24.貴族裁判 17
後にガブリエフが言う。
「それだけなら、職を奪わずともやりようはあった」
――と。
「手に負えないから、強引な策を講じるしかなかった」
と、ため息交じりにつぶやいた。
ガブリエフとしては、財務大臣職を続けたかった。
比較的信頼できる息子を後任者として、最低限の部分を抑えている。
財務署の職員教育から始め、部署の素地が固まり始めた所で、看過できない事例において、自らが宰相となる状況になっている。
――あと数年、財務大臣で居れたなら。
もっとできたことがあったはずなのに。
フィーナの「ダルメルの薄墨インク寄付事業」を聞いたとき、形容しがたい高揚感を覚えたと同時に、財務には関われない悔しさ、取り仕切る息子への妬みを感じていた。
財務大臣を続けていれば、今回の寄付事業を、様々な部門に応用したいのに――。
息子はガブリエフの意志を汲み、優秀だとわかっているが「自分だったらこうするのに」と思うことをすぐさま実行できない部分に、どうしても不満を持ってしまう。
息子にはいやいや任された、多忙で神経をすり減らす部署を続けてくれるだけ、感謝こそすれ、不満を言える立場でないとわかっている。
わかっているが――。
そうしたことを考えている時、ふと――ガブリエフは思った。
――フォールズから、宰相職を取り上げたと思っていたが。
本当に、自分が取り上げたのだろうか――?
――思い出すのは。
セクルト貴院校時代。
フォールズはアールストーン校外学習の運営委員だった。
しかしとある運営委員と折り合いが悪く、緩慢なフォールズは責められ、委員を外された。
その後、運営委員内でもいざこざがあって、結局、フォールズが戻り、フォールズと折り合いの悪かった者が外された。
後に他の運営員から、外された委員の話を聞く。
「厳しすぎて息が詰まった」
――と。
その後、フォールズ達は「可も無く不可も無い」アールストーン校外学習を取り仕切った。
運営委員を辞退したガブリエフは、校外学習に何の感慨もなかった。
自炊も家訓として一通り鍛えられていたので(遭難、災害時を想定して)、戸惑いも驚きもなかった。
――ただ。
今でも思い出せる、耳に残るフォールズの言葉がある。
「僕が目障りだったんだから、仕方ない。
――まあ。
そのうちわかるだろうよ――」
フォールズと友人の会話が、通りすがりのガブリエフに聞こえた。




