未来という名の大空へ
絶滅したはずの恐竜から、鳥たちが受け継いだもの。でもそれは、本当に鳥だけに受け継がれたものだったのだろうか……
気が付くと、空が見えた。
視界全体を占拠するセルリアンブルー。空だと認識するまでに少し時間がかかる程の、雲一つない完璧な空だ。
今そこに、一羽の鳥が侵入してきた。視界の端から唐突に現れたそれは、一直線に中心付近まで来ると、まるでそこがベストポジションである事を見透かしたようにその場に留まり、ぐるぐると旋回を始めた。
見た事のない鳥だな……
尾の先がくっきりと二本に分かれたその奇妙な形の鳥は、最初こそ僕の視界内で小さく回っているだけだったが、やがて自身の翼を誇示したくなったのか、突如視界を飛び出し、アクロバット飛行さながらの急降下と急上昇を披露して見せた。
ぼやけた意識の中で、僕はその雄姿を追おうと首に力を込める。そこで初めて、後頭部に大地を感じた。
それまでの記憶が一気に呼び戻され、僕は慌てて上半身を起こす。しかしそこは、想像していた結末とは程遠い場所だった。
遮る物の何もない、見渡す限りの田園風景。その一角にある畦道に、僕は座り込んでいた。
ここが終点なのか……
「目覚めたようじゃな」
不意に後ろから声を掛けられ、僕は驚いて立ち上がる。そこには、鍬を担ぎ、バケツを手に持った農夫姿の老人が立っていた。
「ふむ…… なるほど、いい面構えじゃ」
「あの……」
「ここはどこか、あなたは誰か、かな?」
「…… はい」
「まぁそう急く事もなかろう。ここでは時間などあってないようなもんじゃからのう」
老人はそう言うと、鍬とバケツを傍らに置き、どっこいしょと言いながら畦の淵に腰を下ろした。
「ほれ、君も座らんか」
自分の隣のスペースをポンポンと叩きながら老人が促す。僕らは二人並んで畦の法面に足を投げ出し、田んぼを見下ろすような形に座った。
田植え前の茶色い水田がどこまでも続き、セルリアンブルーに溶け込んでいる。途中で山や樹々に遮られず、地平線まで続く田園風景は初めて見た。ただ、僕にはその光景はどこか異様で、とてもこの世のものとは思えなかった。
「今、何を考えておる?」
老人がおもむろに尋ねる。
「”天国”…… ではなさそうだなと……」
「フッハッハ、自死を選んでおいて天国に行けるほど、”あの世”は甘くはないぞ」
老人が豪快に笑う。確かに、返す言葉もなかった。
「ただ、地獄でもない」
急に真顔になった老人の横顔を僕は見つめる。
「ここは言ってみれば、現在と未来の狭間…… ”刹那の空間”じゃな」
「刹那の空間……」
「そうじゃ。まぁ俗にいう、『指を弾いた六十五分の一の時間』て奴だな」
そういえば何かで読んだ事がある。元々は仏教の時間の単位で、”刹那”という言葉自体も確かヒンズー語が語源だったはずだ。
「わしはこの刹那の空間で、種を蒔く傍ら、翼を治しておる」
「翼を?」
「そう、翼じゃ」
老人はそう言いながら空を見上げた。先ほどの奇妙な形の鳥が、その言葉に呼応するかのようにまたアクロバット飛行を始める。無限の大空を謳歌するその姿は、翼を持つ者の勇気と、喜びに満ち溢れていた。
「たまにああしてこちらに迷い込んで来る」
「あの鳥の翼も、治したんですか?」
「鳥ではない」
「え?!」
遥か上空まで急上昇したそれは、向きを変え、こちらに向かって一直線に突っ込んで来た。小さな点が徐々に大きくなり、はっきりと人の顔らしき肌色の頭部が近づいてくる。
「彼は、未来が見えなくなっておった。だから、未来などほれ、大空にたくさんあると教えてやった。それだけじゃ……」
白い翼を大きく広げ、笑顔の彼は今、僕らの頭上を強烈な風圧と共に飛び抜けて行った。
しばし呆然とその後ろ姿を見届けながら、僕は誰にともなく呟く。
「何故人に翼が……」
「翼の無い人間などおらん。おるのは、翼の折れた人間だけじゃ。君のようにな」
困惑した表情で見つめる僕に、老人は続ける。
「それとも、君の背中に付いているものは、ただの飾りかね?」
それまでの柔和な眼差しが一転、鋭い眼光が僕を突き刺す。まさかと思い、僕は手を後ろに回す。そして首を捻じ曲げ、必死に自分で自分の背中を見ようとする。だがそんなものは、どこにも見えない。
「自分を信じる事じゃ。そうすれば、また会えるかもしれん……」
老人は最後にそう言うと、腕を上げ、指を弾いた。
次の瞬間、強烈な向かい風と鼓膜を引き裂く風切り音が僕を襲った。
尻に感じていた大地が突然無くなり、全ての景色が物凄い速さで上に向かって流れていた。
そうだ、僕は落ちていた。落ちている途中だったのだ。
老人に呼ばれさえしなければ、気を失ったまま、恐怖も、痛みも、何一つ感じる事なく、このまま落ちて、固いアスファルトに叩きつけられ、踏みつぶされた蠅のように肉片が飛び散り、死ぬはずだった。そうだ、お前がそれを望んだのだ。
困難を乗り越える努力もせず、未来という名の大空に羽ばたく勇気もなく、ただただこの地獄のような日々から逃げ出したいという理由だけで、生を放棄したのは他でもない、お前自身だ!
この状況に至って初めて、後悔の念が自身への怒りとなって噴き出した。
「こんな形で…… こんな理由で、死んでたまるかっ!!」
魂の叫びは肉声となり、肉声は耳を介して脳に響き渡った。
極度の恐怖が、極度の怒りによって中和されて行く。気を失うどころか身体中の五感が研ぎ澄まされて行くのをひしひしと感じた。数秒後には確実に訪れるであろう死を前にして、僕の心は逆に水を打ったように静まり返って行った。
───自分を信じる事じゃ。そうすれば、また会えるかもしれん───
アスファルトが迫って来ていた。そしてその両脇には今が盛りの桜並木が見えた。
僕の中で、何かが弾けた。
「ウォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオ!!」
その時、背中で「バサッ」という音が聞こえた。
「未来という名の大空へ」 完
まずは最後までお読み頂き、感謝感謝です!
表題作「未来という名の大空へ」は、2016年5月6日 大塚WELCOME BACKライブにて、パンフレット掲載された小説です。
厳しいご意見、ご感想を、お待ちしております。
バンド「Machu Picchu」の活動内容を詳しく知りたい方は、是非下記にアクセスして見て下さいネ^^
マチュピチュ オフィシャル ウェブサイト
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