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4.寂しかった二人

 その日は、つまらない一日だった。いつもと同じ時間に登校して、いつもと同じように授業を受けて、いつもと変わらない友達とくだらないことを話した。

 昨日みたいに、ペン回しもした。ゆきはいなくて、授業も前回と同じところをやってはいなかったけど。それでも、ペンは昨日と同じようにクルクル回った。


「お前、なんだか今日テンション高いな」


 やけに鋭い友人が、そう尋ねてきた。

 僕は、「そう?」なんて言って誤魔化した。きっと不自然だっただろう。でも、その友人はそれ以上はなにも訊いてはこなかった。いつもと違ったことと言えば、それくらいだ。

 そんな一日も、終わりに近づいていた。太陽は傾き、世界は真っ赤に染まる。夕暮れはあの告白の時以来ちょっと嫌いだったけど、今はなんだか好きになれそうだ。


「……優介」


 彼女が、僕を呼んだ。

 学校の屋上で一人、夕暮れを見ていた僕は振り返る。「話がある」と、彼女をここに呼んだのは僕だ。


「……栞菜」


 彼女の名前を呼ぶと、栞菜は困ったように顔を歪ませた。


「優介……あのさ、告白の件だったら、返事は変わらないよ。あんたのことは、好きだよ。でも、それは友達としてなんだ。そういう……その、恋愛対象としては、見れないよ」


 栞菜が、ぼそぼそとそんなことを呟く。

 いらない。そんな言葉なんか欲しくなかった。そんな栞菜なんか見たくなかった。あのさっぱりしてて、堂々とした、僕の好きな栞菜に戻ってよ。

 身勝手な僕の思いなんか当然届くはずなんかなく、栞菜はなおも弱々しく言葉を続けた。


「優介を傷つけちゃったことは謝るよ。今まで優介の気持ちに気づかないで普通の友達以上に近くにいて、期待させるようなことしてて、その……ごめんなさい」


 謝らないで欲しかった。余計に惨めだった。


「……でもね、あたしには好きな人が――」


「鑑真人?」


「っ!?」


 伏せられていた目が、驚愕で見開かれた。


「どうして……知って……」


 その一言で、勘違いや間違いの可能性は消えた。

 僕は落とし穴の上に居るかのような浮遊感を感じた。足元にぽっかりと黒い大きな穴が開いた気がした。無意識に、右手に持った巻物を握りしめる。


「見てればわかるよ」


 大嘘だった。ただ、他人に……神様に頼っただけだ。

 それでも、栞菜は今日ここに来て初めて笑った。


「……そっか。優介にはわかっちゃうのか」


 そう言って、目を伏せた。


「うん。だから、その上で言うよ」


「……え?」


 巻物を持つ手に力を込める。見なくても、巻物が鈍く輝くのがわかった。

 乱れそうになる呼吸を落ち着かせる。大丈夫、言うだけだ。あとは、言うだけだから……。だから、それまでは、堪えなきゃいけない。

 息を大きく吸い込んで、僕は一気に言った。


「ずっと、好きでした。僕と、付き合ってください」


 栞菜は、しばらく戸惑ったように僕を見ていた。

 しかし、その顔は徐々に笑顔に変わっていく。ぎこちない動きで、でもしっかりと、その細い首を振って、栞菜は口を開いた。




「ごめんなさい」




 夕焼けの中、その言葉は、僕の心にゆっくりと染み込んでいった。

 今度は、ぽっかりとした喪失感はなかった。こんなことに……「やり直し」に付き合ってくれた栞菜のために、僕は泣きそうな顔で無理矢理に笑った。


「ありがとう。はっきり答えてくれて、僕の気持ちに向き合ってくれて」


「ううん。これくらいいいんだよ。優介は、いつもわがまま言わな過ぎなんだから」


「じゃあ、もう一つだけ、わがまま追加」


 僕は、栞菜の後ろに向かって「もういいですよー!」と叫んだ。

 給水塔の陰から、一つの人影が出てくる。人影は、頭を掻きながら、申し訳なさそうにこちらへ歩いてきた。


「か、鑑くん!?」


 それは、栞菜の想い人、鑑真人だった。

 当然、こっちも僕が呼んだ。「秋沢栞菜のことで話がある」と言って。


「……ごめんな秋沢、その、盗み聞きするつもりはなかったんだが」


 「そこの奴に、自分の話が終わるまで隠れていてくれって頼まれてな……」と言いつつ、鑑真人は僕を見た。その瞳は呆れ半分、感謝半分といった感じの色を写している。

 栞菜は、驚いてはいたが不自然なほどに落ち着いていた。その栞菜が僕に視線を戻す。


「……これが、もう一つのわがまま?」


「うん。聞いてくれる?」


「……バカ」


 罵る言葉とは裏腹に、栞菜は笑っていた。……僕の大好きな、明るくて太陽みたいな笑顔で。


「こういうのは、お節介っていうの。わがままじゃない」


「そうかな?」


「そうなの」


 強い口調。話していると不思議と楽しい気分になる。そこにいたのは、この3日間、僕が失っていた栞菜だった。僕の好きだった栞菜だった。


「……だから、今度これとは別に、一個だけわがまま聞いてあげる」


 栞菜の瞳には、決意が見て取れた。

 軋みだす胸と心を必死に隠して、僕は笑顔で頷く。


「うん。ありがとう栞菜」


「こっちこそ、ありがと、優介」


 最後にお礼を残して、栞菜は僕に背を向けた。

 対面には、すでに顔を赤くした真人が立っている。二人は見つめ合って、やがて、お互いにその想いを口にした。






 世界が夜のとばりにつつまれ始める頃。僕は相変わらず屋上にいた。下に見えるグラウンドの先の校門では、栞菜と真人が仲よく話しながら並んで歩いている。


「……理解できません」


 ふいにそんな声が聞こえて振り返ると、そこにゆきがいた。漆黒の髪と紅白の巫女装束の袖や袴を風に揺らす姿は儚げで、神から人間の女の子に戻ってしまったかのようだ。


「……ゆき、いたの?」


「ええ。すべて見ていました」


 ゆきは、巫女装束の袖と長い黒髪を風に揺らしながら、僕の隣に並んだ。柵に両腕を置き、まだ校門を出たばかりのできたてほやほやのカップルを見下ろしている。


「これで、良かったのですか?」


「うん」


「……優介さんは、栞菜さんのことが好きなのではないのですか?」


「好きだよ」


「………………なら、どうしてですか!!」


 急に、ゆきが声を荒げた。

 今まで見たことないくらい感情をあらわにして、僕に詰め寄る。 


「どうしてあの二人をくっつけるようなことをしたんですか!? 私は、私はあなたの願いのためにその巻物を貸したんです。栞菜さんの願いのためじゃありません!」


「……」


 確かに、僕はゆきの気持ちを無駄にした。

 ちょっとドジなところもあるけど、ゆきは正真正銘神様だ。こんな大事な巻物を忘れて置いていくはずが無い。なのに僕の部屋に置いてあったのは、僕に使わせるためだ。栞菜と真人が両想いだとはっきり言ったのも、昨日僕の心に自分の言葉を思い起こさせたのも、今日一日姿を見せなかったのだって、きっと全部僕に願いを叶えさせるため。

 なのに、僕はゆきの巻物を栞菜の為に使った。僕はこの巻物で、さっきの僕の告白がただのやり直しであることを栞菜に伝えた。さらに、そのあと真人への告白がうまくいくように、緊張や焦りを緩和した。


「……ごめん」


「謝るくらいなら、今からでもそれで栞菜さんを手に入れて下さい。あなたの願いを叶えて下さい!」


「それは、できないよ」


「どうして!?」


「ゆきこそ、どうしてそこまで必死になってくれるの?」


「それは……!」


 質問に質問で返すのはマナー違反だと思う。でも、僕はあえて問いかけた。

 それは、ゆきの問いに満足な答えを返せないからだった。なんとなく間違っているから、何かが違うから。そんな曖昧な答えしかなかった。思いが、まだ纏まっていなかった。

 対して、言葉につまったゆきは、明確な答えを持っていたようだ。数秒間のためらう様子を見せてから、すぐにつまった思いを吐き出した。


「……寂しかったんです」


「え?」


「あんな神社に、何百年も一人きりで……ずっと寂しくて……。だから、優介さんと会えた時、すごくすっごく嬉しかったんです」


 気づけば、ゆきは泣いていた。

 涙のあふれるその大きな瞳で、僕を見つめていた。


「だから、この人のお願いは絶対に叶えてあげようって……優介さんにお礼がしたいって、そう思ったんです! たとえ誰かを不幸にしてもあなたの願いを叶えたかった!!」


 泣きじゃくる、神様の女の子。その小さな身体に、一体どれほどの孤独を抱えてきたのだろう。

 ふいに巻物が光って、頭の中にイメージが流れ込んだ。気の遠くなるような年月、広すぎる神社でたった一人の女の子。寒さに凍える冬も、夏の祭りの賑わいの中でも、いつも一人で空を見上げている女の子。その子が今、目の前で泣いていた。その姿が、あまりにも小さくて、消えてしまいそうで……。

 僕は、無意識に、その身体を抱きしめた。


「……優介……さん?」


「ありがとう」


「え……」


 ギュッと、その華奢な身体を、さらに強く抱きしめる。


「僕もきっと寂しかったんだ。栞菜に告白して、断られて、栞菜が遠くに行っちゃったような気がして……」


「……」


「今も、本当は寂しくて仕方ないんだ。自分で決めて、覚悟もしてきたのに……また、栞菜が遠くに行っちゃうって思ってる。胸にぽっかり空いた穴が塞がらないんだ……でも、ゆきがいるから、ゆきが傍にいてくれて、話を聞いてくれるから……だから!」


 いつの間にか、僕の目からも涙が溢れていた。

 ゆきの手が、僕の背に回された。あの日、僕の手を包んでくれた時みたいに、今度は全身がゆきの柔らかな暖かさに包まれる。


「僕は、あの巻物を自分の為に使わずに済んだ。大切な人を不幸にしないで済んだんだ。だから、ありがとう、ゆき。ありがとう。ゆきはもう充分過ぎるくらい、お礼をしてくれたよ」


「……本当、ですか?」


 問いかける声は掠れていた。

 僕は、必死に頷いた。


「私は、あなたに……ちゃんと恩返しできましたか?」


「うん、うん……!」


 ゆきがまた、わあっと泣き出した。僕も、涙が止まらなかった。

 二人抱き合って、いつまでもいつまでも、一緒に泣き続けた。あの日見たゆきを守る光たちが、また僕らを包んで、泣き続ける僕達をずっと見守ってくれていた。









 それから、一週間が過ぎた。

 僕の周りは、相変わらずの日々が続いていたが、変わったことが三つほどあった。

 一つ目は、栞菜ともとの幼馴染の関係に戻れたこと。まだ失恋の傷は癒えなくて、たまにつらく思ったりするけど、それはいずれ時間が解決してくれると思う。

 二つ目は、鑑真人と仲良くなったこと。あの屋上での一件の後、律儀にもお礼を言いに来た真人となぜか趣味が合い意気投合。今度、二人とも好きなアーティストのコンサートに行く約束をした。

 そして、三つ目は……。


「今日もいない、か」


 ゆきと、あの日以来会えていない。

 時間があれば、毎日みぞれ神社に通っているのだが、賽銭箱の上に彼女の姿を見つけることはできなかった。

 手元に残っているのは、ゆきの巻物だけ。これのおかげで、ゆきのことを夢だったなんてことは思わずに済んでいる。でも、もう一つの不安は日に日に増していた。


 願いが消えた今、僕はもうゆきが見えないんじゃないか?


 もしそうだとしたら、僕はもう二度とゆきには会えない。それに、ゆきをまた孤独にしてしまう。

 それだけは、絶対に嫌だった。


「ゆき……」


 その名を呼ぶ。

 いつものように、返事はなかった。僕は溜め息をついて、境内を回れ右する。

 その時だった。


「溜め息をすると、幸せが逃げてしまいますよ?」


 風鈴みたいな、澄んだ綺麗な声。

 慌てて振り返った僕の前に、神様がいた。長い黒髪、大きな瞳、紅白の巫女装束。この一週間、捜し続けた女の子が、今目の前に立っている。


「ゆき!」


「はい、優介さん」


 嬉しそうに微笑むゆき。

 向日葵みたいな満面の笑顔は、むちゃくちゃ可愛かった。そのせいで、次に会ったら少しだけ怒ってやろうとか考えていたことは、すっかり忘れてしまった。


「今まで、どこに行ってたの? もう会えないかと思ったよ」


「えっと、すみません……実は、これを作ってたんです」


 バサァ――と脇に抱えていた布を広げる。

 それは、神社の神主が着用する正装だった。


「ふふん、どうですか優介さん」


 自信に満ち溢れた表情のゆき。


「……えっと」


「はい」


「それは……僕が着るの?」


「はい!」


「……」


 もう一度、神主の正装を見る。

 確かに凄いとは思う。大振りな、動くこともままならなそうなくらいのボリューム。圧倒的な存在感。

 ただ、着たいかと言われたら、着たくない。


「あの、ゆき。理由を訊いてもいいかな」


「はい。優介さんは私にはない考えをたくさん持っておられます。なので、神社の仕事を手伝って欲しい思いまして」


「……いきなり神主になれと?」


「形から入りましょう」


「……」


 なんだか、久々のやり取りだった。

 嬉しいけど、だからってこの服は着たくない。凄い重そうだし。コスプレの趣味はない。


「ゆ、ゆき。仕事は喜んで手伝うからさ。その服は勘弁して……?」


「駄目です。着てください!」


 ゆきが襲いかかってきた。

 あの重そうな服を持ってるのになんてスピードなんだ。


「ちょ、まって、やめて!」


「観念してください。絶対に似合いますから!」


「やめ……わああああ!」


 こうして、僕と彼女の、不思議な縁は始まった。

 それは桜の散り終える5月、失恋した男の子と神様な女の子の、少しだけ特別な出会い。でもきっと、僕にとっては……いや僕たちにとっては、世界中のどんな出会いなんかより特別な出会いだ。

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