イシロ村、大混乱!
結論から言うと村へは間に合わなかった。
オレたちが広場に戻った時、そこでは蜂の巣をつついたかのような騒ぎが起こっていたのだった。
頭を抱えて走り回る爺さん、顔を両手でおおって泣いている婆さん、まさにこの世の終わりといった光景だ。
オレは呆然と広場の混乱を眺めながら、現実逃避気味の発言をした。
「この村にはこんなに人がいたんだな」
「そうなんですよ、メインの通りから離れたところにも、おうちがたくさん建っているので、全部合わせたら結構な人数になるんですよ。ところで何かあったんでしょうか?こんな騒ぎになったのは初めてです!」
原因は間違いなくコイツにあるのだが、そんなことも分からないのか、彼女は広場を見て興奮気味に言う。
オレは痛くなりはじめた頭を抑えながら、この始末をどうつけるべきか考え始めた。
まずここでオレが姿を見せるのは、更に騒ぎが大きくなりそうな気がする。
とにかくアマレットの無事な姿を見れば、村人もひとまずは安心できるだろう。
ここはアマレットに任せてオレは帰ってしまうというのも一つの手だろう。
あとで村長に会って事情を説明しておけば、うまくやってくれるはずだ。
アマレットと村長には悪いが――いや、アマレットの場合は自業自得なのだが――今日のところは帰らせてもらおう。
うん、それがいい。
オレがそれを伝えようと彼女の方を見ると――
「みなさ~ん! 何かあったんですか〜!?」
「おい、待て……おい!」
オレは彼女を止めようとしたが、時すでに遅し。
彼女は大声で混乱のさなかへと突っ込んでいく。
当然村人たちは彼女の方を向く。
無事戻ってきた彼女を見て嬉しそうな顔を見せるが、その後すぐに、彼女の後ろにいるオレの姿を認めて……
「ヒイッ!」
「マオ、マオウサマッ!」
「アマレットや! 早くこっちにおいで!」
広場にいる村人たちがそれぞれ恐怖の反応を見せる。
それにオレは深く傷ついたのだった……。
アマレットはそんな村人たちとオレを交互に見比べる。
彼女がオレの方を見るたびに、村人たちの顔が恐怖に引きつっている。
アマレットよ、村人たちの心臓によろしくないからそれを止めるんだ。
アマレット以外の全員が、この状況に苦しんでいるところへ、のんびりとした声が響いた。
「おお、魔王さま。こりゃ一体何の騒ぎですかな?」
村長だ!
絶妙のタイミングで村長が現れた!
まさに救世主!
オレはこの修羅場から抜け出す希望を村長に見た!
「あっ、おじいちゃん! ごめんなさい!」
唐突にアマレットが村長に謝るが、村長は眼を丸くして聞き返すだけだった。
「ふむ? なにがじゃな」
「掲示板に書き置きを残しておいたんですけど……」
「そういえば今日はまだ見ておらなんだな」
なんじゃそりゃ! コケそうになったわ! 肝心の村長が掲示板を見ていないじゃないか!
結局アマレットがやったことといえば、無意味に村人の心臓を傷めつけただけだったのだ。
オレは早々にこの騒ぎを収めるべく、村長に事情を話す。
当然村人たちにも聞こえるように大声で。
「いや、村長。実はこういうわけなんだ」
オレが話しているあいだ、村長はフンフンと、村人たちはコワゴワと、そしてアマレットは何故か嬉しそうに聞いていた。
話がイノシシに遭遇したところに差し掛かるとアマレットが口を挟んできた。
「すごかったんですよ! 魔王さまはこーんな大きなイノシシを一撃で倒しちゃったんですから!」
彼女が興奮してそう言うと、村人たちがどよめいた。
「魔獣を一撃で……」
「お、恐ろしい……」
「シッ! 魔王さまに聞こえるわよ!」
全部聞こえていて悲しくなるが、無視して話を続けることにする。
アマレットから森に連れて行って欲しいと言い出したことと、村長の許可をもらったらつれていってもいいと言ったことを強調しておくことも忘れない。
それを言った時、村長の眼がギラリと光ったのをオレは見逃さなかった。
アマレットは急に青ざめて小さくなっている。
オレが話を終えると村長がなにか言うより早く、アマレットの隣りにいた中年の女性が叫んだ。
「この子が大変失礼いたしました! ですがこの子は人より少しだけ好奇心が強いだけなのです。どうか、どうか処分はお考えくださいませ!」
おそらくこの女性がアマレットから何度か聞いた『アンネおばさん』なのだろう。
彼女の眼からは強い決意と、それと同程度の恐怖が読み取れた。
オレはそれを見てなんともいえない気持ちになるが、努めて優しい調子で話す。
「もちろん処分なんかしない。そんなことをしても意味が無いだろう? だけどこれだけ村人たちを心配させたんだ。今日は村長にこってり絞られほうがいいな?」
オレがアマレットの方に視線をやると、彼女の目が左右に泳ぎはじめた。
ふらふらしたその視線は、やがて彼女の祖父である村長へと向けられたが、村長はオレの方を向いたまま笑って言った。
「そうですな。最近は甘やかしておりましたから、しっかり説教しておきますわ」
「ぴゃ!?」
何やら奇妙な悲鳴が聞こえたが自業自得だ。
これでも甘いくらいだというのに。
もしオレがこんな失態を犯してしまったら、そんなものでは到底済まない。
三日三晩はアビスにしごかれ続けるだろう。
「そうそう、今回恵みの木の実……ここでは悪魔の木の実か。それは採れなかったが、退治したイノシシを持って帰ってきた。みんなで分けて食べるといい。ここに出していいか?……ちょっと大きいけど驚かないでくれよ」
オレは広場の真ん中に魔石をおいて呪文をつぶやく。
すると魔石が青白く光り、石の中に放り込まれていたイノシシの亡骸が現れた。
突然現れた氷漬けの魔獣(イノシシの死骸)に、広場は再び混乱の渦に包まれるが、魔獣が死んでいることが分かると、村人たちも少しずつ冷静を取り戻しはじめた。
「あれがイノシシだって?」
「おおお、大きい!」
「あんなのが村の近くにいたなんて……」
オレは混乱が収まったのを見てホッとした。
たかがイノシシであれほど驚くとは思わないだろう?
「おお、これは大物ですなあ」
「ん、村長はあまり驚いていないようで安心したぞ」
「ハッハッハ、実は私、昔は冒険者をやっておりましてな。昔とった杵柄というやつですわ。旧帝国に雇われて遺跡の調査なんかもやりましてな。ガーゴイルなんかともやりあったことがありますぞ」
おお、ガーゴイルといえば古代遺跡を守護する、けっこうレベルの高い魔物だ。
あんなのを知っているのなら、今さら魔獣ぐらいでは驚かないよな。
「そうだ、アマレットに聞いたんだが、体の調子が悪い婆さんがいるんだろう? それは魔素が足りないせいかもしれない。このイノシシは魔素の濃い森で育ったから、コイツの肉にも魔素が多く含まれているはずだ。試しにその婆さんへも食べさせてやったらどうだ」
村長はフンフン頷きながらオレの提案を聞く。
「ははあ、マソ、魔素ですな? 昔そういった話を聞いたことがあったんで、森にある悪魔の木の実を採集するようにしておったんですが……魔獣が出たと孫から聞いてからは森には入れないでおったんです」
なるほど。
知っていたから帝国の監察官からも隠していたんだな。
やはりこのオッサン、なかなかにしたたかだ。
「しかし見事な一撃ですな。人族ではなかなかこうはいきません。いや、流石魔王さま、といったところですな」
「あんまりおだてるなよ。まだまだ訓練ではアビスにダメ出しをされ続けているんだ。それに魔獣程度なら村長でもやれると思うが。ガーゴイルとも闘ったんだろう?」
「ハッハッハ、まだまだ若いもんには負けんといいたいところですが、もう何十年も前のことですから。当時ならともかく今はもう、とてもとても。もう体が動きませんわ」
「そうか? 魔術で体を強化すれば、当時と同じように動けるはずだが。人族は魔術で強化したりはしないのか?」
「はあ、私の知る限りではありませんな。といっても私の現役の時からもう40年も経ちますからな、今はどうなのか分かりませんが」
ということは村長は魔術の強化なしにガーゴイルと戦ったのか?
いったいどうやって……まさか気合でとか言うんじゃないだろうな?
村長なら本当にそんなこともやってそうで恐ろしいんだが。
普通、魔族は魔術の強化なしに戦闘を行わない。
あまり複雑な魔術を使わない戦闘職の剣士なんかは、日常でも、就寝時ですら強化している。
アビスがいい例だ。
村長の話を信じるなら、今はともかく昔の人族は魔術の強化無しでも魔物と戦えたというわけか。
人族も侮れないな。
「……そうか、なら村長もアビスから手ほどきを受けるか? もしかしたら当時よりも強くなるかもしれないぞ」
何気なく村長に提案してみるが、彼は冗談だと思ったのか豪快に笑った。
「ハッハッハ、まさか! ですが今回のような魔獣が出たときに何もできんのは歯がゆいですな。せめて当時の半分でも動ければ御の字なのですが」
ふうむ、確かに村に魔獣やら魔物がやってきたときに戦闘員がいないのは困る。
オレはその辺も含めて、今日あったことをアビスに相談してみようと考えた。
「じゃあ村長、オレは帰るがイノシシの解体は任せてもいいか? 血抜きは終わっているし、凍っているのも解除しておくからさ」
「はい、後のことは任せて下さい。魔王さまのおかげで今日はシシ鍋祭りですな。ええ、準備のあいだに孫をしっかり叱っておきますわ」
村長が最後にそう付け加えると、こっそりオレたちの会話を聞いていたアマレットの肩が大きく震えたのだった。
混乱した村を救ったのは村長でした。