聖女は外に出たくない。
私は女の子の骨折部にかざしていた手を下ろした。
手から発していた眩い金色の光は次第に収束していく。
光が完全に消える頃には、先ほどまで喘ぐように苦しそうだった少女の呼吸が、安らかに規則正しいものになった。
昨晩は痛くて眠れてなかったのだろう。目の下にうっすらクマのできた少女は、ぐっすりと眠っている。熱はまだあるが、じきに引いてくるだろう。
「はい、これで治りましたよー」
隣で心配そうに見守っていた彼女の母親に私は声をかけた。
「ああっターニャ!……よかった……ありがとうございます、聖女サクラ様!」
感謝を述べる母親の言葉に、思わず笑顔がひきつりかけた。聖女、と呼ばれるのは未だに慣れない。
外人ばりに彫りの深い顔の上、染めないとありえないような髪色の人が多いこの世界の人たちに比べ、私の容姿はだいぶ貧相だ。
腰までの黒髪を後ろで一つのお団子にまとめ、平坦な顔に童顔という日本人らしい私の容姿からすると、聖女っぽいのはあなた方のほうですと言わざるを得ない。
おまけに私は白いブラウスと赤いロングスカートを覆い隠すように、大きめのエプロンを付けているのだ。聖女の神聖なイメージからは姿形もだいぶかけ離れている。
「いえいえ、お母さんも看病でお疲れでしょうから今日はちゃんと寝てくださいね」
娘を抱え、何度も頭を下げる母親を扉まで見送る。
さて、怪我人も途切れたし、そろそろ一息入れようかと椅子に座り伸びをしたその時だった。
廊下の向こうからバタバタ走る音が聞こえてきた、と思ったら扉が勢いよく開いた。
「サクラ様、大変です! 西の森でワイバーンの群れと遭遇した第二師団が交戦中、重傷者多数! 至急救護に向かわれたしとのことです!」
「あら、それは大変」
侍女の報告に冷静に答えた私は思った。
アレを試す時が来たようね、と。
────────────────────
家のトイレで用を足して、扉を開けるとそこは異世界だった。
というなんとも情けない召喚のされ方をした私の第一声は悲鳴だった。
そりゃ、トイレから出て目の前に「よし、成功したか」などとのたまうフードを被った怪しげな男が数人いたら暴漢だと思いますよね。
混乱する私だったがどうにか落ち着き、連れていかれたのは国王の前だった。
首が隠れる程度に長く立派な白髭に、煌びやかな装飾がなされた長くゆったりとした紫色の服に同じく長いマントをつけている。玉座に座る姿は威厳のある国王そのものだが、やや疲れ切った面持ちだ。
「……聖女よ、よくぞ参られた」
国王は私が聖女であること、百年に一度この国に蔓延する瘴気を祓うために異世界から召喚されること、終わったら帰れること、この世界にいる間は修道院で暮らすことを、かいつまんで説明してくれた。
「ええと、ちょっといいですか?」
「なんだ? 申してみよ」
「なんで修道院なんですか? こういう凄い力の持ち主って、自分の手元に置いておきたいもの……なん……じゃ、ないですか……?」
疑問を述べる間に国王がものすごい形相でこちらを見ている……いや、睨んでいる。その鋭さに思わず尻込みした。
どうやら地雷を踏んだようだ。他人の地雷をうっかり踏んでしまうのは、私の悪い癖だ。
「やっぱりさっきの質問無しで!」と言おうとしたその時、国王が大きくため息をついた。
「いや、そなたに罪はないのだが……」
国王曰く、前任の聖女が王子を誑かしていろいろやらかした上に王太子は追放されるわ聖女の仕事を全くしなかったわ、という散々な結果だったことが理由だという。
国王が疲れた顔をしてたのは前任者と息子のせいだったようだ。
そのため王侯貴族と聖女との接触を極力減らすために、最低限の護衛と侍女を付けての修道院預かりとなったということだった。
外出は許可が下りれば護衛付きで可能という、ちょっとした軟禁状態だ。
「すまない、そなたには全く非が無いのだが」
「あーいえ、全然いいです。むしろ修道院でも快適に生活できればいいです」
確かに、なんだそれ私とばっちりじゃん、とはちょっと思った。
ただ同時にラッキーとも思った。なぜなら私は超インドア派だから。
激務やら人間関係やらなんやらで疲れて倒れたのを機に、看護師の仕事をやめたのがちょうど半年前のこと。
最低限の買い物やゴミ捨てだけをして家に引きこもっていた。それくらい疲れ果てていた。
幸い激務すぎて遊ぶ暇もなかったので、しばらく無職でも生活できる程度に貯金はあった。皮肉なものだ。
そんな私にはもはや外に出ない生活が普通なのだ。
仕事も在宅でやりたいくらいだった。
そんなことを考えていたところにこの聖女召喚である。しかも修道院から極力外に出るなと来た。
これを逃さない手はない。
「ひとつ、お願いがあるのですが」
「良いぞ、申してみよ」
「聖女のお仕事だけに集中することは可能ですか? その……聖女じゃなくてもできる仕事はできたらしたくないんですが」
普通ならこんな要求は通らないだろう。
しかし本来国賓級にもてなさなければならない聖女を、前任者のオイタが過ぎたせいで修道院に押し込めるのだ。
なんの罪もない私に対して負い目がある国王は、私の要望にすぐに頷いた。
私は修道院の中で聖女の仕事をしながらゆったりと暮らしました、めでたしめでたし──とはいかなかった。
聖女の仕事は瘴気を祓うことだが、もう一つあったのだ。怪我人の手当てだ。
私以外の者でも手当てできるのでは、と一度は拒否はした。
しかし、回復魔法を使い魔力を制御することが、瘴気を祓う浄化魔法の習得に繋がるらしい。あえなく却下された。
浄化魔法が得られるまで地道にスキルレベルを上げろということらしい。レベルを上げれば、今覚えている回復魔法より効果の高い回復魔法や支援魔法などを覚えるという。
ゲームみたいな話だが、国王のような偉い人が大真面目に語るものだからそういうものなのだと納得した。
回復魔法自体は一番効果が弱いものが初期装備らしいのですぐに扱えた。
最初発動させた時は、みるみるうちに怪我が治っていくので「医者よりすごい」とかなりテンションが上がった。病気は治せないみたいだが、それでも十分だ。さすが魔法。
それどころか、怪我人が視界に入っただけでその人の頭上に逆三角形のターゲットマーカーがついたり、手をかざしただけで『診断:軽度熱傷』などと書かれたウィンドウが出現するのだ。
レントゲンもCTもMRIも医療知識も要らないじゃない……。看護師としてはちょっと拍子抜けだ。
ウィンドウには検索機能や魔法合成なんていう便利でなんとなくすごそうな文字列もある。
しかし、街中に住んでて、しかも回復魔法も一種類しか使えないような私では、これらの機能は当分使わなさそうだ。
そうして修道院で患者の治療をしていたのだが……これが曲者だった。
看護師をしていたので、どんなグロい傷でも抵抗はない。それは別にいい。
修道院自体が治療院を兼ねていることもあって、外出せずとも待っていれば患者が来てくれる──平民の場合は。
しかし貴族ともなると、聖女であってもこちらから出向かなければならないのが通例らしい。
貴族の屋敷に行くだけならまだいいのだが、問題は王都中の貴族のほとんどが、ちょっとの傷でもすぐに呼んでくることだった。
「少し転んで膝を擦りむいた」「紙で指を切ってしまった」はたまた「虫に刺されて掻いたら血が出た」くらいでも、彼らは瀕死の重傷かと思うほどの大騒ぎをする。
そして治療が終われば、長々とその貴族がどれだけ素晴らしいかを説き始めるのだ。
護衛の一人、ヘラはそれを「あれは聖女様へのアピールですよ」とか言っているが、正直意味がわからない。王侯貴族とは色恋させない方針はどこいった。
国王には報告済みです、とは言っているが一向に状況が変わる気配がないのはどうかと思う。そろそろ帰ります、と言っても引き止めてくるし。
聞けば、聖女とお近づきになりたいからというのもあるが、昔からこの国の貴族は少しの怪我でも治療師を呼んで魔法をかけてもらっていたらしい。そのため平民の治療が後回しにされてしまうことも多いとか。
意味がわからない。トリアージの概念はないのか。
かと思えば、魔物の討伐に出た騎士団が大怪我したと伝令が飛んでくる。
騎士団の場合は、本当に死ぬレベルの大怪我なので文句言わずに治療するが、その数が多すぎる。
私の魔力が歴代聖女よりも規格外に多くなかったら、さすがに嫌気が差して出奔していただろう。
聖女の役目を終えた後に、この世界に止まるか毎回聞いているらしいのだが、歴代聖女の全員が帰っているという。
そりゃ労働環境がブラックすぎるもの。歴代聖女は魔力がなくなるまで毎日働かされたという話だし。
もしかして前任者が真面目に仕事しなかった原因ってこれじゃね?
という考えが思い浮かぶくらい、呼びつけられては治療して、の繰り返しで辟易としていた。
これではいけない。せっかく仕事を限定したのに引きこもれない。
引きこもり生活への危機を感じた私は早々に国王に進言した。
「回復魔法を使う症例を限定させていただけませんか? 具体的には骨折、大出血などの重傷者のみということで」
国王は渋い顔を作った。貴族から反対されることを考えているのだろう。
「……それは何故か、聞いても良いだろうか?」
「少しの切り傷や擦り傷では、スキルレベルが上がりづらくなってきていることが挙げられますね。実入りが少ない上に、もしも大怪我の人が続出するような緊急事態が起きた時に、唾つけて放っておけば治るような怪我にまで構っていられません」
多少辛辣な物言いになってしまったがこれが本音だ。私がにっこりと笑うと、国王はさらに難しい顔を作った。
「しかし、騎士団には常駐の治療師もいる。それに聖女の回復魔法を望んでいる国民は多いのだ……」
「多すぎるのが問題です。皆さん聖女……というか、回復魔法に頼りすぎています。私は仕事が済んだらすぐにいなくなるつもりです。その時に『なぜ聖女を元の世界に返した』という王様を責める声が多数派になってしまったら、この国はどうなりますか?」
「しかし……」
国王は言い淀んだ。くそぅ、これでもダメか。随分と決断力のない国王だ。
「先程唾つけておけば治るような怪我と言いましたが、そんな軽傷でも駆け込んでくるような人ってどういう方だと思いますか?」
いきなり質問を変えてきた私に国王は面をくらったように目を瞑った。
「……それは、修道院の近くに住む平民だろう。今の聖女殿は気安い人間だと有名だからな」
「……残念ながらそれは違いますね。むしろ近くに住む者ほど軽傷程度では来ません」
私は貴族以外は無償でやっているが、治療院の他の治療師達はお金を取る。
国から治療院への支援はあるが、忙しすぎて患者から個別に報酬をもらわないとやってられないのが実情だ。
貴族邸回りで忙しく、ほとんど治療院にいないことが分かっている聖女を頼ってくる平民は少ない。それが軽傷ともなれば全く来ないのは自明の理だ。
「一番は……貴族様たちです」
「なんと……」
私の回答に目を見開く国王。その顔は髭で半分覆い尽くされているが、うっすら青くなっているのが分かる。
どうやら私の言いたいことが分かったらしい。
聖女に傾倒しきった貴族たちが、聖女の帰還を許した国王に不満を募らせたらどうなるのか──。
この国には医学というものがない。学問として存在してないため医学に関する本もない。つまりほぼ口頭や実践での伝聞になる。
お金がなく治療院にかかることができない平民や貧民には、回復魔法に頼らずとも怪我の応急処置や最低限の知識が伝わっている。
しかし、すぐに回復魔法に頼れるような環境にある貴族たちには、「この傷は清潔にしておけば放置していても大丈夫」などの知識がない。教えてくれる人もいない。いても平民だからと馬鹿にする。知識がないから少しの怪我でも大騒ぎするのだ。
知識がないまま盲目的に頼りきっていた聖女、それも一日中回復魔法を唱えても魔力が枯渇しない便利な聖女がいなくなったとなれば、クーデターとまではいかなくとも王家が傾く程度のことは起こるかもしれない。
青い顔で赤べこのように何度も頷いた国王が少しだけ可哀想になった私は、簡単な応急処置の方法と軽傷重傷の見分け方などの医学知識を、国王を通して貴族たちに伝えた。
ついでに、治療後に長々とアピールしてきた貴族たちはコッテリしぼってもらった。
そりゃ仕方ないよね。前任者と元王子の顛末知ってて口説いてきてるなんて確信犯だし。
貴族の知識が向上し、聖女を口説くのも禁止になったことで外に出ることも少なくなった。
それでもめげずに軽い怪我で呼んでくる貴族もいたが、他の治療師に頼んで行ってもらっている。怪我は治るしお金も入るし、平民も少しずつ治療院に来るようになったし、私も外に出なくて済む。みんなハッピーですよね。
他の治療師たちの仕事も少なくなったため、不満が続出するかと思われたが、案外すんなり受け入れられた。むしろ大喜びされた。
皆、仕事量が多すぎて過労死寸前でも貴族相手には文句が言えなかったらしい。「まさに天使だ!」なんてやたらと持ち上げられた。
私は単に引きこもりたいだけなんですが……みんなが喜んでくれるならいいんだけど。
そして思わぬところからも感謝された。
「サクラ様、あの、騎士団の第二師団長という方がいらっしゃっているのですが……」
ある日、若い侍女の一人が若干困惑しながらも報告してきた。
あれ? 今日は誰も来ないはず……。ヘラに確認するとうっかり伝え忘れていたという。平身低頭して謝罪された。
いや、私も聞かなかったのが悪い。
「わかりました。伺いましょう」
待たせたら悪いし、ちょうど患者さんもいないしね。
私はエプロンを外し、門へと向かった。
第二師団の救護へは何度か行ったことがあるが、忙しすぎて会話どころか誰が師団長かもいまだによく分かっていない。
男子禁制の修道院内に通されていない、ということは男性だろう。師団長クラスなら中年かもしれない。
修道院の門は二つある。外とつながる外門と、外門から修道院内につながる内門だ。
師団長は外門で待機しているという。
一応、慣例通り面通しをしてもらったが十中八九本人らしい。ついでに内門の前のテラスまで案内してもらった。
内門前の庭には小さなテラスがあり、私の訪問者はそこで応対している。
今度からはちゃんと事前に予定の確認はしておこう、などと考えていると
「聖女サクラ様、ですね?」
男性にしてはやや高めの、しかし落ち着いた声が私を呼んだ。
振り返ると声の主が一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに優しげな笑みを見せた。
耳が隠れる程度の緩かやなウェーブがかかった深緑の髪、切れ長な目に煌く淡いエメラルドの瞳の奥に大人の余裕を感じさせる。これから戦いに赴くのだろうか、銀の甲冑を身につけ程よくついた筋肉が甲冑の隙間からのぞいている。やたら姿勢がいいのも鍛えているおかげだろう。
私より少し年齢は上だろうか。いやいや、同い年かもしれない。この国の人は実年齢より大人っぽい人が多いから。
しかしそれにしても想像よりずっと若い。そして例外なくイケメン。
イケメンイケ女ばかりの世界で聖女なんて呼ばれるの、拷問すぎるんですが。
でもこんなキラキラしたイケメン、救護テントにいたかな……いなかったってことはあまり怪我してなかったのかも。となると相当強いのか。さすが若くして師団長になるだけはある。
私が頷くとそのイケメン……じゃなくて師団長はその場に跪いた。
「お初にお目にかかります。王国騎士団第二師団を率いております、アルフォンス・セラ・ニアスティムと申します。この度は慈悲深く聡明な聖女様にお目にかかれて光栄です。幾度かの討伐の折、負傷者たちを助けていただき師団長としてお礼をしたく参じました」
アルフォンスの完璧な立ち振る舞いと凛とした口上に、思わず誰かのため息が漏れた。騎士というより王子様みたいな人だ。
……って見惚れてる場合じゃなかったわ。
「こちらこそ、このような場所で恐縮ですがお越しいただきありがとうございます」
どうぞ普段通り楽にしてください、と伝え椅子に座るように促したが、アルフォンスは首を振った。
「お言葉に甘えて本当はゆっくりしていきたいのですが、今日は急遽討伐へ行かなくてはならないのです。騎士の悲しいところですね」
「あら……それでしたら急がなければなりませんね」
「いいえ、まだ物資の準備などがありますから時間はあります。私一人いなくてもなんとかなるでしょう。それに……」
言葉を止めたアルフォンスは、私の顔を見上げた。言葉の続きをじっと待つが、ただ見つめ合うだけだ。
元の世界ではイケメンと視線を一度交わせば問答無用でときめいていただろう。なにせ病院での出会いといえばご高齢の方くらいだ。デキる医者は大体既婚者で、若い医者はまだ仕事に必死。青すぎてときめけない。
しかし、毎日多種多様な見目麗しい男女と接していたら大してドキドキしなくなった。慣れって怖い。
あまりに沈黙が続くのでどうしたのかしら、と首を傾げて曖昧に微笑むと、彼は視線をそらして口元を押さえた。
「あの……アルフォンス様? もしかして具合が悪いのでしょうか?」
「あ、いやそういうわけでは……」
慌てて否定したアルフォンスは、気まずいのかこほんとひとつ咳払いをした。
「サクラ様には団員共々感謝しています。いや、団員だけじゃなく平民や貧民も多大な感謝の念を抱いていることでしょう。今までこちらに負傷者が出ても、貴族の治療で治療師が来られない、間に合わないということが往々にしてありましたから……」
なるほど、確かに貴族のわがままで一番割を食っていたのは最前線で戦っている騎士たちだろう。国民を守るために戦っているのにその国民が足を引っ張ってくるのでは、敵に包囲されているようなものだ。
改めて頭を下げるアルフォンスを、私は慌てて身を起こさせる。
「サクラ様が貴族たちへ働きかけてくださったお陰で、我々も思う存分、これまで以上にこの国のために力を振るえます。ありがとうございます」
「そんな……私は」
引きこもりたいだけですから。
思わず本音が出そうになって口を閉じた。
危ない。そんなこと言ったらおもしれー女認定されるどころかドン引きされる。さすがにまともそうな人に引かれるのは傷つくわ。
「貴女は……とても奥ゆかしい方なのですね」
口ごもったことを謙遜と捉えたのか、アルフォンスはなにやら頬を染めキラキラした目で見つめてくる。やめて、そんな純粋な目で見ないで。
やがて視線をふっと下に落とした彼は、再び跪いた。
「……もう少しお話をしたいのですが、そろそろ準備が終わりそうなのでこれにて失礼いたします。……この討伐が無事に終わったら、もう一度貴女と、サクラ様とゆっくりお話できたらと思います。なに、簡単な討伐ですから、帰還したらすぐ伺いますね」
それでは、と礼をして踵を返すアルフォンスの背中を見送りながら思った。
去り際に死亡フラグを乱立させないで欲しい。
アルフォンスが来訪した日の夕方。
私は運動がてら登った修道院の鐘塔の最上階で、地平線に沈む夕陽を見ながら頬杖ついて物思いにふけっていた。
この鐘塔は王都で一番背の高い建物だ。
建設当時の王が、時を奏でることをなによりも大切にしたのだろう。
きっと几帳面な性格をしていたに違いない。それもただの几帳面ではない。王城よりもずっと高く設計しているあたり酔狂通り越して狂気すら感じる。
以前は王都に時を伝えるための大鐘があったらしいが、他の施設に移され今は何もない。本来の役目を失った最上階は必要以上に広く感じる。
風は強いが、国の領土全てが見渡せるという謳い文句の360度大パノラマが楽しめるので、暇になるとよく登っていた。ゆっくり物を考えるときには最適な場所だ。もちろん、ヘラも一緒だが。
侍女たちも誘ったが微妙な顔をしていた。
大鐘がある時代、修道女たちは「神の与えたもうた試練です」と言って登っていたらしい。
確かに、何段あるか数えるのも面倒なくらい階段多いけど、扱いが苦行のそれでちょっとかわいそうになった。
しかし、討伐かぁ……討伐の救護もなかなか大変なのよね。
討伐の怪我人は多いし重傷も多いし、なにより外に出たくな……じゃなくて、急を要するのに救護テントまで遠いのがかなり困る。
一応、数名の治療師が討伐に同行している。遠征ならばもっと数を増やしているだろうが、そのどちらにも聖女は同行してはいけない。
単純に危険な目に合わせられないから、ということだ。そりゃホントは国賓級だし当然の対応だ。
そのため、近場での討伐かつ負傷者が多数の場合にのみ応援に行くことが多い。
普通の治療師が時間をかけて回復魔法をかけたとしても完全に治らないような四肢欠損や大怪我を、聖女ならば短時間で完璧に治せるからだ。
いくら外に出たくないと言っても、人の生き死にが自分にかかっているなら全力で回復魔法をかけに行く。
そこはもう、聖女の仕事以外はお断りしている手前、仕事しないわけにはいかないだろう。それに元看護師としての意地とサガもある。
まして個人的な知り合いなら尚更だ。
よく応援に行ってたせいか、騎士のうち何人かは顔と名前を覚えている。皆、貴族とは違って飾り気もなくいい人たちばかりだ。
先程知り合ったアルフォンスにはさらりと死亡フラグを立てられてしまったことだし、応援に行かない選択肢はない。
思い出して思わず笑みがこぼれた。
あの調子なら討伐に出るたびにフラグを立ててそうだ。それを覆せるほど強いのだろうが、それでも一抹の不安はある。聖女として何かしら準備しておいても損はないだろう。
とはいえ、遠すぎる。時間がかかりすぎる。
どうしたらいいんだか──。
「さ、サクラ、さま、王妃様、から、の、お手紙、です」
螺旋階段を全力ダッシュして駆け上がってきたのか、ぜいぜいと呼吸の荒い若い侍女の声に思考が中断された。
その手には小さな白い便箋が握られている。
自分の息子の追放理由になった聖女というカテゴリーの女を、虐げるとまで行かなくとも少しは避けるものだろう。少なくとも私なら警戒する。
しかし召喚されて以来、王妃はなにかと私を気にかけてくれている。ごくたまにお忍びでお茶しにきてはゆるりと会話を楽しんだり、こうして文通したりしている。
私情を挟まないあたり、さすが王妃様、と言ったところだろうか。
内容は大抵、今日はいい天気ですね、この間どこそこへ行きました、などの他愛もないものだ。
急ぎの用でもないので、侍女が百は優に超える階段を全力疾走する必要は全くない。
しかし内容を知らない人からすれば、王妃からの手紙は何に代えてでも早く届けなければならないと思われても仕方がないだろう。
「ありがとう。あなたも疲れたでしょうから少し風に当たって休みましょう」
私は侍女をねぎらい、手紙を受け取った。
あとで王妃からの手紙は急いで持ってこなくていいって伝えよう。今言うとちょっと恨まれそうだ。
手紙の中身はやはり、今回も他愛ない内容だった。
白い便箋に赤い押印のこの手紙は、毎回魔法の伝書鳩が届けてくれる。
伝書鳩とはまた古典的な、と思われるだろうが、高貴な方々の手紙や機密文書にはこの方法が取られている。人の手を介すとどうしても情報漏洩があるとか。
加えて上空を飛ぶ鳩型ならば機動性も抜群だ。姿が見えないように魔法もかけられているので狙い撃ちされる可能性も低い。たとえ狙われても迎撃するなどの二重三重の対策をしてるとか。
そう、伝書鳩……魔法の……。
手紙を握る手に思わず力がこもる。
「あの……サクラ様?」
ヘラの怪訝そうな声色に、私はいつの間にか口元に笑みを浮かべていたことに気付いた。
「まだ、夕食までに時間がありますよね? 今から少し手伝っていただきたいことがあります。今すぐ塔から降りて王都の外に出てもらえませんか?」
私の言葉に、息を切らして休んでいた侍女が、ほんの少しだけ絶望的な表情を浮かべた気がした。
────────────────────
……というのがつい二日前までの出来事だ。
ワイバーン襲撃の一報を受けた私は、塔の最上階に登った。
現在時刻は大体昼前。天気は雲ひとつない快晴だ。おかげで少し暑いが、遠くまでよく見渡せる。
「サクラ様、西の森はあちらです」
ヘラが指差す方向には平地にポツンとしたこぶし大ほどの緑の塊があった。
ここから見るとかなり小さいが、実際は抜けるのに二、三日かかるほど大きく、木々が密集して歩きにくい森らしい。王妃から聞いたことがある
負傷者は前線からは後退しているだろうが、入り組んで歩きにくい森の中で交戦中ならば、まだ森を脱出できていない可能性が高い。
西の森の上空には、蚊のような黒い何かが数匹飛び回っている。あれがワイバーンだろう。
ゲームでは確かドラゴンのような姿をしていたはず。ドラゴン、といえば……。
「ワイバーンは火を吹かないのですか?」
「吹きませんね。その代わりに毒のある爪と唾液が脅威です。少しでも触れると麻痺する上にじわじわ体力削られますからね……。それが何体もいる……非常に厄介な状況です」
ヘラは悔しそうに歯ぎしりをした。
彼女は元々第二師団の団員だ。アルフォンスの身元を確認したのも彼女だ。
同僚が最前線で戦っているのに、自分は遥か後方で聖女のお守りをしていることが歯痒いのだろう。
彼女のためにも一刻も早く勤めを果たさなければならない。
私は両手を森の方へと向けた。
目を閉じ神経を手のひらに集中させる。
──そう、行くのに時間がかかるなら、行かなくてもいい方法を取ればいいのだ。
つまり、ここから回復魔法を飛ばせばいい。伝書鳩のように。
二日前に若い侍女に頼んだ「手伝ってほしいこと」は、騎士団救護のための回復魔法を飛ばす実験をしていたのだ。
幸い私には、一日中回復魔法を使っても枯渇しない潤沢な魔力がある。怪我人が視界に入れば自動でマーカーが付き、手をかざせばその方向にいる怪我人の状態もわかる便利機能付きだ。
その上この塔からなら国内の全てを見渡せる。障害物も王城以外はない──なかなかいい条件が揃っていた。
脳内にウィンドウ画面が次々と開かれる。
怪我人の数が思ったより多い。旗色はかなり悪いようだ。重軽傷の違いはあれど殆どが『診断:裂傷、毒状態、麻痺状態』だ。
『刺傷』の診断がついているのはワイバーンだろうか。『毒属性魔獣』という説明めいた文字も見える。ヘラの話も合わせて考えるとおそらくそうだろう。
麻痺毒を使う生物は、大抵防御か捕食に毒を使う。ワイバーンが逃げようとしていないことから、隙を見て騎士たちを捕食しようとしていることがわかる。
即効性よりも獲物を生かさず殺さず動かさずを目的にしてるため、毒を食らっても麻痺が効いてくるまでには少し時間があるはず。その証拠に『毒状態』の人の中には『麻痺状態』になっていない人が何人もいた。
新鮮な獲物を食べるための毒──思わず捕食される人間を想像し身震いした。
私は更に集中する。全身の血が巡り巡って手のひらに全て向かうような感覚。おそらく今、私の両手には金色の光が点っている
頭の中のウィンドウ画面が更に詳細を映し出していく。
知った名前がちらほら見えてきた。
そのほとんどが重傷……いや一人軽傷者がいる。
アルフォンスだ。怪我はしているが、毒は食らってない。
「……よかった……」
ほっとしたのも束の間、アルフォンスの表示が軽傷から重傷に変わる。
表示が他の軽傷者に重なっているところを見ると、誰かを庇ったようだ。深傷を負ったらしく診断に『瀕死』が付け加えられた。
──急げ。
手のひらには十分な魔力が溜まっている。あとは発射するだけだがターゲット指定がまだだ。
しかしそれを悠長にしている場合ではない。
師団長がやられたとなれば残った騎士たちが総崩れするのも時間の問題だ。
この際ワイバーンを巻き込んでもいい、と一瞬思ったが、動けないワイバーンの中にもまだ生きている個体がいる。
それらも回復させてしまったら戦いは一からやり直しだ。騎士たちのモチベーションは確実に下がる。
どうする。ワイバーン以外をターゲットにする方法。焦るな。落ち着け。なにか、なにかあるはず。
手のひらに集中しながらも必死に記憶を探る。
──使えないと思ってた検索機能!
もちろん一度も使ったことはない。というか今の今まで忘れていた。
ぶっつけ本番だがこれしか現状打開できそうな案は思いつかない。
検索機能を選択する。対象検索と除外検索のうち、対象検索の「人間」を選択した。
ワイバーンについていたマーカーが消える!
よし!
目を見開き、手のひらからありったけの魔力を解放するイメージで、覚えた中で一番効果の高い回復魔法を叩き込んだ。
私の背丈以上はあろう大きさの光の筋が、まるで流れ星のように空を突き進んでいく。
おおおお! 実験の時より派手すぎぃぃぃ!
思わずそう叫びそうになったが、口に出したら魔力が制御できなくなりそうだ。
お願い! 届いて!
祈りが通じたのか、西の森に到達した光の筋は、その大層な見た目とは裏腹に音もなくじわりじわりとその光の範囲を広げた。
ウィンドウを確認すると騎士たちの診断から『裂傷』が消えている。アルフォンスも怪我から回復しているようだ。
ただ──。
「……毒と麻痺は回復しないの……?!」
そう、よく考えたら私の回復魔法は怪我しか治せない。
回復魔法を放ち続けているが、一向に毒と麻痺状態は解除されなかった。皆、徐々に体力が減り、動けない状況は変わらない。
回復魔法で体力を回復することもできるが、毒が解除されなければどのみちジリ貧だ。更に麻痺が完全に効いてしまえば、いくら回復魔法をかけ続けていても捕食されれば終わりである。
間に合わない……の……?
アルフォンスのことが思い浮かぶ。ほんの少ししか話してないのに華麗に死亡フラグを立てる困った人だった。
それでも実際死んでしまうのは嫌だ。
絶望感に膝をつきそうになった、その時だった。
──『回復魔法スキル上限に達しました。解毒魔法を覚えました』
ウィンドウに文字が浮かんでいる。
解毒! なんていうタイミング!
ゲームっぽいなんて感想はこの際どうでもいい。私は片手で回復魔法を維持しながら、もう片方の手に意識を集中させた。
初めて使う魔法だ。回復魔法と同じように発射できるかわからないが、やらなければならない。
日差しの強さと緊張感が相まって、全身のそこかしこから汗が滝のように流れる。
気持ち悪い。集中が途切れそうになる。
必死にその糸をつなぎとめようとしていると、額にふわっとした感触が覆った。
一瞬だけ片目を開けると、ヘラと目が合った。ハンカチで汗を拭ってくれたようだ。
「お願いします、みんなを……助けてください」
小さく懇願するように囁いた彼女に力強く頷くと、私はさらに集中を高めた。
検索機能で解毒対象を選択……しようとして、ふと、あることを思いついた。
そしてその思いつきのまま、解毒魔法を発動させた。薄い黄緑色の光が、金の光を辿るように走り出し先ほどと同じように着弾する。
失敗しても大丈夫。多分損はないだろう。
落ち着いてウィンドウを確認すると……やはり。
ワイバーンの『毒属性』が消え、普通の『魔獣』表記になっている。もちろん騎士たちの毒も消えていた。
アルフォンスも戦線復帰したようで、元気に動き回っているのがウィンドウ上で確認できる。
これで少しは戦闘が楽になるはずだ。
私はヘラに軽くウインクした。
ほっとしたように顔を綻ばせる彼女につられて笑みがこぼれる。
……まだ麻痺は解除されてないんだけどね。
毒由来の麻痺のため、解毒魔法をかけ続ければ解除されるはずだ。徐々にではあるが、『麻痺状態』の表示が消えた騎士たちも増えてきた。
もしかしたらスキルアップで麻痺解除に特化した魔法も覚えるかもしれないが、現状はこの方法が一番現実的だ。
あ、でもついでだからちょっと試してみようかな。
全滅の危機を脱して少し余裕ができた私は、検索機能とともについさっきまで忘れていた機能──魔法合成を選択した。
そうして戦闘が終わった頃──。
魔力を限界近くまで放出した私は、大の字で寝転んでいた。
「な、にを、している、んで、すか……っ」
例によって例の如く、息も絶え絶えの侍女が階段を上り切ったところで仁王立ちしていた。
しかしいつもと違うのは、その侍女が年配の厳格な侍女筆頭、リカだということだ。その厳しさは元職場の看護師長を遥かに上回る。
そしてその厳しさは、聖女である私にも向けられていた……今まさに。
咳き込みながら、ほんのり怒気を孕んだ視線をこちらに向けてくる。物凄い形相だ。
女人禁制のはずなのにリカの後ろに多くの兵士がいる。そのほとんどは戸惑っている。
えーと……ちょっとやりすぎた?
私はヘラと顔を見合わせた。「まずいですね」と、ほんの少しだけ彼女は気まずそうな顔をした。
「な、何でここに兵士さんたちが……」
「塔か、ら、光、すごい、光が、出、てるって、国じゅ、う、大騒ぎして、魔獣かも、ってと、特別に、男性、が入るきょ、許可、もらったん、です」
まだ整わない呼吸の合間合間で発する声が、辛うじて聞こえてくる。
リカの話では、民衆は逃げ惑い、貴族は震え引きこもり、王様は聖女の身に何かあったのではと兵を派遣してきたらしい。まさに阿鼻叫喚。
あちゃー……あれだけ大きな光が出てたらなにも知らない人ならそりゃ驚くよね。
「……ゴメンナサイ……」
「謝罪は、結構です。何を、していた、のですか?」
「ええと……リモートワーク?」
私の答えに「……何、意味わかんないこと言ってるんですか!?」と怒髪天をついたリカの怒号が最上階に響き渡ったのは言うまでもない。
その後──。
アルフォンス以下、第二師団の面々が「光に包まれたら回復してた」「ワイバーンの攻撃を食らっても毒にかからなくなった」「何度目か、光を浴びたら急に攻撃力が増した」「身体が軽くて素早く動けるようになった」「聖女様バンザイ」とたくさん証言してくれたため、私はおとがめなしだった。
攻撃力や俊敏さに関しては、魔法合成で麻痺を解除する魔法を作ろうとあれこれ試していたら、なぜかバフをかける魔法ばかり完成しただけだ。もののついででかけていたが、役に立ったのならよかったよかった。魔力が尽きるまで合成しまくった甲斐があるというものだ。
おとがめなしどころか国王にも感謝された。
あの日、アルフォンスが身を挺して庇ったのは、現在王位継承権第二位の十歳の王子様だったのだ。
なんでも王子は十歳になると武勲を立てるために討伐に参加するのが通例とか。遅くにできたかわいい王子を助けてくれてありがとう、とこちらが恐縮するほど感謝された。
その王子様が聖女様と結婚したいとか言い出してるらしい。幼い子供の言うことなので、どうせ一時的なものだろうとこちらは思っている。国王が満更でもない様子なのが不穏だけど。前任の聖女と関わった時の顛末を少しは思い出してほしい。
しかし通例にしても流石に相手が強敵すぎませんかね……。まぁたまたま遭遇してしまったらしいから仕方ないけど……。
そのあたりはアルフォンスの死亡フラグ乱立のせいでワイバーンが大量に寄ってきた、と思っておこう。
結果的に第二師団だけでなく、王子を救った私に国王は褒賞を与えようとしたが丁重に辞退した。それでも、と食い下がられたので修道院から出ないで回復魔法を撃ちまくる権利を貰った。瘴気を祓ったら後腐れなく帰りたいしね。
と言っても、帰るか帰らないかはまだ決めてない。もし帰らない場合は、今までたくさん働いた分色々と請求しようと思っている。
王都の人たちにも、光の筋は聖女の起こした奇跡であると正式にお達しが出たため、蜂の巣をつついたような騒ぎは収まった。
鐘塔は『奇跡の塔』、回復魔法は『聖女の奇跡』として語り継ぎたいとかなんとか言って、吟遊詩人や文官が入れ替わり立ち替わりやってきて話を聞かれたが、それもしばらくすると落ち着いた。
代わりに、事あるごとにアルフォンスがお茶をしに来るようになった。これは討伐からかなり後まで知らなかったのだが、アルフォンスは武闘派ニアスティム公爵家の三男だったりするらしい。
貴族と必要以上に関わっちゃいけないんですけど。そう言うと、「貴族の前に騎士ですし、男ですからね」という詭弁をいけしゃあしゃあと言い放つ彼は、そこらの貴族よりも腹黒そうだ。
その詭弁に乗っかって、彼の訪問を断らない私も人のことは言えないけど。
私とアルフォンスが談笑する背後にはいつも、満面の笑みのヘラとためいきまじりでこちらを見るリカがいた。
──修道院から一歩も出ずに、回復魔法を打ちまくる私が『不動の聖女』と強そうな二つ名で呼ばれ、稀代の聖女として名を残すことになるのは、そんなに遠くない未来の出来事である──。
続きません。
前作と設定は似ていますが、別世界の出来事です。