イノシシ、反乱する
エンリの話を聞いてから数日が経った。
新しく部下となったソラヤは、すでに村に馴染んでいるみたいだ。
ソラヤにしてやったことといえば、巡回の時に連れていき村人たちに紹介したぐらいだ。
だが彼は村人に恐れられることもなく、次の日には道端で村人が談笑しているところに混ざっていたりする。
一ヶ月もの間、村人に恐れられていたオレは複雑な気分になったものだった。
ソラヤは童顔なのでオレよりはとっつきやすいのだろうけど、その会話力は何なのだろうか?
もしかして村人たちは魔族を恐れていたというよりはオレ個人を恐れていたのか?
一体オレの何を恐れていたというのか?
まったく分からない……。
まあ、ソラヤが来てくれてずいぶんと助かっている。
急務であったイノシシ狩りは捗っているし、「新しい砦をお前に建ててもらう予定だ」と何かの話のついでにこぼしただけなのに、いつの間にか建築に詳しい村人と仲良くなっていて、いくつかの案を提出してきた。
初めて会った時の勘違いや空回りからは考えられないほどの有能さが、彼から溢れていた。
「掘り出し物だったか」
オレがボソリと呟くと、
「何がですか?」
と、アビスが聞き返した。
「ソラヤのことだよ。正直に言うと戦力増強以外のことは期待してなかったんだが、アイツに任せておけば新しい砦もしっかりしたものを建ててくれそうじゃないか」
「そうですね、村の方ともうまくやっているようです。魔王さまも見習わられては?」
アビスはチラリとオレを見ながら言った。
痛いところを突かれたオレは声を荒らげる。
「ほっとけ! オレにはオレのペースというものがあるんだよ」
別にオレだって村人と仲が悪いわけではない。
最近は村人に挨拶しても笑顔を返してくれるようになったのだ。
最初の頃の恐られっぷりからはまるで考えられないような進歩だ。
うん、ソラヤが村人たちに簡単に受け入れられたのも、やはりオレが苦労して下地を整えたからだ。
そうに違いない。
そう思わないとやってられん!
***
ソイツを見つけたのはイノシシ狩りを始めて3日目のことだった。
とてつもなく体のでかいイノシシがこちらの様子を窺っていたのだ。
魔獣となったイノシシは、ほとんどがでかいヤツばかりなのだが、その個体は飛竜と同じくらいでかかった。
他のイノシシの2倍くらいはあっただろう。
オレがそのイノシシに気付いた瞬間、ソイツは素早く逃げだした。
素早いヤツだがどうせイノシシ程度、と高をくくっていたオレ。
すぐ追いつけるだろうと考え、その後を追ったのだが見失ってしまった。
ムキになったオレは探知魔術でソイツの居場所を突き止め、すぐにそこへ向かう。
だがそのイノシシは警戒心が高いのか、すでに別の場所へと逃げ出した後だった。
それでオレはアタマに血が上ってしまった。
探知魔術で場所を特定。
そこへ近づく。
イノシシ逃げ出す。
オレ、怒る。
これを何サイクルもやったのだが、捕えられないのだ。
またもや取り逃がし、イラついているところでソラヤに出会った。
「む、ソラヤか」
「ジン様、調子はどうですか? 私の方はかなり順調です。今日こそは勝たせていただきますよ!」
ソラヤは不敵な笑みで宣言した。
実はソラヤとは魔獣を狩った数で勝負している。
この森には相当数の魔獣が住み着いている。
ただ狩っていくより競争したほうがダレずに続けられると考えて、勝負を持ちかけた。
狩ったイノシシの数も競い合うことで増えるだろうし、本気で取り組むことで身のこなしなどの訓練にもなる。
ここ数日は、初日の数倍の成果を上げていたので、この目論見は成功だったといえる。
頭に血が上っていたオレだったが、勝負のことを思い出して冷静さを取り戻した。
だが、今日はオレの負けだろう。
もう空は赤く染まり始めているというのに、オレの成果はほんの数匹だけなのだ。
今日はイノシシと鬼ごっこをしただけの日だった。
オレはため息をついて言った。
「ソラヤ、今日はこれで終わりにしよう。勝負はオレの負けだ。2、3匹しか狩れていない」
「えっ!? 一体どうされたのですか!」
驚くソラヤに、オレが遭遇したデカイイノシシのことを説明する。
するとソラヤは、
「なるほど、そんなことがあったんですね。ですが逃げるというのも変ですね。私が遭遇したイノシシはどれも、逃げることなどせずに向かってきましたよ」
確かに変だ。
ここにいた魔獣はどいつも凶暴化していた。
オレが遭遇したヤツラもこちらに向かって突進してきたので狩るのが楽だったが、あのデカイ奴は違った。
オレが腕を組んで首を傾げるとソラヤが言う。
「ジン様のオーラを恐れて逃げ出したのではないでしょうか?」
「オレを恐れて? イシロ村の村人のようにか?」
村人に恐れられていたという過去は、オレの古傷をえぐる。
頬を引きつかせながら顔を向けると、ソラヤは慌てて首を振った。
「いえいえいえ! そんな大きなイノシシならば、何か特別な力を持っていてもおかしくないと思うんです。例えば他の個体に比べて知能が高いとか、相手の魔力の量を感じ取ることができたりとか」
ソラヤの言うとおりかも知れない。
あのイノシシは特別な個体なのだろう。そういうヤツは要注意だ。
しかも飛竜と同じくらいのデカさだ、テンペストにも劣らない突進力があると考えておいたほうがいい。
そのへんの魔物なんかよりよっぽど危険だ。
「ソラヤ、明日は二人がかりでヤツを狩ってしまおう。アイツを放置しておくのはマズイ気がする」
「分かりました。ボス戦ですね、腕がなります!」
「頼りにしているぞ」
「任せてください!」
その日の魔獣狩りを終了したオレたちは、明日の作戦を考えながら村へと戻るのだった。
***
その次の日、オレはテンペストの甲高い鳴き声で目を覚ました。
目をこすって外を見れば、まだ日は昇っていない。
「まだ夜中じゃないか」
とオレは呟いた。
だがテンペストの慌てるような鳴き声に異常を感じたオレは、砦から外へ出る。
テンペストは砦の上空で旋回していた。
彼はオレが外に出てきたのを確認するともう一鳴きして、北の森へと飛んでいった。
森で何かあったのだろうか?
不安になって森の様子を見に行こうと考えた時、ズズズと地面が揺れ始めた。
「なんだ? なにが起こっている?」
アビスとソラヤも砦から出てきて辺りの様子をうかがっている。
「何があったんでしょう?」
「分からん。だが、テンペストは何かを知らせたがっていたようだ。オレは北の森を確認してくる」
ソラヤと話していると、突然、村を守る結界が弾けて消えた。
何者かが結界を破って村へと侵入してきたのだ。
その何者かとは、イノシシに決まっている。
「イノシシ共が結界を破ったんだ! アビス、ソラヤ! 付いてこい! 森だ!」
オレは二人に向かって叫び、森へと走り出した。
オレたち三人は村の通りを一気に走り抜けた。
まだ暗い空の下、村人たちは家の外に出てきて辺りを見回している。
謎の地響きが不安なのだろう。
声をかけて安心させてやりたいが、まずは村の北へ急がねば。
すぐに村長の家と森の入口が見えてくる。
森からは無数の魔獣たちが突進してきていた。
テンペストは森の入口で魔獣を食い止めてくれている。
次々と森の中から飛び出してくる魔獣共を、テンペストは、爪で裂き、翼で打ち、尾をぶつけて弾き飛ばす。
だがテンペストの力を持ってしても、魔獣たちの侵攻は食い止めきれなかった。
数匹が、防衛線を突破して村へと侵入してくる。
テンペストの横をすり抜ける巨大イノシシ。
その先には、驚いたまま固まっているアマレットがいて――




