28.宮廷薬草園【後編】
「えっと……あなたは?」
カイルの護衛と見知ってはいるが、名前は聞いたことがない。名を知る必要はないだろうとこれまで尋ねなかったのだが「なぜここに?」と問う前に「あなたは誰?」と問うてしまった。
「アレックス・ダンシェードと申します。カイル殿下の護衛騎士をしております」
「ダンシェード――」
つぶやいたのはサリア。
そう言えば。と思い出す。カイルがサリアと知り合った当初、使っていた偽名と同じだ。おそらく、彼のファミリーネームを拝借したのだろう。
「なぜここに?」
本題を尋ねると「一個人の好奇心です」と苦笑交じりに答えた。
「フィーナ嬢がなされる数々のことは、私たちには想定外の事が多いのです。想定外のことが多く、同時に興味をそそられるものも多い。そのフィーナ嬢が言う『いい所』が気になって後を付けた次第です。宮廷薬草園は意外でしたが、御実家のことを考えるとそれほどおかしいことではありませんでしたね。むしろ想定できることでしたが……あなた方が飲まれている飲み物が、気になって仕方ないのです。一口でいい。飲ませて頂けませんか」
アレックスの切実な表情を見て、フィーナとサリアは顔を見合わせた。
断る理由もないので了承して、フィーナは管理室に戻って再度、お茶を入れ直した。
薬草も乾燥させた果物もまだあったので、材料としては事足りている。
そしてふと考えた。
(カイルの護衛がいるということは――)
少々思考を巡らせて、乾燥果物は柑橘系だけをいれることにした。
念のためカップも余分に借りて薬茶も多めに準備して東屋に戻ると、案の定、カイルともう一人の護衛が東屋にいた。
彼らもフィーナの後を追って来たようだ。
当然のように空いている席に座るカイルと、側に控える護衛の騎士の二人。もう一人の騎士、金髪の青年は名をレオロード・バーミュスと名乗った。
共にカイルより五つ年巡りが上の騎士だった。
「どうしてカイルがここにいるの?」
嘆息して尋ねるフィーナに、カイルが眉をひそめた。
「居たら悪いか?」
「答えになってない。どうしてって聞いてるの」
「――『いいところ』と言われて気にならない方がおかしいだろう」
憮然としながらも正直に答えるカイルに、護衛の騎士二人が驚いたように顔を見合わせた。気位の高い自尊心を常に心に纏わせているカイルは、自分に否があってもなかなか認めないところがある。素直でないカイルを側で見てきただけに、一言二言の言で本心を引きだしたフィーナのやり取りに、感心していた。
しかし二人は知らない。フィーナに関してはカイルが虚勢を張ったことで下手を打って、幾度となく後悔する状況になったことを。素直な気持ちで対処していれば、問題にならなかったことを。何より――想い人の妹君に悪く思われたくない心根を。
護衛騎士二人の心情を知るよしもなく、カイルの返事を聞いたフィーナは「そうなの?」と首を傾げた。
「平民の『いいところ』なんて、面白くないと思うけど」
「『平民』は関係なく『フィーナ・エルド』が『いいところ』と称するものが気になるんだ」
「そう?」
なおも眉をひそめて訝るフィーナに、カイルは嘆息した。
「自分で認めたばかりだろう。自分が普通でないと」
「あれは私じゃなくて、周りの人が普通じゃないから目立っちゃうってことなんだけど」
「……少しは自分もそのくくりに入ると自覚したほうがいいぞ?」
「はえ!? 私が!?」
今さらのように驚くフィーナに、サリアもアレックスもレオロードも、うんうんと頷いて同意を示した。
「市井出身で貴族籍差し置いての成績優秀」
「他に類を見ない珍しい伴魂」
「自身が意図しなくとも、類稀なる人々との交流を持っている」
「他に上げろと言われれば例をあげるが?」
サリア、アレックス、レオロード、最後にカイルに告げられ、否定できないフィーナは、うぐうぐと口ごもった。
反論したいけれど、指摘された事柄はそのとおりで、反論の余地はない。
「そんなフィーナが嬉々として足を運ぶ場所が気になってもおかしくないだろ?」
言ってカイルは庭園を見渡した。
「薬草園とは意外だったが」
後にフィーナの実家の家業を聞いてカイルも納得するのだが、この時はまだエルド家の家業までは把握していなかった。
「すごい所なのに。カイルは望めばいつでも入れるんでしょう?」
少し拗ねた装いを見せながら、フィーナはカイルとアレックス、レオロードにお茶を淹れた。
「どうだかな。こうした所に用があるのは処方する薬剤師だから、直接の用はないからな。むしろ制限される方だろう」
「制限?」
どうして? と首を傾げながら、フィーナは淹れたお茶を手渡して行く。
「薬と言っても害を成すものもあるのだろう? 知識がない者が不用意な接触をしないようにと聞いている」
(――良心で使う輩ばかりではないしな)
歴史を鑑みて、政権争いが激しい時代は、暗殺など実際にあったと記されている。武力を持った行使以外に、毒を使用したのではないかと疑わしい事件も、過去を紐解くと存在する。
そうした観点から、薬草園はカイルが足を踏み入れない方がいい場所ではあるのだ。
カイルも事情を理解しているのだが、フィーナの動向が気になって、入園した次第である。
管理人のバルートは困った顔で渋っていたが、そこはカイルの権限で押し通した。
フィーナと話しながら、カイルは手にしたカップに口をつけようとして、ふと手を止めた。
それは同じくフィーナから振舞われたアレックスもレオロードも同様だった。
「これは――」
柑橘系の香りに三人が驚いている。
見た目は紅茶なのだが、果物の香りがする飲み物を手にするのは初めてのことだった。
「薬草を煎じたお茶に乾燥した果物をいれてるの。お父さんもザイルも柑橘系だけの方がよかったみたいだから、同じようにしてみたけど」
女性には柑橘系と苺を合わせたものが好まれたが、男性には柑橘系だけの、甘い香りを混ぜない方が好まれた。そうした経験から、男性三人に用意したものだった。
薬茶と聞いて、三人はおそるおそる口をつけた。薬草を煎じたお茶は、総じて苦く飲みにくいものばかりなのだが、フィーナが淹れたものは苦味もなく、すっきりとした飲み心地だ。
「治療目的じゃなくて、気分転換的な軽いものだから。軽い疲労回復効果と思考がすっきりする作用があるものなの」
「確かに」
飲みほしたアレックスが同意する。思考が鮮明となり、疲れがいくらか取れたように思えた。
カイルもレオロードも同意見だった。
「いつもこれを飲んでいるのか?」
尋ねるカイルに、フィーナは首を横に振った。
「ドルジェでは時々作ってたけど、セクルトに来てからは薬草もないし、作れる場所もなかったから」
「お茶を淹れるくらいは寮でも認められているだろう?」
「給湯室は、湧いたお湯でお茶を入れるところだから。お茶を煎じる前提で作られてないし、不特定多数の人が使う場所で、薬草とか乾燥してるとはいえ果物の香りさせたりはできないよ」
確認するようにサリアに目を向けた三人は、同意して頷くサリアを見て事情を理解した。
「残念です。事情から察するに、簡単に飲むことはできないのですね」
言ってアレックスが肩を落とした。
(……ん?)
その物言いに、フィーナは少々引っかかる箇所があったが、気付いていないことにした。
……簡単に飲める状況だったらどうするつもりだったのだろう……。
脳裏をよぎったが、踏み込まない方がいいと本能で察して、話を広げる暴挙には出ずにおいた。
「ここには何か用があったのか?」
タイミングよく、カイルが別な話題を口にしたので、フィーナはそちらに答えた。
「御褒美の下見に来たの」
「……御褒美?」
「うん。御褒美」
眉をひそめるカイルに、あっけらかんとするフィーナ。
カイルは経緯を知らないので意味がわからず、フィーナはカイルが経緯を知らないことには意識が及んでいない。結果、ちぐはぐで、論点がすれ違っている会話となるのだ。
双方の事情を知るサリアが、カイルにフィーナとオリビアのやりとりを説明して、互いに理解に行きついた。
カイルはようやくフィーナの「我慢しない宣言」の根源を悟った。
「目的は薬草園か」
「目立たない」を諦めたにしても、これまでの言動から最優秀を狙う性分ではないと感じていた。努力はするが順位にはこだわっていないと思っていたフィーナの宣言に、少々違和感を覚えていたのだ。
呆れを含みながらもカイルはフィーナの言動に納得した。
納得しながらも、それほど魅力がある褒美なのか、カイルには理解できなかった。
宮廷で処方される薬の元になるのだから、貴重であるのはわかるのだが……。
フィーナが淹れたお茶を飲みながら、事情はどうであれ、意欲を見せるフィーナの気を阻害しないよう、カイルは何も言わずにいたのだった。
フィーナの薬茶。
セクルトでの初振る舞いでした。
フレーバーティを想定してます。
私自身がフレーバーティ好きなのです。好みに多分な偏りありますが、冬はバニラ系がメッチャ好み。甘い香りにほっこりします。
夏は……なんだろう? やっぱり果物系かな?
宮廷薬草園編は、前後に分けました。(前半、タイトル変更しないと。これ書いてる時は、前後にするつもり、なかったから)