魔王さまの一日
「魔王さま、起床の時間ですよ」
抑揚のない声が聞こえてオレの意識は浮かび上がる。
目を開けると薄暗い天井が見えた。
窓を見ると空は暗く、まだ日は昇っていないようだった。
かわりに、遠く離れた山脈の山頂には白い月が浮かんでいた。
オレは目をこすりながら硬いベッドから起きあがり、声の主に向き直った。
「おはよう、アビス」
「おはようございます、魔王さま」
まだ魔王さまと呼ばれるのには慣れない。
オレはポリポリと頭をかきながら立ち上がった。
オレの名前はジン・ヘルウーヴェン。
つい最近15歳を迎え、それと同時に『魔王』を拝命した。
ただ魔王といってもオレの場合は大したことはない。
領地は村一つ、部下は一人、住む場所は見張り小屋のような砦があるきりだ。
ちなみに慇懃に挨拶を返すこのメガネはアビスといって、そのたった一人の部下である。
オレの教育係もやっていて、もう10年以上の付き合いになる。
過去には大魔王であるオレの親父殿の側近を務めていたこともあり、かなり有能なヤツだ。
「朝食の準備ができていますので、お持ちいたします」
「ああ、頼むよ」
アビスは朝食を持ってきてテーブルの上に置くと、一礼して部屋を出ていった。
オレは硬いパンを口に放り込んで、それをスープで流し込むと、訓練用の服へ着替えはじめた。
オレの日課を、軽く紹介しておこう。
朝メシを食べたあとは、アビスによる厳しい訓練がオレを待ちかまえている。
剣だけでなく魔術も使う実戦形式の訓練だ。
かなり厳しいが体を動かすのは好きだし、徐々にだが強くなっているという手応えがあるのでやりがいがある。
それが終わると今度は昼まで座学。
読み書き、計算はもちろんのこと、歴史や一般常識、作法、剣術の理論、戦術論などなんでもござれだ。
アビスは『エリート魔王学』などと言っているが。
昼からは魔王としての仕事を行う。
といっても村一つの領地、大した事件が起こるわけでもなし、領地内をプラプラ巡回するだけだ。
巡回から帰ったら、本を読んだり剣術の自主練をしたりして時間を潰す。
その後、晩メシを食べて風呂に入って座学の復習をして床につく。
ここまでがオレの日課となる。
イシロ村――それがこの村の名前だ。
もともとは人族の村だったが、今は魔族領となっている。
特筆すべきものはないが、自然に囲まれた、のどかなイイ村だ。
住んでいる人間は、年寄りが多くて若い人間が極端に少ない。
見たところ子供もいないように思う。
オレはまだ村長以外の村人とは話したことがない。
話す前に、ものすごい勢いでひれ伏されるのだ。
下手に声をかけようものなら
「ナニトゾゴカンベンヲ!」とか
「ヒラニ! ヒラニゴヨウシャクダサイ!」とか
『お前、どこからその声出してんだよ』とツッコミを入れたくなるような恐れっぷりでオレを驚かせるのだ。
そんなに怖がらなくてもいいのに……
で、何度かそんなことがあった後は、村の高齢者の心臓をいたわるべきだと考えて、人目を避けて巡回を行っている。
だが、人族はオレたち魔族を必要以上に恐れすぎだと思う。
『魔族と人族の先祖は共通である』
我が国ヘルウーヴェンではこれが現在の通説だ。
魔素の多い土地で代々にわたって生活することで、魔術の得意な魔族が生まれたのだそうだ。
人族が『魔獣』と呼び恐れる生き物も、元は猫やら犬なんかが魔素の影響でちょっとでかくなっただけの話だ。
『魔王』という呼称だって『魔術師、魔族の王』という意味だ。
それを人族のお偉い方は『悪魔の王』とか『魔物の王』と曲解して、オレたちに対するネガティブキャンペーンを打ちやがった。
いくら魔族が嫌いだといっても限度があるだろうが!
……まあいい。今はイシロ村の話だ。
オレがここを治めることになったのには当然背景がある。
オレには年の離れた兄が三人いて、全員魔王だ。
一番上の兄は、人族の国に一番近い領地を治めている。
そこへ執拗にちょっかいをかけてくる国があった。
それが『神聖エル帝国』。
古代エル帝国から分裂した新興国家だ。
そこは人族至上主義で魔族を目の敵にしているらしい。
普段は温厚な兄だが、度重なる嫌がらせにストレスが溜まっていたのかもしれない。
ある日、兄の執務室に、彼が信頼する精鋭たちが集められる。
何事かと訝しがる精鋭たちに、兄は爽やかな笑顔で命令した。
それは神聖エル帝国に数カ所ある軍事拠点を、機能不全に陥らせよ、というものだった。
命じられたのは魔族の中でも魔術の得意な精鋭たちである。それはもう、めちゃくちゃ派手に暴れたんだろう。
帝国内は大混乱になった。
かねてより周りの国と折り合いが悪かった神聖エル帝国である。
この機を逸するなとばかりに多数の国から同時に侵略を受け、神聖エル帝国は版図を大幅に縮小した。
イシロ村はそれまで神聖エル帝国に属していた。
だが先の事件があって帝国はイシロ村をも失った。
こうなると困るのがイシロ村の連中だ。
これまでは帝国の国策により様々な必需品が届けられていた。
それがなくなるのだから生死に関わる問題だ。
そこへ手を差し伸べたのが我らが大魔王、オレの親父殿である。
派遣された魔王に税を払う代わりに、困ったことがあれば魔王が解決するという取引を持ちかけ、イシロ村がそれに応じたため、オレが魔王として派遣されたのだった。
魔王としての初仕事だ、とオレは意気込んでこの村へやってきた。
だが、のどかなこの村では事件など起こるはずもない。
ぶっちゃけ、暇を持て余している。
充実した午前と気の抜けた午後を繰り返して、もう一ヶ月にもなる。
まさか村のご老体たちが大往生しつくすまでこの生活が続くのかと、不安になり始めた矢先のことだった。
その手紙が届いたのは。