第二話 悲劇の始まり
「ここが、帝都か……凄いな」
「話には聞いていたけれど、本当に凄いわね。一体何万人の人間が住んでいるのかしら?」
馬車の中から帝都の街並みを眺めるカトリーナは、住んでいる人間の数に驚いているが、私は立ち並ぶ建物に驚いていた。
高くても三階建て建物しかなかったアズバーン男爵領とは違い、大陸屈指の大国であるブーゲリア帝国の帝都は、平民が暮らす家屋でさえ五階建て以上はあり、貴族が暮らす屋敷に至っては、もはや私の屋敷と比べることすら失礼に当たるほど巨大で豪勢な屋敷であった。
税金を必要以上に多く取っていないのもあるが、もしかしたら、私よりも位の低い貴族はおろか、一部ではあるが、平民でさえ私よりも、金をもっているかもしれないと思わざるを負えなかった。
だが、それらの屋敷ですら霞むほどの威容を誇るのが、帝都の中央に構える帝城である。小さな山くらいはあるその城は、千年続く大帝国の皇帝が住むに相応しい城であった。
初めて見る景色に私達は少々興奮しながらも、馬車は衛兵の案内の元、ゆっくりと帝城に入っていった。
一週間前、アズバーン男爵家に一通の手紙が届いた。差出人はなんと皇帝陛下。
内容を要約すると、我が領でもてなした宴をロッキード子爵から聞き、私とカトリーナに興味を持った陛下が、一目会いたいと帝都にご招待して下さったのだ。
だが、この申し出は、とても栄誉なことではあるが、一つだけ問題があった。
それは歓迎式の準備もあるので、来るのであれば、早めに来いと遠回しに書いてあったことだ。
手紙が届いたのが、私達の結婚式の二週間前だったこともあり、どうするべきか、少しだけ悩んだが、よく考えてみれば悩むことはない。
皇帝陛下自ら招待してくださるのだ。断る理由は何一つない。
帝都に行くだけで、一か月はかかるが、結婚式はいつでも行える。なので、結婚式を延期して、領民に暖かく見送られながら、私達は喜んで帝都に赴いたのだ。
さて、帝城に入ると、すぐにメイドや執事達が現れ、陛下に会う前に身だしなみを整えなければなりませんと言われ、私達は衣装変えのために、それぞれ別々の部屋に案内された。
私は、メイド達の手を借りて、今までに着た事がないほどの煌びやかな装飾が施された衣装を身に纏い、メイド達の案内に従い、謁見の間に案内された。
その移動中、私はふと思い出したかのようにメイドにあることを尋ねた。
「そういえば、カトリーナの姿が見えないのですが?」
「すぐにお会いになると聞いております」
ぱっとしない外見の私でさえ、これほど華奢な衣装を着て見違えるように立派な姿になったのだ。元から美しいカトリーナがどのくらい変わるのか私は少しだけ興味を覚えていた。
今までカトリーナを妹のように接していた私だが、この時、初めて彼女を異性として認識し始めていたかもしれない。
しかし、すぐに会えるというメイドの言葉とは裏腹に、カトリーナに会う前に玉座の間に着いてしまった。
「扉が開きます。それでは」
「ちょっと、待って!」
カトリーナの晴れ姿を見る前に、玉座の間の扉が開く。何かの手違いかもしれないが、陛下の前で粗相を見せてはいけないと思い気持ちを切り替えて、玉座の間に足を踏み入れた。
事前に指示された通りに、顔を伏せて玉座の前まで進む。そして、顔を上げ、思わず声を漏らしてしまった。
「えっ?」
この国の皇帝が座るべき玉座。しかし、そこには誰も座っていなかった。
「何か、言ったかね? アズバーン男爵」
代わりに、玉座の隣に立つ小太りの男が、私に尋ねてきた。
「え、いえ」
事前に受けた情報が正しいのであれば、この男はフランシスコ宰相。そして、玉座の間の両側に立っているのは、高位の官僚と貴族達だろう。
しかし、陛下がおられないのはどういうことだ?
その疑問には宰相が答えてくれた。
「残念なことに、陛下はお体の調子がよろしくないため、ご欠席なさるとのことです。ですので、代わりに今回の全権をこの私が受け持つことなりました」
ご病気? 全権? それは一体?
「それでは、これより最高裁判を始める」
「さ、裁判!!」
突然、裁判と言われて焦る俺の声を無視して、宰相は言葉を続けた。
「ロッキード子爵、この者の罪状を」
「はい」
宰相が告げると、以前領で歓迎したロッキード子爵が玉座の前に歩み出す。しかし、以前見たときと違って、なぜか生き生きとしているように見えた。
それにしても、一体全体、何がどうなっているのか、混乱していて私は声も出せなかった。
「私が陛下の名代としてこの者が治める領地に赴いた際に、この者は自慢するかのように、法に触れる行いを私に見せてつけてきました」
禁止されている麻薬の栽培及び販売。
領民に対する法に定められた以上の過剰なまでの税の徴収と税を納めない領民への虐待。
帝国を脅かす反乱軍への協力。
などの、身に覚えのない罪をロッキード子爵が嬉々として次々と述べると、徐々に周囲の貴族や官僚達が侮蔑の眼差しを差し向ける。
特に麻薬が一番の問題のようで、彼らは罵詈雑言を私にぶつけてくるが、もちろん、麻薬なんかには一切手を染めていない。
しかし、このままでは、まずいとすぐに理解できたので、私はそんなことはしていないと大声を上げるも「罪状を読み上げるまでは静粛に」と宰相に言われ、何もできなかった。
そして、ロッキード子爵が満足そうに罪状を読み終える頃には、私の心象は最悪に近いものになっていた。
「さて、これはどう考えても、刑は免れないが、何か申し開きたいことはあるかね? アズバーン男爵?」
全く持って無実無根だ。私は自分の信念に従って反論した。
「証拠は?! 我がアズバーン男爵家の人口は千人ほどしかいません。またこれと言って特産品もない山奥です。今ロッキード子爵が読み上げた事を行う資金も人員も足りない!!」
仮に、私が今ロッキード子爵が述べた犯罪を行おうと考えても、そのほとんどが、物理的に人も資源も乏しいアズバーン男爵家が行うのは不可能なものであった。
きちんと調べれば、ロッキード子爵の証言が嘘だとすぐに分かるはずだ。
だから、私は力の限り叫んだが、宰相は冷たい口調で衛兵に命令を下す。
「罪人風情が、それ以上、栄光ある玉座の間で口を開くな」
そう言うと、私は背後から来た衛兵によって、体を抑えられて、言葉を出せないように猿轡を口に押し込まれた。
「さて、このお忙しい中、お集まりの皆様。この度、私の甥に当たるロッキード子爵が、遠い辺境の地で行われた小さな悪事を一つ暴きました。残念なことに、このような些事など、反乱軍などという野心に満ちた連中が蔓延る今の帝国ではよくあることでございますが、帝国の安寧のためにも、どんな小さな悪でも一つずつ摘まなければなりません。ですので、皇帝陛下に代わってこの私が、最高裁判の場をお借りして判決を下します」
「むううう、むうう」
猿轡をされ、言葉も出せないが私は、衛兵達に体を抑えながらも懸命に暴れた。
最高裁判。帝国の裁判の頂点。
他の裁判とは違い、皇帝陛下の一言で全てが決まる文字通り最高位の裁判であり、判決を覆すことができるのは、皇帝のみだ。
皇帝が持つ最大の権限とも言われるこの最高裁判は、本来は大物貴族の争いなど、国を揺るがしかねないほどの大事件の判決を下す際に行われると祖父が言っていた。
最高裁判は、皇帝陛下が全ての責任を背負うことと引き換えに行う絶対の裁きなのだ。
だが、私はここに至って帝都の現状を知った。
「ここ最近は、三日に一回の頻度で最高裁判を開いておりますが、これも帝国を脅かす反乱分子を速やかに駆除するためであります。そしてなにより、病でまともに職務につけない陛下の代わりに、厳しい判決を下す私の体と心を心配する皆様に、本当に心の底から感謝を申し上げます」
証拠なんてどうでも良いのだ。
皇帝陛下の代わりに絶対権力者となったあの宰相の言葉が全てなのだから。
帝国の安寧のために反乱分子を駆除するためという大義で、最高裁判を行っているようだが、その実態は、宰相とその取り巻きが自分達の権力を守るために都合の良いように、邪魔な奴らを消しているだけだろう。
この場に正義などない。いや、そもそもノコノコと帝都におびき出されたが私の間抜けだったのだ。
そして、私はそれを知るのが遅すぎた。自分の領地のことしか考えなかった自分の愚かさに後悔するしかなかったが、次の宰相の一言で我に返った。
「さてと、今日はまだまだ他に裁くこともありますし、早く判決を言い渡しましょう。とは言え、アズバーン男爵は当主に就任して日も浅い。彼だけで、これだけの悪事を行えるはずもありません。恐らく、先代のアズバーン男爵が行っていたことと思われるので、フライ・アズバーンには情状酌量の余地があると私は考えます」
そう宰相が告げると、玉座の間の扉が開く。
やがて、私の目に映ったのは、首輪を掛けられ鎖で無理やり引っ張られ、奴隷が着るような見すぼらしい薄い白い貫頭衣だけを身に纏ったカトリーナであった。
「むううううう、むううううううう」
カトリーナも私と同様に、すでに猿轡をされていたが、今がどういう状況かは理解できたらしい。
私達は、口から涎を垂らしながらも、目に涙を浮かべてお互いを求め合った。
「ああ、汚い。全くここは玉座の間ですよ。あとで掃除しておきなさい」
だが、ロッキード子爵はまるで、よく見る光景だと言わんばかりに、愉快そうに命令をし、その後、宰相が口を開いた。
「まず、フライ・アズバーン。貴族位を剥奪し、アズバーン男爵家は廃嫡します。それから彼は一か月ほど帝都の刑務所に投獄することにします。出所した後は、平民の身分で頑張ってください。彼の領地は次の領主が決まるまで皇帝直轄領とします」
宰相は淡々と私が守りたかった大切なものを言葉だけで無慈悲に奪っていく。彼が奪っていったのは、絶対に失いたくない大切な領民や領地、私の家族であり家だった。だがそれら以上に、宰相が最後に告げた一言ほど私の心に深い傷を負わせるものはなかった。
「最後に、今回の悪事を暴いた褒美として、本人の希望通りロッキード子爵に、そこにいるフライ・アズバーンの婚約者であるカトリーナ・レインを差し上げましょう。彼女は今回の事件の共犯者と思われますが、まだ結婚していないようなので、フライ・アズバーンとは違い、元の身分は平民なので奴隷落ちですね。奴隷であれば、報酬として臣下に渡しても問題ないでしょう」
「私の我儘をお聞きくださり、本当にありがとうございます。宰相様」
私はこの時のロッキード子爵の顔を生涯忘れることはないだろう。しかし、あの極限の愉悦に満ちた顔をしっかりと脳に刻む前に、扉が開かれて長い棒を持った男が入ってきた。
棒の先端は真っ赤に光っており、男は、その部分をカトリーナの胸元に向ける。
「「むうううう、ぐぐうぐぐううううううう」」
止めろ、止めて。
私達は、お互いに溢れるばかりに大粒の涙を溢し、周囲の人間に止めるように懇願した。だが、百人近くいるのに、誰一人として助け船を出してくれなかった。
辛そうに目を背ける者さえもいなかった。
いたのはロッキード子爵と同様に、劇を楽しむかのように、愉悦に満ちた目をして興奮する者と、このような光景は何度も見たと言う疲れ切った乾いた表情を見せる者達だけであった。
猿轡のせいで声が出せなかったのは、幸いだったのかもしれない。そう思えるほど、焼き印を押し付けられるカトリーナの姿は見ていられなかった。
こうしてカトリーナの胸元に奴隷の証である焼き印が押され、同時にショックのあまり、彼女は意識を失い、床に転がり落ちた。
その後、物を扱うように、首輪に掛けられた鎖に引っ張られて玉座の間から外に出された。
「では、次の裁判を行うので、この元男爵もとっとと追い出しなさい」
宰相が命令を下すと、衛兵達の手によって私も玉座の間の外へと連行された。
そして、扉の向こうで、私と入れ変わるように、何も知らなそうな善良そうな男が、私を見て怪訝な顔をしながら玉座の間へと消えていった。