19.拉致未遂事件
年度最終の伴魂試験を終えた次の日の朝。
ネコはしれっと帰ってきた。
「ほんとは話せるんでしょ」と詰め寄るフィーナに、ネコは『にゃあ』と鳴くだけ。
フィーナの話を聞いたリオンとロアは「意思の疎通」のことを言っているのだと思い、「ははは」「ふふふ」と笑いながら「それは意思の疎通だろう」とわからない子に諭すように言い含める。
「そうじゃなくて!」
「うんうん。
最初はそう思うんだよな。
話せるような気がするんだよ」
意識下のやり取りから「人の言葉でもやりとりできる」ように、誰しも思ってしまうのだと、両親は昔を懐かしんだ。
「ホントに声を聞いたの!」と言っても、リオンとロアも信じてくれない。
(ネコさえ話してくれれば……)
フィーナは思いつつ、事ある度に話しかけたり、驚かせたり、むにむにと顔を撫でまわしたり、抱き上げた膝の上で仰向けにしてお腹をくすぐったりと、様々な方法を試すのだが、相手も強者、簡単には問屋がおろさない。
やめてくれと抗議的に『にゃあ』と鳴くだけだ。
「話してくれたら、もうしないから」
「フィーナ!」
最後には両親に「嫌がることはやめなさい」と叱られる始末だ。
そんなわけで「ホントは話すのに」ともやもやした気持ちを抱きながら、自身の伴魂のスキを窺いつつ、日々を過ごしていた。
両親も信じてくれないので、姉のアルフィードにも、マーサやジークにも話していない。
マーサやジークは、フィーナの伴魂を警戒している節がある。
伴魂を取得したと話した時は喜んでくれたが、それがネコだと知り、実物を見ると表情を凍らせた。
見たことない動物に興味があるものの、村で見かける伴魂より体格が数段大きいので「噛まれたら痛い」と思っているようだった。
「触ってみる? 気持ちいいよ?」
と、心地よい毛並みの感触を味わってほしいと勧めると、マーサとジークに怒られた。
「簡単に人に触らせちゃダメ」
世の中は悪意を持つ人間もいるのだ。
伴魂は魂の伴侶。
伴魂を狙って、危害を加えられる可能性もある。
その上、フィーナの伴魂は珍しい。
希少価値に目をつけ、攫われる危険も考えるべきだと二人に諭された。
幸か不幸か、ネコは日中、小児校への登下校は共に行動するものの、校内に入るとふらりと姿をくらます。
本当に用がある時「出てこい出てこい」とフィーナが強く念じれば、顔を覗かせるといった状態だった。
フィーナは小児校から帰宅して時間があると、両親の仕事を手伝ったり、裏庭の薬草を眺めていた。
叔父のカシュートと森に入ることも多く、森への警戒心も薄れていた。
両親から「一人で森に入ってはダメ」と言われていたが、自分は大丈夫との自負があった。
(何度も森に入ってるもの)
近くなら道を覚えているし、主要な獣道も把握している。
姉のアルフィードも、小児校に入る前から森を散策していたのだ。
当時の姉の年齢より歳が上なのだから大丈夫だ。
両親に知れると止められるだろうと、フィーナはこっそり家を出た。
少しだけ。すぐ帰るから。
そう思ってのことだった。
フィーナの思考は伴魂であるネコにわかるらしく、意識下に「やめたほうがいい」との思考が流れ込んでくる。
「止めたいなら話して止めたら?」
小さく舌を出して、ネコに告げる。
ネコは渋い顔をしつつも、フィーナの後についてきた。
森に着いても側を離れないネコを珍しく思いつつ、フィーナは見覚えのある道を歩き続けた。
大人たちが子供に「一人で森に入らないように」と言いだしたのは、数年ほど前から気性の荒い獣が増えたからだ。
アルフィードが小児校に上がる前は、危険な獣は森の深部でないと遭遇することはまずなかったが、最近は村に近い場所まで出て来ることもあった。
餌が少なくなったのだろうなどの諸説あったが、真相ははっきりとはしなかった。
そうした事情を、フィーナは知らなかった。
知らなかったが、獣とは異なる危険に、遭遇することとなる。
森に入ってしばらく。
ふと、それに気付いたフィーナは、足を止めた。
少し離れた先に、人がいた。
リオンと――父と同じ背丈ほどだろうか。体格から大人の男性と思われた。
革製、つば広の帽子を目深にかぶっていて、顔がよく見えない。
服装も……マント、だろうか。面積の広い黒の一枚布を体にぐるりと巻いている。
見かけたことのない様相に、不信感と警戒心が自然と頭をもたげる。
眉をひそめつつ、男の動きを警戒していた。
男はゆるゆると、普通に歩いていた。距離にして十数メートルは離れている。
このままだと、すれ違う――。
避けようか、それとも明らさまだが、気味が悪いので背を向けて一目散に走り出そうか――。
考えつつ、ネコにどう伝えようかと、男から伴魂へ視線を移した一瞬。
フィーナの鼻先にふわりと風が通ったように思った時には、視線の先に腰をかがめた男の姿があった。
「え……っ!?」
フィーナは目の前の光景をすぐには理解できなかった。
十数メートル先にいた男が、ほんの一瞬で側に来たのだ。そんなことがあり得るのか。
頭が真っ白になるフィーナの側で、男はネコに手を伸ばしていた。
ネコは警戒の声を上げ、全身の毛を逆なでると、男を蹴りつけた反動でフィーナの傍らに着く。
男の動きは緩慢だった。
ゆらり、と立ち上がると、フィーナを見下ろし、顔の見えない帽子の奥から低い声でつぶやいた。
「宿人を定めたか……」
(レイ、ブラント?)
初めて聞く単語に、フィーナが眉を寄せる間もなく、するりと腕を伸ばしてくる。
静かでゆっくりとした動きだった。
が、向けられた言葉もそこにこめられ意思を本能的な部分で感じ取って、フィーナは全身が粟立つ恐怖と共に、背筋に寒気が走った。
男から向けられた意思を「殺意」と知らないまま、けれど直感で理解していた。
理解しても「逃げなければ」と思っても、体が反応してくれない。
ネコがフィーナを蹴りつけて、その反動で男も蹴りつける。
「痛……っ!」
ネコに蹴られた反動で後方に数メートル飛ばされ、地面に背中から倒れたフィーナは、打ち付けた背を抑えながら、痛みに耐えていた。
『腕を上げろ』
男を蹴りつけた反動で、フィーナの傍らに降り立ったネコが、側にいる主にだけ聞こえる音量でつぶやく。
――やっぱり、話せるんじゃない。
そんな話をする余裕もない。
ネコから伝わってくる意思は、警戒心と危機感に染まっている。
その意識からネコが想定する、男の思惑も伝わってきた。
――ネコの捕獲。そのために、主の始末――。
ネコが、自分の伴魂が、それを回避しようとしているのは、フィーナにもわかった。
何をするのかはわからなかったが、流れ込んでくる映像をはらんだ意識にならって、伴魂が想像する映像にならい、左腕を上げて男に手の平を向ける。
『同じように唱えろ』
告げられた言葉に習って、耳元で聞こえた声をフィーナは反射的に口にしていた。
『「空弾!」』
告げながら、意識下に流れ込む映像に習い、人差指と中指だけを伸ばした手の形で、胸元から男へ物を投げるように腕を伸ばす。
白く、手の平ほどの球状の光が、男に向かって飛んでいく。
フィーナにはそれが見えていたが、男は気付いていないようだった。
ネコの意識が絡んでいることもあって、フィーナにもそれが魔力が宿ってのものだと理解できた。
火や水と違い、事象が風に近いものだからだろう。
男は身近に迫るまで存在に気付かず、接近してようやく気付き、はっとして回避を試みたものの、腹部に命中した。
苦悶の呻きを漏らし、男は腹部を抑えて身をかがめる。
(『まだだ――っ!』)
フィーナが自分の感情を考える猶予を与えないように、ネコから次の指令が流れてきた。
『「旋風っ!」』
声と腕を振り上げる動作に伴い、螺旋状に巻きあがった空気の渦が男を襲った。
男を巻き上げた風の渦は、砂粒土埃小石を周囲に弾き飛ばし、フィーナとネコにもそれらは飛んできた。
腕で庇って耐えていると、ふっと風が止まり、数秒後には男が地上に叩きつけられる。
背を打ち付けて苦悶の声を漏らし、身動きできない男と。
それらを目の当たりにしたフィーナは、自身の許容範囲を超えた出来事に――同時に、伴魂と共に消費した魔力による身体的魔力不足により、ふっと意識が途切れた。
◇◇ ◇◇
『ザイルっ! ザイル・ベルーニア!』
意識を失って倒れたフィーナを見て、ネコが声を上げる。
自身の主の前では頑なに「人語を解する」姿をひた隠しにしていたようには思えない様相だった。
姿は見えないが、気配からそう遠く離れていないだろうと思える人物の名を叫ぶネコの声に応じて、側の木の上の一つから、ふわりと男が降り立った。
村人らしく見える衣服に身を包んでいる、毛先にくせがある金髪の男だった。
瞳は若草色。ベルーニア家の長男、ザイル・ベルーニアだった。
次男ディルク、三男リーサスの兄にあたり、オリビアが統率する騎士団の構成員である。
フィーナがネコを伴魂として取得したと知って以降、「念のため」とオリビアが人知れずつけていた護衛であった。
ネコは貴族社会に置いて、希少価値の高い伴魂である。
存在を知れば、位の高い貴族が所望するのは目に見えている。
そうなると、弊害となるのは現主のフィーナ。
主が了承すれば契約は解除できる。
脅すにしても強要するにしても、それが無難なのだが、解除の方法がわからなければ、どうするのか。
――主の存在が弊害となる。
それを排除するには。
考えうる方法は多くなく、それはフィーナの身の危険に直結していた。
フィーナを危険から守るために、と、オリビアがアルフィードにも内密に、ザイルを護衛につけていたのはネコも知っていた。
フィーナの、自身の主のためなのだからと、時折「かかってこい」と言わんばかりの、敵対心むき出しの、おかしな煽りを見せるザイルをネコは相手にしていなかったのだが……。
危険が及んでも、動かないとは思っていなかった。
姿を見せたザイルに、ネコはぎり、と奥歯をかみしめた。
『フィーナ・エルドを守るよう、言われてたんじゃないのか』
ネコの言葉に、ザイルは薄く笑う。
伴魂が人の言葉を扱うことに何も感じないらしく、やりとりに対して薄い笑みを浮かべていた。
「確かに。ですが、自分は手の出しようもありませんでした」
――自分には手に余る状況で対処できなかった。
オリビアにはそう告げようと言うのだろう。
(何もしなかったくせに)
思って、ネコはザイルへの敵対心を深めた。
本当に対処しようとしてできないのなら、仕方ないとネコも思う。
動けたのに動かなかったでは、理由の意味が異なってくる。
ザイルは後者だ。何かしらの行為を行えばできたはずなのに、全く手出しをしてこなかった。
(そっちがそのつもりなら……それでいい)
苦いものを胸の内に感じながら、フィーナの様子を窺った。
身に余る魔力の消費で気を失っているが、生命の危機には及んでいない。
今回の魔力はネコが供給したので、フィーナの負担は必要最低限だったが、幼子には負荷が大きかっただろう。
ネコはザイルに視線を向けた。
ザイルを注視しながら、尋ねる。
ザイルは「とりあえず」と黒マントの男を縛り上げていた。
負傷した黒マントの男は、意識はあるが動けないらしく、苦悶の呻きを時折上げるだけだった。
『どう報告する?』
「何か、お望みでも?」
『これはお前が対処した。
俺たちは何も手出ししなかった、知らなかったことにして欲しい』
「それは……難しいかと」
『時期がくれば話す』
「時期、とは?」
怪訝な表情のザイルに、ネコはフィーナに目を向けた。
『自分で自分の身を守れるくらいになるまでに』
それはつまり、フィーナに護身方法を身に付けさせるということだ。
「具体的には?」
フィーナの伴魂が言いたいこともわかる。
その時期が数十年後では話にならない。
『小児校卒業時期を考えている』
小児校の期間は三年。
すでに一年過ぎているので、残りは二年となる。
ふむ。とザイルは考えた。
二年なら騎士団とフィーナの護衛の二足わらじはそう難しくはないだろう。
「結構ですよ。条件を飲んで下されば」
『――条件?』
警戒するネコに、ザイルは爽やかな笑みを浮かべた。
「時々、私の指導をしてくださるのなら」
『指導って……お前、国直属の騎士だろ。
俺が教えることなんてないだろう?』
「それに関しては、私から御指導を仰ぐので。
あなた自身が許せる範囲で指導していただければ結構です。
魔法に関しても、うちで使用しているものとは根底から違うので、概念だけでもご教授いただければ……」
恭しく礼をとるザイルを、ネコは訝った。ザイルの真意を測りかねていた。前々から思っていたが……。
『探究心と忠誠。どちらをとる人間だ?』
「物にもよりますが。
少なくとも今回の話に関しては、国の意向よりあなた様の意向を優先させます」
迷うことなく即答するザイルに嘆息しつつ、了承し、ネコは交渉を終えた。
黒マントの男の後始末はザイルに任せ、フィーナを家のベッドに、両親に気付かれないように運ぶよう、頼む。
「ところで……あなた様は何者なんです?」
『……さあ。なんなんだろうな』
ザイルは一応、尋ねてみた。
答えてくれるとは思っていなかった。
案の定、明確な返事はなかった。
ネコはネコで、思ったように事が進まないと嘆息しつつ、フィーナを眺めた。
巻き込みたくはなかった。
必要ない知識は与えたくなかった。
しかし彼女自身のためにも、これからは必要となる。
(まずは「会話」か)
フィーナがしきりに「人の言葉を話すのだろう」と詰め寄っていたことに、答えを出して。
それから伴魂と主としてのあり方を、模索していく必要があった。
これからのことを考えて、ネコは深く息をついたのだった。
う~ん。まさかの展開です。
どう話を進めようか、ちょっと迷ってます。
急展開すぎるかなぁ。