淡い太陽
筋の通った部分が目立って、無数に入り乱れた妥協点は巧く隠されているみたいだけれど、もとより文章とは、如何にしようともすっぱりとは割り切れないものなのだ、まったく悔しいことに。何処の誰だか忘れてしまったけれど、彼が自著の中で、(おそらく)登場人物に仮託して述べさせたように、「完璧な文章など存在しない」のだ。卓抜した文章に対し何か感ずるものが在るのは、その完全無欠性ゆえではなく、流麗たる文の繋がりが生み出す音楽性ゆえであるのだ。しかし……それは生来のものであるらしい、谷崎曰く。ならばわたしはいっそのこと、以前のように、熱中し時として埋没の域にあって書き続けることを、諦めるべきなのだろうか、本当の、理想とする文章には出会えるはずもないのだから。では、なぜ?……これから先わたしはいったい、何を糧に平然と文章を紡いでゆけるのか、言葉の旋律を心ゆくまで醸成し尽くす楽しみ無しに。
思考が乱された。わたしとしては、胸中に於いてくらい正直でありたいはずなのに、ギラギラと不愉快な真実が無情にもその心の邪魔をしているのだ。もはや葛藤を越えた完全なる敗北に心臓が呻吟して、生き生きとした胸部筋肉へやむなく身を凭せ掛けてくる。わたしだってじゅうぶん苦しんでいるのに。駅へ向かう途中、左右に田畑が広がる往来の激しい道路の、ざらついた路側帯を歩き、ひっきりなしの車共に大声で叫び歌う。どうしろっていうの! 止めどない吐息が白く濁る。そもそも本心こそが矛盾だらけなのだ、道理に適った状態を普段は好むくせに、過度に理屈っぽくなると忽ち駄目になってしまう……若さゆえの何やかやだろうなあ。数分早い時刻を示した腕時計を見る。ともあれ急ごう。何分狂っているか忘れてしまったし、列車の時刻もおぼろげだ。それに……走っている内に鬱積したあれこれなんて落伍してくれるものだ、そうだよね? 走る。筋肉に秘められたエネルギーが急速に発散される感覚、細かい汗が全身から噴出する、いつもわたしが求めている絶対的解放の感覚が身体中に染み出してくる。
寂れた駅のホーム、夕方、塾への列車。早くこないかな。冷たく堅い椅子が尻の熱をかき分けてゆく。手袋をして来れば良かった。カシミアのマフラーもたぶん家に置いてきた……というより探しても見つからなかった。鞄の中にも無い。口に掌を近づけ、ほおと息を吐き、手と顔を温める。切実に寒い。気取った作家は言うだろう、この寒さは名状しがたい。なら、わたしは其奴に言ってやる、そんな丸投げは許されないよ、余計な文を重ねただけじゃない。とはいえ、自分には大した比喩を述べる気なんて少しも無いんだけれども。直ぐに忘れるだろうし、ものを書く時にはどうせ覚えていないだろうから。「もともと言葉には示唆する役割しかない」と言っていたでしょう? 谷崎も、あっ……。いや、この遣り口はいけ好かないな、他人の意見を拠り所にするほどわたしは弱くない。
乙な味がする情報の汚濁に、無意識下でろ過を行い、残った上澄みを参考に書き進める。そうした自然的な方法を取っているから、わたしはメモをとるのを極力控えている。さもなければ、近頃の生き方に反するからだ(紛れも無いわたしの意見だ)。はあ……でも、口にしたり書いたりしなければ、何も問題はないはずなのに、奔放な思弁に振り回されてしまう自分には取り付く島もなく、わたしはほとほと呆れ返る。
《ただ「寒い」と言うだけで含蓄が仄めくような書き方にこそ、本当の技巧があるんだからね。
その前に、比喩を必要とする「寒さ」が実際あるだろうか、身を切るような寒さ……これじゃあ紋切り型すぎる。比喩が陳腐であっては、その意味の大半が失われてしまう。重苦しい寒さ(?)、身体の芯まで冷えるような寒さ……》
眠気に目蓋を閉じて眼球を温める。行ってから友達に話すこと、この長期休暇の過ごし方。周りにアピールするべく、快活に、大声で。でも、恋愛は面倒だなあ。互いの時間を〈蝕み合う〉ということがどうしても意識される。結婚はしたいし、子供も欲しいんだけれど……。はあ、何を考えているのやら。一つ空けた隣の席に座ったお婆さんが、線路下の階段から向かいのホームに現れた知り合いのお爺さんと、列車の時刻を確かめ合っている「それじゃあ、二、三分しか変わらんね」懸命に何かを絞り出すような、ゆったりとした声音。二人のやり取りを生真面目に観察してしまう。お婆さんが振り向きそうになりわたしは俯いた、近くの店で売られていたと思しき、大方踏みつぶされた一本のフライドポテト。ひび割れた地面に引き延ばされている(列車が来たときは気をつけないと。)雀が一匹線路に乗った。可愛らしいと思うべきなのだろうか。その方が、受けがいいらしい……いや、そんなこともないか。「危ない!」と思う心さえあればいいじゃない、怵惕惻隠の心。
息を吸い込んで架線越しの空を見る。色褪せた空、青灰色の空、何事も満たされない空。塾へ行く時のこの気持ち、一切の拘りが海の藻屑となって消える。実際のところ海鼠がはらわたを出すときの気分は、こんなものかもしれない。ハイどうぞ、何もかもどうでもいい、君に全てを差し上げるよ。雀が鳴いた。駅の手前、踏切の警報器、不意に大音響で始まって遮断機が降り切るとやや抑制される。まるで遠くから聞こえているような心持ちになる耳にこそばゆい線路の振動音。屋根の鉄骨から吊り下がった駅の時計と時刻表を、素速く照らし合わせる。特急や急行の通過ではなさそうだね。もうすぐ『まもなく 二番のりばに 電車が 参ります 危険ですので……』とあるはずだ。そら来た! 列車の壁で風が収まってゆく。開いた途端に「扉が閉まります」とくぐもった車掌のアナウンス、お婆さんはわたしの後ろに続く。統一感の無かったモーターの駆動音が発車に遅れて揃い始める。
両脇に延びた赤いビロードの座席に挟まれた中央を、風景と共に少し歩き、殆ど埋まった座席を目にし、思い惑いつつ、長く赤い座席に一人分のスペースが辛うじて残されたところを見つけ、軽く左右の人にお辞儀をし、腰を下ろした。……こうして自分の中では一般的な行動をとったと思っているけれど、周りからは風変わりに見られているのかも。はっ、そうに決まってるね。ときおり輪郭の持たない憂慮に苛まれる。目を閉じ、眠気に身を委ねる。眼前に幾つも波動が広がる、わたしが直前視界に受けていた反射光の中でも、とりわけ深く切り込んできた者共の名残が、その波源を担っている。目の緊張が緩んでゆく。本が読みたくもあるけれど。その方がそつなく人生を過ごせると思うのに……
顎が胸につくほどにわたしは頭を垂れた。首に痛みを覚え、一度車内を見回す。窓のそとの田園風景、水田、一面の稲の刈跡が寒空に震えている。畑の野菜も吹き荒ぶ風に棚引いている。閉塞的な照明に囚われた、話し声の消滅した車内。わたしにまとい付いた休日の倦怠感が、その空気に同調し始める。もういいんじゃない? 眠りに落ちても。貴重な人生の一日を食いつぶしても。もう、そう簡単に目を開けたくない。わたしは窓に頭を寄りかからせた。
意識の浮き沈みの中、幾度と無く扉の開閉があった。
途中で、ごっそりと人が降りてゆく気配を感じ、列車がしばらくの間停車していた。アナウンスを耳にし、思う、ここで急行に乗り換えをすべきだったな、時間的に塾で友達と話を交わす余裕は無いかもしれない。大学生の学術的な話し声、赤ん坊の訴える鳴き声、安っぽいイヤホンから漏れ出たパンクロック、この曲を聴いているのはどんな人だろう? フラストレーションに圧倒されてむっつりと不機嫌な人なのだろうね、たぶん、他者から見たわたしのように。それとも非行少年かなあ、趣味の悪い整髪料の臭いもするし。ふっ……いまどきパンクロックはないか。吹き込む風に膝が冷たくなって、わたしは掌で摩擦させた、日毎に寒さが増している。
季節感に合った小説を書くというのは、どういうことだろう? それは、わたしが冬に抱くイメージを世界に叫ぶということだ、でも、この季節に対していったい何を想像すればよいのだろう。夏の希望に溢れた感じは、わたしの想像力をいくばくか掻き立てるが、一方で冬の押し黙った感じは、それと打って変わって、わたしを頑なに受け付けてくれない。一つ長所を挙げられるとすれば……個人的に、「暑さ」より「寒さ」の方がまだ耐えられる、ということくらいだ。それ以外に何があるのかしら。
わたしは筒井康隆さながらに、フィクションの虚構性に批判を飛ばしたいのだろうか、それもフィクションの舞台上で。鼬ごっこになりかねない状況には目も呉れないで。言葉は嘘をつくためにあるのだから、その点、フィクションの構造は素晴らしく理に適っているし、加うるに人は虚構を信じやすい傾向にある。
ところがわたしはその美点を否定しようとしているのだ……このままだと、ニュアンスが俄に変容を遂げて、ついに真意が隠れてしまう。わたしが追求しているのは、正真正銘の現実を提示することなのに。
虚構の上で現実の表出に努めることにこそ意味があるのだ、そんな気がする。すっぱりとは割り切れないなあ、文章って、小説って。やっぱり。
《こらあ、何やってるの、たっくん。もう、食べちゃだめ。電車の中でものを食べるのはマナーが悪いことだって言ったでしょう?》
若い母親の声に男の子は、掠れて小さく「……はい」と答えた。母親が菓子袋を取り上げて仕舞う音、ふうとわたしは溜息をついた。列車の中では何度も食事を取ったことがあるしなあ。目には、すっかり冴えた感があった。でも駄目だ、一度取り留めもなくバラバラになった心は、修復に然るべき時間を要する、身体に蔓延した脱力は未だ抜け切らない。
「たっくん、ちゃんと座りなさい!」腰を前に出した自分の座り方が気になった。姿勢を正す。
「靴もきちんと履いて」少し踵を踏んでいたなあ、目を瞑ったままに人差し指で靴の踵を立て、深く足を入れた。
「あまり動かないで。分からないの、座席の埃が舞うでしょう?」わたしは座席下からの暖房で暖まり汗ばんだ臀部に嫌悪感を覚えた、気持ち悪い。
《見て!》わたしは薄く目を開いてしまった。《たっくん、ほら、すごく綺麗だよ、ほら。ね? とっても美しい夕焼け……色合いがいいね》「ほんとだ……きれい」と男の子はこぼした。
停車駅のアナウンスから、山間の展望が開けたところを列車が走っていることは分かっていた。そこからは普段、夜の帳が降りつつある都会の街が一望出来る。
雲と溶け合った太陽が桃色の空気に包まれていた。日中の弱々しさに輪を掛けて淡い陽光、直視しても何ら目が眩むことはない。次第に目が見開かれてゆく。はっ! そして、わたしは、その優しさと強情さを思い出した。
去年の冬、今よりもっと悲観的で、内に籠もっていたときのこと。経年劣化を迎えページの黄ばんだ『ランボー詩集』と共に家出をした数日間。ずっと風呂に入ってなかったために、溜まった垢で身体にぴたりとくっついた洋服。わたしは早朝のファーストフード店で眠気に耐え、『ランボー詩集』を読んでいた……
《もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った
海だ。》(……この詩はたぶん、夏の夕暮れの話だけれど)
《あらゆるものに縛られた
哀れ空しい青春よ、
気むずかしさが原因で
僕は一生をふいにした。》
《彼奴は愛情だよ、そして現在だよ、なにしろ自宅を開放して泡立つ冬さえ、騒音の夏さえ、迎え入れたほどだもの――》
胸の奥の古傷が痛んで、息が苦しくなる。得体の知れない生き物が腹の中を這い回っているみたいに、むずがゆい感じがする。どうすることも出来ない。吐き出す訳にも、消化する訳にもいかない。今を耐えることしか、わたしには出来ない。
これがわたしの原点なのかな?……あっ、そうだ、冬。『ランボー詩集』と淡い太陽、桃色に染まった空も悪くないな。わたしは塾の最寄駅で降りる。人々に紛れてシミの付いた階段を上る。若干顔を上げて早歩きをする、復習テストが始まる、結局のところ各駅停車でここまで来てしまった。