1.告白と神社の神様
「……ごめん。あたし、好きな人がいるんだ」
夕暮れに染まる坂道に、カラスの鳴く声だけが虚しく響いていた。
幼馴染の口から発せられた言葉に、僕はなにも返せなかった。「そっか」とか「わかった」とか、なにか答えなきゃいけないって、じゃないと栞菜を困らせるってわかってたのに、なにも言えず、ただその場に立ち尽くしていた。
「……ごめんね。……また、明日」
結局、彼女は僕を心配そうに見ながら、その場を離れた。長い坂を下っていく彼女の背中を、僕はただ見つめていた。見つめていることしかできなかった。その背中が消えて、太陽が消えて、カラスの鳴き声が消えて、それでも僕は立ち尽くしたまま何かを見つめていた。いや、きっとなにも見えてなんかいなかったんだと思う。自分がふわふわと定まらない、それほどの喪失感だった。
「……帰ろう」
呟いた声は泣きそうだった。だって、初恋だったから……ずっと好きだったから、本気で好きだったから、僕のすべてだったから。
ぐすっ――、どっかで聞いた擬音だ。ぐすっ――なんの音だっけ? ぐすっ――ああそうか、泣いてる時ってホントにこういう音でるんだ。ぐすっ――情けない。ぐすっ――本当に情けない。
どこをどう歩いたのか、さっぱり覚えていない。気づけば、僕は神社にいた。確か、みぞれ神社とかいう地元じゃそこそこ有名な神社だ。僕は一度も来たことはないけど、願いが叶うとかってクラスの女子が騒いでいたのを覚えている。
その時、僕は神社の奥が光って見えた。ただの見間違いなのかもしれない。だって、電灯もなにもないのに光ってるわけがないし。でも、僕にはその光が、唯一の救いのように思えた。
進んでいく。一歩、一歩……石階段を昇っていく。足元の石段を照らしているのは、きっと月明りだけじゃない。その確信は徐々に強くなっていった。木々が風に揺れて、ざわざわと不気味な音を立てる。ズボンのポケットに入っているマナーにしっぱなしのスマートフォンが震えていた。
やがて、真っ赤な鳥居が見えた。最後の一段を昇り終えて、それをくぐる。光の正体が、約20m先にあった。
「……あ……」
ぼんやりとした光は、神社の全体を照らしていたが、それの発生源は光っているわけではなかった。でも、それのまわりで、確かに光は生まれている。
それは、女の子だった。
女の子は紅白の巫女装束に身を包んでいた。賽銭箱の上に腰掛けて、空を見上げている。少しだけ微笑んでいるその顔は、とても幻想的で美しい。
僕は、しばらく呆然とその姿を眺めていた。光は女の子が発しているというよりも、女の子を光が守っているかのようだ。
「……かみ……さま?」
自分の口から、意図せずに言葉が漏れた。
「え……」
僕の声に気付いたのか、視線を下げた巫女装束の女の子と目が合う。
その大きな瞳をぱちくりさせた少女は、なぜかひどく驚いているようだった。僕はそのことを疑問に思いつつも、女の子に歩み寄る。
「……えっと、こんばんは。こんな夜中になにやってるんですか?」
「はえ!? あ、あの……」
自分のことを棚に上げて、バカな質問だと思った。しかも、予想以上に女の子がうろたえてしまったので申し訳なくなって、僕は頭をかいた。
「すいません。こんな夜中に……は僕もですよね」
「あ、はい、そうですね。……あの!」
「は、はい!?」
女の子が急に大きな声を出すので、思わず声が裏返ってしまう。でも、女の子はそれ以上にテンパった様子で、とんでもないことを訊いてきた。
「あの……私のこと、視えるんですか?」
「……は?」
間抜けな僕の声が、境内に響き渡った。
賽銭箱の上とは、座っていいものなのだろうか。「いつも座ってるので大丈夫ですよ~」と彼女は言っていたが、見つかったら怒られるのは僕だけなんじゃないか……?
そんな心配をよそに、僕の隣に座った巫女装束の女の子は居ずまいを正すと、コホンとひとつ咳払いをした。
「それでは、改めて自己紹介しますね。初めまして、私は雪ノ神と申します。一応、この神社の神様をやっています。名前は呼びにくいと思うので、ゆきとお呼びください」
「えっと、僕は神島優介です。水城高校の2年B組です」
「優介さん……ですか。あの、確認なのですが……」
「はい」
「本当に、私のことが視えるんですね」
「そう……みたいです」
パアと、花開くようにゆきは笑顔になった。
「感激です。ここに祀られてから約300年、私のことが視えたのはあなたが初めてです」
「そ、そうなんだ……。えっと、神様って人には見えないものなの?」
「はい。霊体みたいなものですから。といっても……」
ゆきが突然、僕の手に触れた。「わっ!」と驚いて、ひっこませかけて、何とか思いとどまる。柔らかい手の感触が、温度が、両手を包み込んだ。
「このように、実体はあります。でも、普通の人はここに私がいるという認識ができないんです。視えないというよりは見えていても意識できないと言った感じでしょうか」
ちょっと難しかったが、とにかく僕以外の人はゆきが見えないのだということはわかった。
「どうして、僕は意識できるんだろう?」
「それは、ちょっとわからないですね……うーん……」
ゆきは額に手を当てて、難しい顔をした。
やがて、何か思いついたのか、ポンと手を叩く。
「もしかしたら、願いと関係があるかもしれません」
「願い……?」
「はい。古来より、大きな悩みや、困難な願いを持った者の前に神様が現れるという話はたくさんあります。そのほとんどはその悩みや願いがその人の精神に負荷をかけた結果、たまたま普段は意識できない神様を認識できてしまったというものなんですよ」
「なるほど……願い、か……」
願い……それを考えた途端、頭の中に栞菜の顔が浮かんだ。
まずいと思った時にはもう……俯いた僕の顔を、ゆきに見られてしまっていた。それだけで、僕が何かを抱えてしまっていることを悟られるのには充分で。ゆきはまた、僕の両手を、雪のように真っ白で柔らかい掌で包み込んだ。
「なにか……あったみたいですね」
「……」
「よければ、話していただけませんか? これでも神様ですから、お力になれるかもしれません」
優しいその笑顔に、導かれるように。
僕は、今日あったことを、ぽつぽつと話し始めた。
「……そうですか」
僕の話を聞き終えたゆきは、悲痛な顔をして、僕の手をぎゅっと握った。
ああ、この人は……神様なんだなって思った。まるで自分のことみたいに悲しんでくれて、さっき初めて会った僕なんかの痛みを、一緒に背負おうとしてくれている。そうそうできることじゃない。僕にはきっとできない。
「優介さんはまだ、その方のことを諦められないんですね」
「……うん」
簡単に諦められるわけがない。そんなに軽い気持ちじゃない。
「わかりました」
「え?」
「その願い、私が叶えます」
そう言って立ち上がったゆきは、胸を叩いた。「どーんとお任せください!」
「で、でも……」
「遠慮はいりません。こうして出会えたのも何かの縁です」
「……」
ゆきに手を引かれて、僕は立ち上がる。僕の心はまだ揺れていたけど、僕らの周りの光たちは、さっきよりも輝きを増していた。
「一緒に、頑張りましょう?」
光の中、暖かな掌に右手を包まれながら。
僕は、こくりと頷いた。