竜騎士の休日
『ジョエル』
外から声がしたので玄関のドアを開けると、隣に住むカイオさんが立っていた。眉間には深いしわが刻まれていて、カイオさんの機嫌がすこぶる悪いのがわかる。
父は仕事に行っていて、母は朝食の片づけをしていた。弟は自室で絵本を読んでいる。だから玄関には僕一人だった。
「ジョエルは竜騎士になりたいと思っているんだよな。しかし、お前には無理だ。諦めろ」
突然カイオさんはそんなことを言い出した。声はとても低く迫力がある。しかし、脅すようにそんなことを言われても、竜騎士になることを諦められるはずがない。
「なぜですか? 理由を言ってください!」
僕もカイオさんに負けじとなるべく低い声を出すように頑張った。それでも僕の声はまだまだ高い。
「昨日、レアナに向かって風魔法を放ったよな」
「あ! あれは、レアナを傷つけるつもりなんてなかったんだ。もちろん、スカートをめくるためでもなくて、ちょっと驚かせようとしただけだ」
僕は慌てて言い訳をした。
「そんなことはことはわかっている。お前がレアナを傷つけるつもりで魔法を使ったのなら、俺は一生お前をレアナに近づけないから。だけどな、魔法はふざけて使っては駄目だ。俺たち竜騎士にとって魔法は武器だ。俺たちの誇りなんだ。それを汚した奴に、竜騎士を名乗る資格はない」
竜騎士に必須の風魔法を、僕は悪戯のために使ってしまった。そのためにレアナのスカートがめくりあがり、レアナを転ばす羽目になってしまった。カイオさんに怒られて当然だ。
「ごめんなさい」
僕はカイオさんに謝った。しかし、カイオさんの機嫌は直りそうにもない。
「ジョエルの魔力は高い。そして、これから益々強くなっていくだろう。昨日は微風だった風魔法が、今日は暴風になるかもしれん。人に向けて使っては絶対に駄目だ」
カイオさんは諭すように僕に言った。
「もう二度とレアナに向かって魔法を使ったりしません。許してください」
カイオさんの迫力に僕は泣きそうになっていた。
「レアナだけではなく、誰に対しても使っては駄目だからな。俺たちの魔法は弱き者を助けるために与えられている。だからこそ、それは誇りなのだ」
「はい、わかりました」
「わかってくれたのなら、今回のことはジャイルには内緒にしておこう」
ジャイルとは僕の父の名前だ。僕はカイオさんの言葉に本当に安心した。ふざけて魔法を使ったことを父に知られてしまったら、僕は父に軽蔑されるかもしれない。偉大な竜騎士の父は僕の誇りで、そんな父に嫌われたくはなかった。
「ありがとうございます」
僕はカイオさんに頭を下げる。するとカイオさんは僕の頭をかなり乱暴に撫でた。子ども扱いにちょっとむかついたけれど、僕が悪かったので我慢する。
「王都へ連れて行ってやるから、出かける用意をしてこい。ディエゴも一緒だ」
ディエゴというのは僕の三歳下の弟だ。外で遊ぶのが好きな僕とは違って、絵本を読んだり絵を描いたりと、部屋で遊んでいることが多い。でも、弟は王都へ行くのは大好きだった。
「ライムンドに乗せてくれるの?」
カイオさんが騎乗する竜は真っ黒で金属のような光沢がある。名はライムンド。一番大型の竜で王都でも人気があるらしい。
「ああ。レアナも一緒だからな。早く用意をしてこい」
僕はそれを聞いて、嬉しくて慌てて部屋に向かった。
「やっぱり格好良いよな」
僕はエルネストが一番だと思っているけれど、二番目は文句なしにライムンドだ。
見上げるほどに大きな黒い竜の背には、四つの座席がついた鞍が置かれていた。
「こんにちは。ライムンド。元気にしていた?」
レアナが手を振りながら訊くと、大きなライムンドが応えるように頭を縦に振った。竜はとても頭のいい生き物なので、レアナの言葉は絶対に理解できている。
「ライムンドは、本当に可愛いよね」
レアナはそう言って笑った。ライムンドは可愛いというより、やはり格好良いという言葉が似合う。可愛いのはレアナの方だと思うけれど、そんなことを口にすることはできない。
竜騎士には緊急発進の義務があるけれど、六日に一回の完全休養日はその任務から外される。しかし、王都に魔物が攻め込んでくるぐらいの有事になれば、全ての竜騎士が出撃することになっているので、やはり竜とは離れることができない。だから、完全休養日の竜騎士には私用での竜の飛行が認められていた。もちろん、家族の同乗も許されている。僕と弟は竜騎士の家族なので、他の竜に乗ることも問題ないらしい。前には僕の父のエルネストにレアナが乗ったこともある。
「空は気持ちいいな」
僕は竜に乗って空を飛ぶのがとても好きだ。こうして空を飛んでいると、竜騎士になりたい気持ちは募るばかりだ。カイオさんが昨日のことを父に黙っていてくれて本当に良かった。知られてしまったら、竜騎士になることを父に反対されたかもしれない。
僕と弟は並んで後ろの席に座り、前にはレアナが座っている。カイオさんは立ったまま操竜していた。そんなカイオさんも本当に格好良いと思う。
「本当ね。ライムンドは可愛いし、空を飛ぶのはとても楽しいわよね」
レアナは亜麻色の長い髪の毛をなびかせている。ライムンドは低速飛行をしているので、カイオさんは周りを魔法で遮断していないらしい。僕も心地よい風を感じていた。
「僕ね、絵の具が欲しいんだ。お父さんのエルネストとカイオさんのライムンドを描きたいから」
弟のディエゴが期待で目を輝かせている。
「絵の具は三色までだからな」
僕は母からお小遣いをもらってきていたので、兄らしくディエゴに絵の具を買ってやるつもりだ。それから、レアナにはリボンを買って贈りたい。昨日の詫びだと言えば、レアナは受け取ってくれるだろうか?
そんなことを考えながら、僕は空を楽しんでいた。
王都の中央公園には半時間ほどで着いた。もっと速度を出せば数分の距離だが、カイオさんは空を楽しませてくれるためか、ことさらゆっくりとライムンドを飛ばせていたので、これぐらい時間がかかってしまった。しかし、馬車だと二時間以上もかかるので、やはり竜は凄いと思う。
ライムンドを中央公園の中心にある竜の発着場に残して、僕たちは王都の繁華街へと向かった。
繁華街は思った以上に混んでいた。季節が冬から春に変わっていて、薄手の服や靴を手に入れようと皆が買い物に繰り出してきているらしい。
「絶対に俺から離れるな。ディエゴは俺が肩車するから、ジョエルはレアナと手をつなげ」
「やったー」
ディエゴが歓喜の声を上げる。背の高いカイオさんの肩車はとても気持ちがいい。大人を上から見下ろすことができるのだ。僕はディエゴをちょっと羨ましく思いながら、レアナに手を差し出した。
レアナは嬉しそうに僕の手を握る。僕はこれはこれで良かったかと思うけれど、少し照れくさくてレアナの方を向くことができなかった。