モモイロの木
2020/5/15編集。
よければ見てやって下さい。
世界は広くて大きい。
そんな当たり前のことすら忘れているのか、人間という生き物は自らの生存領域を限定し、広くもない檻の中で生きているのだ。
この地面は平面ではなく、大きな球体であるということを科学的に証明したのは誰だったか。
この大きい球体がアースと呼ばれるようになってから久しいが、誰がそう呼び始めたのか定かではない。
アースには大きく分けると5つの大陸が存在し、それぞれに大小数多の国や地域が存在している。
その中でも、各大陸を代表する強大な国は、総じて五賢国と呼ばれている。
5つの大陸の中でも最も小さな大陸を代表する国が、五賢国の序列五位、アーリオ王国である。
そのアーリオ王国の中心地であり、首都でもあるアーリオ都市に、この日一つの命が生まれた。
⬛
「じいちゃん、薪割り終わったぞ」
そう言いながら、つい今まで作業台として使っていた切り株の上に腰掛けたのが、俺だ。
俺の名前はフルール。
生まれも育ちも港町キヌサだ。
キヌサって町はど田舎で、首都アーリオから西に馬車でも20日はかかる(らしい)
というのも、俺は俺は首都アーリオには生まれてこの方一度も行ったことがないものだから、実際にどれくらい遠いのかはよく知らない。
そもそもキヌサが田舎かどうかだって、俺には比較しようがないんだ。
だって、首都どころか、生まれて一度も他の町にすら行ったことがないからね。
この町じゃ普通、俺くらいの歳の男は子供の頃から船に乗り、親の手伝いをしているものだ。
港町ってくらいだから、主要な産業は全て海に関するものばかり。
塩に魚に海産物、果ては体を洗う海綿や泥パックなど枚挙に暇がない。
とはいっても、実は俺はそんな港町の恩恵を一切受けないような、山の中で暮らしてる。
俺の声に反応したのは、すぐ隣で豚の腸詰めを作ってたじいちゃんだ。
「おぉ、相変わらず早いな。よし、じゃあ次は来年の分の薪をいまのうちに燻しとくか?」
「燻すったって、まだ薪はだいぶ残ってるぞ、じいちゃん。ボケたのか?」
薪割り前に確認したばかりなので間違いない。
倉庫には今後使われる予定の薪が、それこそ山のように積まれていたのだ。
「いや、今年は例年よりも相当寒くなりそうじゃからな。この分じゃ暖炉に使う分だけで備蓄の薪がかなり減ってしまうからの。いまのうちに燻しておかんと来年になってからじゃ間に合わんわ」
じいちゃんはそう言って、出来上がった腸詰めを小屋の中に持っていき、すぐに大きな斧を二つもって出てきた。
アースではどの大陸でも共通のアース暦が使われていて、もちろんアーリオ王国でもアース歴で数えるのが一般的だ。
1日を100回繰り返すごとに春、夏、秋、冬と季節が変わり、また春になると1年だ。
つまり1日が400回経てば1年になる。
いまは秋の入り口だが、もう肌寒くなってきている。
じいちゃん曰く、昔はもう少し暖かかったそうだが、なぜかちょっとずつ寒い時期と暖かい時期がずれてきてるらしい。
このまま行くと、夏なのに雪が降る、冬なのに真っ黒に日焼けするなんてことになるかもしれない。
「ほれ」
じいちゃんはそう言って俺に斧を一つ手渡す。
「仕方ないな。んじゃ売り物じゃないし、グンゼの木でもいいだろ?」
「ばかもん。いつ何時、何が起こるか分からんこんな山ん中じゃぞ。いざという時に高く売れるモモイロの木に決まっておるじゃろ」
期待せずに聞いてみたが、返ってくる言葉はこの通りだ。
グンゼの木っていうのは、この大陸じゃどこの山にも生えてる木だ。
用途は建材から薪まで幅広く、価格だって安い。
なんせ、その辺の山を少しかきわけりゃ生えてるような木だ。
そのくせ、鉈がすんなり入るから、めちゃくちゃ切りやすいときたもんだ。
俺らみたいな山の中で暮らしてるような奴らを木こりって言うんだけど、大抵の木こりはこのグンゼの木を伐採し、それを売ったり、暖炉にくべたりして生活している。
なのにうちのじいちゃんときたらこうだ。
「世界広しといえど、モモイロの木は何故かこの山にしか存在せん。わしらが使わんで誰が使うんじゃ」
などと言いながら、いつもモモイロの木を伐採しに行くんだ。
このモモイロの木、実はこの山にしか生えない不思議な木らしい。
過去には何人も、木を持って帰って植え替えたり、接木を試してみたり、様々な方法で人工的に育てられないか試してみたらしいのだが、全部失敗に終わっている。
不思議なことにこの木は、この山でしか育たないのだ。
モモイロの木は、非常に剛性があり、なおかつよくしなる。
木の中の水分を飛ばすのに相当な時間はかかるものの、その特性から建材や家財として非常に優秀であり、市場では目ン玉が飛び出るような高値で取引されている。
そんな最高級木材を暖炉の薪としてくべているのは、世界中探したってフルールの家しかないのだが、そんなことを知らないフルールは無造作にモモイロの薪をまとめて倉庫に放り投げた。
「そんなこと言ってさ、モモイロの薪なんか売りに出したことないくせに」
「当然じゃろ!わしらのような貧乏木こりが唯一できる贅沢じゃぞ。モモイロの木で暖を取り、なおかつ灯り代わりにするなど、かのアーリオ王ですらできんじゃろうな!ファッファッファ!」
なにが、ファッファッファ、だ。
いま俺が言った通り、せっかく高値で売れるモモイロの木を、あろうことかじいちゃんは薪なんかにしやがるんだ。
ちゃんと形を揃えて切り出せば、王宮でも領主様の館でも、高値で買ってくれるってのにさ。
それにうちが貧乏なのは、じいちゃんがそんな高値で売れるモモイロの木を全部薪にしちゃうからなんじゃないのか?
「いいよ、いつものことだもんな。じゃあさっさと切り出しに行こうよ」
「おぉ、そうじゃな。よし行くぞ」
そう言って、じいちゃんはずんずん山の中を進んでいく。
実はこの山には俺たち以外にも、10人ほど木こりが住んでいる。
その家族まで含めると、30人近くになるだろう。
その全員が、モモイロの木を主として切り倒すことで生計を立てている。
誰だって、同じ労力で高く売れるなら、モモイロの木を切るだろう。
ただモモイロの木は、グンゼの木と比べると、圧倒的にその数が少ない。
さらにその剛性から、切り倒すのもちょっとやそっとじゃ不可能だ。
長寿のものだと、力自慢の大人が三人がかりで斧をふるっても、一日がかりでも切り倒せないことだってある。
その群生地も、この広い山の中で迷うことなくたどり着くのは、実は至難の業だ。
熟練の木こりだって、数年に一回は遭難してしまうような場所に生えているのだ。
だからこそグンゼの木と比べると、切り倒したとて運ぶのに非常に手間がかかる。
そのため、暖炉の薪を取るのにわざわざモモイロの木を切り倒しにいく馬鹿なんていない。
いや、いた。
うちだ。
いまもモモイロの薪のために山奥にずんずん入っていくじいちゃんの背中を見ながら、俺はため息を一つ吐いた。
でも、実のところ、俺はモモイロの木で作った薪自体はとても好きなのだ。
モモイロの木で作った薪はグンゼの薪と違い、火にくべたときに、とてもいい香りがするのだ。
俺は赤ん坊の時から、薪と言えばこれで育ってるので、なんというか、この香りが母親の香りのように思っている節すらある。
そう、何故か落ち着く香りなのだ。
自分でも馬鹿げてるとは思うが、事実そうなのだから仕方ない。
そんなことを考えていると、遠くに峰が見えてくる。
あと一刻ほども歩けば、モモイロの木が見えるだろう。
ここの伐採場は、俺とじいちゃんしか知らない、秘密の場所だ。
他のモモイロの木の伐採場と比べても、モモイロの木の数が圧倒的に多い。
なんでもじいちゃんが若い頃、山の地図を作るために半年ほど篭っていたときに偶然見つけたらしい。
そうでなきゃ、こんな田舎の山のそのまた奥まで、誰だって来ることはないだろう。
だからこそ、ちょっとやそっと薪にしたくらいじゃあ全然その数が減ることはない。
■
「フルール、止まれ」
前を行くじいちゃんが、小声で俺を制す。
「どうしたんだよ、じいちゃん」
「何か、いや、誰かおるぞ」
俺はその言葉に軽く驚いた。
この山で育って15年経つが、この秘密の場所でじいちゃん以外の人間に出会ったことなど、ただの一度もないのだから。
「あれは…、騎士様か?」
「騎士だって?なんでこんな田舎町の山の中に騎士が…?」
「ふーむ。わしにも理由は分からんが、見た限り危険はなさそうじゃの」
じいちゃんがその人間を見つけて、すぐに騎士であると気付いたのには理由がある。
それはこのアーリオ王国では騎士しか身につけることが許されていない白銀の甲冑、そのためである。
モモイロの木の麓で休んでいる人間は、まさにその甲冑を身に着けていたのだ。
「そこで止まれ。何者だ」
そう言いながら、その騎士は腰から抜きはなった長剣をこちらに向けて構える。
その構えには、熟練のものではないが、苛烈な修行を積んだものにしか携えることができない、プレッシャーのようなものを感じることができる。
また、遠くからでは分からなかったが、白銀の甲冑は泥にまみれており、所々に矢傷のようなものも見えた。
元は美しかったであろう白銀の髪も、くすんだ銅のように汚れている。
(女…?騎士って女でもなれるもんなのか…)
俺は泥だらけの騎士を見て、まずそんなことを考えてしまう。
「ご安心くだされ騎士様。我々はここの山の木こりです。私はガズンと申します。こちらは私の孫のフルールでございます」
「騎士さんよ。ここは俺たちの大事な飯の種なんだよ。他の木こりだってこの場所なんか知らない。あんた、こんなとこで何してる?」
「フルール!騎士様に向かってなんという口を…!」
じいちゃんが俺を窘めようと口を荒く開く。
「いや、構わないさ。貴殿らの仕事場に無断で入るような真似をし、すまなかった。申し訳ついでに、もしよければ道案内を……」
お願いしたい、そう言いかけたのであろうが、何故か俺と目を合わせた瞬間、騎士の言葉が途中で止まる。
「騎士様?」
じいちゃんがそう問いかけて二の句を待つも、女騎士は俺を見たまま凍りついたように動かない。
「なんだよ、迷ったんかよ。しゃーねぇな。じいちゃん、俺が町まで送ってくるからさ、切り出し頼む」
これはいいアイデアだ。
俺は日ごろ町まで降りることは禁止されているし、ここから家まで木を運ぶのも面倒だったため、この機会を使って面倒ごとから逃れられ、かつ滅多に下りることができない港町まで行こうと考えたのだ。
「ばかもん!騎士様の様子を見ろ…まずはうちで手当てをするのが先じゃ。騎士様も構いませんな?」
じいちゃんがそう問いかけると、ようやく騎士は、二の句を継いだ。
「け……け……」
「「け?」」
「結婚を前提にお付き合いしてくださ~~~~~い!!!!!」
「「はぁっ?!!」」
俺とじいちゃんの声が、綺麗にハモった。