26.珍しい伴魂 3
ドルジェでは野生の動物との接触が多々あった。
傷を負った獣や親とはぐれた子を専門家に託すまで、保護したこともあった。
傷口や汚れた体毛が悪臭の元になると知っている。
が、子ライオンにはそれらが見当たらなかった。
毛並みは整い、小綺麗だ。
人の手で世話されているのだろう。
なのになぜ、息を止めたくなるほど獣臭が強いのか。
サンザシの実を食べた子ラインを、反射的に抱きあげたフィーナは、子ラインの脇を両手で持ち上げて、両腕を精いっぱい伸ばして距離をとりながら、顔を背けて呼吸を試みる。
匂いを感じない呼吸を試みながら「どうしよう」と困っていた。
サンザシの実が口にあったのか、子ライオンはグルグルと喉を鳴らして、フィーナにすり寄ろうとする。
マサトも機嫌がいいと喉を鳴らすので、子ライオンもそうなのだと想像できた。
甘えようとするのは、サンザシの実を催促してのことだろう。
あいにく、手持ちはない。
子ライオンを抱き上げたまま、職員室に連れて行こうかとも考えたが、途中、生徒に見られるのもまずい気がする。
考えた末、フィーナは子ライオンを地面に下ろすと数メートル走って距離をとった。
振り向くと、子ライオンは喉奥の鳴き声を小さく上げながら、とたとたと付いてくる。
(よしっ!)
思った通りだと確認して、フィーナは寮の自室まで、子ライオンを誘導した。
「サリア!」
寮の部屋に着くと、同室のサリアの部屋の窓を叩いて「開けて」と頼んだ。
授業を終えたサリアは、先に寮に戻っていた。
外からの来訪者に目を丸くしていたが「どうしたの」と窓を開けてくれた。
「ありがと。ちょっとごめんね」
礼を告げてひょいと窓から室内に入ると、窓枠に腰掛けて靴を脱いだ。
その靴を持ったまま部屋内に降りて、サリアの部屋から自分の部屋へと向かう。
戸惑うサリアに「後で話すから」と告げて、制服から汚れても構わない質素な服に着替えた。
それから自室の収納部に置かれたたらい桶と手酌桶、白い固形物、タオルを数枚と片手に掴めるほどのサンザシの実を小袋に入れると、入ったときとは逆にサリアの部屋の窓から外へ出た。
サリアの部屋に面した窓の下では子ライオンが、喉奥にこもるか細い鳴き声を上げながら、後ろ足で立ち上がり、窓下の壁をかりかりと掻いていた。
「フィーナ?」
両腕で輪をつくるほどの大きさのたらい桶を小脇に抱えるフィーナに、サリアは戸惑いの声をかけた。
どうしたのか、これからどうするのか。
フィーナはサリアに子ライオンが見えないように気を付けながら、手早くたらい桶に入れるとタオルをかけて隠した。
「汚れたから洗ってくる!」
桶の中にはタオルを被った生物。
尻尾とおぼしき物体の揺れ具合から、サリアはマサトだと思ったようだった。
「そうだったの」と得心した声を背に受けながら、フィーナは目的地へと急いだ。
セクルト貴院校の敷地内には、小さな湖がある。
池と呼ぶには大きすぎ、湖としては小ぶりだったが、学びの場としては十分な大きさだった。
湖では小舟の扱いや泳法を学ぶらしいが、セクルト貴院校生徒の課題ではなく、騎士を目指す生徒の学びの場とされていた。
騎士の生徒も湖で学ぶ課題はごくわずかで、今の時期、湖に人の姿はなかった。
そうしたこともあって、マサトに請われて時折、フィーナは沐浴に付きそっていた。
だから手順は心得ている。
たらいに水を張って、子ライオンを入れる。
冷たい湖の水に驚いた子ライオンがたらいから飛び出そうとするが、それを我慢させた。
「あとでサンザシの実をあげるから」
実を見せながら告げたので理解できたのだろう。
我慢している様子を見せながら、子ライオンはたらいの中に留まってた。
子ライオンの全身に水をかけた後、白い固形物を水で湿してこすり、泡立てる。
マサトがどこからか持ってきた白い固形物は、ふわふわもこもこの、細やかで豊かな泡をたてる。
人が使っても支障ないらしいが、体を洗う時は液状の洗浄剤以外使ったことのないフィーナには、どうも心もとないものだった。
フィーナには心もとないが、マサトが喜ぶのもわかる。
いつの頃からか、付き添うだけでなく、洗うのも手伝うようになって、泡だらけになった体を水で流して、タオルで乾かすと、マサトの体毛は艶を帯びながらもふわふわと手触りのいいものとなっていた。
手触りがいい毛並みは、本人もさっぱりとして気持ちがいいらしく、恍惚とした、至福の笑みを浮かべていた。
白い固形物に香料も含まれているらしく、洗いあげ、乾いたばかりのマサトは、爽やかな香りをまとっていた。
そうしたマサトの状況を知っているので、子ライオンにもと試みたのだ。