魔王さま、部下を過労に追い込む
「魔王さま、私が森の周りを走り回っている間、どこに行ってらしたんですか?」
村長の家へ戻ると、ちょっと不機嫌そうなアビスが、腰に手を当てて待ち構えていた。
オレは慌てて弁解する。
「エンリというバアさんのところへ行っていたんだよ」
「ああ、エンリさんのお見舞いですか。それなら何も言わないでおきましょう」
オレは、エンリが調子を崩していたバアさんだと説明しようとしたが、アビスはすでに彼女の名前を知っていたらしい。
アビスの冷たく鋭い目つきがいくぶんか和らいで、オレはホッとした。
「で、お前にしては時間が掛かったようだな。森の周囲を回るだけなのに。何かあったのか?」
「ええ、そうです。そのおかげで昼からは森に入る必要はなくなりましたよ」
「ん? それはどういうことだ?」
オレは聞き返したが、アビスは首を横に振るのだった。
「まずは昼食にしましょう。久々に全力で走ったので疲れました」
アビスはそれだけ言うと溜息を吐き、さっさと村長の家へと引っ込んでしまった。
ヤツが疲れたなどと言ったのは久しぶりだ。
オレは内心驚きつつも、アマレットを引き連れて家へと入った。
家の中では村長が、オレたちのために昼食を用意してくれてあった。
アビスはすでに椅子に座って、村長から水の入ったコップを受け取っている。
オレとアマレットが帰ってきたのを見て村長が言った。
「おお!お疲れ様でした、魔王さま。ささ、昼食の用意ができておりますのでテーブルについてくだされ。孫は役に立ちましたかな?」
オレは椅子を引きながら村長に言った。
「ああ、アマレットのおかげで早く済ませられたよ。早く帰ってこれたんでエンリの様子を見てくることもできた」
「エンリのところへ行ってくださったんですな。ありがとうございます。アマレット、今日は良くやったの」
村長に褒められてアマレットは嬉しそうだ。
全員がテーブルにつき昼食を食べ始めると、アビスがようやく口を開く。
「魔王さま、念のため聞いておきますが、村から恵みの木までのルートに結界は張れたんですね?」
「当然だ。補助の魔術具まで持っていったんだぞ。失敗なんてするわけないだろ」
失敗していたらコイツに何を言われるか分からない。
だが今回使った魔術程度なら、オレが失敗などしないことはアビスにも分かっているはずだ。
何故そんなことを聞くのだろうか。
「何があったんだ? なんだかお前らしくないぞ」
とアビスに言うと、彼は森で見たことを話し始める。
アビスの役割は森の外周を周って大きさを調べることだった。
彼が言うには、村から少し離れたところで魔獣となったイノシシに出会ったという。
……なるほど、もう森に魔獣がいるのは確定だから、昼からの探索は必要ないといったんだな。
オレが勝手に納得しているとアビスは話を進めた。
「退治するよりもまずは森の大きさを調べてから、と思ってそのイノシシは放っておいたのですが……」
しばらく走ると、また別のイノシシを見かけたとアビスは言った。
「それも放っておいたのです。しかし数mも行かないところで、今度はつがいのイノシシを見ました。流石に遭遇する頻度が高いと思ったので、探知魔術を使ったのですよ」
探知魔術は、範囲内にどの程度の大きさの生き物が、どれほどいるのかを調べるものだ。アビスはそれを使った。
「そうしましたら、数十mの範囲の中に10匹程、いるようでした」
「10匹ですと!?」
と、村長が驚きの声を上げた。
だが、本当に驚くべきは次のアビスの発言だ。
「いえ、森は5km四方ほどの大きさがあるようでした。私はその外周にて数十回、探知魔術を行ったのですが、私の魔術で分かった限りでも100匹以上の魔獣が確認できました。森の内側のことを考えると一体どれだけの魔獣がいるのか想像もつきませんね」
カラン、と村長のほうからスプーンか何かを落とした音がした。
だがオレにはそれを見ている余裕はない。
「それは、本当のことなんだな?」
「嘘を言ってどうなるのですか? 魔王さま、昼からは森に魔獣がいるかを確かめる必要はなくなりました。その代わりに村の周りに結界を張るべきかと。そして明日にでもヴィリ様に報告をすることをお勧め致します」
アビスはそういった後、深くため息を吐いてスープを口に運んだ。
いつものような、オレに呆れて出たため息ではなく、本当に、心の底から疲れたというようなため息だった。
「分かった。お前の言うとおりにするのがいいだろう。だけど、もし……もしだぞ? そんなことは起こらないだろうが、魔獣が10匹でも同時に村に突っ込んできたら、オレの結界は持たないぞ」
「そうでしょうとも、そんなことになれば、の話ですが。ですからそのことも含めてあなたのお兄様にご相談なさい。私は疲れました。慣れない探知魔術を限界まで使ったのです。申し訳ありませんが今日のところは休みを頂きます。その代わり明日から数日、イシロ村の留守はお任せください。魔獣が100匹出ようが1000匹出ようが、私が責任をもって始末します」
アビスはそう言うと、いきなり立ち上がった。
そして村長に食事の礼をいい、アマレットに挨拶をすると、とぼとぼと外へ出ていった。
これ程しょぼくれたアビスは見るのは初めてだった。
オレは何も言えないままそれを見送っていたが、しばらくするとアマレットが気の抜けるような口調で言った。
「ふぇ〜、100匹もいたんですね。私、びっくりしました」
たしかにびっくりだが、事態はかなり深刻だ。
コイツは絶対にそれを分かっていない。
更にしばらくして、村長がポツリと言った。
「村の者には知らせないほうがいいでしょうな……」
「そうだな。アマレット、今の話は内緒だぞ。昨日みたいなパニックになる」
「分かりました、誰にも言いません!」
元気にそう言うアマレットと対比して、村長は肩をがっくり落としていた。
オレは村長を元気付けるために、励ましの言葉をかける。
「村長、気を落とすなよ。このあとすぐ村の周りに結界を張るし、そうすれば魔獣も入ってこれない。明日にはオレは兄のところへ相談に行くが、その間はアビスが村を守る。アイツは魔族の中でもかなりの使い手なんだ。1000匹は流石に分からんが、100匹程度の魔獣ならアビスの敵ではないよ。まあ、そんな事態にはならないと思うが」
「ハハ、たしかにその通りですな。心配しすぎておったかもしれません。やはり魔族の方が一人いらっしゃるだけでも心強いものですな」
オレが励ますとようやく村長は笑ったが、どこか寂しそうにもみえた。
若い頃を思い出しているのかもしれない。
村長が冒険者をやっていた頃なら、魔獣なんかには遅れをとらなかったことだろうから。
「村長、アマレットには話したんだが、村人の自衛のために、魔術の基礎を教えようかと考えているんだ。基礎の中には、身体の強化の魔術なんかもあるから、それを使えるようになれば村長もかなり動けるようになるはずだ。興味があるなら、明日からでもアビスに教わってみないか?」
「ふーむ、興味はあるのですが……よろしいのですかな? 人族に魔術を教えても問題はないのですか?」
村長はかなり乗り気のように見えるが、魔族の専売特許である魔術を教わることを遠慮しているようでもあった。
「ああ、魔術に関して禁止されていることといえば、自分の利益のためだけに他人を害してはならない、ということぐらいだ。村人たちの自衛のために魔術を教えるくらいなら、まったく問題にはならないよ」
と言うと、
「そういうことでしたら、是非お願いしたく思います」
と、村長は頭を下げる。
オレはそれを見て、『イシロ村住民全員魔術師化☆計画』が一歩前進したと、ほくそ笑むのであった。