30.学年寮長【魔法の授業】
――思い出したのは、白い伴魂を初めて見た日のこと。
生命の灯が危ういと感じて、生物の死の可能性を間近に感じて、恐ろしさを覚えた。
どうにか助けたいと、自分の身の危険など考える余裕もなく、手に抱き上げたあの日。
ラナの伴魂と思われるリスからも、生命の危うさがうかがえた。
同時に、ドルジェの友人、マーサと同じ種類の伴魂に、どうしても彼女と重ねて見てしまう。
驚くフィーナとサリア以外、テレジアも教師や寮母、二学年生の寮長も事情を知っていたのだろう。
痛ましげに伴魂の様子を伺っている。
伴魂は魂の伴侶。誰もが寄り添う存在で、誰もが伴魂が傷つくつらさを知っている。
一人、ブリジットだけが反応が違っていた。
「まぁ……。食堂に連れて来られたの?」
「食事の場に獣同伴など」と、厭わしげに告げるブリジットに、ラナが恐縮して「申し訳ございません」と謝る。
「少しでも側にいた方が、回復に繋がると聞いたのです。伴魂は主の魔力を糧にします。傷を負った場合は特に、普段より多くの魔力が必要とのことだったので……」
「それは存じておりますけど……平民の魔力など、たかだか知れたものでしょう?」
(な……っ!)
ブリジットの物言いにカチンときたフィーナが、思わず口を開きそうになったのを、察したサリアが腕をつかんで止めた。
つかまれた腕に、フィーナがサリアの方を見ると、彼女は無言で小さく首を横に振る。
余計な事を言うなとの素振りに、フィーナは我慢して口をつぐんだ。
言いたいことはあるが、今は状況がわからない部分があるので、下手に口出ししない方がいいと思えた。
サリアが止めたのも、そうした観点があってのことだと、フィーナにもわかる。
よくよく周囲を伺い見ると、ブリジットの物言いに眉をひそめているのはフィーナだけではなかった。その場に居る誰しもがブリジットが口にした内容に嫌悪感を示している。気付いていないのは当人だけだ。
テレジアもブリジットの発言に眉間に皺を寄せつつ「状況を伺っていいかしら」とラナに伴魂が傷ついた経緯の説明を求めた。
しかしラナは「もういいんです」と説明したがらない。
「もう、いいんです。私のような平民出身者が、セクルト貴院校で学ぼうとしたのが、そもそもの間違いなんです。魔法の授業にもついていけなくて、初歩的な点火もできず、クラスの方々にも迷惑をかけているし……これ以上、迷惑をかけたくないので……申し訳ありませんが、やめようと、思ってます」
「え!? ダメだよやめるだなんてっ!」
反射的に叫んでしまったフィーナに、驚いた視線が集中する。
向けられた多数の視線に驚いたフィーナは、おかげで余計な事を言わずに事なきを得た。
思わず、口にしてしまいそうだったのだ。
伴魂を取り上げられてしまうかも。……と。
フィーナがセクルト貴院校に入学した理由のひとつは、珍しい伴魂を所有しているからだと聞いている。
自身の利害の為に、腹に一物も二物も抱える輩の中には、珍しい伴魂を取り上げようと考えて、その理由として「セクルトで学ばないのなら伴魂を制御できない危険がある→制御できるものに渡すべき」の構図をとろうとしていると、ザイルから聞いていた。
フィーナの伴魂は一見して「珍しい」とわかる伴魂だ。
ラナの伴魂は見た限りでは「珍しい」部類に入るとは思えないが、何かしらの特殊な能力を持っているのかもしれない。
伴魂は魂の伴侶だ。一度取得した伴魂を鞍替えするのは、容易なことではない。
ラナの伴魂に対する思いやりを考えても、伴魂を取り上げられる可能性は避けたかった。
どうすればいいのかと考えている時、ふとラナの発言に気なる箇所があった。
「『初歩的な点火もできない』……?」
首を傾げるフィーナの問いに、ラナは恥ずかしそうに小さくうなずいた。
「点火も上手くできなくて……。前詞に馴染めないのです」
俯きながら告げるラナ。そうしたラナに目を向けていた視界の隅に見えたものに、反射的にそちらに顔を向けた。
視線の先では女生徒が数名、ひそひそと耳打ちしあい、対面する女生徒に目くばせをしあい、くすくすと笑いをこぼしている。
そうしながら時折、ラナに目を向けて、ひそめた話を続けては小さな笑みを浮かべていた。
下卑た愉悦に満ちたその表情に――フィーナはなぜか……本当になぜか、ラナが置かれている状況を推測できた。
極めつけはブリジットの発言だった。
「一人の生徒の為に、授業が進まず困っている話を聞いています。本当に、由々しきことです」
ため息交じりに告げるブリジットの発言に、ラナは俯いた顔をより一層俯かせた。ブリジットの発言を聞いたテレジアや寮母、教師たちは一様に眉をひそめている。
そうした彼女らの変化に、ブリジットは気付いていない。
授業が進まなくて困っているとの声を拾い上げて、ラナに忠告したのだと自慢げに話すブリジットに、学年寮長らの避難じみた眼差しはより一層強くなった。
ブリジットとしては「学年の統率をとっている」と見せたかったのだろう。
……ただ。悲しいかな。ブリジットは身近にいる面々の細かな感情の機微に気付いていない。
そうした面々の表情を見ながら「……あの……」とフィーナはそろりと手を上げた。
「滞っている授業というのは、魔法の授業ですか?」
質問に、ラナは小さくうなずいた。
「恥ずかしながら、ほかの教科も遅れていますが……魔法の授業が遅れが顕著なのです」
「……えっと……ラナはお家の手伝いとか、してた?」
「え? ……はい。家事などは一通り……」
「料理は?」
「……母が忙しい時には時々……」
なぜそんな事を聞くのかと訝るラナに、フィーナは「もしかして」と感じているものがあった。
テレジアに「確認したいことがある」と了承を得て、非常時に使う蝋燭を二つ用意してもらうと、ラナから十数メートル離れたテーブルの上に準備した。
テーブルは通常、二学年生が使用している場所だ。一学年生が並び座る位置から離れた場所に、蝋燭を準備した。
準備された状況に、ラナは首を傾げる。そんな彼女に歩み寄って、フィーナは「いつもどおり点火で火をつけてみて」と告げた。
ラナは戸惑いを見せた。そしてふるりと頭を横に振る。
「……できません。授業でもうまくいっていないのに……」
「いいから。試してみて」
「……けど……」
「いいから」
告げて、フィーナはラナにとあることを耳打ちした。それを聞いたラナが、驚いた表情をフィーナに向ける。
「いいのか」と目で尋ねるラナに、フィーナは頷いて肯定を示す。
一学年生、各学年寮長、寮母、女性教師の視線が集まる中、ラナが前詞を唱えて点火を成そうとした。
……が、蝋燭に変化はなかった。
残念そうなため息がこぼれる中、フィーナが「もう一度」とラナに告げる。
「これまでできなかったのですから、幾度試しても同じでしょうに」
ブリジットの言葉に体を委縮させるラナにフィーナは「大丈夫だから」と告げて促した。
戸惑いの表情を見せながらも、ラナは覚悟を決めると、もう一度、蝋燭に向かった。
「……点火」
腕をさしだす動作と共に唱えた言葉に呼応して、蝋燭に火が灯った。
「やっぱり!」
喜びの声を上げるフィーナと異なり、周囲の面々は驚きにざわめいた。
「前詞なくても点火できるんだから、魔法の授業の件はこれで解決ですよね!?」
喜び勇んで教師に向かって話すフィーナに、教師二人は今、起こった出来事を信じられないとの驚きを見せて互いに顔を見合わせ、言葉を失っている。
そこで興奮気味だったフィーナはふと冷静になった。
「そんな……」
「前詞を唱えずに……?」
ざわめく室内は、フィーナの想像以上の驚きに包まれていた。
「…………あれ?」
なぜそんなに驚くのかと、フィーナとしては室内の反応の方が想定外だった。
隣を見ると、サリアが右手で顔を覆い、俯き加減で頭を抱えている。
サリアの様子から、フィーナは「またしでかしてしまった」と思い至ったのだった。
ようやく一連の話を書き終えました。
……長かった……。
書き直しも多かったですが。
常識外れの行動第一段。(今回の話の中で)
もう少し続きます。