2.割り当てられた教室
入学早々、自分がやらかしたことに頭痛を感じながら、フィーナは「知ってるわけないじゃない」と胸の内でこぼした。
名前も存在も知っている。
だが顔と容姿を知らず、名前と目の前の人物に繋がらなかったのだ。
見たこともないし、会う機会があるとも思っていなかった。
まさか王子がセクルトの同学年にいると思っていなかったし、いや、同学年だと知っていても、接点などないと思っていた。
同じクラスの貴族の方々との接し方を気をつけていればいいと思っていたが、まさか王族と学び舎を同じとするなんて。
式が終わるころには、フィーナは憔悴しきっていた。
大事な話があるかもと、どうにか話を聞いていられたが、うろ覚えになっている気がしてならない。
なぜ自分を知っているのか、なぜ「認めない」などと面と向かって言ってきたのか。
そうした疑念に思い至ることもないほど、憔悴しきっていた。
カイルが口にした「認めない」に関しては、後日、知ることとなる。
入学式を終えると、同伴者席で式に同席していたザイルと合流して、割り振られた教室へと足を向けた。
セクルトは国で唯一、城の区域内に設けられた学び舎だ。城と区域は高壁で隔てられているが、校内は広く、慣れない者は何度も迷ってしまう。
そうした観点を考えて、入学から一月ほど、同伴者と生活を共にすることになっていた。
ザイルが申し出てくれたことに感謝と安堵感を覚えつつ、並んで歩いて教室まで案内してもらった。
今日は割り当てられた教室に赴いて、同じクラスの子たちに、あいさつと自己紹介をして、各割り当てられた寮の一室へ案内される予定だったのだが。
ザイルに連れられて入った教室内を見て、フィーナは回れ右をして教室を出ようとした。
それをザイルに腕を掴まれて止められる。
「どこに行くのです」
ザイルはセクルト貴院校の卒業生だ。校内を知っているので、何もかもお任せにしていたのだが。
「教室、間違ってる」
確認すると告げるフィーナに、ザイルは目を瞬かせた。
「間違ってませんよ」
「間違ってるってば。そんなはずないもの」
言いながら、教室内の席に座る一人の男子生徒に視線を向ける。
銀髪、同色の瞳の少年。先ほど壇上に上がって新入生代表挨拶をした、この国の第二王子だ。
新入生代表挨拶イコール主席。一庶民の自分が、彼と同じクラスであるはずがない。
「間違ってませんよ」
「だからおかしいって。私がこのクラスな訳ないでしょ」
「――ああ、そうだな」
声は教室内から聞こえた。声の主に目を向けると、銀髪の少年――カイルがゆっくりと腰を上げたところだった。
立ち上がった彼はつと、フィーナとザイルに目を向ける。
「俺たちが貴殿と学び舎を共にするには、相応しくないようだ」
唐突なカイルの話に、フィーナは面食らった。
側にいるザイルに小声で「私、そんなこと言った?」と尋ねる。
ザイルは少し考えて「そう取られてもおかしくない状況ではありますね」などとのたまう。
フィーナは訳がわからなかった。カイルの物言いだと、フィーナが上位者で他は下位者と言っている。
(そんなこと言ってないのに)
自分がこの場にふさわしくない――庶民が貴族様と机を並べるなど、おこがましくてならないと思ってのことだったのに、なぜ逆に取られる。なぜ、逆があり得る。
市井の民と第二皇太子では、皇太子が身分的に上だと決まっている。
成績に関しても、新入生代表挨拶をカイルがしたのだから、彼の方が成績上位者だ。
何を持って、彼が「フィーナが上、自分が下」との言動を口にするのか、フィーナにはわからなかった。
フィーナの戸惑いは、教室に在席する他の生徒も同様だった。二人のやりとりを、戸惑いながら見ていた。
フィーナとカイルのやり取りに終止符を打ってくれたのは、クラスの女性担任だった。
「そこ~。教室の前で突っ立ってないで、中に入りなさい~」
間延びした声と眠そうに半分閉じた目。浅黒い肌に白の髪を、頭部両側では耳付近で切りそろえ、後頭部付近は伸ばしてうなじで一つにまとめている。
年の頃、二十の年巡りに近い年代の女性が、書類の束を手にして教室の入り口から入ってきた。
彼女がいう「そこ」はフィーナとザイルのことだ。ザイルとフィーナ、カイルのやり取りの間に、空いていた席もほぼ埋まっている。残るは一つだけ――。
「申し訳ございません。教室を間違えて――」
アルフィードに伝授された謝罪要領で弁明した。
ザイルが何か言うより先に、教師と思しき女性はフィーナに目を向けて確認すると「間違ってないから」と告げた。
「フィーナ・エルドでしょ。この教室で間違いないから」
「え――」
「話ができないから、とにかく座りなさい」
戸惑うフィーナに、教師と思しき女性は告げて、入室を促した。
困惑したフィーナはすがるようにザイルを見たが、彼も入室を促している。
言われるまま、納得できないまま、気が進まないまま、空いている席にフィーナは座った。
教室入ってすぐの席。
机の右隅は白い紙の紙片が置かれている。紙に書かれている数字は「1」。
ザイルも「席が違う」とは言わない。
ここでいいのかと、フィーナは不安で仕方なかった。フィーナの左隣の席にはカイルが座っていたのだから――。
フィーナが椅子に座ると、数字が記された白い紙はふわりと舞い上がって、制服の左胸ポケットについた。
そして右下隅から、さらさらと黄金色の砂粒の輝きを見せながら消えていく。
そうして左胸ポケットに元々刺繍されていた文様が、少々変更されていた。
「1」を飾り文字に変じた刺繍が、中央部にそれとなく見てとれる。
紙片が消えて刺繍に変更がなされたのを見て、室内から小さなどよめきが起こった。
――「まさか」「そんな」「嘘でしょ」
信じられないと言いたげな言葉が、教室内から聞こえた。
フィーナも紙片が消えて、制服の刺繍が微妙に変わったのには驚いたが、なぜ騒がれるのかがわからない。
生徒全員が経験することだと、それぞれの胸ポケットを見れば判じられる。
教室内の生徒を見ると、フィーナと同じように、文様の中に数字の飾り文字があった。
「本人に間違いないようね」
教壇に立つ女性はフィーナの刺繍を確認すると「静かに」と教室内の生徒に声をかけた。
皆が席について口をつぐんだのを確認して、彼女は口を開いた。
「このクラスを受け持つ、ダードリア・ヴァメードと申します。紙片でお気づきでしょうが、このクラスは入学試験での結果、上位10名が在籍します。紙片に書かれた数字は、入学試験の成績です。始めなので、成績順の席順となっています」
ざわり、と再び教室内がさざめきだった。
声を出せないのは、フィーナと隣のカイルくらいだ。
フィーナは目を丸くしていた。カイルは終始渋面を張り付けていた。
ダードリアと名乗った女性教師は、生徒の反応に構わず言葉を続けた。
「なお、机に置かれた紙面は、入学試験時に使用した紙面を使用しています。
解答用紙に触れることで、個人の魔力が記録されます。
魔力は個人を特定するもの。個人を確認できるものでもあります。
セクルトの入学試験には、以前から回答用紙に魔力を判別できる細工が施してあります。
回答用紙は名を伏せて採点、審査し、順位が定められます。
そうした回答用紙の紙片に記された順位が、机に置かれた数字なのです」
ダードリアの説明を聞いて、青くなる者、うつむいて拳を強く握りしめる者――。
男女一人ずつ存在した。7の紙片の席に座る女児、9の紙片の席に座る男児、一名ずつだ。
他の生徒は胸ポケットの刺繍に紙片が融合していたが、彼らの机には紙片が置かれた、そのままだった。
ダードリアは紙片が机に置かれている二人に目を向けて、小さく息をついた。
「先ほどの話でおわかりでしょう。
紙片が反応しないと言うことは、試験を受けたのが本人ではなかったということ。
……まあ、逆で、本人が試験を受けたけれど、体調不良で今日は出席できない。
と言うのなら、申し出てください。試験を受けたのが本人であれば、こちらも対処いたしますので」
ダードリアの言葉に、紙片が机にある二人は、何も口を開かず、動きもしなかった。
反論ない。と判じたダードリアは、二人に退室を促し、机に置かれた紙片を回収した。
身代わり受験。
そのような手段自体考えつかないフィーナには、ダードリアと退室した二人のやり取りを理解できなかった。試験を身代わりさせること自体、理解の範疇を超えている。
紙片が残る席にいた二人が退室したのを確認して、ダードリアは教室に残った面々を見渡した。
「先ほど言ったように、紙片は順位を表します。現在の席順も、成績順によるものです」
教壇に向かって五人二列。教壇から見て、左から1、2と続き、二列目が左から6、7と続く席順となっていた。
再びざわめく生徒に「静かに」とダードリアは告げた。
「今年は通常と異なる対応をとっています。それに準じて、対応を考えなければとのこともあり、講じられた策がこちらです」
告げるダードリアは、教壇の中に準備していたのだろう。
白い制服のジャケットを教壇に並べた。数はクラスの人数分揃っている。
「今現在着用しているジャケットも、保管していてください。
順位の証明となるので。それとは別に、こちらのジャケットでの普段生活をお願い致します。
――最優秀クラスの証しです」
告げたダードリアがそれぞれに配布したジャケットは、既存の制服ジャケットの、基調を白としたものだった。
前身ごろ、袖、後ろ身ごろ。どれも白となっている。
ブラウンを基調とするジャケットの中では、目を引く色合いだった。
白のジャケットを手にできるのは、最優秀クラスの生徒だけ――。
そうした優越感を、クラスの生徒は感じているようだった。
――ごく一部を除いて。
フィーナは戸惑い、カイルは不機嫌だった。
フィーナは「自分は何かの間違い」と言いたいのだが、紙片が反応し、反応しない生徒も目の当たりにしている今、上手く話を展開できる自信がなかった。
頼みのザイルも「間違いない」とのたまっていたし……。
そしてダードリアは本題を切り出した。
「配布されたこのジャケットを、今後、袖を通すように願います。
――そして、この室内での成績の順位は口外しないように。
――最優秀クラスに属する、聡いあなた方ならば、言っている意味が理解できると思いますが」
ジャケットを手にして色めき立っていた生徒たちは、ダードリアの言葉にシン、と口を閉ざした。
「あの……」
と、生徒の一人が、カイルを窺いつつ、おずおずと口を開いた。
「成績は、確かなのですか」
「ええ」
カイルとフィーナの席順、ジャケットの飾り文字数を問う質問に、ダードリアは素直にうなずいた。
「ですが、式ではカイル殿下が挨拶を――」
「それは王室と内閣府の意向です。
私を含めた教師陣も、式典は殿下が挨拶された方が、後々の軋轢も少ないだろうと賛同致しました。
……が、成績順に関しては、人の意向は反映されないので、現形式をとるしかやむをえなかったのです」
ダードリアがいうには、胸ポケットについた数字は、魔法が関連していると言う。
採点は人の手でなされるが、順位に関しては魔法でなされる関係で、手心を加えられなかったらしい。身代わり受験をあぶり出す件があったために、変更できなかったという。
「異論があれば受け付けます。相応の対応をとることを、内閣府も王室も享受していますので」
反論はなかった。
カイルは渋面しきりだが、システム的な所は理解しているのだろうと判じられた。
異論があるとすれば、フィーナくらいだ。物申したいが、周囲の雰囲気から言えずにいた。
他の生徒の同伴者と並んで、教室内後方で控えているザイルを見ると、彼は異論を唱えるでもなく、ダードリアの言を受け止めている。
初日は自己紹介で終わった。
これから一年間、学び舎を同じとするクラスメイトの自己紹介も耳にしていたのだが、フィーナの耳には聞こえていても、右から左に素通りしていた。
想定外の連続に、自分の番になって
「フィーナ・エルドと申します。以後、お見知りおきを」
そう挨拶するので精いっぱいだった。
長くなりました。
入学式と合わせて一話にしようと思っていたのですが、長くなったのでやめました。
書いても書いても終わらない……。そんな感じでした。
入学式は「貴院校」なので違うかなぁ。と思いましたが、学び舎に入るってことで「入学式」にしています。