邂逅:後編
「お前は神じゃねぇ。」
苔くさい神殿で、目の前の魔女は呟いた。その顔には、そいつには似合わない感情が張り付いていたと思う。
「神じゃない?」
「ああそうだ。たとえ体がそうでも、お前は神になれねえ。」
体が神ならば、それは神様なのではないかと思う。我がそう答えると、その魔女は更にその顔を歪めた。
「じゃあ、我は何なの?」
「知らねえ。自分で考えろチビ。」
そう言って魔女は顔を背けた。帽子を目深にかぶり、その瞳を見せないようにしながら。
我はちびではない、訂正を要求する。何度もあの魔女に言ったことだが、今回もそう答えようとしたところで、魔女は我の頭に手のひらを置き―――意識が途切れた。
――――――どうすれば、我は神様になれるんだろう。
焼けた村の中央にて、一匹の魔物が座り込んでいた。全ての人間、建造物は焼け落ち、炭と化している。いずれ風に吹かれて全ては消える。
魔物の体は、炎でできていた。炎は、近場にある何かの山から長い棒状の物を引っ張り出し、口らしき場所に運ぶ。それを咀嚼し終わると、惰性で行う作業の様に、気怠げに山に手を突っ込む。
魔物はそれを一昼夜、ずっと繰り返していた。昨日の夜、この村が襲われてから既に丸一日。前日までの平穏な景色は見る影もない。そこにあるのは、炎の魔物と死体の山だけだ。魔物がこの作業を終えれば、何もなくなるだろうが。
「―――ん?」
唐突に、森の鳥が飛び立った。何かが、村に近づいてきている。獣共を恐れさせ、魔物が遠くからでも感知できるほど強大な力を持った何かが。
「騎士団の連中じゃねえな、早過ぎる。面白えじゃねえか、食いでがある奴だと良いがな。」
炎は嗤う。周囲に火の粉が舞い、体を構成する炎が更に激しく燃え上がる。強者の登場に嗤うは、傲慢の証。魔物は、自信が敗北することなど微塵も考えていない。敗北なぞ、生まれてこの方したことがない。魔物の矜持は、その実力から形成されたものだった。
森からの気配が近づく。あと数十秒もすれば、村の中心からも姿を視認できるだろう。
「おい、そこのお前。」
唐突に、魔物の後ろから声がかけられる。この場には似つかわしくない、人間の子供の声だ。それも女。
「―――ああ?」
魔物が後ろを振り向くと、そこには少女がいた。黒髪を背中ほどまで長く伸ばし、その瞳は美しい青色をしている。8歳ほどの見た目だが、表情からは全く幼さを感じない。だが、異常な点はそこだけではない。
(何だ、このガキは?気配を全く感じねえ。いや、畜生や虫並みの神秘しかないのか。)
「お前に、聞きたいことがある。―――人々を殺した、理由は何だ?」
少女は、瞳に光を湛え、鋭い眼光で魔物に問う。なぜ、人を殺したのか。そこに理由はあるのかと。
それに対して、魔物は答える。
「餌を食うのに、理由はいるか?」
至極当然。なぜそんなことを聞くのか分からない。そういった様子で魔物はその答えを口にする。
それを聞くと、少女は夜空に浮かぶ月を見上げ、口を開く。
「そうか、理由などないか。―――ならば、神が人を救うのにも、理由はいらないのかもしれんな。」
「神だと?てめえは一体―――」
瞬間、炎の体を拳が貫く。とてつもない膂力から放たれたそれは、拳の風圧ですら攻撃になりえた。拳が貫いた腹の位置から、綺麗な球形の穴が空く。
拳の元は、魔物の背後。即ち、先程まで魔物が警戒していた方向だ。
魔物は、期待していたモノが来たかと、少女から目を離しそちらを見る。体に開いた穴は、炎が揺らめき一瞬で消えた。
「昨日のガキか、見違えたじゃねぇか。」
そう言うと、魔物は背後のロックに向けて、振り向きがてら炎でできた腕を振るう。
ロックはそれを空中に跳躍して躱すと、空中で体勢を変え、体を捻って魔物の顔面の位置に回し蹴りをいれる。急激な姿勢変更から繰り出されたその蹴りは、それに見合わず圧倒的な威力で炎の顔面を薙ぎ払う。
「―――俺を嘗めんじゃねえぞガキが。」
蹴りの風圧で顔面が吹き飛んだが、魔物にダメージを与えるには至らない。一瞬にして胴体の炎から新たな頭を形成する。
ロックはその一瞬の間に着地すると、距離を取る。
それを見た魔物は、息を大きく吸い込んだ。体の炎が膨れ、口元からは業火がこぼれ落ちる。そして、それをロックの方向へと解き放った。
豪炎が、巨大な波となってロックに去来する。その温度は計り知れないほど高く、まともに食らえば人間の体など、一瞬で黒い影と化すだろう。
―――まともに食らえばの話だが。
ロックは炎が解き放たれる瞬間、前へと踏み込んだ。一足飛びで魔物の懐に潜り込み、そのまま下半身を殴りつける。
だが、魔物に致命傷を与えるには至らない。
「攻撃中ならダメージが通るかと思ったか?殴る蹴るで手詰まりなら、俺には一生勝てねえぞ。」
「本当にそうか?」
少し離れた場所から、先程の少女が口を開く。地べたに座り込み、片膝をついて、その幼い手で魔物の腕を指差す。
「気づいてないのか?」
「ああ?―――っ!?」
吹き飛ばされた下半身を再生した魔物は、その腕を見て焦燥する。先程までは確かにあった右腕の、肘から先が消えている。
炎を噴出し再生しようとするも、再生できない。無敵の体は、終に綻びを見せた。
魔物が精神を乱している内に、ロックは更に攻めに転じる。胴体、左腕、肩、それぞれに拳や蹴りを叩き込む。そして、攻撃が当たる度、炎の体に風穴が空き―――炎が小さくなっていく。
(馬鹿な!俺は炎だぞ!?なぜこんなことが起こる!?)
今まで感じたことがない、未曾有の事態に魔物は戦慄する。生まれて始めて知る死の恐怖。熱した鉛を飲まされたかのような、息が詰まる焦燥感。これらは全て、つい昨日この村の人々に与えたものだった。
炎の魔物は距離を取ろうと試みるも、すぐに踏み込まれ攻撃を叩き込まれる。攻撃を食らう度、体そのものである炎は減少し、どんどん小さくなっていく。
「てめえは餌だろうが!」
穴だらけになった体から、炎を迸らせる。自身の体を業火が包むも、それは一瞬で尽き、時間稼ぎにもならない。
「俺は炎だ!てめえ何ぞに…!」
ロックは魔物の周囲を縦横無尽に駆け、攻撃を叩き込んでいく。そして、終わりの時がきた。
炎は崩れ落ち、顔だった部分が地面に落ちる。さながら全てを燃やし尽くされた蝋燭の火のように、小さく、細くなっていく。
そして最期に、炎の魔物は不思議な違和感を覚えた。死ぬ間際に、あの黒い少女の方に意識を向けてしまった。その少女の神秘が増えている。その事実に気づいてしまった。
(まさか…!?)
視線に気づいた少女は、その口を動かす。紅い瞳を歪ませ、嗤いを顔に貼り付けながら、地べたに這いつくばる弱者にメッセージを送る。声を出さず、その口の動きだけで。
『え』『さ』『は』『お』『ま』『え』『だ』
(ち、ちくしょおおおおおおおお!こんなガキに!俺が―――こんな、こんな―――)
その瞬間、ロックは頭を踏みつけ―――炎は、燃え尽きた。
「―――ロック、大丈夫か?」
意識が覚醒する。視界に入るのは、すっかり日が昇った後の青空。どうやら、戦った後に気を失ってしまったようだ。
「あの魔物は、どうなったんだ?」
「死んだよ。跡形もなくな。」
声の方に顔を向けると、そこには手を泥だらけにした少女が立っていた。少し離れた位置から、俺の顔を心配そうに見つめている。
「何を、しているんだ?」
「墓を、掘っていた。」
「―――泣きながらか?」
少女の目は赤くはれ、涙が滲んでいる。何とか言葉にしているが、声が震えていて今にも泣き出しそうだ。
「我が、我が神様だったら、この人達は死なずに済んだ。村の人々も、ロックの家族だって…!」
そう言って、自分の言葉に堪えきれなくなったのか、大粒の涙が少女の頬を伝う。
「お前が、気に病むことじゃない。お前は、あの神殿で、封印されていたんだろ?」
あの時、炎の中で取った手はこの少女のものだった。彼女は、死にかけていた俺に自分の命を分け与えたらしい。少女があの神殿に祀られていた神様だとすると、その神核を俺に与えてくれたということになる。
だが、事情はどうも込み入っているらしい。俺があの場で燃えるまで、少女は封印されていた。祀られて訳ではなく、封印されていたのだ。そのせいで意識は永い間眠らされ、あの場で目覚めたと聞いた。
「だが―――」
「だがもヘチマもないさ。」
重い体を起こし、少女に近づく。頭に手を置き、泣き腫らした顔と目線を合わせる。
「泣いてくれて、ありがとな。」
その言葉だけ伝え、少女が掘った穴の方へ行く。夜から掘っていたのか、ある程度深い穴が数多くできていた。俺も地面に手を添え、穴を掘る。無心に手を動かす。そうしないと、自分もつられて泣いてしまいそうだったから。
(責められるべきは、あの子じゃない。責めるべきもあの子じゃないんだ…!もっと早ければなんて、考えてはいけないんだ…!)
黒焦げになった死体を、全て埋葬し終わった頃には日が暮れていた。四肢のどれかが欠けているものや、五体はあっても顔が認識できないほど炭化しているものが多かった。そして、村人の人数からしても、死体の数は極少数しかなかった。ここにない人々は、あの魔物が食べてしまったのだろう。
(結局、どれが親父か母さんかも分からなかったな。)
俺達の家だった場所へ向かい、瓦礫の所でしゃがみ込む。中心地は戦いの影響で更地と化したが、俺の家は村の端に近かった影響もあり、家が全焼した程度で済んでいた。
「あれは―――」
瓦礫の中に、キラリと光るものを見つけた。瓦礫の山を登り手に取ると、それは母さんが宝物の用にしまっていたペンダントだった。貴重な金属で出来たものらしいので、燃えずに残ったのだろう。
太陽の光を受け、輝くペンダントは、家族への思いを高ぶらせる。思わず泣き出しそうになるが、こらえてペンダントをポケットの中にいれる。そして、村の中心で座り込んでいる少女の元へ歩いて行く。
「何を見てるんだ?」
「―――これは、あの魔物が消えた後に残されていたものだ。」
その小さな手に握られていたのは、数センチほどの大きさしかない欠片。綺麗な赤色をしていて、透き通るように光っている。
「これはな、神核だ。」
「そうなのか?」
「ああ、極一部だがな。この魔物は、神核から創られていた。道理で炎そのものだったはずだ。神の権能を引き継いでいたんだからな。」
「つまり、創られたってのは…。」
「コイツを創った者がいる。」
背中に冷や汗が流れる。あんな化け物を、創った奴がいる?俺の村は、人工の魔物に襲われたっていうのか。
「ロック、我には神というものが分からん。死後に人を殺すのが神なのか。我が神なのか、人間なのか、魔物なのか、それすらも分からん。」
少女は、欠片を握りしめ、空を見上げる。
「だが、一つだけ分かることがある。我は神と同じ体を持っている。だから、人を救わねばならぬ。神にならねばならぬ。」
空を見据えるその碧眼は、何か遠くのものを見ているようだった。そして、少女は俺の方を向き口を開く。
「ロック、お前のその力で我を手伝ってくれないか?」
少女は俺に頭を下げ、懇願する。神であるはずのその体で、一介の人間に恥を捨てて頼み込む。
「元々、お前の力だったんだろ。俺を助ける為に貰った力だ。じゃあ、俺もお前を助ける為にこの力を使う。」
俺は少女に近づき、言葉を返す。
「それに、下手人を捜さないともっと俺みたいな人が増える。ここで俺が逃げたら、命を拾った意味がないと思う。―――だから、手伝うよ。」
「すまん、ロック。我の力がないばかりに…。」
「ありがとうでいい。そういや、名前を聞いてなかったな。名前は何て言うんだ?」
「クロノだ。ロック、これからよろしくな!」
神は既に消え去り、世界に残ったのは権能のみ。神代は終わり、神が人を守ることはなくなった。この世界に、神様なんて都合の良い存在はいないのだろう。対価も犠牲も無しに、全てを救う存在はもういない。
だが、だからこそこの少女を守らなければいけないと俺は思う。神にほど近く、それ故危ういこの少女を。俺の祈りに応えてくれたこの少女を。
―――人には、神が必要だ。少なくとも、この残酷な世界では。クロノがそう在りたいと願うのならば、その為に俺は貰った力を使いたい。
それが、俺を生かした親父と母さんに報いることに繋がると思うから。
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