第三話 悪夢
帝都内にある刑務所の牢に投獄されてから、一か月が過ぎた。
窓のない狭く暗い個室に押し込まれ、食事は一日二回、朝と晩にコップ一杯の水と一欠片のパンのみ。
初めて経験する過酷な環境に精神的、肉体的に追い込まれているのは感じたが、それでも自分はまだましな扱いを受けていると感じていた。
何故なら、扉についている小窓から、絶えず何者かの悲鳴が聞こえてくるからだ。
ここの看守が最初に教えてくれたが、この刑務所では、帝国を打倒することを目指す反乱軍の捕虜から情報を引き出すために、捕らえた捕虜の尋問を行っているそうだ。
常に聞こえてくる悲鳴は、情報を吐かせるために拷問されている捕虜達の苦痛の叫び声だ。
逆を言えば、彼らがいるおかげで、拷問官が私に構う暇がないので、今日もこうして独房で何もされないまま日々を過ごしている。
勿論、拷問されたいわけではないが、最高裁判で裁かれた罪人よりも、反乱軍からの情報入手を優先する刑務所の内情を知り、私は少しだけ落ち込んだ。
結局の所、私の冤罪は、この国とって、限りなくどうでもいいことなのだ。私もカトリーナも帝国と言う巨大な舞台の前では、取るに足らない小さなシミに過ぎないのだ。
そう考えれば、考えるほど、カトリーナを守れなかった自分の弱さを嘆き、こうなった原因を作ったロッキード子爵に強い怒りを覚えるのであった。
そして、それからさらに数日後。
看守に明日には釈放すると告げられたが、その前に私に会いたいと訪問しにきた客人を連れてきた。
この時の私は、すっかりやつれて、何も考えられないほどに弱っていたが、牢の扉が開かれて中に入ってきたその客人の顔を見て、我に返った。
「ロ、ロッキード子爵!!!」
「ほーう、思っていたより元気そうだな」
やって来た客人は、以前アズバーン領に来た使者であるロッキード子爵と彼の側近である二人の男であった。
「ロッキード子爵、これはどういうことですか?! 私はあなたが言った犯罪など何一つ犯していません!!」
帝城ではろくに会話もできなかっただけに、私は今までため込んでいた物を全てロッキード子爵にぶつける。
すると、私が子爵の予想通りの言葉を叫んだのが嬉しかったのだろうか。彼は満面の笑みを浮かべた。
「ふふふ。少しは俺をコケにした報いを受けたようだな」
コケにした?
一体何を? 少なくとも私は彼に悪い事など、何一つしていないはずだ。
ロッキード子爵の言う身に覚えのない事に悩んでいると、彼は二人の側近達に、何かが入っていると思われる袋を持ってこさせる。
「これは俺からのプレゼントだ。ありがたく受け取り給え」
ロッキード子爵は、従者達に命令を下すと、持って来ていた布を開け、中に入っていたものが露わになる。そして、想像を超えるものを見せられて私は、頭の中が白紙になり、まともに言葉を発せられなかったが、それでも絶叫を上げる他なかった。
「あ、あああ、あああああああああああああああああ!!!!!!」
何故なら、それは変わり果てた姿となってすでに息絶えたカトリーナの死体だったのだから。
一か月前であれば、初めて見る一糸纏わぬ姿の彼女の体に欲情したかもしれない。だが、今の彼女の体を見て色を覚えることはなかった。
領地の少女達が憧れた白くて艶のある肌は、絵本で見た砂漠のひび割れた大地のようになり、美しい茶色の髪の毛もボサボサで、四分の一ほど毛が抜けていた。
そして、何より、全身におびただしいほどの傷があった。
切り傷だけではない。火傷の痕、肉が腐っている部分もあり悪臭を放っている。
「き、貴様ら、何をしたあああああ!!」
今まで目上の人と敬っていたつもりだが、もはや、そんな事はどこかへ消えてしまった。彼らに対して怒りしか残っていなかった。
だが、私が怒る姿さえ楽しむかのように、ロッキード子爵と側近達は下卑た笑い声を上げる。気分が高揚して満足そうなロッキード子爵の代わりに側近の一人が口を開く。
「最初の内は、嫌がるこいつを相手に普通に楽しんだが、こいつの悲鳴が余りに面白くてな。ヤル以外にも、様々な苦痛を浴びせてみたんだ。それで抱くには、気持ち悪い姿になって、こいつも廃人寸前になったんだが、最後に子爵が飼っていた犬に犯せてみたら、凄まじいほどの絶叫を上げてな。あれは愉快だった」
…………。
「その後、こいつは落ちていた刃物で首を掻き切って勝手に自殺しやがった。本当は、遊びつくしたら娼館売り飛ばす予定だったんだが、死んだもんで買い手がいなくなってな。それで、元の持ち主に返すのが礼儀だと思って、こうしてわざわざ返却しに来たわけだ。あ、そうか、生娘だったから、まだ貴様のものじゃなかったな。でも、最初の内は、フライ、フライと飼い主の名前を叫んでいたから、やっぱりお前のものだな。まあ、もう我々には必要ないから後は好きにしろ」
カトリーナの壮絶な最後を聞き、私はかつてないほど怒りを覚え、怒りで我を失いながらも、諸悪の元凶であるロッキード子爵に掴みかかった。だが、護衛の看守達の手によってすぐに床に頭をつけることになる。
独房生活で弱っていた以前に、元々ひ弱である私では、看守を退けて、奴らに一矢報いることすら叶わなかった。
それでも、私は何故このようにな事態になってしまったのか、その理由だけでも知らなければとロッキード子爵に怒号と共に問いかけた。
「何故!! どうして、こんな事を!!」
しかし、私の人生最大の問いかけに対して、ロッキード子爵が取った行動は、再び私の頭の中を空っぽにさせた。
「ふむ、あれ・ どうしてだろう?」
「は?」
私やカトリーナにこれだけの仕打ちをしたのだ。私の代ではなく、先代の頃から深い恨みでも持っていたのかもしれない。
私自身は、ロッキード子爵に何かした覚えがなかったので、もしかしたら、父、祖父、それともアズバーン男爵家そのものがロッキード子爵の家と過去に因縁があったのだろうと予測していただけに、本当に何故こんな事を自分はしているのだろうと首をかしげる子爵の行動は、理解に苦しんだ。
もしかして、本当に忘れてしまったのだろうか?
今も目の前で、演技ではなく、本当にロッキード子爵が懸命に思い出そうと首をかしげていると、側近の一人がため息をつきながら、彼の耳元で私に聞こえるように囁いた。
「子爵、賄賂ですよ」
「おお、そうだ!そうだ!思い出した!! こうなったのは、貴様が私に賄賂を贈らなかったからだ!!」
は?
「そ、それだけ……」
受けた仕打ちに対して、いくらなんでも釣り合わない浅い動機を知り、驚きのあまり私の中の怒りの炎は徐々に衰えていった。
「うむ。あの時は、不味い物を食わされて頭に来ていたが、今思えば、賄賂如きで、フランシスコ様のお手を煩わせたのは申し訳なかったな」
奴は、私や私の関係者に深い恨みを持っていたわけではない。ただ、おもちゃ箱に入っていたおもちゃが面白くなかった。ただそれだけのすぐに熱が覚めるような軽い理由で、カトリーナの尊厳を奪い殺したのだ。
そして、恐らく、こいつは身内である宰相という権力を使い、同様な事を何度もやっていたのだろう。食事をするような軽い気持ちで私のような人間に罪を着せて苦しむ様を見て楽しんでいるのだ。
大自然に囲まれ、陰謀も計略も何一つない優しい世界で育った私は、人間の持つ暗黒面をようやく理解した。
同時に、全てが手遅れだと言うことも。
「ふん、中々楽しめたが、つい先日、もっと楽しめそうな新しいおもちゃを見つけてな。正直、もう貴様らに構っている暇はないのだ。じゃあな平民。もう会う事もないだろう」
「じゃあな」
「あばよ」
そう言い残し、カトリーナの死体を足蹴にして俺の方に蹴飛ばすと、ロッキード子爵は古い物を捨て新しいおもちゃの元へ走る、子供のような無邪気な表情を見せて去っていった。
「あ、ああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
看守も去り、扉も再び占められた後、私にできたことは、狭い牢屋内でカトリーナの体を抱きかかえ、言葉にすることさえもできない叫び声を出すことだけであった。
実はこの時、悲しみに明け暮れながらも、心のどこかではこれ以上の苦痛はもうないと私はまだ甘い考えを持っていた。
本当に私は愚か者だ。
もう少しだけ冷静になって考えれば気づくことだった。
ここから遠く離れた私達の故郷に何が起きていたかを。