10話 ひとりぼっちの唄巫女
今回から書式変更してます。
過去分はそのうちに……順次変更して行こうと思ってます。
リハルドたちとメシを食った帰り道。
日は疾うに暮れ、街の灯りも届かない暗い林道を、レオンは一人歩く。
(少し食い過ぎたな……)
調子に乗って、詰め込み過ぎて重くなった腹を摩り、レオンは亀の歩みで道を行く。
ある種の期待を胸に秘めて……
~~~~~~~
聞こえてきた。
風に乗って、微かに届く歌声には聞き覚えがあった。
リーリアだ。
レオンは迷い無く、声のする方へと向かって歩みを進めた。
目的の人物は直ぐに見つかった。
昨日と同じ、街を一望できる開けた場所。
そこでリーリアは一人唄っていた。
儚げな……寂しげな……
吹いたら消えてしまう蝋燭の火のような、そんなか弱い旋律……
レオンはそっとリーリアへと近づいて行った。
昨日はここで物音を立てしまったがために、彼女はすぐさま唄うのを止めてしまった。
同じ轍は踏まないよう、リーリアに気づかれないように注意しながら進んだ。
適当な所まで近づくと、手近な木に背を預けリーリアの唄に耳を傾けた。
聞きながらに、ふと思う。
彼女は何時からここに居るのだろう? と……
学園で講義が終わって随分経つ。
本来なら、とっくに寮か自宅へ帰っている時間だ。
(そういえば、昨日もこのくらいの時間だったか……)
レオンは月夜に浮かぶ、リーリアの背中を見つめた。
月光に照らされて煌く紅玉の髪は、そこだけがまるで別の世界であるかのような印象を見る者に与えた。
幾ばくかして、ふいに歌声が途切れた。
終わったのではない、切れたのだ。
ぶつりと、紐を断ち切るようにして歌声が消えた。
「……こんなことをして、今更、何になるって言うんだか……」
リーリアはそうぽつりと呟くと、生い茂る草の上へと腰を下ろした。
何をするでもなく、リーリアはただ町並みを見下ろす。
「今日はもう唄わないのか?」
ビクンッ
レオンが声をかけると、リーリアは肩を震わせてレオンの方へと振り返った。
「……っ、またあんたなわけ?」
今日はわりと近くいちせいか、すぐに誰かわかったらしい。
レオンの姿を確認すると、興味は無いとばかりに視線を街の方へと戻してしまった。
「何時からいたのよ……」
「ちょい前だ」
「なに? 人をつけまわす趣味でもあるの? 気持ちワル……」
「俺にそんな素敵な趣味はない。
帰る途中で声が聞こえてきたから、ちょっと様子を見にな……」
ウソは言っていない。
ただ、“来ているだろう”という予感めいたものはあったが……
「はぁ!? 帰えるってこのへんなんて、何もないじゃない!」
調子はずれな声を上げて、リーリアは再びレオンの方へと振り返っていた。
「あるだろ? ボロッボロの宿舎が」
「はぁ!? あんな廃屋に住んでるって言うの!? 何、バカなの?
あんた金持ちなんでしょ? 貴族なんでしょ?
だったら、もっといいところに住めばいいじゃない!?」
「出来ればそうしたいところだが……
俺にも事情ってものがあるんだよ……」
疲れたようなため息を一つ吐くと、レオンはリーリアの座っている場所まだ近づいていった。
呆れ顔でレオンを見上げるリーリアと目が合った。
「で、お前は今日もこんな所で一人、何してるんだよ?」
「……別に……何していようが私の勝手でしょ……」
レオンへ向けていた視線は、ぷいっと街へと戻された。
「そーかよ……っと」
「ちょっ! ちょっと、あんたはなんでそーやってかってに隣に座ってくるのよ!」
「別に、俺がどこに座ろうが勝手だろ?」
「っ!」
リーリアは唐突に立ち上がると、街へと向かって歩みだし……かけて止めた。
今はまだ帰れない。まだ、早い。
今帰ってしまえば、多分……いや、間違いなくフロエが自分の帰りを待っている。
リーリアは彼女を、これ以上自分の問題に巻き込みたくはなかった。
だから……もう少し、もう少しだけ、時間を潰さなくてはいけなかった。
責めて、フロエが自分の帰りを待つのを諦める程度には……
では、何処へ行く?
街中はだめだ、人目に付き過ぎる。
自分が夜に街中を俳諧している、などとウワサが広がれば両親の攻撃のいい口実になるだけだ。
ならば、学園はどうか?
ダメだ。
この時間では、門も全て閉ざされているだろう。
例え、忍び込んだとしても、学園には用務員や警備員など住み込みで働いている者が少なくない。
見つかれば、結局は家へと連れて行かれる。
人気が少なくて、安全に時間が潰せる場所……
そんな条件が満たせる場所となれば……結局は、ここしかなかった。
「はぁ~……」
リーリアは大きなため息を一つ吐くと、またその場へと腰を下ろした。
「私言ったよね? 私に関わるなって……
周りの連中にも言われたんじゃないの?」
「まぁ……言われたな……」
「だったら、理由だって聴いてるんでしょ……
それなのに、何で……」
実際に、そうレオンに忠告したのはリハルドだけだったが……
その肝心のリハルドも、理由に関しては話してはくれなかった。そもそも、それはレオンに聞く気があまりなかったからなのだが……
「いや、理由までは聞いてないな……
怪我をしたくなかった関わるな、そう言われただけだ」
「普通、そう言われたら気味悪がって近づかなくなるものだけど……
それ以前に、理由くらい聞くものじゃないの?」
それは、リーリアにしてみれば当然の疑問だった。
リーリアのことを知らず、声をかけてきた者も、話を聞き、理由を聞けば怖がって近づかなくなるのがいつものパターンだった。
それでも尚、リーリアに話しかけてきた人間は、レオンが初めてだった。
「話してた相手が、言い難くそうにしてたからな……無理に聴く気はない。
そもそも、そんなに興味が無い。
聞きたくなれば、本人に直接聴くさ」
「……あんたにはデリカシーってもんが無いの?」
確かにそうだな、とレオンは一瞬思った。
村八分にされている奴に、“なぜ貴方はハブられているのですか?”と聞くようなものだ。
「で。私が話すとでも?」
「いや……だから、言ってるだろ?
そんな話に興味は無い、て。
話したくなければ話さなくていい。俺も聴く気は無い。
それいいだろ?」
「……」
レオンの回答が腑に落ちなかったのか、リーリアは眉間にしわを寄せ訝しげな表情を浮かべていた。
「それじゃ、あんたが私に付きまとう理由ってなんなのよ? 正直、気持ち悪いんですけど……」
リーリアは心底イヤそうな顔をして、レオンをジトリと睨みつけた。
「付きまとってるつもりはないんだけどな……
強いて言うなら……そーだな、ここに来れば、また聴けるんじゃないか、そう思ったから……だな」
「何それ? 意味が分からないんだけど……」
「……綺麗な声してたからな……素直に、お前の唄をまた聴きたい、そう思ったんだよ」
「はぁ!?」
そんなレオンの言葉にリーリアは、耳まで真っ赤に染めると驚きのあまり少したじろいだ。
正直、褒めれ慣れていないリーリアにとって、こういった場合どう対応していいのか分からなかった。
「なっ! なななっ、なっ、何言ってんのよあんた! ば、ばかじゃないの!」
「自分の唄を褒めた奴を“ばか”呼ばわりとはずいぶんだな……」
レオンは 渋面を浮かべると、慌てふためくリーリアへ向かってそう言った。
「あっ、あんたが変なこと言うからでしょ……」
「そーか? 別に変なことは言ってないと思うがな……」
「……」
リーリアはレオンから顔を背けると、そのまま黙り込んでしまった。
ダメだ……どうにも、調子が狂う……
視線の先、草が生い茂る地面を睨みつけながら、リーリアは思った。
レオンと会話をすると、どうにも自分のペースを乱される。
自分の言葉に、望んだ返答が一つとして返ってこない。
なんと言えばいいのか分からない……どう言葉にすれば、彼は自分を避けてくれるのだろうか……それが分からない。
分からないことは、怖い。
だから、リーリアはレオンが怖かった……得体の知れないバケモノのように思えた。
「で、今日はもう唄わないのか?」
「ひゃん!?」
考え事をしていたらところに、ふいにレオンから声を掛けられたせいで、リーリアは柄にもないかわいらしい声で短く悲鳴を上げてしまった。
慌てて自分の口を塞ぐが、手遅れだった。
振り向けば、意味ありげな薄ら笑いを浮かべているレオンと目が合った。
「なっ、なによ……何か言いたいことがあるならはっきり言ったら?」
若干、頬を紅く染めリーリアは非難めいた視線をレオンへと向けた。
「……だから、今日はもう唄わないのか?」
レオンは、短い吐息を一つ挟むと、同じ問いを繰り返した。
その何食わぬ物言いが、リーリアには何故か無性に腹が立った。
だから……なのだろうか……
普段なら、絶対に思いつかないような考えが脳裏をよぎった。
(なんて言えば、こいつは困るんだろう……)
レオンの求めているものは分かった。
信じがたいことだったが、この男はなぜか自分の唄を聴きたいと言った。
リーリアは自分の唄が、たいして上手くないことを自覚していた。
そんな唄を、聴きたいと言うのだ。だから疑ってしまう……
これは嫌がらせなんじゃないか……当て付けなんじゃないか……と。
そう思うと、よけいに腹が立ってきた。
「唄ってやってもいいけど……お金取るわよ?」
「ほぉ~、いくらだよ?」
「そうね……金貨一枚……」
金貨は帝国内で流通している貨幣の中で、最も高額の硬貨だ。
銀貨一枚も出せば、一回の食事代でたらふく食べることが出来る。
金貨一枚が銀貨十枚の価値があることを考慮すれば、唄一曲に要求する金額としてはあまりに高額すぎた。
酒場で歌っている吟遊詩人へのおひねりだって、銅貨数枚が普通で奮発しても銀貨一枚が関の山だ。
勿論、リーリアだってそんなことくらい知っているし、わかってもいた。
要は、嫌がらせだ。
リーリアは、とにかくレオンを困らせたかったのだ。
そして、さっさとこの場からどこかへ行って欲しかった。
しかし……
「ほらよっ」
レオンはポケットを適当にまさぐると、何かを取り出してリーリアへと向かって放って投げた。
「って! ちょっとっとっとっと……」
突然目の前に飛んできた物体を、リーリアは慌てて掴み取ろうとした。
が、悲しいかなリーリアは運動神経が若干残念な娘だった。
空中で、ぺしぺしと数度お手玉をして、ようやく飛んできた物体を手中に収めることができた。
手のひらをゆっくり開けば、そこに見えたのは金色に輝く一枚の硬貨だった。
「へっ?」
「拝聴料だ」
理解するのに、多少の時間がかかった……
「はぁ!?」
まただ……
また、望んだことと全く違うことをされた。
リーリアの想定では、レオンが“ふざるな!”と激昂して何処へなりとも立ち去る予定になっていた。
それがこれだ……
(普通、唄一曲に金貨一枚とか出さないでしょ!! 何考えてんのよこいつ!!)
「んじゃま一曲頼むわ……選曲はお任せで……」
レオンはそう言うと、その場にゴロリと横になってしまった。
「ぁ……」
今更、嫌がらせで言っただけで、唄うつもりなどはなからなかった、などと言える雰囲気ではなくなっていた。
(どうしよう……)
単純な解決方法としては、なんのかんのと理由をつけて金貨を突き返してしまえばいい。
気分が乗らない、とか……ノドの調子が悪い、とか……理由ならいくらでも、後付すればいいのだ。
しかし……
リーリアは手のひらの中の金貨を見つめて、思った。
これをこのまま突き返したら、負けなような気がする……と。
この際、何に負けるとか、何を持って負けとするのか、そんなことは関係ない。
負けたような気がするのだ。だから、それはきっと負けなのだ。
(引いたら負けだ……よしっ!)
ぐっ、と金貨を握り締めると、リーリアはその場にすっくと立ち上がった。
リーリアは考える。
この状況で、どうするのがレオンに対する一番の嫌がらせになるだろうか……どうすればがっかりするだろうか……
レオンは、自分の歌声を褒めていた……綺麗な声だと……
そんなことあるはずがない。きっと遠くから聞いたせいで聞き間違えたに決まっている。
なら、いっそのこと近くで聞かせてしまえばいい。
手は抜かない。本気で唄う。
そして、言ってやるのだ。
お前が褒めた声は、この程度のものなのだと。
お前が求めた歌は、こんなものでしかないのだと。
お前はこんな愚にも付かないものに、大金を払ったのだと……バカにしてやればいい。
後で文句を言っても、知ったことではない。
金だって返してやるものか。
高い授業料だったと諦めさせてやる。
正直、お小遣いなんてものを貰えない身の上なため、こんな大きな臨時収入をらくらくと手放せるほど、リーリアの財政状況に余裕は無いのだ。
(あ~、やだやだ……いつからこんな俗物的な考えをするようになったんだか……)
リーリアは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
頭の中の……心の中の全てを吐き出すように、ゆっくりと……
唄う曲目は決めていた。
昔、兄が好きだと言ってくれた唄だ。
……目を閉じる。
それだけで、なぜか周りの音が大きく聞こえるようになった気がした。
響く虫の声、吹き抜ける風の音、その風に梢が揺れる音……
~~~~~~~
始めの一音は、思いのほかすんなりと出た。
実を言えば、リーリアは人前で唄のが得意ではなかった。
いや、嫌いだと言っていい……
これには自分自身が一番驚いた。
一音目が出てしまえば、後は流れるように口を衝いて出た。
…… ……
……
気づけば唄は終わっていた。
いつ唄い終わったのか、よく覚えていない。
(こんなに頭の中を空っぽにして唄ったのは、久しぶりだな……)
なんの目的も意図も無く、ただただ唄う……
そんなことをしたのはいつぶりだろうか……
「これで満足?」
多少乱れた息を整えてから、リーリアは隣で転がっているレオンへと向かって言った。
「……」
レオンの反応はない。
ただ目を瞑って転がっているだけだ。
ややもすれば、寝ているのではないかと思ってしまうくらい、レオンは微動だにしなかった。
「ちょっと、なんか言いなさいよ……せっかく唄ってやったっていうのに……」
そんなレオンの態度が気にくわなかったのか、リーリアは剥れた表情でレオンをジトリと睨み下ろした。
そんなリーリアの言葉を聴いていたのか、いないのか……
レオンは、ん~っと体を伸ばしながらおもむろに起き上がった。
一応、起きてはいたらしい。
「ああ……いい唄だった。
今まで一番よかったんじゃないか? っても、まともに聞いたのは今回が初めてだけどな」
レオンはそのまますっくと立ち上がると、リーリアに背を向け歩き出してしまった。
「ちょっ、急になに!?」
「帰るんだよ。唄も聴けたし、特に用もないからな……」
レオンは振り返ることなく、森の方へと向かって歩いて行った。
まただ……
ここで、想像と違った、だとか、思った程じゃなかった、と言ってくれればリーリアには返す言葉がいくらでも用意されていた。
なのに……
(ホント……なんなの、こいつ……)
リーリアという個人に興味は無い。興味があったのは唄だけだ。と、そう言わんばかりに背中は静かに遠ざかって行った。
「……」
レオンの消えた森を、どれくらい見つめていたいただろうか……
気づけば、随分と時間が経っていた。
帰るには頃合だろう。
「あ~っ! もうっ!」
何か……こう……燃え残ったカスのようなものがどこかにこびり付く感触……
それが、リーリアの腹の中に溜まっていた。
吐き出すことも、怒りに任せて燃やすことも出来ない、奇妙な感情。
人は、この感情になんと言う名前をつけているのだろうか……
「帰ろ……」
誰もいなくなった原っぱで、リーリアは一人ぽつりと呟いて、握り締めていた金貨をポケットへと突っ込んだ。
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シュタインシュッツ家裏門前。
そこに、一枚の張り紙があった。
良く見知った、かわらしい丸い文字で、
“カギは開いてるから、後でちゃんと閉めること!
PS、キッチンに夕食を用意してあります。片付けヨロシク!”
と、書かれていた。
(もう……フロエったら……)
リーリアは張り紙を剥がすと、丸めてポケットへと押し込んだ。
これは、後で細かく破って捨てなければ……
これがもし人の目に付けば、フロエは間違いなく叱責されることになる。
まさか、家を追い出される……ということはないと思うが……
とにかく、彼女の不利になるような証拠は、残しておくわけにはいかない。
できればあまり自分に関わって欲しくは無かったが、何を言ったところで聞き届けてはくれないだろう……
昔から人の話を聞くような性格でないことは知っている。
特に自分の話は大体無視されてきた。
たった一つの願いすら、彼女は聞いてはくれなかったのだから……
(ホント……一度でいいから、言うこと聞いてよ……)
まったく言うことを聞かないフロエに腹が立ち。
でも、そんなフロエの優しさに頬が緩む。
怒っているのだか、喜んでいるのだか自分でもわからなくなってきそうだ。
門は押すとすんなり開いた。
さっさと通り抜け、脇に置いてあった閂を通す。
昨日と同じように勝手口に向かい、ドアノブに手をかけ、回す。
キィィっと微かな金属音を立ててドアは開いた。
ここもさっさと通り、カギを閉める。
懐から、マッチの箱を取り出して手近な燭台に火を灯した。
周囲が小さな灯りに照らし出され、一番近くのテーブルにだけ白い布が被されていることに気付いた。
奇妙な膨らみ方をしているところを見ると、下に何かが載っているのだろう。
たぶん、フロエが用意したと書いてあった夕食だろう。
リーリアがその布を取っ払らうと、下から姿を現したのはサンドイッチなど冷めてもおいしく食べられる料理の数々だった。
たぶん、両親に出した夕食のメニューは別の物だったはずだ。
わざわざ自分用に、フロエが作り直してくれたのだろう。
メニューのチョイスに、リーリアは目頭が熱くなった。
(だから……気使いすぎだって……)
いくらこの時間帯は、滅多に人が近づかないとはいっても長居は無用だ。
とっとと食事を済ませ、使った食器を手早く片付ける。
勝手口のカギを掛けたかを確認して、最後に燭台に灯した火を消してお終いだ……
(っと、その前に……)
ふっ、と息を吹きかけようとして動きを止める。
折角、厨房にいて火もあるのだから、ここでフロエの手紙(と、言っていいのかわからないが)を処分してしまおう。
燭台から蝋燭を取り外すと、リーリアはかまどへと向かった。
ポケットからフロエの手紙を取り出すと、蝋燭で火を着けてまかどへと放り込む。
例えこれで燃え尽きなかったとしても、明日の朝一には必ず火が入る。
その時にはきっちり燃え尽きることだろう。
リーリアは蝋燭を燭台へと戻すと、さっさと自室へと向かって小走りに駆け出していった。
終始、近くにいた人影に一切気付くことなく……
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もそり……
それは、食器棚の間から姿を現した。
別に特殊な工作をして見つからないようにしていたわけではない。
厨房は暗く、物も多い。
ただそこに居るだけであっても、気をつけて周囲を観察していなければ、普通の人間ならそうそう発見することはできないだろう。
人影は、物陰から終始リーリアの様子を伺っていた。
別に、見つかってもよかったのだが、彼女が自分の存在に気付くことは無かった。
人影は、かまどへと近づくと中でチロチロと燃えている紙切れを、近くに立てかけられていた火かき棒で掻き出した。
取り出し、踏みつけ、火を消す……
紙は思いのほか燃えてはいなかった。
丸めたまま火を着けたせいで、火の回りが悪かったのだろう。
広げて燃やされていたら、疾うにススになっていたところだ。
十分に火が消えたことを確認して、手に取……ろうとして、逡巡。
かまどの中にあったせいで、紙自体もススで随分汚れていた。
そのまま手にすれば、自分の手も黒くなってしまう……と、思ったのだ。
人影は、極力汚れていない場所を探して、摘むようにして持ち上げた。
丸まった紙を開き、書かれていた文面に目を通す……
なるほど……と、思った。
今までのリーリアには、合点のいかない行動が多かった。
外門なら、あのお転婆な性格の彼女のことだ、よじ登ることくらい簡単にしそうだ。
由緒あるシュタインシュッツ家の令嬢ともあろう者が、鉄柵をよじ登る……
そんな光景を想像して、めまいがした。
しかし、屋敷へと入る扉はそうはいかない。
なにせその全ての扉は自分が管理していた。
彼女が帰宅する以前に、全ての扉の施錠は完了しており、入ることは出来ない……はずだった。
なのに、翌朝には何食わぬ顔で屋敷の中にいるのだ。
どうやって入っていたのか、不思議に思っていたが、これで納得した。
侍女の中に内通者がいたのだ……
紙に内通者の名は書かれていなかったが、リーリアにこんなことをする、特別親しい人物など一人しかいない。
フロエ・ベルトラン……
(まずは、旦那様に報告を……しかる後に、ベルトランに事情徴収をしなくてはなりませんね)
人影は、表情一つ動かすことなく洗練された動きで踵を返すと、シュタンシュッツ家当主、ゴードリック・シュタインシュッツの元へと向かったのだった。