石野の異世界放浪記10-5
兎の玉を見つめる石野、彼女を呼び出して信頼を得たいが、一向に応えてくれる気配がなかった
「リュコ、トコは今何をしているか分からないか?」
「ふむ、石野ならいいか。 トコは心に大きな傷を持っているのだ。 深い深い傷、彼女は大昔に戦争で家族も友人も親しい人も全てを目の前で殺されているのだ」
リュコはトコの過去を話し始める
月兎のトコにはもともとの名前があったが、その名は誰も知らないという。 月に暮らし、光の力を持った種族で、天人達を守る役目を持っていた。 天人達は兎たちを信頼し、家族として接するほどだったらしい
トコは月で幸せに暮らしていたのだ
そんなある日のこと、彼女の故郷を何者かが襲い、大戦争が起きた。 当然月兎と天人は協力してこれと戦ったが、相手はあまりにも強く、月兎と天人はほぼ全滅、まだ幼かった子供達だけが残った
その中にトコも入っていた。 敵は集めた子供たちの前に月兎と天人の死体を積み上げた
おびえる子供達を前に敵は笑いながらその死体を凌辱し始めた。 死体の中にはトコの姉、従姉、学校の先生や可愛がってくれた天人など、トコの親しい人たちも数多くいたため、トコは目の前で起きる惨劇を直視できないでいた
ひと際おびえるトコを見て面白がった敵たちは今度はトコを縛り、動けなくしたうえで目を閉じれないよう瞼を切り取り、子供達を一人一人苦しませて殺していった
目を閉じることもできず、顔も背けることのできないトコはその目に友人たちの血を浴び続け、皮肉にもそれが彼女の能力を覚醒させた
“狂気の目” 見た相手を呪い、狂わせ、殺すとう凶悪な力
トコはその力で敵を全滅させると、目の力で空間を捻じ曲げて月から地球へとワープし、彼女はそこで倒れ、力尽きようとしていた
そんな彼女を救ったのが神々だった。 天人の惨状を知って駆け付けたが時すでに遅く、この世界の天人は滅んでしまった。 だが月兎のトコのみは生き残っており、やっとの思いで保護したのだ。 その神がアマテラスだった
それから時は流れ、心の傷を癒すかのように彼女は人間や神々に悪戯を続ける。 アマテラスはそんな彼女を不憫に思って少し注意するだけにとどまっていた。 悪戯された神々も優しく諭すだけでそれ以上は何も言わなかった
しかし人間は事情を知らない。 ある日とうとう捕まり全身の皮を剥がれた。 それを助けたのがオオクニヌシだった
彼は地上に降りていたためトコの事情を知らず、彼女が悪戯兎であることしか知らない。 それでも彼女を助けたのだ
そんなオオクニヌシにトコは懐き、彼に助言を与えて国造りの神へと導いた
そこからトコは神獣としての研鑽を摘み、アマテラスに仕えるようになったのだった
「なるほどな、目の前で、か」
石野はトコの玉をもう一度見つめる
「石野、お前にあの子の傷が癒せるのか? あの子は我らにも心を開かぬ。 今も玉のなかで膝を抱えておるだろう。 アマテラス様やオオクニヌシ様ですら彼女の心を癒すことはできなかった」
「俺に傷を癒すことは、出来ないだろうな。 だが一緒に進むことはできる。 それこそ歩くような速さでだろうが…」
「ふむ、ならば見せてみろ。 我はお前のことが好きだ。 そんなお前なら、あの子の傷をきっと治してくれると信じておるぞ」
リュコは兎の玉に手を触れて無理やりトコを引きずり出した
「うわわわわ、何するっち! 今あちきは新しい悪戯用器具を作ってるっち! リュコ程度が邪魔していい理由にはならないっち!」
「いいから黙ってそこへ座れ!」
リュコはトコに拳骨をして座らせた
「む、お前はあちきの嫌いな人間だっちな! お前なんかと話す気なんてないっち! いたずらされたくなかったらほっとくっち!」
歯をむき出しにして石野に吠えるトコ。 石野はそんなトコを抱きしめた
「何するっち! セクハラだっちよ!」
暴れるトコをしっかりと抑え、石野は頭を撫でた
「話は聞いた。 つらかったろう、悲しかったろう。 俺ではその悲しみを癒せない」
「だったら早く放すっち! ガブッ!」
石野の手に噛みつく。 カミソリのような前歯が手に食い込んで血が流れ始めた
「放さないと大変なことになるっちよ! 目が発動するっちよ!?」
それでも石野は放さない。 トコをしっかりと抱きしめて涙を流した
「な、なんでなくっち? あちきの噛みつきが痛かったっちか?」
血を浴びたことでトコの目が赤く光り始める
「は、早く放すっち! 死ぬっちよ!」
目は石野の体を蝕んでいき、狂気を宿らせ始めた。 それでも石野は意思をしっかりと保ち、トコを抱きしめ続けた
「なんで? なんで狂気に走らないっちか? おかしいっち、こんな人間いなかったっち」
段々とトコの目が元の金色に戻り、石野を蝕んでいた狂気が引いて行く
「あ、あれ? あちきの力が、抑えられてるっち。 どういうことだっち」
トコは石野の顔を見る。 その顔は涙で濡れ、トコをしっかりと見据えていた
「何で、なんでお前はそこまでできるっち。 一歩間違えば死んでいたっちよ?」
「このくらい、お前の苦しみに比べればどうってことないよ」
トコはうろたえた。 今までこんな人間に出会ったことがなかった。 まるで神のような彼にトコは惹かれていく
「み、認めたわけじゃないっちけど、少しなら力を貸してやらないこともないっち。 あちきは気の向いたときにしか出ないから覚えておくっち!」
「ああ、分かったよトコ」
石野はトコを優しく撫でた。 そんな石野の顔を見てトコは顔を赤くしながら玉に帰った
「さすが石野だな! トコの心が少しだが開いたぞ! やっぱり石野は我の認めた男だけのことはあるぞ!」
リュコは胸を張って石野を称えた