5.寮の同室者【後編】
パン、と乾いた音が室内に響いて、さざめいていた食堂内が、シン、と静寂に包まれる。
痛みと熱を帯びる頬を抑えて、フィーナは呆然とした。
呆然としながら、怒りを瞳に宿すサリアに目を向けていた。
なぜ頬を叩かれたのか、フィーナには理由がわからなかった。
「わざと間違えたでしょう」
サリアの言葉に、フィーナはぎくりと体が強張った。
その言葉に、ざわりと周囲が騒々しくなる。
「本当なのか」と教師陣に聞かれて、答えられないフィーナに、サリアはさらに言葉を続けた。
「間違っているのは、書き直している箇所ばかり。その箇所もすかしてみると、最初書いてるものが合っている」
サリアに言われて確認する教師たちが「……確かに」と同意していた。
ブリジットは戸惑い「では結果はどうなるのか」と尋ね、教師陣も「これでは正当な判断ができない」「いや、結果は結果だ」など、騒然となった。
そんな周囲の声を、どこか壁を隔てた別な場所での話のように思いながら、フィーナはただただ、サリアを見ていた。
両の拳を握りしめるサリアは、強い眼差しをフィーナに向けている。
その瞳には、ただならぬ怒りが見えた。
「施しのつもり? かわいそうだから、変わってあげようと思ってのことかしら。
……そんなの、いらぬお節介だわ。
あなたのような偽善者、大っ嫌い」
サリアの言葉も眼差しも表情も。彼女が見せる感情の全てが、フィーナに深く突き刺さった。
そんなつもりはない。
――そう言いたいけれど、全く思わなかったわけではない。
ブリジットとサリアのやり取りを見て、胸の奥にもやもやしたものを感じたのも確かだ。
同情した。同情しつつ――便乗しようとした自分もいる。
「申し訳ございません」
ざわめく声の中、フィーナは覚悟を決めて、声を上げた。
当事者の弁明があるのだろうと、周囲はしんと静寂に包まれる。
「弁明は致しません。訂正したのは確かなのですから」
白とも黒ともどちらとも言えない返事をする。
――実際は敢えて間違ったのだが。
現況を見るに、その点を認めてもいいことがあるようには思えなかった。
「ブリジット様。申し訳ございませんが、今一度、テストをなさって頂けませんでしょうか。――このテストで点数がよかった者が、望む部屋を得られる。それでよろしいでしょうか」
ブリジットに敢えて敬称を付けることで、頼みごとをする立場であると示した。
寮長は渋い顔をしていたが、彼女が口を開く前に、後半を寮長と教師陣に向けて告げる。
異論を唱える者はなく、ブリジットも頼まれる立場として気を良くしたのだろう。
「ええ、よろしくってよ。何度試したところで、結果は同じでしょうけど」
「ありがとうございます」
ブリジットの了承も得て、再度、テストが行われた。
――結果はフィーナに軍杯があがった。
納得できないブリジットが再度「もう一度」と持ちかけた。
再試験をブリジットが応じてくれたこともあり、フィーナも申し出を快く受け入れた。
結果は前回と同じく、フィーナの方が点数がよかった。
寮長を含め、教師陣はフィーナの方が成績がいいと判断したのだが、ブリジットだけが納得できず、引き下がらない。
「伴魂試験も行ってくださいまし! 入学試験も伴魂試験を行ったのですから!」
ブリジットの声に「それもそうだ」と同調する声もあった。
伴魂の能力を見てみたいという、野次馬的な思惑によるものだろう。
その声にフィーナは「申し訳ございません」と謝辞を述べる。
「同伴者の同意がなければ、伴魂をお見せすることができないのです」
「なぜです?」
尋ねる寮長に「おそらく、虚弱だからでしょう。慣れない場所だと、特に」とザイルと示し合わせた返事をする。
ネコ自体珍しいので、必要以上人目につかない方がいい。
必要以外で伴魂の話になったら、そう話すようにとザイルから言われていたのだ。
「虚弱? どのような伴魂なのですか」
「申し訳ございません。それもちょっと――」
「伴魂が何かも明かせないのですか」
疑念の視線を向ける教師に、フィーナは「はい」と答えた。
「伴魂は魂の伴侶。弱っているところで何かあっては困りますから」
伴魂に何かあったら困るのは誰しも同じなので、そこを強行しようという者はいなかった。
また、伴魂が弱っているところを、何かしらの手を加えられる危険を防ぎたい思いも想定してくれた。伴魂の種類がわかると、誰の伴魂か判別できるところから、危険性が増す可能性があった。
「同伴者はどなた? 同意があればよろしいのでしょう?」
食い下がるブリジットに、フィーナは少々考えた。
名を持ちだしていいのか、迷ったが、同伴者として行動を共にしていたし、これからも一カ月は共に過ごすのだから、いずれわかる事だと判断した。
「ザイル・ベルーニア様です」
どよめきが起きたのは……まあ、想像できた。
騎士の正装でさざめくのだから、もしかしたらザイルの名も知られているのではと、可能性は考えていた。
……見事に的中して、人知れずため息が漏れてしまう。
ザイル本人より「ベルーニア」の名に反応しているようではあった。
自身の家の威光をかざしていたブリジットも「ベルーニア」の名前に尻込みしている。
「なぜ、あなたのような方に、ベルーニア家の方が……」
ありえない、と言いたげなブリジットに、フィーナも心底同意した。
「ええ、本当に」
同伴者がザイルと知って、寮長も教師陣も、サリアも驚きを隠せずにいる。
「――ところで」
収集がつかなくなりそうに感じて、フィーナは寮長に向かって口を開いた。
「部屋の割り当てに関しては、成績の良かった方が選べるのでしたよね?」
「ええ、そうね」
確認するフィーナに寮長は頷いた。
視界の隅に、くやしげなブリジットの表情と、渋面のサリアの顔が映っている。
フィーナは微笑んで寮長に告げた。
「サリア・スチュード嬢との同室をお願いしたいのですが」
なぜ、との声が上がる中、やはりと想定していた声も一部にあった。
ブリジットはフィーナが個室を望むと思っていたのだろう。
喜びより、面食らった表情を浮かべている。面食らっているのはサリアも同じだった。
寮長はフィーナの答えを想定したようだった。
小さく息をついて「やはり」とつぶやいた後「約束だから、あなたの意向には沿うけれど」と言って尋ねてくる。
「なぜ同室にこだわるの?」
「姉から寮での生活は聞き及んでいました。
姉も同室で過ごしていたと聞いていたので、そうした心づもりでまいりました。
――私も姉も、市井の出身です。生活の違いに戸惑うこともあったそうですが、同室の方から学ぶことも多かったと聞いております」
「姉? どなたか伺っても?」
「卒業して日がたっておりますから、御存じないかと思いますが……。アルフィード・エルドと申します」
「アルフィードって……『ドルジェの聖女』?」
(聖女って……)
驚いて尋ねる寮長同様、アルフィードの名前でもざわめきが起こった。
姉の意外な知名度に、ザイルの騎士事実同様、地団太を踏みたい心地をどうにか我慢して「どうでしょう。私は聞いたことがありませんので」との返答に留めておいた。
しかし、アルフィードが聖女……聖女……。
姉として側で、聖女らしからぬ姿も多々見てきていることもあって、違和感をぬぐえない。
「なるほどね」
アルフィードの話を聞いて、寮長もフィーナの言い分を納得してくれた。
「あなたが同室を望むのは、彼女を慮ってのことだけではないのね」
「ええ。不慣れな場所で一人の生活は不安でしたから。
私としては入学前から同室者に頼る気持ちがありました。
……正直なところ、同室者を得られて、助かっているのは私です」
サリアとの同室を嫌がり、個室を望むブリジット、同室者を望むフィーナ、口にははっきり出さないが、ブリジットとの同室を甘んじて受け入れているサリア。
「落ち着くべきところに落ち着いたってことかしら」
寮長は一応の納得を見せてくれた。
教師陣も異論なく、ブリジットが個室に、フィーナとサリアが同室にとの形で落ち着くこととなった。
「本来なら、個室をあてがわれた方が、各学年の寮長としてまとめてもらう仕事もあるのです。
多忙な時期もあるため、そのための個室でもあるのですが。
……学年寮長に関しては、時期を見て相談しましょう。
まずはスーリング祭を無事終えてからでしょうね」
(スーリング祭?)
初めて聞く言葉に、フィーナは内心、首を傾げたが、あとで誰かに聞けばいいだろうと、その場で尋ねることはしなかった。
ブリジットが起こした騒動と、立て続けのテストで、疲れていたのだ。
「ところで――本当に彼女と同室でいいの?」
サリアとフィーナのやり取りを目にした寮長が、確認の為に尋ねた。
「同室者を得たいのなら、他に聞いてみてもいいけれど」
寮長の申し出に、フィーナは「いいえ」と首を横に振った。
「サリアがよければ……彼女にお願いしたいと考えています」
フィーナの言葉を聞いて、寮長はサリアに目を向けて意向を尋ねた。
サリアは「断れる立場にはないでしょう」と息をついて「先ほどは申し訳ございません」と謝辞を述べて「これからよろしくお願いいたします」と挨拶を交わしたのだった。
同室者、ゲットです。
サリアは当初から考えていた人物です。