もじゃもじゃのじゃもも
星屑による星屑のような童話。お読みいただけたらうれしいです。
ひだまり童話館 第16回企画「もじゃなもじゃな話」参加作品。
壁掛けの時計は、とっくに9時を回っていた。
以前だったら、すでに学校で授業を受けている時間だ。
部屋の明かりはカーテンの隙間から漏れる光だけ。電気も点けず、ぼんやりと勉強机の椅子に座る僕。薄暗い部屋の中、勉強机の真ん中に置いた鏡の前でただただじっと時間が過ぎるのを待っていた。
――中学校に行かなくなって、もうすぐ1年がたつ。
時間だけが通り過ぎて行く中で、鏡の中の自分に興味が湧いた。目を凝らし、意識を集中して覗いてみる。
「これは誰なんだ? もしかして……僕?」
暗い場所に慣れてしまった僕の目には、よく見えた。
鏡の中に住む僕は、髪の毛がぼさぼさでまるで野人。そして、自分が思っているよりもだいぶ大人な感じだった。「こんなの自分じゃない!」と思いたかったけれど、時の流れは人を待ってくれないものらしい。
紛れもなく、これが今の本当の自分の姿なのだろう。
「これじゃ、うっそうとした森に住む妖精みたいだ」
久しぶりに腹の底から笑いが込み上げ、口がにかりと開いた。
そのとき、なぜだか急に絵を描きたくなった。もちろん、もっさり全身に毛の生えた感じの森の妖精を、だ。
勉強机の明かりのスイッチを入れ、机の棚にある少し埃のかぶったノートを広げる。
次に右の抽斗をごそごそとやって小学生の頃に使っていた色鉛筆のセットを取り出し、頭に浮かんだイメージを頼りに、思うがまま紙に描いてみた。
「これは、もじゃもじゃ妖精の『じゃもも』。『もじゃもじゃの森』の入り口に住む森の番人で、もじゃもじゃなものしかその森に入ることを許さない――。でも、森に住める条件はそれだけ。見た目がもじゃもじゃならすぐに仲間にしてくれて、元の暮らしに戻ろうと森を出るときには望みをひとつだけ叶えてくれるという、心優しい妖精なんだ」
まるで手が勝手に動いているかのように、するすると絵が描けていく。
あっという間にできあがった妖精は、『まりも』のお化けとしか思えなかった。例えるならば『まりも』を巨大化し、そこにぱっちりと開いたふたつの眼と真一文字に結んだ口を取って付けたような感じ。
鏡に映った自分のイメージを元に描いた割にはちょっとそれからかけ離れている気もするけれど、目尻の辺りは僕に似てなくもない気がして、可愛く思えてくる。
そんな風に絵描き作業に夢中になっているときだった。
部屋の向こう側から、鍵のかかったドアの扉をコンコン叩く音が聞こえた。
「……」
いつも通り、返事はしないことにする。
そんなことをしたところで何にも始まらないし、何にも終わらないからだ。
「まあちゃん、いるんでしょ? ごはんできたよ、食べよう」
扉の向こうから聞こえたのは、おばあちゃんの声だった。
おばあちゃんは優しい。そんなことは最初から分かってる。こんな僕に対しても決して怒ることなく普通に接してくれるんだ。おばあちゃんは悪くない、決して。
分かってはいるけど、僕の口から出てきた言葉は優しい言葉じゃなかった。
「……要らない」
「そうかね。お腹が空いたら、いつでも下に降りてきてな」
「……」
ちょっとして、おばあちゃんが廊下をゆっくりと歩く音が聞こえた。
その音は、何となく弱々しい気がした。もともと小さな背丈のあばあちゃんだけれど、以前よりもっと背中を丸めて歩いている姿が僕の頭の中に浮かぶ。
胸のあたりがきゅんと苦しくなった。
「ごめんよ……おばあちゃん」
『じゃもも』のイラストを机の上に残したまま、僕はベッドに突っ伏すように飛び込んだ。涙が後から後からこぼれ出て来て、枕が冷たくなった。
でも憶えているのはそこまでだ。
いつの間にか僕は、そのまま寝てしまっていた。
☆
その夜のことだった。
僕は久しぶりに夢を見た。いやもしかしたら、夢みたいな現実だったかもしれない。けれど今の僕にとっては、その程度の違いは些細なことだ。
――真っ暗な部屋の中で、ベッドに横たわった僕が目を覚ます。
その枕元に、どこからやって来たのか直径20センチくらいの緑色した毛玉みたいな奴がいつの間にか立っていた。空中に浮きながら緑色の怪しい光を発している――と言った方がいいかもしれないが。
「うわっ、でっかい緑カビがこんなところに!!」
飛び上がって驚く僕に、緑の毛玉が怒り出す。
「誰がカビだずら! もう、失礼しちゃうずらな。ワシはカビじゃなくて、葉緑素の妖精『じゃもも』だずら!!」
「葉緑素? じゃもも?」
「そうずら。ちなみにきれいな湖の底に転がってる、あの丸っこい藻とも違うずらよ」
ふと、朝に自分が書いたイラストのことを思い出した。じゃもも、という名前にも憶えがある。手足が無く、緑の毛玉の中にあるぎょろりとした大きな目、そして器用にパカパカと開く口が特徴的だ。
改めて見ると、葉緑素というよりは妖精が否定した『湖のまりも』にやっぱり近い気がする。
「ふーん。で、そのじゃももが僕に何の用?」
「なんか感動が薄いずら……つまんないずら……。まあ、いいずら。用ずらか? 用なんか決まってるずらに。君を『もじゃもじゃの森』の住人として受け入れるってことを言いにきたずらよ」
「ぼ、僕を森の住人に?」
「うん、そうずら。君の見た目は、どう見たってもじゃもじゃずら!」
とここで、じゃももが不思議そうな目で僕を見る。
「にしても、君……。よくワシの存在が判ったずらな。人間にはなるべく悟られないようにしていたはずだったずらが――」
いきなり夢に現れてそんなことを言われても困る。
でもこんなに狭くて暗い場所で一生を過ごすくらいなら、森の住人になるのも悪くない。
「じゃあ、その『もじゃもじゃの森』に連れて行ってよ」
僕がそう言うと、緑のかたまりはその円い眼を増々円くして、
「そうか、そうずらか! じゃあ早速、行くずらよ――もじゃもじゃじゃもも、もじゃじゃももー!!」
と、魔法の呪文のような言葉を叫びながら、体をくるくると回転させた。
毛玉のような体から辺りに飛び散る、キラキラと光るいくつもの透明な粒たち。きっと、これは妖精の魔法の儀式で、僕を森に一瞬にして連れて行ってくれるんだ――。
そんな僕のわくわく気分とは裏腹に急に光の粒の勢いが鈍くなり、じゃももが回転をやめてしまう。
訳が分からず目をぱちくりさせる僕に、その円らな瞳を向けながらじゃももが言った。
「ごめん……大事なことを言うのを忘れてたずら。一度、もじゃもじゃの森に行ったら二度とここには戻れないずらよ。お父さんやお母さん、そして優しいおばあちゃんにも会えなくなるずら。それでいいずらな?」
「え、そんなあ……。僕が描いたじゃももは森から元の世界に戻してくれるし、そのときひとつだけ願いを叶えてくれるはずなんだけど」
「それは、あまりに虫が良すぎるずら。現実は、そんな甘いもんじゃないずらよ。何かを取れば、何かを失う――当然ずら?」
「そりゃあ、そうだけどさ……」
改めてそんなことを言われると決心が鈍ってしまう。
うーん、と唸ったまま返事のできない僕に、じゃももが言った。
「そうずらか。ワシの存在に無意識で気付くなんて、森の住人としてはかなか見どころのあるやつだと思ったずらが、その様子では迷ってるずらな」
「そんなの当り前だろ。こんな日陰に住む僕だって、家族に会えなくなっちゃうとしたらそりゃあ――」
そう言いながら、僕の頭の中には最近会っていないお母さんの姿があった。
病院のベッドに座り、日がな一日、ぼーっと窓から見える景色を眺めている、僕のお母さんの姿が。
「やっぱり行けないよ……。その森には」
僕の小さな声は、なんとかじゃももに届いたようだった。
じゃももが、どこかららどこまでが首かわからない部分を曲げ、こくりと頷いた。
「よし、わかったずら。ワシも妖精のハシクレ……。その代わりと言っては何ずらが、ひとつだけ君の願いを叶えてあげるずら」
「ほ、本当に?」
「葉緑素の妖精に二言はないずら。この濃い緑色がその証拠ずらよ。……しかし、勿体ないことをするずらな、君は。あの森でなら、一生楽しく暮らせるずらに」
立派なもじゃもじゃ頭の僕を森に連れていけないのが不満なのか、じゃももはその口をつんととんがらせた。
でもそんな素振りにはお構いなし、僕は一瞬で願い事を決めた。
というか、じゃももという存在を絵に描いたときから決まっていた、とも言えることだが。
「それなら、お母さんの病気を治してよ。僕のお母さん、三年前に『退行』っていう病気になってしまって、子どもに戻っちゃったんだ」
「わかったずら。君のお母さんの病気を治せばいいずらな……。じゃあ、やってみるずら――もじゃもじゃじゃもも、もじゃじゃももー!!」
じゃももがさっきの奇妙な呪文を再び唱え、キラキラと輝きながら回転する。
すると今度はじゃももの体から虹のようなカラフルな光の柱が飛び出して、部屋をそれで充満させたかと思うと、すぐにそれは暗い部屋の壁を突き抜けた。
ただただびっくりして口をあんぐりと開けたままの僕に、じゃももが心に響くテレパシーのような声で語り掛けてきた。
(君の願いはこれで叶ったずら。では、さよならずらー!)
虹のカラフルさがどんどんと増していき、やがてそれは真っ白な光の束になった。じゃももの緑色の体が、眩いばかりの白い光に溶け込んでいく。
「ま、眩しい!」
思わず目を瞑ってしまった僕が数秒後に目を開けてみると、そこにはいつもの暗く狭い部屋があるだけだった。
(ああ、行ってしまった)
そう思った瞬間、急にうつらうつらと眠くなった。
その眠さにはどうにも抗えそうもない。
ベッドにばたんと倒れた僕は、そのまま眠りについてしまったのだ。
☆
次の朝のこと。
僕はコンコンと部屋の扉を叩く物音で目が覚めた。きっとまた、朝ごはんができたという知らせをするためにおばあちゃんがやって来たんだろう。返事をせずにいると、扉の向こうで声がした。
いつもと違って、その声はおばあちゃんではなくお父さんの声だった。
「父さんだ。今から会社に行くけど、その前に是非、お前に話しておきたい」
声の様子が普段と違うことに気付いた僕は、無言のまま部屋の扉の鍵を開け、お父さんを部屋に招き入れた。
「何だよ……」
ベッドに腰掛けた僕に、お父さんが立ったまま話し出す。
「今朝、病院から電話があってな……。お母さんが、急に家族のことを思い出したらしいんだ。今まで三年間、そんなことは一度もなかったのに」
お父さんの目尻に、光るものがある。
「それって本当?」
「ああ、本当だ。かなり良い兆しらしい。もしかしたらこのまま病気が良くなって、元のお母さんに戻れるかも――って」
お父さんの頬がふわりと赤らんだ。
久しぶりに見た、お父さんの笑顔だ。
学校に行けず、ずっと暗い気持ちばかりだった僕の気持ちも明るくなったような気がする。三年前、夕方に帰宅した僕の目の前で狼の皮を被ったヒツジみたいなペンギンのお母さんのようになってしまったお母さんの姿が、ふと思い出された。
「お前の気持ちは分かっているつもりだ。お母さんのことでいじめられて、学校に行きたくなくなったお前の気持ちを――。でもどうだろう、政彦。お母さんも頑張っていることだし、お前も頑張ってみないか? 引き籠りをやめて、そのボサボサの毛も切って、明日にでも父さんと一緒にお母さんに会いに行ってみないか?」
お父さんは、僕の目の前に震える手を突き出した。
その手に、自分の手を重ねた僕。
「わかったよ……。僕も頑張ってみる」
「そうか、よし! ならば父さん、会社行ってくるからな」
気のせいか、いつもより軽い足取りで部屋を出て行ったお父さん。
(これってもしかして、じゃももの魔法なの?)
今となっては確かめようもない。
でも不思議なことに、昨日の朝に僕が描いたじゃももの絵が机の上のノートからきれいさっぱりと消えていた。そうなると、僕がノートに絵を描いたこと自体が夢だったのかもしれない――とまで思えて来る。
色々と考えた末に、僕はじゃももが魔法をかけてくれたんだ、と信じることにした。
「髪の毛を切ってしまったら、じゃももには会えなくなるね……。寂しいけど、僕はそれでいいと思う。そうだよね、じゃもも?」
窓に向かい、長らく閉めきりだったカーテンを開けてみる。
ガラス板の先に見えたのは青空の中にアーチを描く七色の虹、そして、僕の体に次々と降り注ぐ太陽の陽射だった。
それらはほんのりと暖かく体に浸み込んでいって、冷えて固まった僕の心をゆっくりと優しく解かしてくれるだろう――そんな気がした。
―おしまい―
お読みいただき、ありがとうございました。
童話館スタッフ、奈月ねこさんからのリクエスト?により、前回第15回企画「くるくるな話」参加作品(よん画伯の挿絵付き)の続きという位置づけで書かせていただきました。
もしもご興味ありましたらあわせてお読みいただければ幸いです。