6.白いネコ 2
フィーナの声に気付いて、最初に裏庭に出たのは姉のアルフィードだった。
フィーナより六つ年上の、今年から王宮の宮仕えとして働き始めた、フィーナの家、親族だけでなく、村の誇りとする女児だ。
幼いころからアルフィードの能力の高さは村内でも知られていた。
それが小児校に通うようになって顕著となり、特例ながらも貴族と王族が通う、国内唯一の貴族校、セクルト貴院校に通うこととなった。
そこで築いた関係により、アルフィードは請われて宮仕えをしている。
「フィーナ、どうし――」
男児のような遊びやイタズラをする幼い妹を「しようのない子」と呆れつつ、けれど愛おしげに面倒をみるアルフィードの深青の瞳が、妹の姿を捕えると同時に見開かれた。
瞳と同じく肩まである深青の髪は、今日はハーフトップにまとめている。
白磁の肌に切れ長の眼は凛とした強さを持っている。
アルフィードが宮仕えに所望されたのも、貴族と並んでも遜色ない、楚々としながらも万人の目を引く容貌があったからだ。
アルフィードは王宮で宮仕えしている。
中央政権に近い場所なので、市井の民が知りえない魔物に関する情報も、実家周辺の大人より知識を有していた。
そんなアルフィードでも、フィーナが抱えるネコを見て驚いた。
ネコは稀少な愛玩動物であると同時に、中級魔族である。
きれい、かわいいと思っても、それより先に魔物の現状を理解して青ざめた。
「フィーナ! 捨てなさい!」
駆け寄りながら、手にしているものから体を放すよう伝える。
放しなさい、でもよかったかもしれない。
しかし「放す」だと胴体から距離をとっただけで手に持っている可能性を示唆して、体から完全に接触を持たないように「捨てる」との言葉を発した。
緊急性を要した現況に、アルフィードには細かな状況に思考を巡らす余裕はなかった。
蜂蜜色のふわふわと波打つ豊かな髪を有し、ぱっちりと大きめな瞳は藤色、幼子特有のふっくらと柔らかな頬。
じゃれて抱きかかえると、ふわりとミルクの香りが鼻腔をくすぐり、四肢はきめ細やかな弾力のある皮膚に覆われている。
ふっくらとした頬に頬ずりすれば、くすぐったい声を上げる、眩しいほど愛おしい存在が、今は青白い顔でつらそうに眉を寄せている。
両親だったら、フィーナの状況をすぐには理解できなかっただろう。
魔力枯渇状態にあろう状況は、周囲に与える影響力を見れば判断できた。
下流の魔物は魔力枯渇状態になったとき、経口摂取が最も効率のよい回復方法となる。
これが中級以上となると、経口摂取でなくとも、肌が接触した生物から魔力だけを効率的に摂取するのも可能だ。
魔力枯渇状態の中級魔物。
自身の生命維持のため、接触した生物から魔力を摂取する。
緊急時に摂取される側の生命状況を思慮に置くとは思えない。
アルフィードはセクルト貴院校、宮中で見かけた事例を思い浮かべ、青ざめた。
一つは自身の魔力に見合わない、中級魔物を伴魂とした生徒。
入学当初、自慢げに周囲に魔物について抗弁を垂れていたが、日を追うごとに顔色が悪くなり、体調不良となった。
後に聞いた話では、伴魂との魔力量が見合わず、伴魂との契約を解除しなければならなくなり、退学となった。
宮仕えしている今時分でも同様だ。
見栄なのだか、なんなのか、アルフィードには理解しかねるが、自身の魔力量と見合わぬ伴魂を得て、折り合いがつかず、退職していく同僚が何人かいた。
いずれも身近な人ではなかったので、感慨も何かしらの感情も湧いてこなかったが、いずれ綻びが来ると明らかなものなのに繋ぎとめようと必死になる心根が、アルフィードには理解できなかった。
(――アルフィードには、わからないかもね)
くすりと笑う女性の声が、アルフィードの脳裏によみがえった。
この世界で誰かを主と崇めなければならないとき、それが誰でもいい(基本的にここで答えが「王」以外だとアウトという状態以外で)のならば、躊躇なくオリビアの名を上げていた。
忠誠を求められたわけでも忠誠を捧げたわけでもない。
共に過ごす時間が心地よく、離れがたいと思う存在だった。
同時にアルフィードは彼女を尊敬していた。
アルフィードの元級友、オリビア。
彼女の突飛な行動は、妹に似ているとアルフィードは思っていた。
ふと甦ったオリビアの声を耳元で感じつつ、目の前の妹の状況に、アルフィードは息をつめていた。
セクルト貴院校、そして宮中で見かけた、伴魂との魔力量があってない輩と同様、フィーナはその身に影響を受けていた。
おぼつかない足取りに、アルフィードはフィーナの生命の危うさを目の当たりにした。
アルフィードは「捨てなさい」と言ったあと、フィーナを保護した後、中級魔物をどうすればいいかと思慮をめぐらせていた。
市井に中級魔物がいるわけがないのに、実際に存在する。
先々の対処方法を考えるアルフィードの耳に、甲高い声が届いたのはすぐのことだった。
「いや!」
フィーナが目に涙を浮かべて叫んでいた。
アルフィードは、言葉の意味を理解できなかった。
いや? なにが?
眉をひそめるアルフィードから白いネコをかばうように、フィーナは背を向けつつ顔だけはしっかりと姉を見ていた。
荒ぐ息から、吸われた魔力で体調がつらいのだろうと想像はつく。
自身の身体の不調も、腕に抱えた中級魔物によるものだろうと、フィーナ自身、わかっていると思わせる行動を見せながら、白い獣をその腕から解き放すことはなかった。
「いらないから、捨てるの?」
荒い呼吸の中、呟かれたフィーナの言葉に、アルフィードはひゅっと息を漏らして息をのんだ。
言葉は、フィーナの心情。
フィーナから――妹から聞いたことはないけれど、両親や、アルフィードとフィーナを取り巻く環境から、耳にしたことのある言葉だった。
――アルフィードがいれば、安泰だ。
両親に対する言葉であり、村に対する言葉であり。
アルフィード本人が思ってもいなかった影響が及んでいると、休日、宮中から家に帰ると感じるところもある。
特に親しかった友人以外は、あたりさわりのない距離をとられていると感じた。
望まれて、セクルト貴院校に通い、友人を得た。
そこで得た関係から宮仕えを望まれ、両親とも親族とも相談したうえで見習いとして勤めはじめた。
そうした周囲の対応の変化があっても、家族は今までと変わりなくアルフィードを受け入れてくれる。
両親も然り、親族も然り。
幼い妹は状況を理解できていない部分も見受けられたが、姉として純粋に慕ってくれているのは胸の奥がじんわりと熱を帯びる心地よさがあった。
イタズラが過ぎて、叱ったこともある。
最初は認めず、反抗していたものの、とくとくと言い聞かせると、最後には涙目になり、自身の行動を反省して謝罪した。
話は聞き分けられる妹なのだが、今の反抗がこれまでと違うとアルフィードは思った。
その危うさに、焦りで胸の奥が焦げそうだ。
「捨てるの!? 私、いらないの!?」
「フィーナ」
目に涙をためて告げるフィーナに、アルフィードは困惑した。
「フィーナを捨てるなんて言ってない」
「でも捨てるて言った!」
「フィーナじゃない。その白いネコを……」
フィーナは自身の腕に抱える白い獣を見下ろした。
手を緩めるかと期待したものの、かばうようにフィーナは強く抱きしめている。
「捨てない」
「フィーナ……」
「捨てさせない」
ゆらり、とフィーナの瞳がたゆたう水面のごとく波打って色彩を変じた。
白い獣の影響下にあると、一瞥できる変化だった。
アルフィードは戸惑った。
先ほど初めて対面した魔獣をなぜそれほどかばおうとするのか、理解できない。
理解できない。
わからない。
わからない、けれど。
「フィーナ……」
呟きつつ、アルフィードは小さく首を横に振っていた。
瞼に溢れる涙で視界がぼやけている。
つぶやかれた声はかすれて涙の混じった声になっている。
そんなアルフィードの変化に、フィーナがわずかながらも眉を寄せた。
アルフィードの焦りが、悲痛を伴った表情が理解できないと言った様相でもあった。
構わず、アルフィードはゆっくりとフィーナに手を伸ばした。
「お願い。
その子を放して」
発した声は想像以上に上ずって、かすれていた。
アルフィードの態度に、フィーナは若干の戸惑いを見せつつ、けれど白い獣から手を放そうとはしなかった。
そんなフィーナに、アルフィードは再度、言いつのった。
「このままその子を抱えていたら、フィーナ死んじゃう。
そんなの嫌。お願いだから放して。
その子を助ける方法、私も考えるから」
静かに涙を流すアルフィードの言葉を、フィーナは静かに聞いていた。
聞いて、考えを巡らせたようだ。
「『……死んじゃう……?』」
そうつぶやいたフィーナは自身の身の上に起こるだろう事柄をようやく理解したようで、姉に望まれるように、ゆっくりと白い獣を手放した。
フィーナから手放された獣は庭にその身を横たえ、フィーナも手を放したと同時にその場に倒れ込んだ。
「フィーナ!」
アルフィードは真っ先に倒れた妹の体調を確認した。
触れた首元からはとくとくと脈がとれる。
顔色は悪いものの生命の危機までは到達していないようだ。
目を閉じた青白い顔を見ろしながら、アルフィードは眉根を寄せて口元を引き結ぶと、家に駆け込んで母に妹を預けた。
つい先ほどとは異なる娘の体調の変わり具合に仰天しつつも、両親は娘を介護すべく寝具を整え、娘を休ませた。
アルフィードは妹を両親に託すと裏庭に横たわった白い獣に足を向ける。
短時間で様相を変えた妹の姿を思い出し、こくりと息をのみつつ、そっと白い獣に手を伸ばした。
ふわりとした毛並みが心地よい。
おそるおそる触れた白い獣の体躯は、これまでに触れた身近な獣と大差なかった。
魔力を吸われる覚悟で手を触れたのだが……体に変調は感じない。
眉を寄せつつ、何度も艶やかな毛並みを撫で続ける。
魔力を吸われるのは怖い。
怖いけれど、ふわっとした毛並みは気持ちいい。
「……アル?」
裏庭から戻ってこない娘を心配した母が、様子を見に来ると、アルフィードは一心腐乱に白い獣を撫で続けていた。
その様子に母はおそるおそるアルフィードに声をかける。
その声でようやく、アルフィードは我に返ったのだった。
思ったより長くなったので分けました。
ネコは好きです。