2話 仮面の紳士 と 傍若無人の王
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「失礼します」
そう言ってエータが入ったのは、普段使うことはおろか、近づくことさえ無い小さな部屋だった。エータ自身、この部屋へ足を踏み入れるのは今回でまだ三度目だ。
学園の中にあって、その存在を殆どの者が知らない特殊な部屋。そこに二人はいた。
校舎のほぼ中心、しかも地下にあるため非常に暗く湿っぽい。
窓はなく、備え付けられた小さな燭台が二つ、三つあるだけだった。
燭台には火は灯っておらず、それどころか肝心の蝋燭すらない状態だった。
調度品や家具の類は一切なく、壁は石の地肌が剥き出しとなっている状態でともすれば、独房や拷問室を連想させる、そんな作りの部屋だった。
「さて、すぐにでも始めてくれるか?」
「はい」
トリアは部屋の中心に移動し、エータはそこから少し距離を空けた所、トリアのほぼ真後ろに位置する石碑の様なモノの前に立った。
「では、始めます」
言葉と同時に、エータは目の前にある石碑へ向かって手を翳す。
目を閉じ、意識を目の前の物体と集中させる。
程なくして、石碑のの天板部分に掘り込まれた文字の様なものが薄っすらと淡い緑色に発光しだした。
光は次第に拡散し、石碑全体へと伝播していく。
光は石碑を伝い、床へと到達するとまた新たな変化を見せる。
光は複数の光の細い帯となり、まるで己が意思を持っているかように部屋中を縦横無尽に駆け巡った。
あるものは奇妙な図形を描き、またあるものは見たこともない文字のようなものを描いていく。
床と問わず、壁、天井、部屋の隅々まで光の帯で埋め尽くされる。
「目標点補足……座標固定……反映点周囲確認……異常なし、対象捕捉……干渉開始……完了、
空間投影開始します」
エータの言葉が終わるや否や、部屋全体がぐにゃりと歪む。
その感覚は貧血で倒れる前の光景にていて、トリアはこの瞬間が嫌いだった。
風景の歪みが収まると、部屋の様相は一転していた。
何も無かったはずの殺風景な部屋が、突然、煌びやかな調度品に装飾された豪華な部屋へとその姿を変えていたのだ。
どんなに遠く離れた場所であっても、さもそこに自身がいるように辺りの風景を映し出す魔導の鏡……
望幻鏡。
それがこの“魔導器”に付けられた名だった。
“鏡”と名に付いているように、ここに映し出されたものはすべて幻に過ぎず触れることは出来ない。
それを示すように映し出された風景は、水面に写った月の如くゆらゆらと揺れていた。
「ん? やぁ、久しぶりだねトリア。いや、今はトリア学園長とお呼びしたほうがいいのかな?」
そう気さくに話しかけてきたのは、突然目の前に現れた仮面で顔の左半分を隠した青年だった。
いや、彼から見れば、トリア達の方が突然姿を現したように見えたことだろう。
彼もまた周りの風景同様、望幻鏡によって映し出された幻の一つだった。
一際目を引く豪華な机に座り、この部屋の主然としたその佇まいはどこか風格すら感じる。
「やめろ……背中がぞわぞわして気持ち悪い……」
トリアはぶっきらぼうな態度で、目の前に現れた青年にそう答えた。
「ははっ、相変わらずだね。エータも久しぶり。元気そうでなによりだよ」
青年はトリアの態度などどこ吹く風と、まるで気にすることなく次にエータへと話かけた。
「ご無沙汰しております。アルフリード様」
エータは青年に向かってその場で小さく頭を下げる。
本来なら膝を突いてかしずくべき相手なのだが、今は彼女の役割上身動きがとれずそうも言っていられない状態だった。
「仕方がないとはいえ、この幽霊みたいなものが突然現れるのには毎回驚かされるね。
夜なんかに出てこられたら、悲鳴の一つでも上げてしまいそうだよ。
で、今日はどういった用件なんだい?」
アルフリードと呼ばれた仮面の青年は、冗談交じりの声色とおどけた仕草をもってトリアへと問いかける。
「シュタインシュッツ卿のご要望で召集をかけてたレオンが、漸くオルビアに着いたんでね。その報告だ」
アルフリード・シュタインシュッツ。
魔導技術の研究と開発及び遺跡を管理する部署、魔導遺産管理局の若き局長にして、レオンをオルビアへと呼び出した張本人。
それが、この仮面の青年・アルフリードだった。
魔導遺産管理局とは、遺跡で発掘・調査を行うトリアたち遺跡調査団の上部組織であり、彼はそこの局長……つまる所トリアの直接の上司、という立場にある人物だった。
そして、映し出されているこの場所は、オルビアより遠く離れた帝都にある魔導遺産管理局の執務室だった。
「シュタインシュッツ卿って……いい加減そのネタで嫌味を言うのは勘弁して欲しいかな……いつも通り“アル”でいいよ……」
アルフリードは苦笑いを浮かべながら抗議の声を上げた。
“人の嫌がることは率先してやる”をモットーにしているトリアにとって、アルフリードのそんな姿に気をよくしたのか、嫌な笑みを浮かべるとたたみかけるように言葉を続けた。
「いえいえ、史上最年少で魔導遺産管理局の局長に就任した超エリート様ですから?
私のような下賎な者が呼捨てなど、とてもとても……」
「今度、帝都の美味しい地酒でも送から……」
「よっし、のった!! グース(12本)な! グースで送れよ!」
「はいはい、わかってるよ……」
そこはそれ、彼女との付き合いなど昨日今日の浅いものではない。
トリアの行動など、アルフリードは十分過ぎるほどに分かっていたことだし、その対処法も然りだ。
「……学園長」
トリアの勝ち誇ったような姿を尻目に、エータとアルフリードは嘆かわしげにため息を吐いた。
「この手は今後も使えるな……」
「今回限りだよ。次はないから……」
ポツリと零したトリアの呟きに、アルフリードはすかさず釘を刺す。そうしなければ、何処までも増長するのが目に見えているからだ。
「ちっ、なんだよ、高給取りのクセにケチ臭いこと言いやがって。国務従事者だろ、国民の血税でメシ食ってんだから少しは還元しろよ」
「それは君だって同じだろうに……」
冗談なのか本気なのか、ふざけているだけか真面目に言っているのか……
そんな取り止めのないトリアの態度にやれやれ、と言わんばかりにアルフリードは大きくため息を吐いて見せた。
「と、冗談はここまでだよ。それにしても、二ヶ月か……思ったより時間がかかったみたいだね」
そう言って、今までのふざけた雰囲気を切り捨てると、緊張感を帯びたアルフリードは真面目な声色で切り替えした。
レオンたち調査団がいた遺跡はオルビアより北西にあり、徒歩でなら約一ヶ月という距離にあった。
予定通り進めないことや、個人差もあるが二ヶ月という本来の二倍の移動期間は少し長い。
「……レオンは時間が掛かった理由について、何か言っていたかい?」
少しの間を置いて、アルフリードは言葉を選ぶようにしてトリアへと問いかけた。
「さぁな? 寄り道か、さもなきゃ迷子にでもなってたんじゃないか?
なにせあれで、初めての一人旅だったわけだからな。なんでそんなことを?」
「……なに、ただの老婆心だよ。だったら、今回の学園への急な入学については?」
「ああ、それなら案の定、それなりにゴネられたよ。まぁ、最後は“社会勉強”だってゴリ押したけどな」
「はははっ、そうか、社会勉強か……なかなか面白い理由を思いついたものだね」
トリアの言葉に、アルフリードはクスクスと笑いながら答えた。
「なんだ? “お前はどこぞの悪の秘密結社に命を狙われているから、学園で保護することになった”なんて言ってよかったのか?」
ニヤニヤとアルフリードをからかう様な嫌な笑みをトリアは浮かべた。
「言った所で信じて貰えるものでもないだろ?
それにしても“悪の秘密結社”って……くくっ、トリアのそのセンス、僕は好きだよ……くくくっ」
必死に笑いを噛み殺そうとしているのか、アルフリードの肩が小刻みに揺れる。
「うっうるせー! 似たようなもんだろ!?」
からかうのは三度のメシより好きだが、からかわれるのは絶対許せない。そんなトリアは、恥ずかしかったのか頬を少し上気させて抗議の声を上げた。
「で、そっちの状況はどうなんだよ? 例の“遺跡荒らし”共について何かわかったのか?」
「いや、全然だね。手は尽くしているけど、肝心な“情報”が少なすぎて調べるにも限界があるよ」
アルフリードは戯けた様子で“お手上げだ”と、言わんばかりに両手を挙げて見せた。
「おいおい……しっかりしろよ。そんなんじゃ何のためにあたしが協力してんだか分からなくなってくるだろ」
「ははは、こればかりは申し訳ないとしか言い様がないね。
トリアが学園の学園長を引き受けてくれたおかげで、“レオンの保護”っていう目的は早期に解決できたわけだからね。君の協力には本当に感謝してるよ」
と言うと、アルフリードは真剣な眼差しでトリアへと礼を言った。
「勘違いするなよ? “レオンのため”だって言うから、あたしは協力しているんだ。あんたに礼を言われる筋合いはない」
「ははっ、相変わらず“弟”思いのいいお姉ちゃんだね」
「うっ、うるさいな。で、何か一つくらいは新しい情報を仕入れたんだろ?」
アルフリードの茶化したような物言いに、照れ臭いのか多少頬を紅潮させながらトリアはそう聞き返した。
「新しい……って程じゃないけど、“レイス”の目撃情報ならここ数ヶ月で2件上がってきてるね」
「レイス……?」
アルフリードの口から、聞きなれない言葉がトリアの耳に届いく。
「ああ、“件の魔導遺跡で目撃されていた不審者”……君が言うところの“遺跡荒らし”達のことだよ。
彼らのことを僕は“レイス”と呼称することにしたんだ。
いくら調べても彼らの動向がまるで掴めない上、何処の何者なのか、組織の規模、目的、ありとあらゆるものが不明……見えているのに追いかけれない、掴もうと手を伸ばせば消えて無くなる……まるで“おばけ”みたいじゃないか?
だから“おばけ”」
「で、その“おばけ”どもが今度はどこに現れたって?」
さも、得意気な顔で語るアルフリードを尻目に、トリアは話の続きを促すした。
「072号・073号……」
アルフリードの顔には先ほどと同じようにニコニコとした笑みが張り付いているものの、その声はただ淡々とした事務的で無機質なものだった。
「ちっ、また“0番遺跡”かよ……しかも今度は“人体組成”に関する遺跡って、気味が悪いな……」
アルフリードの言葉を聞いて、トリアは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
「区番だけで内容がわかるなんて流石だね」
「煽てたって何も出ないからな?」
“魔導遺跡”とは、簡単に言ってしまえば過去の魔導研究施設の跡地だと、トリアたちは考えていた。
例外はあるが基本的に、一つの遺跡につき一つの主題に沿って魔導の研究が行われていたのではないか、というのがトリアの祖父であるニド・バルヤザールが提唱する仮説だった。
現に発見される遺跡からは、その仮説を証明するような研究資料や関連する魔導器が複数出土している。
結局のところ、トリア達が知りえた知識では、未だ遺跡の全容を知りえてはいない、というのが実情だった。
こういった魔導遺跡の特性を利用し、建設年代別、研究の内容別、発見順位と分類分けしたものが基本3ケタから成る区番と呼ばれる管理番号だった。
トリア等ある程度の知識を有した者であるなら、この区番を見聞きしただけで、それがどういった内容の遺跡なのか判別することができるのはこのためだった。
取り分け、“0番遺跡”と呼ばれる建設年代が“0”と表記される遺跡は、建設された年代が今より400年ほど前の最も古い原初の魔導遺跡であることを示していた。
これら“0番遺跡”は、帝国によって厳重に管理される“特定遺跡”と定められ、関係者以外の人間が立ち入ることはおろか、その存在自体一般には公にされていない遺跡だった。
「それで、そいつらの足取りは?」
トリアの言葉に、アルフリードは力なく首を横に振って見せた。
「案の定だめだった様だね。追跡した者からの報告には溶ける様に消えていった、て書いてあったけど……」
「……なぁ、本当にそいつら人間なのか? 本物の幽霊でした、なんてオチはないだろうな?」
トリアはやや青ざめた表情で、恐る恐るといった様子で言葉に出した。
「遺跡に眠る古代人の魂が、この世に未練を残して天国に行けずに彷徨っている……とか?」
「やっ、やめろやめろ! 薄気味悪い!」
やや引きつった声でぶるる、と身震いをするトリア。
「はは、この手の話はやっぱり苦手かい?
僕としては“悪の秘密結社”を相手にするくらいなら、そっちの方がずっと気が楽でいいね。今度、祈祷師でもつれて行って浄霊でもしてもらおうかな?」
アルフリードは冗談めかしてそんなトリアへと笑って答えた。
男勝りなトリアだが、実は“おばけ”の類が苦手なのである。
「そうだ“0番遺跡”繋がりで、わかったことと言えばもう一つ……」
そこで言葉を止めたアルフリードは、机の引き出しから数枚の紙がまとめられた薄汚れたファイルを取り出した。
「魔導遺産管理局の過去資料を調べていて分ったことなんだけど、この手の遺跡への不審人物の目撃報告っていうのはずいぶん昔から上がってるようだね。そういった案件をまとめたファイルが出てきたよ」
と、取り出したファイルをぺしりと机の上に放り投げた。
「……盗掘者記録簿?」
ファイルに記載されていた文字を読み上げるトリア。
「そう。タイトル通りこのファイルには、過去数十年分の遺跡付近での不審者の目撃記録と盗掘犯の捕縛記録がまとめられているんだ。
知ってのとおり、遺跡の発掘・調査は帝国からの許可性で、無許可での発掘は重罪にあたり、厳罰に処される」
「未知の術式が記された書やら、山一つ吹き飛ばすようなヤバイ魔導器やら……物によっちゃ一つで豪邸が建つくらいの高額で闇取引されていたりするからな……」
トリアが補足する様に、アルフリードの言葉を引き継いだ。
「うん。そうだね。魔導器の無断所持すら違法なんだけど、お金持ちっていうのはどうしてすぐ魔導器を欲しがるのかな……理解に苦しむよ」
お前もとんでもない金持ちだろ! と、トリアは内心思ったが、ひとまずツッコムのは控えることにした。
「そうした一攫千金を目論んだ子悪党な盗掘者共が後を絶たず、僕たちの頭を痛めているわけだけど……気になったのは、そういった輩の目撃報告が一部の遺跡に偏っているってことなんだ」
「どういうことだよ?」
首を傾げるトリアに、アルフリードは無言のまま机に放り出したファイルを手に取りペラペラとめくるとあるページで手を止めた。
「ここに書かれているのは、過去の不審者目撃件数と捕縛者数の統計をまとめたものなんだけど、ここ10年間の目撃報告が約1000件。年間ペースで約100件。……で捕縛件数が約800件。単純に考えて不審者の八割を捕縛していることになるね。けっこう厳重に取り締まっているんだけど、二割も取り逃がしているってことだよ」
「警備の怠慢だろ?」
アルフリードはトリアの反応を確認すると、持っていたファイルのページをめくり次のページを開いた。
「そうとも言えないかな。
気になったのは次の“遺跡別の不審者目撃件数と捕縛者数をまとめ”たデータなんだ。
詳細な件数は省略するけど、ほとんどの遺跡で不審者の目撃件数と捕縛件数は近似している。なのに一部だけ目撃報告に対して捕縛数が極端に少ない遺跡があるんだ……これが決まって……」
「“0番遺跡”だって言うのか?」
トリアの言葉にアルフリードは無言でうなずいた。
「この時の警備隊だって別に無能なわけじゃない。
現に遺跡別の捕縛数から見たらとても優秀な人たちだったことは一目瞭然だ。そんな彼らが不特定の、200人に逃げられたとはとても考えにくい。
むしろ、一部の人物に200回逃げられたと考える方が自然じゃないかな。今の僕たちみたいに、ね」
アルフリードはそう言って、そっとファイルを閉じた。
「……この逃げた不審人物と、あんたの言うレイスが同一人物だと?」
「さぁ? 同一人物かどうかは分らないな……ただ“同一の組織”だとは思っているけどね」
アルフリードは居住まいを直すため、一度大きく座りなおすと、真剣な表情で言葉を繋いだ。
「レイスは非常に正確な情報と高度な魔導学の知識を有した組織だ、と僕は考えているんだ。
そうでもなければ今回の件も過去の件も含めて、こうも正確に“0番遺跡”にばかり姿を現すなんて、どう考えても不自然だからね」
「なぁ、本当にそいつらの目的が、アルのいう様にレオンだっていう確証はあるのか?」
トリアは、俄かには信じられない、といったやや猜疑的な感じでアルフリードへと問いかける。
「正直に言えばただの勘だよ……物的証拠や根拠は何もないからね。ただ……」
アルフリードは、何かを考え込むように一度言葉を区切った。
「この報告書には“彼らは何を探しているようだった”と記載されている。
それがどうにも引っかかるんだ……」
机の上に無造作に置かれた報告書を、コツコツと指で叩きながらアルフリードは言葉を続ける。
「遺跡に姿を現しては消える……内部に侵入した形跡はあっても、何も盗むことなく立ち去っている……
君は“遺跡荒らし”なんて呼んでいるけど、実際“彼ら”による盗掘や破壊等の被害は一件も報告されていないんだよ。
本当に何かを探しているのかもしれない……だとしたら、その探し物とは一体なんなのか……」
「おいおい……本格的に気味が悪くなってきたな……」
レオンのことを抜きにしても、これはかなり異常な事態だ。
頬が引きつり、嫌な汗が流れるのをトリアは感じた。
別に、アルフリードの話を信じていなかったわけではない。“どうせ何かの勘違いだろう”と、話半分くらいにしか聞いていない節はあった。それはトリア自身自覚していたことだ。
しかし、アルフリードの口ぶりや様子から、今更ながら事の深刻さをひしひしと感じていた。
「彼らが探しているという物と、レオンが“眠っていた”あの遺跡が無関係だとは、僕にどうしても思えないんだよ。
とにかく、彼らの目的がわからない以上、後手に回るのだけは避けたい。だから……」
「学園でレオンの身柄を確保する……ってか?」
トリアの言葉に、それしか出来なかっただけだけどね、とアルフリードは自嘲気味に笑って見せた。
「僕が知る限り、一番安全な場所だからね……まぁ何にしても、向こうのシッポさえ掴めない状態じゃ、こっちから打てる手なんて特にないんだけどね」
何もできない無力な自分にアルフリードは苦笑した。
「しっかり頼むぜ……あんたがそんなんじゃ、このあたしが協力している意味がなくなる」
弱気な上司に渇を入れる。相変わらず言葉は悪いが、長い付き合いだかろこそ分かるトリアなりの気遣いの言葉だった。
「……ありがと、トリア」
それを分かるからアルフリードはトリアへと笑って見せた。
「ニヤニヤすんな、気持ち悪い……で、これからの予定はどうするつもりだ?」
少し頬を紅く染めながらに、照れ隠しのつもりかつっけんどんな態度を取るトリア。
「ん~、当面はそのまま学園生活を続けて、レオンのことを見守っていてほしいかな。
オルビアにいればよほどのことがない限り安全だとは思うけど、念のためにね。
その間に僕は“レイス”のことを更に調べてみようと思ってる。あわよくば一人位なら捕まえられるかもしれないしね」
「わかった。また何か分かれば教えてくれ」
「ああ、わかってる」
「ふん、アルあんたも十分に“いいお兄ちゃん”してんじゃないか」
ニヤニヤと笑みを浮かべたトリアは、先ほどの意趣返しとばかりにアルフリードをからかおうとしたのだが……
「はは、そうかな? 僕には妹もいるから、そのせいかもね」
「……」
ただにこやかに流すアルフリードの姿に、トリアは内心舌打ちをした。
何かしらリアクションが楽しめるかと思ったトリアにとっては、盛大に肩透かしくらった気分だったからだ。
「あぁ……そういえばその妹、今年学園に入学したんだっけか?」
アルフリードの言葉で、今年の新入生名簿に彼の妹の名前があったことを思い出した。
トリアの学園長就任も今年からであることを考えると、ある意味同じ一年生ということになる。
「確か……リーリア・シュタインシュッツ……だったか?」
うろ覚えの記憶から、何とか目当ての名前を引き出した。
「ああ、妹のことよろしく頼むよ」
「いや、よろしくされてもな……あたしは別に授業とか持ってないから、直接関わる事はないと思うぞ?」
トリアは魔導学の、こと魔導遺産に精通する学者ではあったが、あくまで現場主義で教鞭など取ったことはない。
まして、今回はお飾りの管理職として赴任しているため授業を執り行う予定すらなかった。
「ははは、別にそれでもいいよ。ただ静かに見守って、あの子の好きなようにさせてあげて欲しいんだ……」
何か思うところでもあるのか、アルフリードは力なく、だが、優しく笑った。
「……わーったよ。それとなく気にしておいてやる。レオンの一件で世話になるだろうからな」
「ありがとう、トリア」
「ふんっ……」
トリアは頬が熱くなるのを感じアルフリードから視線を逸らした。
ことあるごとに、礼や感謝を素直に口にするのはアルフリードの美徳ではあったが、トリアにしみればからかいがいがないというか、とにかく付き合い難くくてしかたがなかった。
これならまだ、レオンをおちょくって小突いていた方が全然楽しいというものだ。
「でも、そういう意味なら僕達が一番感謝しなくちゃならないのはエータになるのかな?」
「……え? えっ!? そっそんな! ど、どうして……?」
突然自分に話が振られ、あたふたするエータへアルフリードは優しく微笑んで見せた。
「だって、望幻鏡を起動できるのは現状君だけだからね。この魔導器の使用は君頼りってことだよ」
「確かに……言われてみればそうだな……」
納得するトリアはアルフリードの言葉に習って、大きく頷いた。
「エータのおかけで僕はこうして帝都に居ながらにして、君達と連絡を取り合うことができているわけだ。
手紙のやり取りじゃこうは行かない。僕のわがままに付き合ってくれたことに、本当に感謝しているよエータ」
「そっ、そそそそ、そんなっ!! 私にはこれくらいしか取り柄がありませんから……
わ、私なんかにはもっ、も勿体無いお言葉です……」
尻すぼみに小さくなっていくエータの声。最後の方は、俯いて身を小さくしてしまっていた。
「そんなはことないよ」
すっかり恐縮してしまっているエータに、アルフリードは優しく声を掛ける。
事実、帝都とオルビア間で手紙のやり取りを行おうとすれば、往復二週間はどうして掛かってしまう。それでは、柔軟な対応など到底無理な話だ。
兵は神速を尊ぶ、ともいう。古来より時間とは得がたき物である、ということだ。
「エータのことは頼りにしてる。少なくとも、古式の魔導器を起動させることは僕にはできない芸当だ。それは誇っていい君の力だよ」
「うっ、うう……こっ、こんな力でもアルフリード様のお役に立てるのであれば、その……とっ、とても、光栄に思います……ううっ」
最後の方は、かすれて聞き取るのが困難なほど声が小さくなってしまっていた。
褒められる事になれていないせいか、顔を真っ赤にしながらエータはなんとかそれだけは言いきると、アルフリードの視線から逃れるようにまた俯いたきり黙り込んでしまった。
「なぁ~なぁ~アル~、この魔導器をわざわざ帝都から持ってきて、ここに据え付けたのはあたしなんだが、この件に関して感謝の言葉とか特別褒賞とか特別褒賞か、後は特別褒賞とかはないのか?」
アルフリードとエータのやり取りを見ていて、良からぬことでも思いついたのか、急にネコ撫で声を上げ擦り寄ってくるトリア。
「何を寝ぼけたことを……」
ため息一つ、そんなトリアの言葉を、アルフリードは刺さりそうなほど冷やかな視線を持って一刀の下に切り伏せる。
「なっ!!」
まさかの一言に、二の句を続けられずトリアは絶句した。
「……君はただ調査隊員に指示してただけだろ?」
「ぐっ……指示するのだって簡単じゃないんだからなっ! 元あった通りに配置しないと機能しないとか、微調整とか……いろいろあったんだぞ?」
「その辺りのことは全部、先生が担当したはずだけど?」
「なっ! なんでそれを……」
「先生が愚痴っていたよ。“孫がなんもせんかった”“老人を扱き使いおって”ってね」
「あんのクソジジィがぁ~!」
そんなトリアの姿にやれやれ、とアルフリードは一つ大きなため息を吐いた。
「ああ、因みにだけど、先生と団員には少ないけど褒章を払っているし、労いに我が家でのささやかなパーティーに招待させてもらったよ」
今でこそ帝都住いのアルフリードだが、実家はここオルビアにある。しかも、オルビアは言うに及ばず、帝国内でも一二を争うほどの大貴族の家柄だ。
そんな大貴族の邸宅で催されるパーティーともなれば、その規模や豪華さは言わずもがな……である。
「おいっ! ちょっと待てっ! おかしいだろ? あたしは褒章貰ってないし、パーティーにだって誘われて無いぞ!」
「だから、君が何もしなかったからだろ……そんな人に褒章なんかが出るとでも?」
再び、アルフリードの冷ややかな視線がトリアに刺さった。
「ぐぬぬぬぬっ……」
言われていることが正論過ぎるだけに、返す言葉なんてあるはずもなく……
ただただ、呪詛のようなうめき声を上げ、恨めしげにアルフリードを睨みつける。
「睨んだって何も出ないよ」
ダダを捏ねる子供を躾けるように、冷たく一蹴。
「うがぁぁーー!! どいつもこつもこいつもあたしを蔑ろにしやがって! もっとちやほやしろよっ! 崇め奉れよ! ちくしょー!!」
「……貴方はこどもですか?」
一時的なもので本意ではなく、真の主の命であるため仕方なく仕えてる仮の主のこんな醜態を日に何度も目の当たりにし、エータは今後のトリアとどう接して行くか真剣に悩み始めていた。
「はははっ、まぁ、昔からトリアは大体こんな感じだよ。顔も頭も良くて何でも出来るくせに何もしない。
中身がコレだからね……そういえば、レオンがトリアのことをよく欠陥なんて言ってたっけ……」
昔のことを思い出すように、アルフリードは誰に言うともなしに呟いた。
「ああ、その言葉でしたら先ほども言われてましたよ」
エータは学長室でのレオンとトリアのやり取りを思い出した。
「やっぱりかい? ははは、二人とも相変わらずだな」
レオンとトリアが言い合う光景など、昔のアルフリードにはただの日常風景でしかなかった。
遺跡調査団で二人と共に発掘・調査に携わっていた数年で、そんなものは飽きるほど見てきた。
そして、そんな二人を事あるごとに仲裁していたのがアルフリードだったのだ。
しかし今、そこに自分の姿はない。
日常的に目にしていた光景も、今は思い浮かべなければならないことに、一抹の寂しさがあった。
「さっきからごちゃごちゃごちゃごちゃと! 言いたいことがあるならはっきり言えよ!」
やや泪目になりながら、トリアはただにこにこしているだけのアルフリードに憤懣遣る方無いと食って掛かる。
「ははは、君たちが羨ましいなって話だよ」
そんな二人の姿を思いながらアルフリードが浮かべたその笑顔は、どこか寂しげなものだった。