13話 トリア教授の魔導学講座Ⅱ
「“生誕の儀”は知っているだろ?」
「はい。その日に生まれた子どもが、聖皇教会から祝福の祈りを授かる儀式のことですよね?」
「そうだ。
今でこそ、子どもの健やかな成長と無病息災を祈る行事として行われているが、本質はもっと別のところにある。
あれは、元は“聖約の儀”と呼ばれていた聖霊との契約の儀式が変化して伝わったものだ」
トリアは再度、白い文字で一杯になった黒板の方へ向くと古い方をざっと消しその上から新たに文字を書き殴って行く。
「少し遠回りなってしまうが、先に召喚術式の歴史について話したいと思う。
“召喚”という概念は非常に古く、図像術式、字紋術式、召喚術式の中では最も古く長い歴史がある。
なにせ、人間種が初めて使った魔導術こそが召喚術式だ、という学説を唱える者が多く居るほどだ。かく言うあたしもこの学説の賛同者の一人なわけだがな。
でだ、昔の人々がこの召喚という魔導術を持ちいて一体何をしていたのかというと、一言で言ってまえば天気予報だ。
聖霊を呼び出し、その年の天候を聞くことで豊作なのか不作なのかを占っていた。
豊作と出れば、聖霊へ感謝をこめて祭りを行い、不作と出れば、少しでも実りが多くなるよう聖霊への祈りと共に祭りを行った。
しかし、当時行われていた召喚術式というのは、今のあたしたちからすれば、非効率的な出来損ないもいいところの欠陥術式だった。
なにせ、発見された数少ない資料によれば一体の聖霊を呼び出すのに、
“大量の供物を用意し、数十名にも及ぶ神官が祈り、楽師が奏で、清らかなる乙女たちが舞い踊る”
と、言うことを三日三晩繰り返すとある。
これじゃ、今のように気軽に聖霊の力を借りるわけにも行かない。
では、今と昔、何がそんなに違うのか……
それが、“単一聖霊の契約”という画期的な手法を取り入れたことだった」
トリアは重要な項目に、大きな白丸を書くとバンッと黒板を強く叩いた。
「古代式の召喚術式というは兎に角派手なことをして、近寄ってきた聖霊をとっ捕まえるという、罠というか待ち伏せ猟というか……そんな原始的な手法で行われていたようだな。
その所為で、目当ての聖霊以外の聖霊を呼び込んでしまうこともしばしばあったらしい。
要は、総当り的な手法だな。新米弓兵千射れば一当る、とも言う。
天候やその年の実りが知りたいのに、火や岩、剣の聖霊なんて呼んだ日には目も当てられないだろうな。
実際、そういたことがあった時は、目当ての聖霊が訪れるまで何度も儀式を繰り返していたようだな。
資料の記述を信用するなら、長い時で一カ月同じ儀式を繰り返していたとある。
聖霊任せの受動的な召喚だったが故に、無駄が多く時間も掛かったわけだ。
なんとも気の長い連中だったんだな。あたしなら、初日に飽きる自信がある」
なんの自慢なのか、誇らしげに胸を張るトリアを見てレオンは頭痛を覚えた。
珍しく真面目にしているかと思えば、直ぐこれだ。
「まぁ、そんな中、ある時一人の天才が現われたわけだ。その天才はこう考えた……
“初めから、来て欲じい聖霊様呼べだら、ごけな長う儀式しなくてもええんじゃね?”と」
(おいおい、なんだそのえらくイモ臭い天才は……)
「これが先に述べた“単一聖霊契約理論”の基点であり、現在使われている召喚術式、取り分け唄巫女の用いる召歌の基礎となっている。
しかし、だ……
聖霊を呼ぶことは出来ても、契約をするにはオルビアの城壁よりも大きな障害があった。
それは、聖霊と契約を結ぶには、契約者自信の精神を聖霊と同じ領域まだ高めなければならないことだ。
これには、途方もなく長い時間の、そして血反吐を吐くようなキツイ修練が必要だった。
多くの者が修練に励んだが、結果、誰一人として聖霊と契約を結ぶことが出来なかった。
それこそ星の数ほどの者たちが挑んでは散って行く中、ついに一人の聖人が現われる。
それが、聖皇教会の開祖、聖人エウロスだ。
聖人エウロスは聖霊と語り、人の本質を悟ったといわれている。
その悟りとやらがどんな内容なのかは、聖皇信徒ではないあたしは知らないし興味もないがな……
で、聖人エウロスが記した手記には次のようなことが書かれている。
“人は聖霊の魂を持ち生まれる器である”と……
分かりやすく言えば“生まれたばかりの赤子は聖霊に等しい存在だ”ってことだ。
覚えはないか?
赤ん坊が、何も無い空間に向かって手を伸ばしたり、笑いかけていたりする所を……
あれは、赤ん坊が聖霊を見ているからだ、という者たちがいる。
彼の者たちによれば、聖霊に等しい存在として生を受けた赤子も、成長するに連れて……いや、“人”になるに連れてその神聖性は失われ、次第に聖霊を感じられなくなって行くと言う……
ならば、神聖性が高い赤子のうちなら聖霊と契約することが出来るのではないか、と考える者たちが現われた。こいつらが、今の聖皇教会の前進にあたる組織の者たちなわけだが……
結果だけ言ってしまえば出来てしまった。
これが初めに話した“生誕の儀”の元となった儀式、“聖約の儀”だ。
しかし、内容はとても契約なんて呼べる代物じゃなかった。
なにせ、生まれたばかりの赤ん坊をとっ捕まえて、聖霊に会わせるってだけだからな。
この頃になると、神聖性の高い赤子を召喚の媒介にすることで、今までよりも早く多くの聖霊を召喚出来るようになった。
儀式により、数多の聖霊たちが召喚され赤子と会わされた。
その中から赤子のことを気に入った聖霊がその者へ祝福を授け守護聖霊として宿る。
平たく言えば、“聖約の儀”というのは人間と聖霊のお見合いみたいなもんだな。
勿論、儀式を受けたからと言って全ての人物が聖霊の祝福を受け唄巫女となれるわけではない。
そう言うあたしも、あぶれた一人なわけだ。
まぁ、ここまで来ると、契約ではなく加護なのではないか? という意見が学会内で出ているが、現在決着は着いていない。一応、統一見解として、契約ということなになっているがそのうち呼称が変わるかもしれないな……少し脱線した。話を戻そう。
こうして単一の聖霊と契約し守護を受けることで、聖霊を召喚する儀式に大量の供物も長い時間も必要無くなった。
そりゃ、そうだろう。何せ唄巫女たちは今守護を受けている聖霊のお気に入りなわけだからな。助力を願われれば、割と簡単に力を貸してくれる。
余談だが、聖人エウロスの子、オーベルはこの儀式で数十もの聖霊から祝福を受けたという記述が残っている。眉唾物ではあるが真実であれば“聖霊皇”の異名も納得ものだな。
今でこそ“生誕の儀”として男女問わず行われているが、この儀式がまだ“聖約の儀”と呼ばれていた
500年ほど前までは唄巫女足り得る女児が生まれた時のみ行われていたらしい。
何故聖霊との契約が、女性のみしか行えないのかは未だ不明だ」
ゴーン ゴーン ゴーン
丁度トリアの言葉が途切れたとき、講義の終了を知らせる鐘の音が響いた。
「おっと、時間か……
じゃ、最後にひとつ。
今、お前たちに宿っている聖霊はお前たちのことを見初めて生涯を共にすることを選んでくれた聖霊だ。
だから、お前たちも聖霊のことを何があっても信じてやれ。
そうすれば、聖霊は必ず思いに答えてくれるはずだ……」
トリアは生徒たちに「今日話したことは復習しておくように」と言って教室を出て行った。
長い講義も終わり、生徒たちが次の講義の準備へと取り掛かる。
ようやく、退屈だった講義から開放された、とレオンは凝り固まった体を解すように大きくひとつ伸びをした。
その時、何気なく振り向いたその先に居たリーリアが歯を食いしばり、両手を震えるほど握り締め、机の一点を険しい表情で睨み付けていた。
そんなリーリアの切羽詰った横顔が、何故かレオンの目に焼きついて離れなかった。
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今日一日の講義も無事終了して、後は帰るのみとなった夕刻。
既に大方の生徒たちは帰路に着き、教室内にはその姿がまばらになっていた。
「よう、レオン。今日はこれからどーするよ?
特に用がないなら、メシにでも行こうぜ」
特に荷物らしい荷物を持っていた訳ではないが、帰り支度をしていたレオンにリハルドが声を掛けて来た。
まだレオンが学園に来て二日目だと言うのに、リハルドからの食事の誘いは定番化してして来ているように思えた。
リハルドをはじめ、寮生のほぼ全員は食事を市街で摂っている。
なにせ、寮には炊事をする場所がない。
食堂はおろか、かまどの一つもない。まともにお湯すら沸かせないのだ。正に、寝るためだけにある施設だと言って過言ではなかった。
そのため学園での講義が終わると、市街地へ赴き食事を摂ってから寮へと帰宅する者がほとんどだ。
それはレオンとて例外ではないわけだが……
「悪いな。今日は少し用があるんだ」
別に不快とか馴れ馴れしいなどと思って断った分けではない。
レオンがリハルドに抱いた印象はむしろ逆だった。
リハルドからはレオンの居た調査隊の連中と、同じニオイを感じ好感すら覚えていた。
「そーか。分かった。んじゃ、また明日……は、休息日だから、会うのは明後日だな」
ずけずけと擦り寄ってくる割に、引くときはあっさり引く。
こうしたサバサバした性格も、リハルドの美徳なのだろうと、レオンは認識していた。
「ああ、誘ってくれたのに悪いな。
っと、悪いついでに少し教えて欲しい事があるんだが……」
「ん? 何だよ?」
レオンは上着のポケットから、一枚の紙切れを取り出すと、それをリハルドへと渡した。
「メモか?
なになに……金槌、ノコギリ、手斧、釘……ってなんだこりゃ?
レオン、お前大工でも始めるつもりか?」
「似たようなもんだな。
あのボロ屋を修繕するための道具が欲しいんだよ。それが、どこで売っているか教えて欲しい」
「あの廃墟を直すのかよ……
まぁ、いいけどよ……あっ、そうだ。
教えてもかまわないがタダでって分けにはいかないな……」
リハルドが浮かべる、ニヤニヤ顔に何だか嫌な予感しかしなかった。
「分かった。ならいい。他を当る」
「ちょっ、あっ、いやいやいや!! 待て待て待て待て待て!!」
リハルドを置き去りに立ち去ろうとしたレオンの裾を、リハルドは逃がさないと言わんばかりにむんずと掴んだ。
「……なんだよ」
「聞くだけ聞いてみようとか思わないのか?」
「思わん」
「そこを何とかっ!」
「……はぁ、で、何だよ?」
レオンが諦めてそう尋ねると、リハルドは掴んでいた裾をぱっと放した。
「なに、そんなに警戒すんなって……
夕飯を一食奢ってくれ。それで道案内まで付けてやる」
リハルドは徐に、上着からサイフを取り出すとひっくり返してぱたぱたと振って見せた。
……ホコリがぱらぱら落ちてきただけだった。
「昨日のネーシャの所為で、今月かなりピンチなんだよぉ……
むしろ助けると思って、引き受けさせてくれ! 頼む!」
何だか言葉がおかしいような気もしたが……
リハルドは、拝むように手を組むと涙目でレオンへと訴えかけてきた。
その頼みっぷりは最早、悲壮の一言に尽きた。
「……分かった。それでいいから案内してくれ」
「安心して任せなっ!!」
「なに? レオンの奢りで、ご飯食べに行くの? 私も……」
(まずい。嫌な予感はネーシャだったか……)
「何処から湧いた? お前に奢るとは言ってないだろ!」
「誰の所為でこんな事になってると思ってやがんだよ!」
声を掛けた瞬間に、ステレオで文句が飛んできた。
「ぶー……もぐもぐ……」
奢って貰えないと分かるや、不貞腐れたネーシャは何処からとも無く大きなパンを取り出すと、ガブリと齧り付いた。
「おい……今、服の中から物理的におかしなサイズのパンが出てきたんだが……」
「ん? ああ、よくある事だから気にするな」
「よくある事……なのか?」
また一つ、ネーシャの謎が増えた瞬間だった。
結局、なんだかんだでネーシャも連れて行くことになり、三人は揃って教室を後にした。
レオンは、リハルドの案内の下一路市街の工具商店を目指すのだった。
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今日は事前に確認をしたことが功を奏した。
やはり、ネーシャは無一文だった……
あのまま店舗に入っていたら、昨日の二の舞になっているところだった。
いや、昨日はまだリハルドとの折半だったことを考えれば、今回は下手を打ったら全額負担の危険性さえあったわけだ。
トリアから、資金は潤沢に貰っているがあのペースで消費していたらあっという間に底を着いてしまう。
と、言うことで金を持っていないと分かった段階で、無理矢理ネーシャを寮へと連れ戻しサイフを取ってこさせた。
連れ戻す際に、ぎゃーぎゃーと騒がれた辺りから白い目で見られることになったが、膨大な無銭飲食の費用を肩代わりさせられるよりよっぽどマシだった。
それが、目的の物を購入した後リハルドへの報酬を支払うために何処で何を食べるか、という事を話ていたときの一幕だった。
無駄に、学園まで戻った所為で随分と時間が掛かってしまった。
辺りは既に真っ暗だ。
レオンは大きな荷物を抱える中、昨日よりも遅い時間の同じ道を行く。
一応、例の丘へと顔を覗かせてはみたが、今日は来ていないのかそれとも既に帰ってしまったのか、リーリアの姿は無かった。
少し残念な気はしたが、仕方が無い。
レオンはそのまま根城にしている廃墟へと向かった。
廃墟の前には、木材が積まれていた。
今朝方トリアに依頼した物だろう。ちゃんと、用意してくれたようだ。
レオンは木材の量をざっと確認するが、どうも目算ではだいぶ足りない……
(明日にでも追加で取りに行かないといけないか……ん?)
木材の山の中、やたら目立つ所に白いヒラヒラした物が挟まっているのをレオンは見つけた。
手にとって見ると、それはどうやら地図のようだった。
たぶん、材木所の場所を記した地図だろう。
トリアがそんなようなことを言っていたことを思い出す。
しかし、周りが暗い所為でよく見えない……
(確認は明日でいいか……)
今から作業などするつもりはない。
御誂え向きに、明日は休息日ということで学園は休みだ。
本格的な作業は明日からすればいい。
ドサリと買って来た工具を、木材の隣に放り出すとレオンは自分の寝床へと向かって歩き出した。
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~数時間前~
(今日はあいつは来ないのね……)
別に会いたいわけではなかったが、リーリアはいつもの丘で一人、膝を抱えて佇んでいた。
今日はまだ、ここに来て一曲も歌っていない。そういう、気分でもなかった。
(私の唄が好き……とは言ってないけど、聞きたい聞きたいなんて騒いでた割りに、一度聞いたら来なくなるんだ……
別にいいけどね。付き纏われて迷惑だったし……
これでまた、ここも静かになる。うん、いいことじゃない……)
リーリアは膝を抱え込んでいた手に、ぎゅっと力を込めた。
瞼に焼き付いた光景を拭い去るように、強く目を閉じる。
しかし、鮮明に刻まれたその光景は、簡単には消えてくれなかった。
(あいつ、あんなに強いのに何で五等位なんてやってんのよ……)
それは、ロシュタースやリハルドと戦うレオンの姿だった。
正直、レオンの階級が五等位だと知った時、少なからずリーリアは自分より下の存在が出来たことに安堵した。
一体どんな理由なのかは知らないし興味も無いが、予科生クラスの実力でどうやって学園に編入できたのか疑問に思った。
最初に思いついたのは、何処かの誰かのように実力もないくせにバカな貴族がお金を積んで無理矢理編入させたのではないか、という事だった。
しかし、その考えはすぐにぶち壊されたてしまった……
初日のあの戦いを見て、それでも権力に物を言わせた裏口編入だと罵れるほど、リーリアは厚顔無恥でも馬鹿でもなかった。
レオンの実力は本物だ。
悔しかった……騙されたような気がした。
五等位と言いながら、その実力は間違いなく本物だた……
あれではまるで自分への当て付けではないか……と、リーリアは思った。
実力も無いくせに、三等位に居させて貰っている自分への……
勿論それがただの被害妄想であることは十分承知していた。だが、頭では十分理解していても、心がそれを許さなかった。
それは、力ある者への嫉妬だった。
そんな思いがあったが故に、昨日あんなただの八つ当たりめいた言動を取ってしまったのだろう。
その当人のレオンは、そんなこと気にもせずに金貨一枚を躊躇いも無く差し出したわけだが……
(あ~、私ってばやっぱり最低だわ……わかってたけど……)
リーリアは自分の膝に顔を埋めてため息を吐いた。
自分に唄巫女としての才覚が欠片もないことくらい分かっている。
だから、何か特別な力だとか特殊な才能だとか……そういうものを望むつもりはなかった。
ただ……ただ、普通の唄巫女としての力が欲しかった。
無いもの強請りな事は分かってる。でも、ふと思ってしまうのだ。
もし、自分が何の変哲もないごくごく普通の唄巫女であったなら、あんな悲劇は起きず今も笑って唄っていたのではないかと……
そんな打ち拉がれた心に、追い討ちをかけたのが魔導学の講義の終わりに放たれたトリアの言葉だった。
“だから、お前たちも聖霊のことを何があっても信じてやれ
そうすれば、聖霊は必ず思いに答えてくれるはずだ……”
そんなはずがない! と、思った。
唄巫女ですらない学者風情が、何も知らないくせに何を言ってるのかとも思った。
もし聖霊が加護や祝福を与える存在だと言うなら、なぜあんな惨事が起きたのか……
そんな存在の何を信じろというのか……
仮に、もし、学園長の言っていることが正しとするなら、きっと、自分に宿っているのは聖霊ではなく悪魔からにかに違いないと、そう思った。
周りの全てを不幸にする悪魔だ。
それでも……リーリアは唄巫女になることを諦めるわけにはいかなかった。
それが、唯ひとつ残された贖罪であると信じていたから……
(はぁ~、ダメだな……もう今日は帰ろう……)
そう決めると、リーリアはゆっくりと立ち上がった。
ここ丘は兄との思い出の場所だった。普段ならここに来れば明日も頑張ろうという元気が貰えた……
でも、今はむしろその思い出が辛い。
(でも、帰るには少し早いか……何処かで時間を潰さないと……)
市街をうろうろするだけでもよかったが、ちょうど小腹も空いてきたところだ。
どこかの飲食店に寄ってもいいかもしれない。
家に帰ってから、あまり物を適当に摘んでもよかったが、折角昨日得た臨時収入だ、使わない手はない。
リーリアは足早に丘を下ると、市街へ繰り出したのだった。
レオンが、リーリアのいた場所に姿を現したのは、それからしばらく経ってからだった。
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裏門と勝手口。その両方にしっかりと施錠が施されていた。
それは些細な違和感。
ここの所続いていた、フロエの進入幇助が無くなっていたのだ……
ちょっと前までに戻っただけだ、と思えばさして気にはならい。
むしろ、自分に関わる事を止めてくれた事に安堵さえする。
そう、これでいい。
フロエには、危ない事をして欲しくはなかった。
裏門を乗り越え、リーリアは今自室の真下にいた。
リーリアの自室は二階にある。
屋敷の出入り口の全てに施錠が施されている以上、中に入ることは出来ない。
しかし、たった一つだけ屋敷の、それも自分の部屋に直接入ることが出来る方法があった。
それが……
(さて……頑張って登りますか!)
リーリアは、自室の前に聳え立つ樹木に手と足をかけた。
手馴れた感じで、リーリアはひょいひょいと木を登っていく。
数分もせずして、自室の高さまで登ってしまった。
目の前には、この屋敷で自分が唯一使える入り口がある。
自室の窓だ。窓に鍵は掛けてはいない。
だから、少し引いてやれば、
「よっ……と……」
リーリアは手近な枝を掴むと、体を目一杯使って窓へと向かって手を伸ばす。
ぎりぎり届く窓の淵に輪っか状の取っ手があった。
開けやすいように自作して取り付けたものだ。
それに手をやり、ゆっくりと手前へと引っ張ると、
ガチャリ
と、簡単に開いた。
リーリアは左右の窓をしっかり開ける。入室のための下準備だ。
自室と木の間には多少距離があった。
気をつけて飛び込めば十分届く距離だが、何かの拍子に引っかかって落っこちないとも限らない。
例え落っこちたとしても、高さ的に死にはしないだろう。しかし、それはとても痛いのだ。
落ち方によっては、骨くらいは折ってしまうかもしれない。
前回は無事だったが、次も無事とは限らない。注意するに越したことは無いのだ。
リーリアは、一際太い枝の上に立つと、ゆっくれと体を上下に揺すった。
枝をしならせて反動を利用する。
(1……2……3っ!!)
ばさっ
枝を大きく揺らし、リーリアは跳んだ。
タッ
「っふぅ~……」
多少慣れてはいると言っても、この瞬間はやはり緊張する。
額に薄っすら冷や汗が浮かんでいた。
いつもなら、このまま厨房へと向かって残り物を漁ったりするのだが、今日は外で食事を済ませて来たのでその必要はない。
リーリアは着ていた制服に手を掛けると、クローゼットの中から部屋着を取り出して着替えた。
着替え終わると、ベッドへと倒れこんだ。
今日は何をしたというわけでもないのに、妙に疲れた……
体が、というより心がだ……
(ああ、そういえば明日は休みか……嫌だなぁ……
家にいるとまた何か言われるだろうから、早いうちから出かけないと……でも、何処に行こう……)
正直、リーリアは休息日が苦手だった。
平日なら、なんだかんだで学園に行っていれば時間は潰せるからだ。
自宅にいるよりかはずっといい。
しかし、休息日は丸一日ある。それだけの時間を潰せる居場所がリーリアにはなかった。
(もし……もし、私が唄巫女としての力が使えて、兄さんとの約束を果たせたなら……
また、あの頃みたいな“家族”に戻れるのか……な……)
そんなことを考えているうちに、リーリアは静かに眠りへと落ちていったのだった。