは、それ自体、罪でしかない。そういうことよ。

 人の身で、同じ人間や、まして神を裁こうとする、その重さは。」

 ガハッと、口から血を吐いて。

 「…まだ、よ。」

 それでも、毅然とした目はきっと崩さずー無理をしていることは明らかでー良音は向かいの天秤皿をにらみつけ。

 「終わってない。」

 「えっ…

 …あっ…!」

 そうだ。

 ユースティティアが死んだのなら、その命の重みは消え去り、天秤は良音の側に一気に傾くはずなのだ。そうならないということは。

 逆再生するようにして、美貌の女神は虚空から空気を紡ぐように現出した。

 「我ハ、裁キノ神。

 汝、人ノ身ニシテ、我ニ挑ム不遜ヲ知ルベシ。」


                    ー”世界J”ー

 「(私は) don't(そうは)think so(思わない)

 神様だからって人を裁いていいはずがない。傲慢は、不遜は、貴女。」

 …とはいえ、じり貧ね…

 「明末さん、もう…」

 「ええ、知ってる。」

 人を人の身にして裁くということに、復讐と私刑と審判それ自体に罪と罰を認めてしまったから、相手の罪を裁く「審判者(judgement)」の力は自爆特攻の力になっている。

 「如何シタ?其ノ程度カ?」

 何度も溶けてはまた巻き戻すような復活を繰り返し。

 何度裁いても女神ユースティティアを滅ぼすことは出来ないのに、良音だけが傷ついてゆく。

 「もう、もうやめてください!」

 やや下の方から、そんな声が響いてきた。

 「やめるんだキミ!

 伝えたいことはわかったから!」

 犯罪者の妹と、犯罪者を殺した刑事。

 さっきまで殺しあっていた二人は、何か通じ合うものを感じたのか、うなずきあった。

 「どんなに相手が悪い奴だとしても、それを裁くことに罪はあるし」

 「私にとっていくら罰を与えられるべき人間でも、それを殺したら罪になる」

 だから、人の身にして人を裁くことは、罪と罰...というよりは、憂いを伴う矛盾を背負っている。

 「いいえ。

 わかっているはずがない。

 そんなの、わかっているふりをしている、ただそれだけよ。」

 にべもなく、良音は心底見下し声で、貫くような寒い声で言い放った。

 「無意識は、意識に数倍、十数倍する。

 かたき討ちがいけないことだなんて、私刑リンチ私刑リンチの連鎖しか生まないことなんて、最初から知ってるはずよね?

 まさか、そんなことも知らずに復讐を始めたの?

 はっ。」

 血を口から垂らしながら、良音はそれでも、嘲りの最中にも何度も青い六角光を再起動させてユースティティアを溶かしていく。

 「貴方たちを信じられないんじゃない。」

 私を信じられないんでもない。」

 「私はただ、人間も、社会も、信じる気がないだけ。

 この天秤も、神様も、また、裁きを繰り返し、罪と罰を積み重ねる。」

 だったら、私は、やっぱり。」

 罪科の上に「裁き」を裁く事だけが、唯一、良音が下すべき審判であり良音に下されるべき裁きだと、彼女はそう思っていて。

 「…明末さん。」

 だから、真意に気づいたーというほど、良音の怒りにも哀しみにも嘲りにも彼は達することができないけれどー海斗は、手を差し出した。

 「明末さん。

 明末さんは、性悪説、なんですか?」

 それは、わかりきった当然の問い。

 「もちろん。」

 「明末さんは、誰かが誰かを裁くことを本質的に悪だと思っているけれど、裁かれないべきとも思っていない。」

 「ええ。」

 「明末さんは、『原罪』を?」

 「哀しいわね。

 だから人間社会は嫌いよ。」

 「…わかりました。

 僕も、手伝います。

 明末さんの考えに、賛成はできないけど。」

 「じゃあ、なんで?」

 「…神様なんてのが超然と偉そうに『裁き』なんて言ってるのは、僕にとっても、傲慢で、イラっと来るってだけの話です、よ!

 『ハッピーエンドを創造するためなら、救いの手をどこまでも想像してやる!』ー介入者(intervener)!」

 2人の開いた右目が青く淡く輝き、閉じた左目から上へ伸びた光の筋は同じ六角光ー「I」と中央にきらめいているーの左右に頭上で連結した。

 頭上の六角形が、割合を示す円グラフのように、徐々に青い光を増やしていく。

 「「『罪には裁きを、裁きには罪を、罪には罰を。十字架の下にのみ原罪と天秤は憩う』

 ー審判者J」」

 「汝等、ソロソロ決着ヲ付ケン!」

 そして、天秤は釣り合った。

 目に見えないプレッシャーが、まさしく圧力となって、両方の皿にのしかかる。

 「我ハ神。

 不死身ナリ。」

 「そう、不死身!

 人間の命が地球よりも重いのなら、なぜ貴女は無条件に人を裁けるの?」

 「其レゾ神ノ権能!

 人ノ命ノ価値ハ生キ様デ変ワル、ナレド、人ガ生マレナガラニ持ツ命ノ重ミ、其レハ何ニモ代エ難イ。

 故ニ我天秤ヲ調節ス、之ゾ神ニノミ許サレシ権能!」

 「いいえ。

 それこそが、貴女の罪。

 貴女は、生き様で変わる命の価値を罪と量りあうために、人が人として最初から持っている命のかけがえのなさを切り捨てた...いや、貴女自身の命で釣り合わせた。

 死んでも生き返れるからこそ、人を死刑にするために自分も死ぬことができる。

 …他人の裁きのために命を毎回投げ出すおままごと、楽しかった?」

 真っ白な十字架が、灰色に、そして黒く、染まっていく。

 苦悶に2人が顔を歪め、そして、天秤の皿が十字架を載せ少しずつ下がっていく。

 「判決は、『想像は現実化しうる。私、そしてあなたたちの存在の観測こそ、その最たる証明』

 ー創始者A」

 「キサマァ...ッ」

 銀色の天秤に、ビシリとヒビが入る。

 良音のポケットの中で、「J」と記されたビー玉が闇色に染まる。

 彼らがいる真っ白な虚空のあちこちが、壁紙のようにベラリまくれ剥がれ、漆黒と化していく。

 「さようなら。」 

 そして、世界中のすべての「ユースティティアの天秤」が、粉々に砕け散った。


                    ―*―

 「海斗、何考えてるの~?

 う~み~と?」

 「…あっ。

 悪い悪い、ちょっとさ。」

 「ちょっとじゃないよ~。

 明末さんの背中、ずっと見ちゃってさ~うりうり♪」

 「…現実で『うりうり』なんて言う奴、はじめて見たよ...」

 「…でも、好きなんでしょ?小花ちゃんにはわか…あいてててお団子引っ張っちゃや~だ!」

 「別に、そうじゃなくてさ。

 …小花さ。」

 「なぁに?」

 「もし僕が誰かに殺されて、そいつを誰も法律で逮捕して裁いてくれないーってなったら、どうする?」

 「…海斗、何言ってるの?」

 「え?」

 「海斗が殺されるわけないじゃん。」

 「え、なんで?」

 「だって、私がそう信じてるもん。

 私が毎年お正月に神社に行ってお祈りしてるもん、『私の好きなみんなが1年健やかでありますように』って。

 だから、なんもないよ♪」

 「…ふっ」

 「えっ、なんで笑うの!?ちょっと、海斗!?」

 …想像は現実化する、か。

 「いやさ、明末さんが聞いたら鼻で笑いそうだと思ってさ。」

 「な、なんで~!?」

 難しく考えすぎ、だとさ。

 

                    ー”世界J”ー

 「…病室?」

 「刑事さん。」

 「…妹さんか。

 悪かったな。お前のお兄さんを、その…

 …でも、お前さんにとってはいい奴でも、俺にとっては悪い奴だったんだよ。」

 「刑事さんにとって悪いお兄ちゃんでも、私にとってはいいお兄ちゃんだった、それだけのことです。

 もう天秤もないし。

 二度と、私の前に現れないでくださいね?」

 「ああ、二度と、会うことはないだろうな。」

今回獲得したアルゴリズム


審判者Judgement 略称J アルゴリズム「罪には裁きを、裁きには罪を、罪には罰を。十字架の下にのみ原罪と天秤は憩う」 効果:定めた人物・人格の罪に応じて任意の罰を下す。

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