100.シンという男 42
しばらくの沈黙の後、リュカは小さくつぶやいた。
「わかりました……」
思いの強さを理解してくれたと、アルフィードは安堵の息をついたのだが……。
「帰りたい場所が無くなれば、グランド・マスターの元へ戻ってくださるのですね?」
「――――…………え?」
リュカが告げた意味を、すぐに理解できなかった。
ゆっくりと――顔を上げたリュカは、狂気をはらんだ笑みで口元を歪めていた。
「では、ご実家を破壊しましょう。
帰る場所が無くなれば、グランド・マスターの元へいらっしゃいますよね?」
「…………っ!?」
思わぬ言い分に、アルフィードも驚いて声を詰まらせる。
そんなわけがないと言う前に、リュカはつと、視線をフィーナに向けた。
「御家族も不要ですよね?」
笑っていた口元が、さらに歪んだ笑みを浮かべる。
フィーナが、その気味悪さにゾッとした次の瞬間に、リュカが躍りかかっていた。
「っ!!」
御者台のザイルが挟まれる形となる。
リュカに驚いて、馬が前足を高く上げて嘶く。
その馬を制しようと、ザイルは手綱を強く引いた。
そのほんの数秒の間に、リュカはとん、と静かにザイルの側に降り立った。
体重を感じさせない、身軽な動きだった。
人とは思えない俊敏な動きに、ザイルは唖然とする。
そのザイルに、リュカはにっこりと笑った。
そしてザイルの胸ぐらを両手でつかむと、荷台と反対の方向へ投げ飛ばす。
成人男性を、軽々とだ。
「っ!?」
虚をつかれ、数メートルは飛ばされたザイルだったが、どうにか受け身をとる。
御者台のすぐ後ろにいたフィーナとアルフィードは、目の前で起きた光景に驚くばかりだ。
くるりと、リュカは頭だけをフィーナとアルフィードに向ける。
フィーナが反応するより先に、リュカがアルフィードの側に行き、抱え上げた。
「っ! おねぇ……っ!」
連れて行かれる。
そう思ってフィーナは焦った。
体調不良のアルフィードは、ぐったりとリュカのなすがままだ。
アルフィードを追って、フィーナも荷台から降りた。
リュカはアルフィードを抱えて荷台から飛び出ると、離れた木の根元にアルフィードをそっと置いた。
恭しく――丁寧な所作だった。
リュカはアルフィードから離れると、荷馬車の側に立つフィーナに目を向ける。
アルフィードに向ける表情とは異なり、狂気をはらんだ表情だった。
ザイルが何か言っていた。
離れているので声は聞こえるが、内容は聞き取れない。
リュカと一対一で向かい合ったフィーナは、マサトの名を心の中で呼び続けた。
(――「マサトマサトマサト!!
早く側に来て!!」)
狂気が見えるリュカに、フィーナも緊張と警戒で体を堅くする。
魔法抜きでの――武術のみでの対処法を考えて、構えていた。
リュカは「アルフィードの帰る場所」を無くそうと考えている。




