魔王さま、村娘に会う
「巡回に行ってくるよ」
薪を割っているアビスにそう告げて、オレは砦を出た。
オレ達が住んでいる砦は、村の南端にあって、周りには何もない。
しばらく歩くと、ぽつりぽつりと家が建っていて、そこから少し離れたところに畑が見える。
更に歩くと村の中心部、大きな広場に出る。
そこから先は家が多く建っていて、村の北端には村長の家があるのだ。
「やはり今日も変わったことはないか」
オレは村長の家の前までくると、今来たばかりの道を振り返ってぼやいた。
ここは平和だ。
オレがこの村に来てからひと月経つが、何も起こらない。
強力な統制のとれている大魔王城ですら、何かしらのトラブルがあったというのに。
……もしかして、オレはホームシックになっているのだろうか?
もう大魔王城が懐かしく感じる。
大魔王城のある方角には、長く連なった山脈が見えた。
オレはそれを眺めながらため息をついて、手紙の娘が待っているであろう草原へと足を向けた。
草原につくまでに、何度か村人に遭遇しそうになったが、見つかる前に物陰へと身を隠した。
アビスとの訓練で鍛えられた察知能力と身体能力を駆使すれば造作もないことだ。
ハハハ、どうだ。お前たち村人には真似できんだろう?
偉大な魔王であるオレを崇めるがいい!
……人族の頭の中にいる魔王ならこんなことを言うだろうか。
自分で想像して自分で虚しくなった。
オレはこんなことのために訓練をしているわけではないのだが。
だが現状ではこうやってコソコソするしかない。
老人たちの心臓に負担をかけたくないのだ。
もし、オレの姿を見たせいでビックリして心停止→大往生! なんてことになったら、オレの心に深いキズを残しそうだし、村人たちも更にオレを恐れるだろう。
村人たちの怯えっぷりを見る限り、「そんなアホなことが起こるわけがないだろ!」とも言い切れないのだ。
オレは手紙を取り出して、娘の名前を確認した。
「……アマレット、ね」
オレはこのアマレットという娘に期待していた。
彼女を助けることで、オレと村人たちとの距離が近くなるかもしれないからだ。
オレが彼女の問題を解決すれば、彼女はそのことを村人に話して回るだろう。
そうなれば村人たちもオレへの評価を改める。ハズだ。
手紙を見ながら草原へと辿りついたオレは、それらしい人物を探そうとする。
だが、人の背丈程も伸びた草が、見渡す限りに生えていて、娘がどこにいるのかは分からなかった。
小高くなっている土手をよじ登って、草原を眺めてみたが、何かが動くような気配も見られない。
少し考えたオレは、草原に向かって呼びかけてみた。
「おーい! いるか、アマレットとやら! 手紙のことについて詳しく聞きたい!」
すると遠くで草が揺れ、若い娘の声が返ってきた。
「あっ、魔王さまですねー! 今そっちに行くので待っててくださーい!」
娘がそこにいたことと、オレを恐れているような声ではないことに、まずは安心する。
揺れる草が蛇行しながら近づいてきた。
娘は慌てているのか、ところどころで躓いているようだ。
そのたびに「わっ」とか「きゃ」とか聞こえてくるのを、オレは少し心配になりながらも見守った。
やがて、壁のようにまっすぐ生えた草の間から、娘が顔を出す。
娘はすぐにオレを認めると、草の海から抜け出して土手をよじ登った。
「アマレットです。こんにちは魔王さま、来てくれて嬉しいです」
目の前に立った娘がペコリとお辞儀する。
その拍子に、切りそろえた前髪と、細めに編んだ後ろ髪がフワリと跳ねた。
年の近い娘とはこれがファーストコンタクトだ。
オレはその事実にちょっと感動しつつ、娘を見る。
背はオレよりも少し低いようだ。
彼女はゆったりとした厚手のワンピースを、薄めの作業着の下に重ねて着ている。
小脇には、採集してきたばかりの戦利品がつめ込まれた、大きなかごを携えていた。
彼女が履いている靴は、年頃の娘が使うには少々不格好だが、丁寧に作られていて丈夫そうに見えた。
ずっと頭を下げているものだから、娘の頭から足元まで観察することができたのだが、彼女は一向に顔をあげる気配がなかった。
「そんなにかしこまらずに頭を上げてくれ。オレはジン・ヘルウーヴェンという。この村を任された魔王だ。ええっと、アマレットと呼べばいいのか?」
オレがそう言うと、ぴょこんと頭を上げたアマレットは、目を輝かせながら勢いよくまくしたてた。
「はい! ぜひそう呼んでください! 魔王さまはステキなお名前をお持ちなんですね。あっ! そのお耳もステキです。魔族の方のお耳って長くてかっこいいですよね! 魔王さまっておいくつですか? 私が想像していたよりもぜんぜんお若くてビックリしました!」
オレはアマレットのあまりの勢いに面食らって、上半身をのけぞらせた。
なんだ、この娘は? オレは同年代の女と話したことがないから分からないが、この年頃の女は、みんなこんな感じなわけではないよな?
オレは思わず手のひらを前に突き出していた。
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ。オレはこの手紙に書いてあることについて聞きにきたんだ。北の森だったか? それについて話してくれないか」
アマレットのマシンガントークを中断させてそう言うと、彼女は何かに気づいたように口に手を当てたあと、下を向いてしまった。
「あっ、ごめんなさい……私、嬉しいことがあると思ったことをなんでも口にしちゃう癖があって。おじいちゃんにもよく注意されるんですけど……」
よかった、やはりアマレットが特別おしゃべりなんだな。
オレはちょっとホッとして、下を向いてしまった彼女にフォローを入れた。
「そうなのか、別に気にしてないから謝る必要はないぞ。ちなみにオレは先月15になったばかりだから、お前より少しだけ年上だな?」
「あっ、そうです。そうですね!」
ぴょんと上げた彼女の顔には、もう笑顔が戻っている。
オレはその顔を見て、不覚にもかわいいと感じてしまった。
ほんの少し熱くなった頬をごまかすように指で掻きながら、視線を村の方へと向けた。
「とりあえず村に戻るか。まだここに用事があるなら少しぐらいは待つが」
「いえっ、今日は午前中にたくさん採れたので大丈夫です! 戻りましょう」
彼女は嬉しそうに言って、手元のかごを掲げて見せるのだった。