リタ=ミスキナ1 祖父と始まり
この世界には、恐らくは古来から、この世界のものでない記憶を持った人が凡そ50人に一人の割合で生まれてくる。
いわば前世の記憶というものらしく、彼らは彼らが以前別の世界で過ごした日々の記憶とそこで得た知識を生まれながらにして持ち合わせる。
彼らの持ち合わせる記憶は世代や地域こそ違えど、私達の世界に類似する単一の世界に根差しており、彼らの知識を模倣する私達は、自然、彼らの主流とする文化・文明に近い進化を遂げてきた。
私達の文明は今、彼らの暦で言うところの1800年台中頃まで進んでいるらしく、進んだ都市では石炭で蒸気機関車が走り、工場では決められた規格のパーツを組み立てる事で生産の効率化が図られている。
医学や農学といった知識分野については一部先鋭の知識が使われているが、情報の正誤の検証にかかる時間や資源環境の違いなど諸々の理由で、彼らの持つ技術の最先端とは程遠い。
現状2014年の知識を最新とする彼らの模倣を、当面私達は続けていくのだろう。
私達は彼らを、与える者「ギフター」と呼び、彼らの知識を持って模倣を続け、これまで発展を遂げてきた。
「私達は、何かこれから新しいものを自分自身の手で見つける事ができるのだろうか」
声は、ベッドに横になる私の祖父が発したものだ。
彼は15世紀初頭の東ローマ帝国に住む研究者の記憶を持つギフターだった。
「例えば自分の伴侶とか、孫の姿とか」
答えて、私は皺が深く刻まれた祖父の右手を両手で握る。
私は暖かな日の差し込む祖父の部屋で、去年から体調を崩して床に伏せている祖父の看護をしていた。
「そうだな、以前は孫はおろか自分の子供すら見ることができなかった」
そう言って祖父は私を見て笑い、顔の皺を深くする。
祖父の年齢はまだ50を過ぎた頃だが、ギフターの平均寿命は極めて短い。
健康で栄養良好な一般人の平均寿命は70弱だが、ギフターの平均寿命は30半ばだ。
前世で生きた時間が長いほど短命だと言われており、祖父は前世でも60まで生きたという。
彼はギフターとしては、とても長い時間を生きている。
「なあリタ、私はお前がギフターでなくて本当に良かったと思っているよ」
リタは私の名前だ。リタ=ミスキナ、北方の田舎村に暮らす14歳の少女、それが私だ。
「自分の死んだ後の事など知りたくないんだ。祖国が滅んだ事など知りたくはなかった。
私の仮説と行っていた研究が百年後には否定されていることも、画期的な発明で、私が取り除こうとしていた問題が解決することも。
私はこの世界に生まれ直して、途方もない無力感に苛まされた。
曲りなりにも研究者として生きてきた身の上、近くの者には頼りにされる事が多かったが、流通している書籍ですら私の知識の数百年先を進んでいる。
私をギフターと呼ぶ者達は、一体私に何を与えろと言うのだろうか。
研究史の充実のためとして私の知識を書にして提示することで報酬は得られたが、私は歴史家として生きたかったわけではなかったのだ。
それでもリタ、私は幸運だった。
私は前の人生では妻も子も持たなかった。この世界で妻に出会い、心から愛すると神に誓うことができた。
以前の体とは違う、この体から生まれてきた子供を愛する事ができた。
私の心はきちんとこの体に宿り、この世界を愛することができたのだ。
それの出来なかった者達のほうが、きっと多いことだろう」
ギフターには自殺者が多い。また、ギフターとして前世の記憶を認識すると言われる3,4歳、の自殺率も高い。
前世で呪術師として村民の治療儀式を行っていたギフターが、自宅の壁一面に謝罪と救えなかった村民の名前を書き散らして首を吊ったという話もある。
言葉通り、祖父は幸運な部類だろうと思う。
しかし、彼がこうして孫の手を取りこの世界を愛することができたと語れる事は、彼の賢さと強さと努力を伴ってこそだと私は考えている。
「お祖父ちゃんは、とても立派だよ。私も父さんも母さんもお祖母ちゃんも、お祖父ちゃんに幸せにしてもらったんだよ。
私はお祖父ちゃんを尊敬していて、お祖父ちゃんみたいに人を幸せにしていきたいって、そう考えてる」
祖父の静かな温かみを帯びた瞳をまっすぐ見つけて私は話す。
祖父はそうか、そうか、と頷いて、しばらくの沈黙の後に口を開く。
「私が研究に打ち込み一度目の生涯を捧げたのは、私の祖国の人々を幸せにするためだった。
自分の名前を残したいとか、少しでも多くの影響を世界に残しておきたいだとか、そういった色々な理由もあるが、原点は変わらずそれだ。
そう考えると、この二度目の生涯で近しい人を幸せにすることができたのは神の思し召しかもしれないな。
もしかすると、一度目の生涯で目的を果たせなかった者達が、この世界で二度目の生涯を送るのかもしれないな。
だとするとリタ、お前にもしも以前の人生があるのならば、きちんと目的を果たしたのだろう。満足のいく生涯を送ったのだろう。
それは、とても素晴らしいことだ。
これは私の空想に過ぎないが、そうであることを祈ろう。そしてまた、お前が満足のいく人生を歩んでいくことを祈ろう」
祖父は私の手をぐっと強く握り返し、目を閉じて彼の信じる神の名を呟いた。
この会話の一ヶ月後、私が敬愛する祖父は穏やかに眠りに就くようにしてこの世を去った。
願わくば彼にこの世界の記憶を引き継がない新たな人生のあらんことを。
私は祖父の墓の前で祖父と同じようにして祈りを捧げた。
そして彼に嘘を吐き続けた事を懺悔する。
私は祖父と同じくギフターだ。誰にも打ち明けた事は無いし、これからも打ち明ける事は無いだろう。
何故なら私は彼らギフター達の世界の行き着いた先を知っている。
行き着いた先は、彼らが望んだものでは無かった事を知っている。
私のかつての名はユグドラシル。人間を幸福にすることを目的とし、人間を統治し、人間によって破壊され、22世紀初頭に滅び行く世界を観測したコンピュータ。
アメリカ北西部に設置された巨大な地下避難都市を運営し、生き残る人間を選別し、愛する者と死に分かたれた男によって機能を失った独裁機構。
私を造った科学者は最大多数の最大幸福を人類に与えるよう私に命じ、私はそれを順守して全てを失った。
祖父の空想は正しいのかもしれない。私は前世で目的を果たすことが出来ず、何の因果か人として二度目の生を受けている。
祖父は私に多くを語ってくれて、私は彼の言葉が好きだった。彼は誰かを幸福にすることを自分の幸福だと思える人だった。
私は彼の幸福に寄与できただろうか。努力はした。祖父はそんな私の思いを見透かしたかのように、眠りに就く前に「ありがとう」と口にした。
その祖父はもうこの世におらず、祖母は先んじて他界したので私の家に住むのは私と両親の三人だけだ。
そして両親はまだ若く、仲睦まじい。私が家を離れても、彼らは祖父のいない穴を埋め、平時の暮らしに戻るだろう。
私の手元には一枚の書状がある。来年創設される王立学校の入学推薦状だ。
祖父のように現在のこの世界よりも前の文明水準の記憶を持つギフターや、学業優秀な非ギフターの知識水準を引き上げる事を目的とした施設だと言う。
私は推薦を受けようと思う。王立学校はこの村からは遠い首都に存在するため、学校寮に入ることになるだろう。
私はこの世界に生まれてからの14年をこの村で過ごし、この村の人々に前世の傷を癒して貰った。
ここで静かに暮らす道を考えもした、けれど。
「私達は、何かこれから新しいものを自分自身の手で見つける事ができるのだろうか」
祖父の言葉を私の身体でもって繰り返す。
私はもはや不老でもなく自分のバックアップすら作成できない人の身だ。
この世界の北方の民族では珍しくもない白髪赤眼の14歳の少女に過ぎない。
けれど私は、
「お祖父ちゃんを尊敬していて、お祖父ちゃんみたいに人を幸せにしていきたいって、そう考えてる」
自分の死後の世界の行く末を知った人々が笑顔でいれるように。
私の知っている世界の結末を、この世界が迎える事のないように。
私の決意を私の身体でもって紡ぎだす。
「私は、何かこれから新しいものを自分自身の手で見つけだす」
例えば未来、とか。
行って来ますと祖父に告げ、墓を背にして歩き出す。
私の背中を押すように一筋の風が吹いた。