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鳥になりたかった少女6  作者: 葉里ノイ
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第六章『奇』

  【第六章 『奇』】



「母体の様子はどうだ?」

「異常ありません。これは器としては使えませんね」

 白い服を着た人間達が薄暗い部屋の中で忙しなく画面を追う。

「他に作成できる母体は?」

「いえ……何せ人間の数が少ないですからね」

「城の外から人間を連れてくるしか……」

「無法地帯の獣を連れ込めるか」

「ですが連れ込む話は上で出てるそうですよ」

「チッ……また上の独断か」

 目は画面を追い、舌打ちだけはよく聞こえるように打つ。

 研究者達は画面の海の中でデータの確認作業に追われる。

「キメラ型はどうだ?」

「難しいですね。融合の成功率が渋すぎる」

「モザイク型もティカのような自我の薄いタイプは扱いにくいしな」

 難色を示す研究者達の中に、一人が慌ただしく駆け込んでくる。

「報告します! 街に新たな受精した母体が出現したようです!」

「よし、連れて来い。呉々も内密にな」

「はい!」

 そのまま慌ただしく踵を返し走り去ってゆく。

 白い部屋の中は、新たな器の出現に安堵と緊張に包まれた。



 城の中の畸形。

 外から来た者が見れば、安全な城の中にも拘らず異様に数が多いことに気付くだろう。

 城の中にいる畸形はほぼ全て、コアの中で作り出されたものだ。勿論、極自然に生まれてしまった畸形も僅かに存在する。それら全ては人工的に作り出されたことを伏せ、知る者には情報統制がされている。

 城で妊娠した母体は全てコアに招かれ、検査だとして外の空気中に含まれる毒を抽出し濃縮したものを投与する。その中で子に何らかの畸形を発症させる。全員が発症するわけではなく寧ろ発症率は低いと言え、子ではなく母親が後天性の畸形を発症するケースや、強力な毒に耐えられず死ぬことも多い。

 その中で生まれた畸形はコアから見て使えると判断された者はコアが引き取り、使えない者は街に返しそのまま暮らすことになる。

 混乱を避けるため、このことは街の者達に伏せられ、畸形の子達にも真実は話さない。

 それが、モザイク型の畸形。

 それとは別に、任意の生物を組み合わせ、全て人の手で作り上げる完全人工的な畸形がいる。それがキメラ型だ。

 司は完全自然発生の予期せぬ畸形だが、畸形ゆえにこの事柄は伝えられていない。だが偶然研究者達の会話を聞いてしまった。真実を知った司は、城の解体を決意した。その決意は城の中の誰にも悟られぬように。

 コアが欲しがっている畸形は、人間達を支配できる攻撃力の高い畸形だ。ロゼは攻撃ではなく稀有な植物型と浮力を買われてだが、水藻は強力な発電器官を備えている。街に住むユトとポラは攻撃に特化した特徴がなく、コアに捨てられた畸形だ。皆、自然に生まれてきた畸形だと思い生きている。

 何かあった時のためにと思いストックしていた臓器が発信機入りに摩り替えられていたことで、司の決意が何者かに悟られた懸念も出てきた。司には前科がある。一度外の人間を連れ込んだ司に二度目もあるのではと想像することは容易い。司の前科は皆の知る所だ。何にせよ疑われていると見て間違いないだろう。これからはもっと慎重に動かなくてはならない。

 隠しカメラだとか盗聴器だとか、自室に仕掛けられていても可笑しくない。なのに隈無く探したがそんな物は何処にもなかった。もう取り外して回収したと言うなら、残った発信機入りの臓器も回収していないのは可笑しい。やることが中途半端だ。意図が読めない。

 そもそも臓器移植が必要な者がほいほいと現れるものだろうか? そんな物に発信機を仕掛けても。

(雪哉達が違界に来たのは偶然だが、もし雪哉が怪我を負っていなかったとしても、ここで負わせるつもりだった……?)

 外から連れ込んだ者を攻撃することは極自然な流れで不自然さはない。

(と言うことは……私の秘密の通路の存在がバレている……か)

 急ぎ自室から飛び出し、隠し通路から外に出る。明かりをつけてよくよく見回すと、きらりと小さく反射する物があった。

(隠しカメラ)

 気付いていない振りをし再び見回す。

 ゴミ山の中に紛れ込んでいた。ごちゃごちゃとしたゴミ山の中では、一見して小さなカメラの存在など気付けない。

(知っていて泳がせていたのか)

 司は奥歯を噛み、ゴミ山の上に飛び出る。視界の悪い外の世界の景色。死体は片付けられ、爆ぜた土も元のように均してある。

 隠し通路の存在を確実に知っているのはクロだ。あいつは司の目付だが、言うことを聞く味方だと思っていた。最初から欺いていただけなのだとしたら、もう何も信じられない。

 悲しいとは思わなかった。今までずっと一人だったのだから。ただ、虚しいだけだった。

(イルが生きていれば、傍にいてくれただろうか)

 遠くで銃声が聞こえる。また誰かが誰かを殺しているのだろう。

 見詰める視界の隅に、動くものを捉えた。ゴミ山の陰に誰かいる。

 そいつと目が合う。

「…………」

 害毒ではないがやや赤い双眸がこちらをじっと見詰める。頭には防御展開装置を装着している。外の人間だ。

 司は訝しげにそいつ、その男を見詰め返す。最近城の中で偶に見かける顔だった。

 男は辺りを一瞥した後、ゴミ山を音もなく跳んで上り、司の前へふわりと降り立った。この足場の悪い不安定なゴミの上を音もなく。

「……」

 男の足元を見ると、足が何物にも接地していなかった。城の中で見かける時は足元を見ることもなかったが、男は地面から僅かに浮いていた。飛んでいると言うよりは、浮いている。

「城の中で見たことがある」

 浮いたまま、男は表情を変えずに言った。

「ああ、私も見たことがある」

「こんな所でゴミ掃除か?」

「いや、ちょっとね。外の空気が吸いたくなっただけだよ」

「外の……? 変わった奴だな。こんな空気吸っても体に毒なだけだ」

 男は理解できないという風に小首を傾げる。やや気怠そうな顔をしている。

「君こそ変わってるじゃないか。ずっと浮いてるなんて」

 足元に目を遣り、男も司の足元に目を遣る。

「ただの特異体質だ」

「特異体質……?」

 男は踵を返し、上ってきた時と同じように音もなくゴミ山を下りていった。

「あっ、おい! お前は何故城の中に自由に出入りできるんだ?」

 地面まで下りた男は今度は司の方は見ず、壁の入口に向かって歩き出す。

「招かれている、としか」

「は……?」

 外の人間が、城に招かれる? 拒絶し、あんなに嫌っていた外の人間を中に? だったら司のしたことは何も咎められることはないじゃないか。

「…………」

 何を思ったか男は歩を止め、再びひょいひょいとゴミ山を上がってきた。司の前に降り立つと同時に静かに囁くように言う。

「オレは城に利用されない。オレが城を利用する」

 言い終わると同時に素速くゴミ山を飛び降りてゆく。

「何なんだ……?」

「お前は他の城の奴とは違う気がする。これをやる」

「は……?」

 放り投げられ、受け取った物を見る。弾丸が一つ。

 今度は立ち止まらず、男は入口まで駆けてゆく。浮いたままで。

「よくわからない奴だな……」

 何か技術を使って浮いているのだと思ったが、特異体質とは。特異体質というものにも色々あるらしいが、地面から浮くなんて体質もあるのかと、その点は興味深かった。畸形や害毒と違い特異体質は恐れられる対象にない。危険はないものとされている。だがあの浮くという体質は少なくとも城にとっては脅威となるのではないだろうか。何せ城の周囲に埋められた地雷を踏めないのだから。城に招かれている時点でそんな心配は無意味だが。

(誰か捕まえて訊いてみるか)

 畸形の司はコアの中で疎まれている。コアの端に追い遣られている司まで情報が行き届かないこともある。あの男のことは誰かに吐かせるしかない。

 司も踵を返し、隠し通路から城内へ入る。貰った弾丸はポケットに突っ込む。見た目は何の変哲もないただのハンドガンの弾丸だが、何か特別な物なのだろうか?

(折角外の人間と接触したのに……もう少し話を聞きたかったな)

 悪い奴ではない気がした。『城を利用する』とは面白いことを言う。少なくとも城を恐れ服従するような者ではない。

 知りたいことばかり増えてきた。忙しくなりそうだ。


     * * *


 木咲(きさき)苺子(いちご)はフリルを靡かせながら暗闇の中を走っていた。

 何かに追われている。

 濃厚な気配と殺気が纏わり付いてくる。

(どうしよう……! 速い……!)

 夜も更け家々の明かりも消えた街で、角を曲がりながら走り続ける。

(カーブでスピードが落ちる……けど……強化してるとは言え体力が持つか……)

 逃げ切るか、攻撃か。

 相手の姿がよく見えもしないのに迂闊に踏み込めない。相手の方はこちらのことがよく見えているようだが……。

(最近ニュースで見る野犬かな……だったら応戦できるけど……動物は殺したくないよ……)

 逃げ切ることを考え、ひたすら走る。

「あっ……」

 角に光を捉え、飛び出してきた自転車に一瞬速度が落ちる。

 咄嗟に苺子は地面を強く蹴り自転車を跳び越えた。暗いし一瞬の出来事だし、見られていないことを祈る。

その足下で悲鳴とガシャンと大きな物音が上がる。

(しまっ……!)

 苺子が視線から逸れてしまったことで、標的が自転車に向いてしまった。

 着地し走って距離を取り振り返る。自転車のライトに照らされ、漸くその姿を見ることができた。

「ひっ……!?」

 それはライトの光で双眸を金色に輝かせ、自転車に乗っていた男の喉元に噛みつき引き千切っていた。

(野犬……ううん、畸形……!)

 頭に耳、そして縞模様のある細い尾が生えている。見間違いでなければ、間違いなく畸形の人間だ。野犬なんて可愛いものではない。

 苺子はすぐに槍を形成し構えた。

(一旦逃げるべきかな……一人じゃ相手するのは難しそう……)

 恐怖はあるがそれだけではなく、以前カマキリの畸形を相手にした時も一人では応戦しきれなかった。まず一旦引いてコミュニティの者に情報共有しようと考える。

 ゆっくりと後退り、獲物に夢中な畸形から離れる。カーブでスピードが落ちるとは言え、直線では相手の方が確実に速い。捕らえられた男には悪いが、助けることはできない。喉笛を噛み千切られもう生きていないと思うが。

 充分に距離を空けてから、一気に走り出す。槍を仕舞い強化を最大に、逃げることに徹した。

 あの自転車の男のおかげで助かった。

 何か異常がないか夜道を巡視していたのだが、とんでもないものに出会してしまった。

(先輩起きてるかな……知らせないと……)

 担当場所の近い梛原結理に連絡を取る。振り返ってみるが、畸形は追ってこない。どうやら逃げ切れたようだ。

『どうしたのかしら? こんな時間に』

「あっ、先輩!」

 良かった。疾うに零時を過ぎているので寝ているかもしれないと思ったが、起きていたようだ。

「あっ、あのっ……畸形が出ました……!」

『どんな畸形?』

「とても速いです……! 耳と尻尾……それと、喉に噛みついていて……」

『肉食獣かしら? 随分と好戦的なようね。転送装置をまだ返してもらっていないからすぐに行くことはできないけれど、あなたは大丈夫?』

「は、はい……逃げ切れたと思います……」

『そう。なら良かったわ』

「この世界の男性の方が一人犠牲になってしまったので……その処理は……」

『わかったわ。合流するまで安全な場所で待機していてちょうだい』

「はいっ……! わかりま…………」


 ――――――。


『……苺子?』

 言葉が途切れたまま返事がない。

『どうしたの?』

 通信が切れたわけではない。まだ繋がっている。

 だが、嫌な音がする。

 結理は自室の窓を開け、外に飛び出した。

 電車ももう走っていない。タクシーを呼ぶにも時間が掛かるし場所の説明に手間取る。走るしかない。ヘッドセットはまだ戻ってきていないため、身体強化も使えない。元の運動神経は悪くないとは言え、人の足では時間が掛かりすぎる。

 通信の電波を追い、直走る。いつの間にか通信は切れていたが、最後に電波を発信していた場所へ向かう。住宅街のようだ。



 結理がその場所へ辿り着いた時、そこはもう騒ぎになってしまっていた。立入禁止の黄色いテープが張られていた。夜も遅いので野次馬は然程いなかったが、パトカーと救急車が停まっていた。

 息も整えきらず全身で呼吸を急ぎながら、結理はテープを潜る。青いシートが見える。

「君! ここは立入禁止だ! 離れなさい!」

 侵入者に駆け寄る警察を睨みつける。

「煩いわね。退きなさい」

「早く出るんだ!」

「退けと言ってるの!」

「!?」

 掴まれた腕を払い除け、警察達が掲げる青いシートに駆け寄る。警察達は不審者に響動めき、次々と結理の腕を掴んだ。

「放しなさい!」

 その手を振り解き、青いシートを捲った。

「っ……!」

 再び掴もうとする手を近付けさせないため、結理は振り向き様に刀を一振り形成した。

「何処からそんなものを……」

「これ以上触れるな。死にたくないのなら」

 結理とてこちらの世界の人間に危害を加えようとは思っていない。その理性は残っている。これは威嚇だ。

 警察達は距離を取り、様子を窺う。

「……お願い」

 その一言は通信機の向こう側へ。苺子の通信が切れたと気付いてから、別の者と通信を繋いでいた。

「――了解」

 声は上から降ってくる。

 飛び降りてきた影は、青いシートを一枚引き掴み、それを包んで抱き上げ再び跳び上がり家々の塀へ屋根へ走り去る。

 警察達がそれに気を取られた隙に結理も離脱する。後で騒がれないよう手を回しておかなければ。

 走って合流地点の人気のない公園へ潜り込む。先程青いシートを抱いて去った鉛色の髪の青年が手を振っている。

「ごめんなさい、わざわざ遠方に。他に通信の繋がる人がいなくて」

「夜中の三時だしね、繋がらなくても仕方ない。こっちの担当地区で何かあったら助けてね」

「担当地区が変わって間もないのにごめんなさいね。新しい地区は慣れたかしら?」

「英国の時は菓子が美味かった」

「今は北海道だったかしら? どう?」

「ごはんが美味い」

「……そう」

 そういうことを訊いているのではなかったが、まあいい。問題はこのシートの中身だ。

「姉さん。これ中、見てもいい?」

「……ええ」

 年齢は結理より青年の方が上だが、コミュニティに入ったのが結理より後のためか彼は彼女を『姉さん』と呼ぶ。

「――うっわ」

 シートを捲り、青年は顔を顰める。結理も傍らにしゃがみ覗く。

 あちこち噛み千切られた無惨な少女の姿がそこにあった。ひらひらとした服も所々破れている。

 顔は顰めるが、少女の状態は確認する。

「まだ少し息はあるっぽい」

「首輪が上手く邪魔をしてくれたようね」

「どの病院連れて行く? それとも違界に戻して医師に渡す?」

 てきぱきと応急処置を施しながら尋ねる。

「それが、私の転送装置はまだ返してもらっていなくて」

「え? 謹慎食らったってのは聞いたけど……まだ? いくら何でも長すぎじゃ? 何かあったとか?」

 青年は青い双眸を丸くし訝しむ。

「何かあったとしても転送装置がなければ違界には行けないわ」

「それってもしかして、姉さんに違界に来てほしくないとか?」

「……それは考えたことがなかったわ」

 いくら何でも長すぎるとは思っていたが、文句を言おうにも転送装置がなければ直接違界には行けない。結理を違界に行かせないためとするなら筋は通るが、理由が思いつかない。

「リヴルさんに嫌われたとか?」

「何もしたつもりはないのだけれど」

「まー、どのみち一人用の装置で複数人転送は無理があるけど。苺子ちゃんの装置が壊れてなきゃ連動できるかな?」

「……そうね。私は身体強化もできない状態だから、清依(せい)が苺子を連れていってもらえる?」

「了解。苺子ちゃん虫の息だけど何とか助かるといいね」

 再び青いシートに包み、青年は苺子を抱き上げた。

「この様子じゃ畸形の方は野放しっぽいけど、どうする?」

「見つけ次第狩るけれど、人数がいた方がいいかもしれないわね」

「じゃあオレも暫く残って畸形狩り手伝うよ」

「ありがとう」

 青年は手を振り、苺子を抱いて跳び去る。深夜とは言えあまり目立つ移動の仕方は褒められないが、今は仕方ない。

 転送装置があれば、すぐに駆けつけて苺子を助けることができたのだろうか。そのことだけが悔やまれる。

 先程の騒ぎを鎮静させるため、結理は根回しの処理に向かう。体力はあると思うが、さすがに脚がぱんぱんだ。

(後で皆の眼を見て落ち着きましょう……この時間でも青羽君が起きていれば、青羽君の綺麗な眼も見たいけれど)

 脚をさすり、結理は再び走り出す。夜中の三時では青羽ルナも眠っていることだろう。それも仕方ない。


     * * *


 雪哉が退院するとのことで、ルナは喜久川家に向かっていた。拓真の車に乗せてもらうためだ。

 雪哉が乗ってきた車は長期間病院に置いておくわけにもいかず、拓真が玉城家へ返した。雪哉が拓真の家に長く泊まることについてもそこで話したが、特に怪しまれることはなかったそうだ。

 入院中の退屈を紛らわせるために持ち込んだたくさんの本やボードゲーム類を持ち帰るために、車へ詰め込むのを手伝うためルナは呼ばれた。

 ついでではないが、紫蕗の様子も見ておこうと思う。

 その道中、海の近くでやや久しぶりに見る顔に遭遇した。

「……青羽か」

「…………」

 味方だということはわかっているが、出会いが出会いだっただけに、少し警戒する。やや久しぶりの顔――未夜(みや)も警戒させることは気にしない。

「ついでだ。聞きたいことがある」

「?」

「梛原結理に何か聞いてるか?」

「何か……?」

 結理と最後に会ったのは東京に宰緒を助けに行った時だが、それ以降連絡を貰ったことはない。

「別に何も」

 何かあったのだろうか。未夜の顔は浮かばない。また何か為出かしてしまったのだろうか。結理に叱られそうなことを。

「……何かあったのか?」

 一応聞いてみることにした。聞いてしまってから、何か面倒事に巻き込まれやしないかと構える。

 未夜も言いにくそうにするので、嫌な予感はした。

「昨晩、梛原結理から通信が入っていた」

「…………」

「深夜三時だ。通常は寝ている時間だ」

「寝てて通信に出られなかったから、どうしようってことか?」

「いや……それもあるが、そうではなく、梛原結理から通信が入ること自体が珍しい」

「何かあったってことか……? 通信し返せばいいんじゃないか? 今は起きてるだろうし」

 何を悩むことがあるのかとルナは首を捻る。結理が怖いのだろうか。未夜に対してあの当たりの強さだとそれも有り得るのか。

「したが、繋がらない」

「……もしかして、俺に連絡してくれとか……?」

「僕もお前を頼りたくはない。だが他に連絡手段がない」

 困っているなら放っておくのは悪い気がするが、結理に連絡を取るのも気が重い。

「じゃあ俺のケータイ貸してやるから」

 端末を取り出し、結理の番号を表示して手渡す。未夜が電話するなら問題ないだろう。

 未夜も素直に受け取る。

 数回のコールで相手は通話に出た。

『もしもし、青羽君? 丁度あなたの目を見たいと思っていたところなの!』

 未夜は直ぐ様ルナに端末を返した。

「僕には答えられない」

「え? 何?」

 あまり待たせるわけにもいかず、結局ルナが相手をすることになった。

 渋々端末を耳に当てる。

「……もしもし」

『どうしたのかしら?』

「昨晩の三時頃……何かありましたか?」

『!』

 端末越しに空気が変わったことがわかった。

『そこにいるのかしら? 木偶の坊が』

 未夜のことだ。ルナは無言で未夜に目を向ける。未夜もすぐに察しがついたようで緊張感が伝わってきた。

「何かあったんですか?」

 未夜のことには触れず質問を続ける。名前を出すときっと代われと言うだろう。

『……青羽君には関係のないことよ。少し用があって通信を入れただけ。今はもう用はないわ。心配しないで』

「それ、心配するようなことがあったってことだよな?」

 結理はつい口を噤んでしまう。それは肯定ということになる。

『大丈夫よ』

「…………」

『青羽君が心配してくれることは嬉しいわ。でも、そうね……心配と言うなら、今は絶対にこちらに来ないで。来たらあなたの双眸をすぐに抉り取ることになる』

「行きません」

『そう。良かったわ』

 脅しなのか戯けているのか判断がつかないが、怖気は走る。

『木偶の坊にも言っておいてちょうだい。通常通りに、と』

「……はい」

『それじゃあ青羽君、用はこれだけで良いかしら? 次はビデオ通話にしましょう』

「用は……それだけです」

 未夜の方を見るが、何も反応がない。深夜の通信の件だけで良いようだ。挨拶を交わし早々に通話を切る。

 端末をポケットに仕舞い、報告を待つ未夜に向き直る。

「何も問題はないから通常通りで、だってさ」

「……そうか。何もないならいい」

 自棄に聞き分けが良い。

「でもこれ、絶対何かあったよな?」

「あったとしても、通常通りと言うなら無理に持ち場は離れない」

 かつて勝手に行動し叱られたことが相当堪えているのか素直だ。

「コミュニティの人間は僕だけじゃない。深夜の通信は一斉に送られていた。応えた奴が協力してるだろう」

「無理に首は突っ込まないけど……」

 未夜は完全に蚊帳の外というわけか。少し同情もするが、深入りはしない。

「何かあれば僕も動く。手間を取らせたな」

 踵を返し去っていく未夜を見送る。何かあればと言うが、何もあってほしくはない。

(……あ。俺も早く行かないと!)

 すっかり拓真を待たせてしまっている。ルナは駆け足で喜久川宅へ向かった。



 家の前に車を停めて待っていた喜久川拓真は、走ってくる青羽ルナの姿を見つけ手を振った。

「遅くなってすみません!」

「いいよ。急いでないし」

 笑顔で車のドアを開け、ルナを促す。彼の母親が狂った速度でかっ飛ばしていたあの車だ。恐怖を思い出し一瞬躊躇う。

 座席の上で強張っていたが、『急いでない』の言葉通り、正常な速度で車は走った。

 特に恐怖体験はなく、七枝医院に辿り着く。いつも通り裏口から中に入った。

 雪哉の病室へ行くと、既に荷物を片付け始めていて、天利もそれを手伝っていた。拓真とルナがドアを開けると、雪哉は手を止める。

「悪いな。迎えに来てもらって」

「いいよ。オレの荷物の方が多いし。病み上がりなんだし、休んでてよ」

「病み上がりって言っても違界の装置のおかげで大分前に治ってるけどな」

 ベッドに追い遣られ、雪哉は仕方なく座る。拓真が荷物を纏める様子を退屈そうに眺め、ふと前を通ったルナの腕を掴む。

「――わっ!?」

 引き寄せられ、小声で耳打ちされた。

「お前、何かあったか?」

 何でこうも鋭いのか。

 何か、と言うと先程の未夜の件か。未夜のことは雪哉も知っている。耳に入れておいた方がいいか。

 ルナは先程の件を雪哉に話した。雪哉は少し考え、端整な眉を寄せる。

「それ、お前が来たら目ん玉刳り抜くぞって脅しと言うより、来たら死ぬ、誰かに殺されるってことじゃねぇか?」

「え……?」

「明かに状況が可笑しいだろ。通信が繋がらなかったのは通信を切ってたか、他の誰かと通信をしてたか、だと思うが、そのどちらでも平常じゃねぇ。楽しく電話するようなツールじゃねぇだろ。近くにもう一人いただろ、コミュニティの仲間が。木咲苺子って子。その子も何か知ってるかもしれないし、口を割らせるなら断然こっちだろ」

 さすがと言うか、考察が早い。担当地区が近いらしい苺子なら、何か知っている可能性はある。未夜なら苺子の連絡先も知っているはずだ。だが。

「雪哉さんは首突っ込まない方がいいんじゃ……」

 退院直後に何かあっては洒落にならない。

「首突っ込む気はねぇけどよ……近くに知り合いがいると気になるだろ」

「それは、まあ……」

 結理の担当場所と言えば、小無(こなし)千佳(ちか)綾目(あやめ)(いつき)がいる。心配するのはわかる。

 片付けを手伝いながら、天利がじっとこっちを見ている。聞こえてはいないはずだが、釘を刺すように。

「雪哉さんは特に首を突っ込まないようにしないと」

「怪我するために突っ込んでんじゃねぇよ」

「そろそろ花菜さんに愛想尽かされますよ」

「それは困る。つか花菜の名前出してんじゃねぇ」

 軽く小突き、ベッドに寝転がる。毎日見た白い天井ともやっとお別れだ。

 白い――天井。

 城のことをふと思い出す。雪哉は術中は意識がなかったのではっきりと見たわけではないが、臓器移植を行ったのは司だ。その臓器に発信機が仕掛けられていた。ということはつまり、利用されたということ。何が目的かと言うと今の所問題があったのは違界のあの島だけだ。島に行くことが目的だったとしたら、雪哉がそこに行く可能性など余程低いはずなのに何故発信機を仕掛ける場所に選ばれたのか。ただの偶然か、誰でも良かったのか。

 どのみち司に利用されただけ。親切に治療を行ってくれたが、それは利用するためだっただけ。まんまと騙されたわけだ。大怪我で判断力が鈍っていたとは言え、紫蕗と色羽を巻き込んでしまった。このまま紫蕗が目覚めなければ、寝覚めが悪い。

「紫蕗は……まだ目が覚めないんだよな?」

 誰にともなく呟いた言葉に、毎日様子を見ている天利が答える。

「目覚めてないよ。状態は安定してるんだけど。毒のない状態に頭が混乱してるのかも」

「本人次第ってことか……」

「毎日色羽ちゃんが語り掛けてるんだけど、もう見てられないよ」

 想像し、雪哉は目を伏せる。それは見れたものではない。もし花菜が自分にそんなことをしていたら、すぐに飛び起きる。

「研究しようと思って害毒の血液を少し貰ったけど、返した方がいいのかな」

「……え?」

 ぴたりと思考が止まる。

「ちょっ……それ!?」

 勢いよく起き上がる雪哉に、近くにいたルナはびくりと心臓が跳ねた。

「それ体内に戻せばいいんじゃ!?」

「戻すって言っても少しだけだよ? 無いよりマシかもしれないけど」

「少しでも、可能性があるなら戻してやってくれ!」

「食いつくなぁ。万一のために毒を培養できないか頑張ってるんだけど……もう万一なの?」

 不満そうな天利に、水面下で頑張ってくれていたのかと驚嘆する。

「培養って、できるんですか?」

 大声を上げる雪哉に触発され、ルナも会話に加わる。一筋の光明に食いつかないはずがない。

 天利は眉を顰めて考え、現状を纏める。

「頑張ってはいるんだけど、難しいね。まず成分分析が難航して。害毒って複雑」

 げんなりしながら言う。知らないものを一からなのだから、それは大変だろう。

「体に戻せって言うなら戻すけど、どうする? 全部戻す?」

 軽い調子で尋ねるが、軽い調子で答えるものではない。こんな重大な決定をルナが下すわけにはいかない。雪哉を一瞥し判断を待つ。色羽に尋ねるのが一番だろうが、彼女なら何と答えるだろうか。全部戻してくれと言うだろうか。

「全部じゃなくていい。培養に必要な分を残して、それ以外を戻してくれ。それで経過を見てほしい」

「うん。まあ無難な判断かな。全部戻しても目覚めない場合、もう打つ手がないもんね」

 頷き、天利は片付けた荷物を拓真に渡す。

「……言ったはいいが、素人の判断でいいんですか?」

「害毒に関しては医師も素人だと思った方がいいよ。ただ他の知識で補ってるだけ」

 一気に不安になってしまったが、天利は一つ大きく手を叩いた。空気が変わる。

「弱気になったら不安が伝染する。だから私は、諦めてない。医師が弱気になってどうするの」

 力強い言葉に、まだ希望はあるのだと思わされる。

「私は治らない患者は嫌いなの。思い通りにならない人は。だから絶対目覚めさせてやる。待ってて」

 そう言い残し、天利は部屋を出て行った。おそらくだが、負けず嫌いなのだろう。

 残された少年達は呆然と顔を見合わせ、片付けを再開した。同じ素人でも、こちらは何もできない。

 手持ち無沙汰な雪哉の方を見、拓真はぽつりと呟く。

「……鶴でも折る?」

「あいつに同じことしたら蹴られるぞ、お前」


     * * *


「姉さん。一つ訊いてもいい?」

「どうぞ?」

「今のオレの名前、何だっけ」

 遠くを見ながら、惚けたことを訊く。

加倉(かくら)清依ではなかったかしら?」

「あー。そんな感じだった。担当の国が変わるし名前変えてみたけど、慣れるまでかかりそー」

「あなたの目の色なら、変えなくても良かったかもしれないわね」

 清依は青い双眸を細める。

「それは思った。日本にこんな目の色いない……」

 結理は清依の目を一瞥し、天を仰いだ。こちらの世界で生活するため、元々の名前をそのまま使用するケースもあるが、こうして名前を変えたり漢字を当てたり変える場合が多い。特に名字は違界にはないので、その国に合ったものをつける。養子となればその家の名字を名乗る。

「苺子ちゃん、助かってもすぐに復帰は無理そうだよね。担当地区どうするんだろ。今でもスッカスカなのに」

「それで、違界側はどうだったの?」

 結理の本題はこちらだ。転送装置のない結理の代わりに清依が違界待機組に様子を窺いに行った。

「それが、リヴルさんには接触できなくて」

「あの人よくほっつき歩いているでしょう? 通信は繋がらなかったの?」

「リヴルさんのことだから電波が悪いとか壊れてるとかじゃないと思うけど――だったら通信切ってるとしか」

「何かあったということかしら」

「姉さんの装置もまだリヴルさんが持ってるぽいし、災難だなぁ姉さん」

 他人事のように言う。それは結理も気にしない。現に他人事なのだから。

「代わりの装置があれば良いのだけれど」

「貸そうか?」

「予備を持っているの?」

「無い!」

「なら駄目じゃない」

 苺子を運び込んだ病院裏の植え込みの茂みの陰でひそひそと話す。苺子は今、手術中だ。彼女の意識が戻れば、襲ってきた者のことを聞くことができる。彼女の状態を見るに、襲われる前に結理と話していた畸形である可能性が高いが、まだ断定はできない。

「でも畸形を相手にしなきゃなら、装置無しってキツイでしょ」

「それはあなたも同じでしょう?」

「それは、まー。けど姉さんの方が強いし。もし本当に肉食獣の畸形だったら、戦う自信がなー」

「私と手合わせしてみる?」

「いやー、それは勘弁」

 苦笑し、木の幹に寄り掛かる。

「オレの装置貸すからさ、姉さんも違界行ってみれば? もしかしたらリヴルさんとも接触できるかも」

「そうね……考えておくわ」

 結理も幹に凭れ掛かり溜息を吐く。

 深夜のあの出来事は裏で手を回し、自転車の男の件だけニュースとして流れた。――野犬に襲われた、として。

 野犬のニュースは結理も知っている。随分獰猛な犬がいたものだと思っていたが、今回の件でそれらは犬の仕業ではないことが発覚した。ニュースでは変わらず野犬と騒いでいるので、正体がわからず憶測で言っているのか、姿を見ていないにしろ犬ではないと知りながらこれ以上不安を煽らないよう情報規制されているのか。

 それらの事件全てが今回の畸形なのだとすれば、かなり厄介だ。無差別に人や動物を襲うかなり好戦的な畸形。噛み殺しているだけではなく、欠損があることから、食べていると思われる。苺子は自転車男の後だったためか食い散らかされてはいなかったが、自転車男の方は見るも無惨な有様だったようだ。その男で腹は満たされたらしい。

 早く始末しないと、いずれ犯人は犬ではないと悟られる。騒ぎも大きくなる。犠牲者が増えてしまう。これは治安維持コミュニティに喧嘩を売る行為だ。必ず始末しなければならない。

「襲われている時間はいずれも夜のようだから、夜行性の種かもしれないわね。あなたも特に夜は気をつけて」

「了解。……ところでなんだけど」

「何かしら」

「狩り手伝うとは言ったんだけど、東京にいる間、オレってホテル住み?」

「それでも構わないけれど、行く当てがないのなら私の家に泊めてあげてもいいわ」

「やった。姉さんと一つ屋根の下~」

「私は何も嬉しくないけれど」

「姉さん美味しそうだから気をつけないとね」

「言い方が気持ち悪いわ」

 結理は溜息を吐き、空を仰いだ。薄らと曇り空だ。

 今日は苺子と話すことはできないだろう。結理は木から離れ歩き出す。清依もその後に続いた。

 全く面倒な畸形が転送されてきたものだ。違界よりこの世界の方が餌には困らなさそうではあるが。


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