僕たちの存在
その人がいなくとも、世の中は回って行く。しかしその人がいなければ、今とは少しだけ違う景色になっていたかもしれない。
車の交通量調査のバイトはした事があったが、歩行者通行量調査は初めてだった。
基本、交差点の角に椅子を設置し、衆人環視の中カチャカチャやるのだが、その日は運よく角に駐車スペースがあり、車中でカウントする事が出来た。
相棒はこの仕事が長いらしく、会社からも仕事の詳細は全てこの相棒に聞くよう言われていた。
「この車、自分のですか?」
「…… ああ」
「もう、長いんですか?」
「…… ああ」
髪に白いものが混じり始めた中年男は、さも面倒くさそうに答える。開始前にカウント方法を説明してくれた際は普通だったのだが、プライベートな話には踏み込むなというサインらしい。
「…… すいません」
「…… ああ」
やれやれ…… このまま十二時間はキツイな……
半年前に大学を中退し、仕送りが止められてからというもの、僕は生計を立てる為にいくつものバイトを掛け持ちせざるを得なくなっていた。親からの帰還指令を無視してまで東京にしがみついたのには理由がある。
己が何者なのか─── それを知りたかったのだ。しかし、今となってはその目的も、〝日常〞という名の魔物に忙殺されつつあった。
軽ワゴンの車内は、カチャカチャという金属音のみに包まれていた。
調査事項は車とさほど変わらない。どちらの方向に進んでいるか、男か女か、学生以下か成人か高齢者か。それらを一時間ごとに集計表に記入する。それだけだ。
僕らは進む方向別に役割を分担し、黙々とカウントを続けた。
チラリと相棒の横顔を盗み見る。そこにはとりたてて特徴といえるものが無かった。どちらかといえば小柄な体躯の上に、次に街中ですれ違っても誰だか思い出せないぬるりとした顔が乗っているだけだ。車の交通量調査の時も、この相棒くらいの歳の人はたくさんいた。自分より二周りも上の世代の人間が、日銭を求めてノコノコと集まってくる姿は、僕を含めた若い奴らに一つの言葉を想起させた。
敗者……
しかし同時に気付くのだ。二十年後は我が身かもしれないと───
「退屈か?」
開始から二時間ほどが経ち、朝の通勤ラッシュも一段落した頃、相棒が唐突に話しかけてきた。
「えぇ、まぁ、そうですね……」
「そうか」
すると相棒は突然ドアを開けて外に出た。そして車の後ろに回り込み、ハッチを開く。
「カーテンそっちやるからフロントまで引いてくれ」
よく見ると、ハッチの両脇にはカーテンがたくし込まれており、窓に沿ってレールらしきものがぐるりと取り付けられている。相棒はまず、後ろから助手席側のカーテンを僕に向かって滑らせ、次に運転席側のカーテンも自分の手の届く位置まで滑らせた。そして滑らせた方と反対側の端同士をマグネットで固定し、ハッチを閉め、運転席に戻って来た。
「この辺まで閉めてくれ」
相棒はそう言ってフロントガラスの端が少しだけ隠れる位置までカーテンの束を引き、僕もそれに倣った。レールはサンバイザーの裏にも通っており、閉めようと思えば車内全体を覆う事が出来るようになっていた。
「遮光カーテンなんですね」
「特注だ」
あっという間に車内は暗くなり、これでフロントも閉めればさぞやよく眠れるだろうと思った。
「何かに似ていると思わないか?」
「今気付きました。映画館ですね」
「その通り」
「僕らが観客で、窓の外が──」
「── スクリーンだ」
正直、感動していた。これはすごい…… と思った。車が軽ワゴンというのもこの環境作りに一役買っていた。セダンタイプだとどうしても車体の鼻が視界に入るし、スクリーンであるフロントガラスにいらぬ傾斜がつく。フラットフロントの軽ワゴンだからこそ出来る裏ワザだ。
「いつもこうして見ているんですか?」
「…… ああ」
おっと、こちらから話しかけてはいけないルールだった。
僕は再び口にチャックをし、残り十時間もある〝日常〞という名の映画に意識を集中させた。
途中昼を含めて何度かの休憩時に僕らは一言二言会話を交わしたものの、それ以外はずっと無言のままだった。
陽が中空に達し、傾き、そして落ちていく。やがて西日がさながらスポットライトのように役者たちを照らし始めた。最初のうちこそ、監督も脚本も存在しない、ましてや起承転結すら無い他人の〝日常〞を見続けるのは苦痛以外の何ものでもなかったが、ある時点から、それは違うなと感じ始めた。監督も脚本も、そして起承転結も確実に存在していた。
彼ら一人一人の中に───
例え同じ方向を歩いていても、彼らは皆別の物語を紡いでいるのだ。
役者たちの中に、会社帰りのサラリーマンやOLの姿が目立ち始めた。皆足早に僕らの前を通り過ぎて行く。吞み屋の看板が灯り始める頃には、街は昼よりも一層多彩な色に染まっていた。長時間定点観測を続けている者にしか分からぬ変遷が、そこにはあった。
「信じられるか?」
残り一時間というタイミングで、相棒が話しかけてきた。
「何がですか?」
「彼らは全員、目的を持って前に歩いてるんだぜ」
その言葉に、僕はハッとした。
「そのベクトルや想いは様々だが、皆前に進んでいる」
「そう…… ですね」
「つまりこの人たち全員が、世の中に必要とされているって事だ。そして何よりも大事なのは、君もまた、普段はあちら側の人間だという事だ」
カウンターに置いていた指が止まった。
「君の履歴書は見させてもらった。もし良ければ、うちに来ないか?」
「えっ?!」
「もちろん毎日こうして映画鑑賞するわけじゃないが、もう掛け持ちをしなくても暮らせるだけの給料は払えると思う」
「…… あの……」
「一応この会社の代表だ。もっとも、社員はオレとあと二人しかいないがね…… ハハ、もしかして四十過ぎて定職にも就けない人生の敗者だとでも思ったか?」
「いや…… その……」
「ハハハ、別に構わない。ただ一つだけ言っておく。仮にそうであったとしても、現状にもがき苦しみながらも前に進んでいる人間は、敗者とは呼ばない」
相棒は、それまでの十一時間からは想像も出来ない満面の笑みを浮かべていた。
僕たちの存在 完
まずは最後までお読み頂き、感謝感謝です!
表題作「僕たちの存在」は、2015年9月13日 大塚WELCOME BACKライブにて、パンフレット掲載された小説です。
厳しいご意見、ご感想を、お待ちしております。
バンド「Machu Picchu」の活動内容を詳しく知りたい方は、是非下記にアクセスして見て下さいネ^^
マチュピチュ オフィシャル ウェブサイト
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