ミスリルの斧
「じいちゃん、ペローナ、用意ができたんなら、早く行こうぜ。でなきゃ町に着いても帰って来られなくなるぞ?」
家を出て空を見ると、時刻は既に正午を回っているようだ。
俺とじいちゃんだけならともかく、山に不慣れなペローナを連れていくのだ。
おそらく到着は夕方近くになるだろう。
夜に山に入るのは俺たちでも危険なのだ。
そう思い、俺は二人を急かすように声を掛けた。
「構わんよ。今日は町で泊まっていくつもりじゃからの。お前も久しぶりに町に行くことじゃし、少しゆっくり見て回ろうぞ」
「えっ!マジかよじいちゃん!!やったぜ!」
じいちゃんからのサプライズに、俺は素直に喜ぶ。
そう、こんなときのために、俺は密かに小遣いを貯めていたのだよ。
銀貨で3枚ほどだが、一般的な兵士の月給が銀貨で30枚相当だと聞く。
なら、俺の歳にしちゃこの金は、十分に高額なのだ。
「その前にフルールよ、お前とわしの斧を持って来い」
なんだ、ばれてたのかよ…
俺は物置から、薪割りようの愛用の斧と、じいちゃんの斧を持ってくる。
「ほらよ」
俺は左手でかるくじいちゃんに向けて、巨大な斧を放る。
それはくるくると回転し、じいちゃんの右手にぴったりと収まる。
「うむ。これで準備はいいじゃろう。ペローナ殿も、宜しいか?」
じいちゃんはペローナのほうをチラリと確認する。
だが、ペローナは驚愕の表情で、俺たちを見ていたのだった。
「あ、あの、ガズン殿?その手に持っている斧なのですが、気のせいか、私には、ミスリル鋼でできているように見えるのですが…」
俺たちじゃなく、じいちゃんと俺の手にある斧を、見ていたのか。
「あ?そりゃそうだろ。お前知らないのか?モモイロの木って、めちゃくちゃ硬いんだぜ?普通の斧なんかじゃ薪を割る前に刃が欠けちまって、とても使い物になんねえよ」
そう、モモイロの木はとても頑丈であるからこそ加工が難しい。加工が難しいからこその高級品なのだ。
もちろん、木自体の美しさやその香りも特徴ではあるのだが、もともとが希少であり、さらに加工もできる者が限られているとくれば、王族貴族がこぞって買うというのも当然だろう。
「いえ、フルール殿。私も貴族の端くれです。もちろん、モモイロの木の特性も存じております。しかし、その、私が驚いているのは……ミスリル鋼は、一般的にとても重い、というところなのですが、それはメッキではありませんよね?」
フルールはいぶかしげに、そう聞いてきた。
「もちろん、これはメッキなどではない。正真正銘、ミスリル鋼でできた斧じゃ。フルールの言うとおり、このくらいでないと薪作りはなかなかしんどいでな」
じいちゃんはそう言って、フォッフォッフォと笑う。
「いや、簡単におっしゃいますが、それだけの大きさであれば、ゆうに大人3人程度の重量があるはずですよ!?それをガズン殿もフルール殿も簡単に…というか、さっきフルール殿、片手で放り投げてましたよね!?あなた方の筋力どうなってるんですか!?」
いや、そんなこと言われてもな…
「俺だって最初からこんな重い斧、使いこなしてたわけじゃないぞ?小さい頃は普通の鉄の斧で薪割りをやらされてたしな。最初は当然、まったく薪が割れないんだ。でも段々、コツっていうのか?素早く、無駄なく振り下ろせば、鉄の斧でもモモイロの木を割ることができるんだよ。ただやっぱりそれじゃ、どうしても刃がすぐ痛んじまうだろ?だから俺が12のときに、じいちゃんのと同じミスリルでできた斧を、じいちゃんがプレゼントしてくれたんだよ。もちろん、最初は重すぎて全然振れなかったぞ??でも、これもやっぱり段々と慣れてきたのか、自然に振れるようになってきて、今じゃこのとおりだよ」
俺はそう言って、右手で空中に斧を放り投げる。
それは小屋の屋根の高さを悠々と飛び越し、大人が10人ほど肩車すれば手が届くといった高さまで上がり、そのまま重力で俺の左手に帰ってくる。
俺は重さをまるで感じさせない様子で、ペローナに聞いてみる。
「なっ?なんならお手玉だってできるぞ?やってみせようか??」
「い、いえ!!結構です!!もう十分です!!!!」
ペローナは恐ろしいものを見たかのように、声を震わせて答える。
「いや、本当に驚きの連続ですよ。あの恐ろしく硬いモモイロの木を鉄の斧で切ることができるなど聞いたこともないですし、ミスリル鋼でできた巨大な斧など、王宮にもありますまい。ましてやそれを扱えるものなど、それこそガズン殿とフルール殿くらいでしょう」
「いや、わしはこいつほどは上手く扱えんよ。斧よりも、剣がメインじゃよ。歳のせいもあるがのう。こやつにはわしが小さい頃から様々なことを教えてきたが、武に関しては、わしを大きく超える逸材であることは間違いないの」
「なんだよ、じいちゃんが褒めるなんて、雷でもおちるんじゃねえの?」
そう言いながらも、俺はすこし顔が赤くなったような気がした。
「さて、話はそろそろええかの?各自用意もできたようじゃし、これから町まで降りるぞい。途中の森では魔物も出るじゃろうが、ここらの森はせいぜい大爪熊や、灰牙狼くらいしか出ん。ペローナどのは山中での行軍の経験はおありか?」
「ええ、ありますが……あの、大爪熊と灰牙狼が…出るんですか??そんな大物が出るなんて知らなかったですし、三人で相手をするにはちょっと厳しいと思うんですけれど…」
「は?なに言ってんだよ。あんな奴ら、集団で来たって、じいちゃんと俺の敵じゃないぞ」
こいつ、少し見直したところだったけれど、やはり評価を下降修正するか…
「いえ、フルール殿。その魔物たちは、一般的な冒険者ランクでいえば、4級相当の冒険者が集団で狙うような獲物です。お二人の言葉を疑うわけではありませんが……いや、当然なのかもしれませんね。なにせお二人はミスリルの斧を軽々と扱えるのです。その武器があれば、大爪熊や灰牙狼など、バターを切るようなものなのでしょう」
ペローナは自分を納得させるように、うんうんと頷いている。
「納得してるとこ悪いけど、そいつらなら12の時には鉄の斧で仕留めてたぞ、俺」
ペローナが今日何度目かの驚愕の表情を見せる。
「ふ、ふふふ…私の今までの鍛錬が…常識が…覆されていく……」
怖えよ。なに笑ってんだこいつ。
騎士ってのは、やっぱり変態だ。うん。俺の中じゃ、騎士は変態であるということに知識を塗り替えておこう。
「ペローナ殿、心配なさるな。わしとこやつがおれば、この山の中で危険はないと思ってくれても構わん。町まで責任を持って連れて行こう」
「そう、ですね。失礼しました。お二人がいらっしゃるというのに、騎士である自分が尻ごみしてしまうような真似をしてしまい、申し訳ありません。心の準備のほうもできましたので、いつでも出発していただいて、大丈夫です」
そう言うペローナの顔は、まだ若干不安の様相が見え隠れしているが、言葉通り、心の準備ができたのだろう。恐怖している様子は全くない。
「それじゃ、行こうか。じいちゃん、俺が後ろを見とくから、前頼むぜ」
「うむ、何があってもペローナ殿をしっかりと守るんじゃぞ」
「へいへい」
「一応騎士ですので…いえ、なんでもありません……」
ん?なんか言った?
俺は愛斧を背中に背負い、山の中でも取り回しがしやすい鉈を腰に差して歩き始める。
この鉈も実はミスリルでできている。
魔物に対しての威力は斧に劣るが、斧ほど重くはないし、取り回しが楽なので、俺は普段山の中をいくときにはこちらを主として持ち歩くようにしている。
なので今回も鉈だけを持っていくつもりだったのだが、じいちゃんが斧を持っていけというのであれば、何か理由があるのだ。
普段はクソじじいだの言っている俺だが、じいちゃんのことは誰よりも信頼している。
いつだって正しい判断ができるじじいなのだ。
俺はいよいよ、町に向けて歩き出す。